「歪んだ螺旋 5」




 


 近年、これほど腹立たしかったことがあるだろうか。
 許し難いことがあっただろうか。
 やるせない気持ちや、焦燥感。苛立ち。KIDなどしていれば、様々な感情に彩られる。それをポーカーフェイスで上手に隠して、父親にいわれた通りにマジシャンらしい表情を浮かべて生きてきた。
 けれど。
 今回ばかりは、感情の波が爆発しそうだ。
 自分の大切な存在の心を乱す男。ストーカーなどいう卑劣な行為で彼に迷惑を掛けて。
 無言電話、盗撮。行動を監視していると見せつけるために綴った新一の観察日記のようなもの。果ては新一の写真に彼を汚した証を付けて送ってきた。そして、今度は彼を汚したのだと言わんばかりに使用した避妊具を送りつけてきた。
 最悪だ。
 これで、心を乱さない人間はない。嫌悪感を抱かない人間はいない。
 どんなに気丈な人間でも、平気な顔を見せていても、怖くないはずがない。今度はなにをされるのかと怯えないはずがない。
 まだ姿を見せていなくても。
 いずれ、自分の前に現れるのではないかと。不安になる。
 現代、ストーカー被害は多く、ストーカー規制法ができるほどだ。
 実際被害にあった人間はその間地獄のような苦しみを味わう。ずっと見張られている。どんなに変えてもかかってくる電話におびえ、誰かが協力しているのではないか。自分の周りの親しい人間が実はストーカーなのではないかと疑う。
 被害はエスカレートして嫌がらせのようなものまで受けることになる。
 快斗は、新一にストーカーをしていた人間を特定するため調べている間に、ストーカーについても調べた。
 その男の行動を止めるにはどうしたらいいか。
 実質は、二度とそんな気が起きないようにしておくつもりだが。
 電話の記録で、携帯電話の番号がわかっているから、そこから本人を突き詰めることはできる。新一を見張っているはずだから、怪しい人間をそこから見つけてる。携帯の番号と同一人物だとは思うが、一応確認は取るべきだろう。
 その男の部屋にはたぶん、新一の写真などがあるはずだ。それ以外にも調べたものや妄想の産物もあるかもしれない。写真だけではなく、画像にも撮っているかもしれない。
 すべて消去しなくては。
 そいつの頭の中も消去できたらどれほどいいか。
 
 
 
「よう」
「……おまえ。あの人の周りにまとわりついているヤツだな?」
 男は自分に声をかけてきた青年の顔を見て顔色を変えた。自分が愛する人間の家に毎日のように出入りして我がもののように彼にひっついている邪魔な人間だ。
「……だったら、どうした?」
 青年はにやりと笑う。
「おまえは、あの人に相応しくない。邪魔なんだよ!」
 男は感情のままに叫んだ。
 男にとって青年は敵だった。自分がいるはずの場所に青年がいるのだ。男は青年を睨みあげた。
「……いいたいことは、それだけか?」
 青年は冷笑を浮かべて、男に近づいてきた。細身の男なのに、圧迫感がある。男は一歩後ずさった。
「な、なんだっ……」
「イヤ、別に。この目で見て汚したのかと思うと虫ずが走ると思って。なあ」
 妙に優しい声音で青年は男の首に手を回す。力を入れたら絞め殺されるだろうと男は思った。抵抗しようにも青年の力が思ったより強くて逃れることができない。
「やっぱり、二度と同じことをしないようにするべきだと思わないか?」
「……」
 なにを。男は青年がなにを言いたいかわからなかった。
「写真や映像のように全部消去できればいいが、人間の脳はそう簡単にはいかない。この携帯みたいにな」
 青年は男の胸ポケットから携帯電話を取り出すと、さっさと操作してすべての情報を消去した。そして手から離し、地に落ちたそれを足で踏みしめた。ばりんという破壊音を立てて携帯が壊れる。
「ものなら、簡単だ。壊してしまえばいい。なあ、この頭から彼の記憶をすべてなくしてしまうには、どうしたらいい?」
 優しい声なのに、その声は首を絞められている恐怖がある。命を握られている。男はそれくらいの判断は付いていた。
「男っていう生き物は、本能で生きている。生存本能だ。性欲は三大欲求だ。なくせるものではない。だが、それは相手に迷惑をかけない場合に限る。一方的に向けるのは犯罪だ。そうは思わないか?」
「……っ」
 男は答えることがでなかった。首が絞まっていたのだ。ぎゅと手に力が入って息が苦しい。
 殺される?恐怖が襲う。
「ぐ……っ、や、め」
 男は青年の手を掴んではずさせようとする。ふっと青年が力を抜いた。
「けほ……」
 男は喉を押さえてはあはあと呼吸を繰り返す。力が抜けてしゃがみこむ。
 見下ろしていた青年が、ふと笑い足蹴にした。男は地面に転がる。蹴られた腹が痛い。
 青年は残忍な笑みを浮かべて、同じ足で男の急所を押しつぶした。
「ぎゃーーーっ!」
 男はあまりの痛みにのたうち回る。だが、青年は逃さないように踏みしめた。
 悶絶しそうだ。男は涙で滲んだ目で青年を見上げた。こいつは、誰だ。高校生ではないのか。
 突然、青年は着ている上着を翻した。
 そこにいたのは。純白の衣装をを身につけた怪盗KIDだった。
「ひっ……!」
 KIDは変装のプロだ。声音も使い分けるという。青年に化けていたのだ。
 恐怖どころではない。地獄の口が今まさに開いている。ぱっくり口を開けて自分を待っている。KIDは紳士だというが、それは嘘だ。自分がされたことを思う。犯罪者。脅しではなく、殺されるかもしれない。
「なあ」
「……」
「名探偵を汚す相手を俺は許さない。わかるか?」
 男はこくこくと頷く。頷かなかったら、殺される。
「人間の脳は簡単に消去できない。なら、殺すしかないな」
 男は首をぶんぶんと振った。
「どうしたらいいと思う?おまえの頭の中、消去できるか?できなかたら、殺すしかないが」
「……わ、わすれ、た。ぜんぶ、わすれた!」
 男は命の限り叫んだ。すでに白い色で自分の記憶は覆われている。白は恐怖。
「忘れた?本当に?」
「ほんとう、だ…!」
「そうか。だが、もしそれが嘘だったら。どうなるかわかるな?」
 男は何度も頷く。この白い死神が殺しに来る。
 
「その言葉。忘れるなよ」
 白い死神はそう言い捨てて、消えた。
 男は、しばらく動けなかった。
 
 のろのろと帰った家の中から探偵の記録がすべて「消去」されていることを知るのは、そのしばらく後のことだ。
 
 
 
 
 
 新一は再び目暮警部に現場へ呼ばれていた。
「また、だ」
「そうですね」
 
 殺人事件。ナイフのような鋭利なもので殺された。
 そして、また同じような印が刻まれている。ナイフで付けられた赤い血の傷跡。
 今度は「W」。
 見る方向が違うのなら、「M」。
「これは、同一犯としていいとだろう。ここまで手口が同じだ」
「ええ。相変わらず目的がわかりませんが」
「今回は、暴力団の下っ端だ。強請にたかり。暴行に拳銃の所持。犯罪歴は山とある。おかげで身元だけはわかった。名前は、前川治(まえかわ おさむ)47歳」
「それに、今回は心臓一突きですか?」
 新一は被害者を観察して目暮に確認した。
「そうだ。今までは、何カ所も刺し傷があったが、一突きだ。見事なものだと鑑識も言っていた。プロかもな」
「……」
 なぜ、今回に限りそんなことをするのか。
 今までと変える必要性がわからない。
 それにしても。もし、二つ目が「O」だとしたら、並べると「ROW」?それとも「ROM」?
 わからない。
 
「目暮警部。目撃証言でが、怪しいかもしれない人間を見た人間はいても、覚えてないようです。ここら辺、人相のよくない人間がよく通るらしいので、暴力団らしき人間だと顔をあわせないようにして通り過ぎるらしいです」
 高木刑事が報告する。
「こちらも、調べてみたんですが、誰かともめていたのか?聞いてみたら、恐喝を普段しているらしくて、恨まれているのは間違いなくても、多すぎます。おかげで今のところ特定が難しいいです。ざっと聞いただけで6人。今後もっと調べていけなければいけませんが」
 佐藤刑事も報告に来た。
 被害者が被害者だけあって、怨恨や内輪もめも視野に入れなければならないだろう。たとえ、印があったとしても。
「目暮警部。なんとも言えませんが、やはり犯人に意図があるように思います。証拠はメセージらしい傷跡しかないですが」
 新一はそれだけ口にした。考えても判断する材料が少な過ぎた。
「そうだな。私もそう思う。遠くまですまなかったね」
「いいえ。お役に立てず申し訳ない」
 新一は苦笑した。
 
 
 






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