トゥルルール。トゥルルール。 「電話だ……」 新一は今帰宅したばかりだ。玄関で靴を脱いでいるところで電話の着信音が聞こえてきて、足早にリビングへと向かう。 「もしもし?」 受話器を取って出るが、切れた。 空しくツーツーと耳元で音がする。間に合わなかったようだ。だが、もし急ぎの用事なら再度掛かってくるだろうし、親しい人間なら携帯電話に掛けてくるはずだ。 新一は、仕方ないよなと気持ちを切り替えてポストから取ってきた郵便物をテーブルに置いてから、ふうと息を吐いて制服のネクタイをゆるめた。そして制服を上着を脱いで、ソファに腰を下ろす。 今日は何事もなく過ぎた。 特別事件もなく、授業も受けられた。 休学していた時期が長いから、出られる授業はなるべく出たい。そうでなくても足りない単位はレポートやプリントで補ってもらっているのだ。 明日は小テストもあると数学教師が言っていたし。そういったもので、点数を稼いでおかないとならない。 これ以上は休みたくない。体調が悪くて休む日を入れると一日でも無駄にするには惜しい。 おかげで、目暮警部もよほどのことがないと放課後しか事件の要請の電話をしてこない。新一の状態をよくわかっているようだ。 さて一服しようかと思う。 なにをいれようか。珈琲にしようか。 立ち上がり、キッチンへと足を向けようとしたところで玄関ががちゃりと開く音がした。それと同時に来客の声がする。 「新一!」 快斗がやってきたのだ。 すでに快斗は客ではない、と新一は思う。客ならベルを鳴らさず勝手に入って来ない。すでに身内意識が高い。 「ああ。今日も早かったな」 「授業終わって、走ってきたから!」 黒羽快斗は、隣町の江古田高校に通っている。 今の時間工藤邸に到着するには、高校での授業が終わってすぐに飛び出さないと間に合わない。第一、新一も用がなければまっすぐに帰ってくるのだ。間をおかずにやって来る根性はすごい。 それでも客ではない。 なぜなら、快斗は工藤邸のキッチンを新一より知っているからだ。毎回ご飯を作っていくほどなのだ。これを客とは決して言わないだろう。 「……珈琲でもいれようと思ったが、飲むか?」 「飲む!」 新一が聞くと快斗は笑顔で即答した。わかったと言い置いて新一はキッチンで珈琲をいれることにする。インスタントで済ませる気分ではないから、ペーパードリップにする。 湯を沸かしている間に、ドリッパーにペーパーをセットして挽いた豆をカップで計り入れ、均一にする。サーバーを暖めて、ポットに湯を注いである程度温度を落とし、セットした豆に注ぎドリップする。 いい香りだ。 鼻に香る珈琲の深い香りに満足しながら新一は湯を慎重に注ぎ終えた。 マグカップ二杯分の量を注ぎ分けて完成だ。 「ほら、快斗。砂糖もミルクも好きなだけ」 珈琲が入ったカップと砂糖壷にミルクピッチャー。 新一はブラックだから、そういったものを必要とする快斗のために常備されている。 「ありがとう」 お礼を言って快斗はテーブルにおかれたカップに砂糖とミルクをたっぷりと入れた。新一はそれを無言で見守る。毎回その作業を見る度あれで珈琲の味がするのだろうかと疑問に思う。人の好みは千差万別だから、悪くはないとはわかっているが、珈琲好きからすれば、すでに別物だ。あれは自分とは違う飲み物だ。 「うん。美味しい」 にこりと快斗は新一に笑う。 「そうか」 ふんと素っ気なく頷いて新一は己の珈琲を味わう。 これこそ、珈琲。何も引かない。何も足さない。 苦みとわずかな酸味が心地いい。快斗が砂糖、ミルクをたっぷり入れることが前提だからそれなりにどっしりとした豆を使っているため、深い味わいになっている。 珈琲好きには堪らないはずだ。 その同意を快斗に求めようとは思わないが。 「いつ見てもすごいな」 テーブルの上にある郵便物の山に視線をやって快斗が感嘆する。甘いカフェオレを飲みながらだ。 「まあな」 新一は苦笑する。 工藤邸に届く郵便物は多い。 父親は世界的推理作家、工藤優作。ファンも当然日本全国に及ぶ。世界のファンは日本の家などには送ってこないため、おおむね自宅を知っている日本人のファンだ。通常は出版社に送るはずとはいえ、ある意味有名な工藤邸だ。ファンレターも山ほど。ダイレクトメールも山ほど。それ以外でも友人知人はロス宛にするのだが、息子である新一に代理をとして出席して欲しいパーティなどの場合は、日本に送ってくる。 母親は元女優。旧姓藤峰有希子。日本だけでなく世界をも魅了した美人女優だ。結婚引退したが、未だに根強いファンがいる。当然ファンレターが送られてくる。 息子は探偵だ。迷宮なしの日本警察の救世主。ファンレターなるものや、事件の依頼。困ったことの相談ごと。パーティへの招待状。友人知人、事件関係での知り合いからの便り。それにダイレクトメールまで加えたら、毎日の郵便物が山となるのは必然だ。 「仕分けるだけで、大変だよな」 「……いい加減、慣れた。面倒だけど仕方ないな」 毎日の仕事だ。 これを放っておくと、郵便物はたまっていくばかりで後に延ばせば延ばすほど面倒になる。決して減りはしないのだから片づけておいた方が自分のためだ。 そうして仕分けした郵便物は、父親、母親宛のもを月に一度ほどためてロスに送る。不必要と判断されるダイレクトメール、いたずらのようなものを除いて送るのだが、大きな毎回ダンボールいっぱいになる。 「新一宛のもやっぱり多い?」 組織を破壊したという理由から新一は目立たないようにしているが、それでも郵便物は多いのか。危惧しながら、快斗は聞いた。 「そうだな。多いといえば、多いのか?まず第一に、ダイレクトメールも多い。これは仕方ないだろう。それから、依頼関係も多いな。今は公にはしていないが、探偵をしていたことは無くせないから、依頼が来る。知り合いから紹介されて、という場合は無視する訳にもいかないし。それから、一般的に請求書。これだけの家だから、いろいろあるし。それ以外にもなあ……。普通の友人知人からのものはかえって少ないな。あとはイタズラ」 「イタズラ?」 「多いな。有名人の家だから」 「あー、なるほど。そういう的になりやすいんだ?」 「そうだ」 両親ともに世界的有名人。息子は高校生にも関わらず日本中で有名だ。これで標的にされないのはおかしい。 有名税は大変だ。 「そういうのって、見てわかるもの?中身まで見ていた大変だし。イヤだろ?」 「慣れればわかるものだ。これは、変だなと。……例えば、これだ」 新一は郵便物の中から白い封筒を取り出した。 「これ?」 快斗の目から見たその白い封筒は市販されている一般的なものにしか見えない。 新一は封筒を裏返して宛名を見せる。そこには、なにも書いてなかった。裏書きのないもの、差出人のわからないものは確かに怪しい。ただ、それだけでイタズラとも言い難いのでは、と快斗は思った。 「市販されている封筒だが、裏書きがない。この封筒は白いだろ?茶色の中身が少し透けるタイプじゃない。つまり、中身が見えない。で、切手だが、企業関係なら普通のタイプの切手だ。記念切手とかは、個人がほとんど。個人でも普通のタイプも多いけどな。……これは、記念切手。そして、少し厚みがある。つまり中の便せんが用件のみのものではないということだ。依頼の場合は、内容が長くなって厚くなるが、そういった場合裏書きがないなどあり得ない。……まあ、最後は勘だ」 「へえ……」 「これは、俺が勝手に思っていることだし、時と場合によるから。他でも有効ということはない。一つの例に過ぎない。……あとは、こういったものだな」 新一が郵便物の山を掻き分けて、二通の封書をつまみ出す。 それは、明らかに変だった。封筒の色が一つは黒なのだ。もう一つはオレンジ色。 「……見るからに怪しい。怪し過ぎる」 「だろ?普通の人間の感性で黒は使わない。……オレンジはポップな色だから、女友達同士で使うかもしれないが、俺に送られてもな。宛名の書き方が陰湿な感じがするから、イタズラの可能性が高い」 宛名、住所と新一の名前の書き方が変だ。所々ひらがなが混じり、筆跡も癖というには納得できない書き方だ。 「中身、みるの?」 新一が見ないで捨てるとも思えない。 「……一応。何か後で事件に関わってくるかもしれなから」 「なら、保管までしておくの?」 「仕方ないだろ。探偵なんだから」 探偵。日常生活まですべてそれでできている。 快斗としては、納得すればいいのか、嘆けばいいのか、呆れればいいのか、わからなかった。 「……保管って言っても、どのくらい?量も半端ないだろ?」 イタズラの手紙が一日に1通だとしても1年は365日。山だ。 「多いなー。昔のは日付書いてダンボールに入れておく。まあ、なんとなく事件に発展しそうな、必要になるようなものは別に分けてすぐに出せるようにはしておく。所詮、勘だ」 「探偵の勘ねえ」 「快斗だってあるだろ。ここぞの勘。理由はわからなくても、おかしいとか危険だとかわかるだろ?そうでなくて、今おまえはここにいられない」 怪盗KIDである快斗だ。危険に陥ったことなどそれこそ数え切れないくらいある。それでも切り抜けてきた。快斗も自分の直感を信じている人間だ。 「確かに。勘は大事だ。勘は無視しないで信じている」 生きていくために必要な勘だ。泥棒なんてしている快斗にとって一瞬の判断は生死を分ける。 「だろ?俺もそうだ」 納得できる。立場は正反対だが、生き方が酷似しているのだ。 「ああ。……で、話は変わるけど、今日の夕飯は豚肉の生姜焼きと、もやしの中華風サラダ。ニラと卵の吸い物、白菜の漬け物でどうだろう?」 「……いいんじゃないか?」 「そう?ならいいけど。たくさん食べてね」 栄養のあるご飯を作り新一にたくさん食べさせる。快斗の使命だ。 「たべているぞ。たくさん!これでもかって!」 新一は心から訴えた。 快斗の料理は美味しいが、栄養を取らせようと量もそれなりにある。小食気味の新一にとっては、がんばって食べている。 「そうだね。もっと、がんばろうね。俺の野望はもう少し新一を太らせることだから。こんな細いと心配だから」 快斗は新一の手首を掴む。 驚くほどに細い手首。自分の手で一回りして余る。それが、幼児化して大人に戻った薬物の弊害なのだとわかっている。元に戻るとはそう簡単なものではない。 「太らせるって何だ!おまえは魔女か!」 新一は拗ねたように、手を振り払う。 「魔女って……新一はヘンゼル?グレーテル?」 「誰がグレーテルだっ!」 「新一が。この際俺が魔女でもいいけど、首尾よく太ってくれればいいよ。ご飯毎日作るから食べてね」 にこりと笑う快斗に新一が黙る。 拗ねてる自分が馬鹿みたいだ。新一は一度ぎゅうと唇を噛んでから、言い放つ。 「食べればいいんだろ?食べれば!快斗のご飯は美味しいから食べるさ!」 「それは、ありがとう」 満面の笑みで頷く快斗の方が新一より一歩上手だった。 |