「歪んだ螺旋 2」




 

 新一は事件現場に来ていた。
 目暮警部から呼び出されて、やってきた現場。殺人事件だ。
 
 被害者は、ナイフのような鋭利なもので殺されている。心臓と脇腹に数カ所、肩や股などにも数カ所の刺し傷がある。
 まだ被害者の身元がわからない。持っているもので身元を示すものはないため、現在捜査中だ。
 ただ、被害者は、薬物中毒、覚せい剤に侵されていることはわかっている。
 通報された場所も決して治安のいい場所ではない。
 もしかしたら、売人ともめ事を起こしたのか。中毒症状が高じて、誰かと争って殺されたのか。などと予想ならいくらでも立つが、現時点ではわかっていることは少なかった。
 
 そんな中、なぜ、新一に連絡が来たのか。
 それは、被害者の身体に印があったからだ。犯人が残した可能性が高い痕。アルファベットの「R」に見えるのだ。
 なぜ、そんな跡を残すのか。理由がわからない。
 それを残すことによって、警察や世間、マスコミに訴えたいことがあるのか。それとも愉快犯の仕業であるのか。
 困った警視庁は、名探偵である工藤新一を呼ぶことにした。
 
 
「こんにちは、目暮警部」
「やあ、工藤君。急に呼んで悪かったね」
「いいえ。気にしないで下さい。気を使ってもらっているの、わかっていますから」
 新一はにこりと愛想良く笑う。そして、真剣な表情に変えて現場をぐるりと見回して被害者の側まで寄ってしゃがみ込む。じっくりと検分するように眺めてから、「確認してもいいですか?」と目暮に聞いてから白い手袋をはめて被害者に触れた。
「これが?」
 被害者の腕にナイフだろう鋭利なもので刻まれた赤い血で出来た「R」。
 どこをどう見ても、どんな角度から見ても、「R」に間違いはないだろう。アルファベットでもほかのものなら、迷うこともあるだろうが、「R」はわかりやすい。
 学校まで迎えに来てくれた高木刑事に道々事情を聞いていた新一は、自分が呼ばれる原因となった血で刻まれた痕をじっくりと見た。
「なぜ、こんなことをしたのか、わからん」
 目暮も、お手上げ気味だ。
 どんな意図があるのか犯人にしかわからない。
「……」
 新一は、じっと刻まれた腕を観察して、それ以外に何か見落としはないかと体中に視線を流す。
「恐らく犯人が付けたのだろうが……そうでない可能性もない訳でもないが、それにどんな意味があるのか、さっぱりだ」
 目暮が腕を組んで、うーんとうなる。
 手がかりがない上で、謎だけがあるのだ。困りものだ。
 どこから手を付けていいか。警察としても困る。身元だけはまず懸命に調べるしかない。目撃証言も得られていないが、それでも聞き込みをするしかない。
 結局、新一としても助言のしようがなかった。
 
 
 
 帰宅すると、哀が玄関を入ったところで待っていた。まさに、仁王立ち。腕を組んで、ふんと新一を見下ろしている。段差があっても新一の方が背が高いのだが、意識的に見下ろされていた。
「今日は検診をするから、早く帰ってきてって言ったでしょ?」
 開口一番、怒られた。
「ごめん」
 そういえば、そうだった。
 ただ、事件の要請がきた場合自分は断れない。そんな理由が哀に通用するとは思えないが。
「わかってないわね。無理は禁物って知っているでしょ?工藤君」
 哀はじろりと新一を睨む。
 新一は肩を揺らした。怒らせた哀は怖い。
「わかってる。反省している」
 新一はうなだれた。
 哀にはまったく頭が上がらない。心配もかけまくりだ。自分の身体のことは哀が一番よく知っている。だから全面的に任せている。任せているのに、言うことを聞けない自分だ。
 わかっているが、なかなか自分の本質は変えられない。
「ふん。今度忠告を無視したら監禁してあげるから」
 哀は宣言した。
 怖い。まじめに怖い。今度怒らせたら、実際に行動に移すだろう。絶対に、隣家に監禁される。
 新一の背中につーと冷や汗が流れる。逆らったら、おしまいだ。
「さあ、行くわよ。こんなことしているのは時間の無駄だわ」
 そう言って冷笑する哀に連れられて隣家へ向かった。
 
 
 阿笠邸に行って検診をした。
 白衣をまとった哀は幼くても研究者だ。立派な女医だ。風格が漂ってくる。

「今のところ正常ね。ただ、免疫力がまだ高くないから、少しのことでも風邪を引くし、治り難いわよ」
「そうだな」
 いったん風邪を引くと一週間は、学校へ行けなくなる。そしてベッドの住人となる。
 そもそも新一は元の身体に戻るにあたり、重大な疾患を煩っていた。
 免疫力の著しい低下。これは、あらゆる病気を引き起こしやすい。風邪一つ馬鹿にできない。不整脈。めまい。吐き気。他の臓器の機能も低い。劇薬によって死に至るはずが、奇跡で幼児化した身体をまた解毒剤という劇薬で元に戻したのだ。身体が拒否反応を起こしても不思議ではないし、劇薬が身体にいい訳がない。
 第一、今後の保証などないにも等しかった。
 哀が正常と判断する材料は、ただ、悪くなっていないことだけだ。
 
「ストレスは?」
 ストレスがない生活などしていないと知っている新一に哀はあえて聞いた。
 探偵なんてしている人間に聞くことではない。ストレスなどありまくりだ。なかったら、人間としておかしい。
「……ふつう?並程度?」
 ないなんて、哀に嘘を付く必要はない。すべてばれているのだから。第一、ないなんて嘘を付いたら、後が怖い。
「並程度のストレスってどんなのよ」
 哀は苦笑する。
 医者としては、許せないことだ。
 並のストレスがふつうの人間より高いのだから、始末に負えない。
「それで、最近変わったことは?」
「特別ないと思うけど。ああ、快斗がご飯作ってくれてて、太れって言ってた」
 快斗に言われたことも思い出す。
 魔女かと言ったら、それでもいいからご飯を食べてと返された。
「太らせて食べるつもりかしら?でも、あなた食べる部分がないものね。骨ばかりで」
 ふっと新一の身体を見て、哀は鼻で笑った。
「灰原?」
 新一が抗議の声を上げるが、哀は頓着しない。
「本当のことでしょ?悔しかったら、体重を後5キロは増やしなさいな。……なにこの腕、この身体。骨が出ていて痛そうよ。寝込むといっぺんに体重が落ちるんだから、どんなに食べても追いつかないんだから。精々太らせてもらいなさい」
「……」
 新一は二の句が継げなかった。
 哀と快斗、二人の共通意見らしい。新一は反論などできる訳がなかった。
 いわれるまま、しっかりと食べないと、哀の頭に角でも生えそうである。恐ろしい。
 二人とも料理は上手いから、文句はないけれど。これでもか、とテーブルに料理の数々を並べられるのは、どうかとも思う。恐ろしくて言わないけれど。
 
 






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