着信記録がいっぱいの電話を見て新一は眉を寄せた。 そして、郵便物を調べてみると、嬉しくないがやはり該当するものがあった。 今度は、随分厚みがある封書だ。 慎重に開けてみると、中から大量の写真がばさりと落ちてくる。 テーブルに散らばったたくさんの写真。 その、どれもこれもに自分が写っている。遠目に写した制服姿の自分。友人と笑いあってる写真。本を手に持ち書店から機嫌よく出てくる写真。事件の要請でパトカーに乗り込む写真。快斗とスーパーで買い物している写真。望遠で撮ったのかアップもある。 覚えのない写真。明らかな盗撮だ。 己を「見つめている」という意志表示だろうか。それとも「見張っている」という警告だろうか。 あれから、おかしいと思って視線に気を付けてみた。 なんとなく、見られている。たぶん。 元々視線を集めるのがふつうだったから、あまり新一は意識しないようにしてきた。殺意や事件に関わることや、黒の組織に連なることを考えて気を付けていた。だが、一般人から向けられる視線まで気にしていたら、暮らせないし本当に重要なものを見逃すからと、あえて無視していたのだ。 この視線は。 一日中ではない、少なくとも校内にいる間はない。高校へ行くまで、帰宅するまで。その間寄る場所。警察からの要請で現場に行く場合は、なくなることが多い。 だからといって、まだどうすることもできない。 翌日も、そのまた翌日も、同じように写真と新一の行動を記した手紙が送られてきた。 電話も新一がいない間に、何十回と掛けたようで着信記録が残っている。 そして、数日が過ぎた。 郵便物を仕分けることが億劫になる。否、両親宛のものを分けるのは別に問題ない。自分宛の郵便物の中に、不審なものを見つけることが嫌なのだ。 そして。 なんとなく、これだろうと思わせる封書を見つける。憂鬱な気分で開けてみると、中からは制服姿の新一がバストアップで写った写真が一枚出てきた。だが。その写真は何かに濡れたのかごわ付いている。 湿気った感触。よく見ると写真の上に白いものが飛び散った痕がある。 「……っ!」 新一にはそれが何であるのか、わかりたくないがわかってしまった。 思わず、持っていた写真から手を離す。重力に従って写真はテーブルの上にひらりと落ちる。落ちた写真から視線を外して、自分を両腕で力の限り抱きしめた。 さすがに、常に冷静を心がけている新一も嫌悪感でいっぱいになる。 知識では知っている。こうったストーカーと呼ばれる人間がなにをするか。相手はやはり男だ。これまでも、男であるとは思っていた。最初は女性か、男性か判断が付かなかったのだ。電話や手紙だけでは、判断できない。 だが。今回の写真に飛び散った白いものは、男の精液だ。 ぞっとする。 震えそうになる身体を奮起して、唇を噛みしめる。 でも、気持ち悪い。 正直、どうしていいかと思う。だが、馴染みの刑事、目暮警部や佐藤刑事、高木刑事に果たして相談していいものか。心配をかけるだろう。探偵をしているせいだと思うだろう。いつも頼って悪いねと言われている。 だが。実際のところは。言いたくないのかもしれない。 男が男にストーカーにあっていると。新一の行動を綴った手紙や盗撮までなら、見せてもよかった。だがエスカレートして、こんなものまで送られてきた。とても言えるものではない。なるべくなら見せたくない。 ああ。 ストーカー被害や痴漢にあっても警察に言えない女性の気持ちがよくわかる。確かに、言いたくない。音便に済ませられるならどんなにいいかと思う。 今まで心情は想像するしかできなかったが、こんなにも心に負担がかかるものなのだ。 自分は男だから、まだ平気だ。一人暮らしでも、不用心ということもない。この屋敷はそれなりのセキュリティを誇っている。 基本的に電話もイタズラなどを考慮に入れて、番号非通知は拒否されることになっている。留守番電話も用心のために契約していない。何か重要なことがあれば、再度掛けてくるだろうし、仲のよい人間は最初から携帯電話に掛けてくる。 それに掛かってきたナンバーが表示されるようになっている。ストーカーらしい人間が掛けてきた番号は、携帯のものだ。 この番号を警察に調べてもらったら、手がかりになるだろう。 新一は迷った。 被害は、我慢の限界を超えようとしている。だが、自分が直接何かされている訳でもない。襲われるとか待ち伏せされるとか。直接の接触を持たない相手だ。被害は確かにあるが、我慢すればいいのかとも思う。駄目な考えなのだとはわかっていても、そう考えてしまう。 結局、夕飯を阿笠邸で取って……強制的に来るように言われている、心に不安を持ったままその日は寝た。 翌日は、憂鬱な気持ちで学校へ行った。これも見張られているのかとも思うと、嫌な気持ちにある。 だが、蘭や園子と下らないことを話すのは気晴らしになる。 昨日見たテレビの話や、最近学校であったこと。他愛ない日常の会話が嬉しいと思う。 事件の要請が来たのは5時限目が終わった頃だ。携帯に連絡があって、今日新一に用事がなく、大丈夫だと確認してから、授業がすべておわったら校門前に迎えをやるからと言われて切れた。 新一は心を半分くら飛ばして6時限目の授業を受けた。 数学だったので、問題が解ければ問題はない。当てられたが、無事に答えたのでそれ以上は放っておかれた。困った生徒だと自覚はるが、遺憾ともし難い。 「目暮警部」 「やあ、工藤君」 高木に送られて現場にやってきた新一は目暮に一声かけた。 「いつも悪いね」 「いいえ。それで、またですか?」 「ああ。たぶんな。見てくれ」 被害者の側に片膝を付いて、全身を見てから問題の痕を確認する。 被害者の腕に鋭利なナイフのようなもので刻まれた赤い血の痕。 以前、そのような痕があった遺体を新一も確認している。だが、結局犯人は今も見つかっていない。目撃証言もなく、被害者自身が薬物中毒であったせいで、背後関係が不明だったのだ。売人は口を噤むし、中毒の人間にまともな人間関係は望めない。 行き詰まっていた事件。 今回は同じような遺体であるらしということで、新一も見てほしいと呼ばれたのだ。 だが。よくよく観察しても。 それが、なにを示しているのか。判断に迷う。 アルファベットの「O(オー)」なのか。数字の「0(ゼロ)」なのか。それとも円、つまり丸なのか。ナイフで遺体に刻まれているおかげで、判別がつかない。 以前の「R」を刻まれた遺体と関連性はあるのか。これは、全く違うものか。 同一犯なのか。別人なのか。 これだけで、決め付けるには証拠が少ない。 第一、同一犯だとして、その人物は何を目的としているのだろう。怨恨?それとも金銭トラブル? 共通点が見いだせない。 「この痕。オーなのか、ゼロなのか、丸なのか、断定できませんね」 「そうなんだ。前回が「R」だから同じように「O」かとは思うんだが……」 「ナイフの使い方は同じなんですか?」 「鑑識は、同じじゃないかと言っておる。素人とは思えないくらい上手い。だが、プロにしては傷が多いらしい。やはり何か怨恨でもあるのか?」 目暮は腕を組んで首をひねる。 「今回、なにか他に被害者のことでわかったことはあるのですか?」 「困ったことに、まだわからん。背後関係も不明だ。麻薬の売人じゃないかと思われているが」 「売人?」 「ここ、殺害場所は、売人が商売しているところだという。だから、胡散臭い連中しかいない。買い手も、もし不審な人間をみても証言はしないだろう。自分が不審者だからな。売人も不審者だろうし。……それに、見たこともない人間がいたら目立つ。それなのに、それらしい人間は見つかっていない」 目暮は困ったように、ため息をもらした。 「……まったく事件そのものがわかりませんね。犯人の目星もついていない。目撃証言もない。動機もわからない。前回の被害者は親族とは無関係に暮らしていたせいで、遺体の引き取り手がいなかったんですっけ?」 新一は話しながら、頭で事件の内容をまとめる。 「ああ。これが、連続犯であるとしてだが、犯人は社会的犯罪者を狙っているのかもしれない。前は麻薬中毒者。今回はその売人らしいからな」 謎ばかりある。被害者が社会的犯罪者であるおかげで、周りから協力も得られ難い。 新一がどんなに考えても、現時点でほとんどわかっていないため、結局役に立たない。 今度の事件も行き詰まる予想が付いて、思わず空を見上げたい気持ちになった。 自分にできることは、本当に少ない。 しっくりしない気持ちのまま高木刑事にパトカーで送ってもらい帰宅すると、快斗が来ていた。 「おかえり、新一」 「ただいま。快斗」 久しぶりに見る顔だ。新一はネクタイをゆるめリビングのソファに上着を脱いでかけた。 「仕事は無事に終わったのか?」 「まあね。……新一はご飯ちゃんと食べていた?」 「食べていたぞ。灰原にもよばれたし。三食きちんと取りなさいって口が酸っぱくなるくらい言われているから」 二人の連携によって新一はご飯抜きなど許されていない。快斗がいない間は、隣にご飯を食べに来いと命令されていた。破ることなどできる訳がないため、新一は毎夜阿笠邸へと通っていた。 「それは自業自得だよ。新一食べないから」 「わかってる。だから、毎日食べたぞ?」 自慢にもならないが、新一は胸を張った。しっかりと三食食べていた。嘘ではない。 「ねえ、新一。俺がいない間変わったことなかった?」 世間話をするような気軽さで、でも妙に重い声音で快斗が聞く。 「別に。なにも。事件はあったけど」 新一はそう言いながら、キッチンへと歩き冷蔵庫から冷えているお茶を取り出し、コップにお茶を注ぎ入れ、飲み干す。喉の乾きを潤して新一は快斗へと向き直る。 「本当に?」 「なんでそんな事を聞く?」 新一は不安になる。なぜ、こんなにも執拗に聞くのだろう。 「心配だからに決まっているだろ?」 「……快斗」 「ねえ、だったら。これはなに?」 「……っ」 快斗はテーブルにばさりと封書や写真などをぶちまけた。 それは新一が隠しておいたものだ。 とはいえ、自分は快斗にこういったイタズラであっても犯罪に関連することがあるから、捨てずに取ってあると打ち明けている。 新一は息を飲んで、ふうと止めていた息を細く長く吐く。 だが、快斗はまだ続ける。顔は堅いまま新一を真剣に見つめている。 「今日の郵便物が、これ」 快斗は新一に見えるように封筒を持ち上げた。 「なるべく毎日取らないと大変だって言っていたから、ポストから取って抜いておこうと思って。そしたら、明らかに不審なものがあって」 一度言葉を切って、快斗は至極真面目で真摯な目を新一に向けた。新一はその目を反らせない。 「悪いと思ったけど。あまりに異臭がしたから、確認させてもらった。……で、出てきたのが、これ」 そこにあるのは。 男性側の避妊具。それも使用済み。 「……っ!」 新一はそれを認めて、目を見張り珍しく顔色を変えた。感情を制御するように、拳をぎゅっと握り唇を噛みしめた。 「新一!」 快斗が新一の側までずんずんと歩き、細い肩を手をぎゅうと掴んで悲鳴のような声で呼んだ。 「……」 「何でなにも言ってくれない?そんなに俺は頼りにならない?」 「違うっ……。違う、快斗」 「どこが、違う?」 「心配かけたくなかったし。最初はいつものイタズラだと思ったんだ。いつものことだって、思った」 「……うん」 「無言電話なんてふつうにあるし。悪戯目的に手紙だって来る。探偵なんてしているから、恨みだって買うだろうし。嫌がらせだってあって当たり前だ。元々有名人が住んでいた家で、俺も有名人の息子だし」 自分でいい訳にしか聞こえないと思いながら新一は続ける。 「だんだんエスカレートしていったけど、それでも、このくらいって思った。正直、我慢すればいいと思った。それが、そうも言っていられないと思ったのは、写真が届いてからだ」 「これ?」 快斗が示すものは、新一のバストアップの写真。写真に付着した白いものが見える。 「そう。さすがに、ぞっとした。それ、昨日届いたんだ。どうしようかって思って。思って、思ったのに……。気持ち悪くて。けど、知り合いに警察はいるけど、言いたくないって思った。正直、こんなに言いたくないものだって初めて知った。言うのが怖い……」 正直に新一は心情を吐露した。 自分の弱さだ。 探偵なんてしていても、人間だから。 格好付けている訳じゃない。弱みを見せるのが嫌なんじゃない。ただ、性的なことで自分が対象として見られて。こんなものを送られてくるのが、耐え難いのだ。 「だから、快斗が頼りにならないとかじゃないんだ。俺が、意気地なしなんだ」 ストーカーに一人で立ち向かうことは難しい。 本人が相対するのではなく、間に第三者を入れて話し合った方がいい場合も多々ある。本人を前にするとストーカーは感情的になる。 「新一……」 「快斗?」 そっと名前を呼ばれて新一は快斗を見上げた。 「でも。俺は新一がそんな目にあっていた時、側にいられなかった事が許せないよ」 「快斗はKIDとしての仕事があるんだから、仕方ないだろ?それを優先しないと駄目だろ?」 「それでも。それでもだよ!」 快斗は叫ぶ。 「新一がいいたくない気持ちはわかる。一生懸命、慣れているからって平常心でいようとして、嫌な思いも我慢して。気持ち悪くても必死に耐えて。……俺は気付かなければいけなかった。毎日一緒にいたんだから。少し離れていたから、わからなかったなんて言い訳だ。だって、俺が出かける前から前兆はあったんだろ?」 「……」 無言は肯定だ。快斗は新一に腕を回してぎゅうと抱き寄せた。新一はその腕に素直に身を任せた。 快斗が優しい手つきで新一の髪を撫でる。心を癒すその仕草に新一は肩に入っていた力を抜いた。ここは、安心できる場所。依存はしたくないと思っても、快斗のそばは居心地がいい。それを認めない訳にはいかない。 「ねえ、新一。俺に任せて」 新一の頭を抱き寄せ、快斗は意を決したように口を開く。 「快斗?」 「警察に突き出すにしても、新一はすべて話さないといけなくなる。こんな目にあったって言いたくないだろ?また、慣れているなんて言うなよ?嘘はいらないから」 「……」 「目暮警部はいろいろ便宜を計ってくれるかもしないけど。ストーカー被害を高校生探偵が被ったってマスコミにばれたら、新一は矢面に立たされる。ひっそりと暮らしているのに、それは困るだろ?なるべく目立たないようにしているのに。目立つと危険だ。わかってるよね?」 「わかっている。十分過ぎるくらいわかている」 だから、警察に協力しても名前を出さないようにしてもらっているのだ。 なるべく、おとなしく。メディアからも遠ざかって。新聞に載るなんてもってのほかだ。 「だから。俺に任せて」 新一は快斗の真意を読みとろうと、真っ直ぐに瞳を覗き込む。そこにあるのは、真摯で強い瞳だ。何かを決めた目だ。 「だめ?新一」 「わかった。すべて任せる」 新一は降参した。何でも自分で片を付けようとするのは悪い癖だ。できることとできないこと。向いていることと向いていないこと。それを見極めなければいけない。 探偵なら、自覚するべきた。 自分の行動がどれだけ人に影響を与えるか。 「ありがとう」 新一から是の答えをもらった快斗は、ほっと安心して新一を柔らかに抱きしめた。 |