「紅薔薇と楽園」2




 ここはどこだ?
 コナンは目を覚ました。
 ゆっくり瞼を開けて、起きあがろうとするが、若干身体が重くて、怠い………。

 先ほどの薬がまだ切れていないのだろう。普通の大人と小さな子供では同じ薬の分量でも効き具合は違うはずだ。
 コナンは少しぼんやりしてはっきりしない意識を取り戻そうと、首を軽く振る。そして、自分の置かれている状況を把握しようと周りを見回す。

 意識がはっきりしてくると、自分がいるのがベットの上だとわかった。
 室内は豪勢なホテルの一室という感じだ。


 どこのホテルだろう?
 どこであろうと、スウィート・ルームであることは間違いがなかった。
 コナンが寝かされているベットは広い寝室で隣にはどう考えてもリビングがあるはずだし、続きにある扉は多分バスやパウダールーム。


 そして、どうして自分は拉致されたのか?
 先ほどの事を鮮明に思い出す。

 組織の人間にしては気配もしたし、そこまで訓練された人間には見えなかった。どちらかというと、衝動的犯行のような気がする。人通りがなかったとはいえ、あの場で拉致するのは目撃される可能性が高い。もっとも、人をを浚うような奴らだから悠長なことは言ってられないのだけれど………。
 その点から考えても、こんな部屋に寝かされている理由が皆目わからない。

 自分はどれだけ眠っていたのだろうか?と確かめるため手首を見ると腕時計がなかった。
 キック力増強シューズも脱がされているし、眼鏡もない。
 どういうことだろう?
 自分の武器になるような物全てが奪われている。
 やはり、組織?
 それとも別の何かか???
 コナンが目まぐるしく思考し始めると、リビングに繋がるであろう扉が大きく開いた。


 そして、一人の女性が入ってくる。

 「リーナ!!」

 蒼い眼、栗色の長い髪の儚い雰囲気を持った美人だ。
 女性はコナンの側まで来ると、「リーナ」と言って抱きしめた。

 何だ????
 リーナとは誰だ?
 なぜ自分をそんな名で呼ぶのか?
 そして、この女性は誰だろ?
 一瞬のうちに疑問が浮かんでは消えた。
 どうすることもできずに、なすがままのコナンである。

 「もう、どこにも行かないでね、リーナ………」

 細い腕で力一杯コナンを抱きしめる。それは決して離さないという感情で溢れていた。

 「ソフィア」

 女性の向こう、扉の入り口に一人の男が立っていた。
 40歳くらいで高そうなスーツを着て社会的地位の高そうな雰囲気だが、狡猾そうな瞳をした人物だった。

 「貴方?やっぱりリーナは生きていたのよ。ねえ?」

 ソフィアと呼ばれた女性は幸せそうに微笑んだ。


 どこかおかしい。
 ずれている。意識が噛み合っていないような、そんな気がする。
 コナンは眉をひそめた。


 「そうだね。リーナは君の側にいるよ………。これで少しは元に戻ってくれるといいんだけどね?」

 男はふむ、と頷いた。

 「私のリーナよ。私の大切な娘………」

 リーナ、とコナンを呼び再び抱きしめた。
 そして、彼女はもうその男を見なかった。
 ふふふ、と笑う笑顔はどこか別の虚空を見つめているようだ。

 狂っているのか?
 そんな馬鹿な………。
 焦点があっていない眸。でも、違うと思う。

 コナンがソフィアの様子に気を取られていると、男が側まで近付いてきた。
 男は不信げな表情のコナンを冷たい目で見ると、にやりと笑った。そして、コナンの細い顎に手を掛けて上向かせる。
 その手の感触に嫌悪感が沸き上がり、冷たい汗が背筋を伝う。
 気持ち悪い………。

 「リーナに確かに似ているな………」

 値踏みするような瞳に晒されてコナンは男を睨みつけ、嫌悪感からくる身体のふるえを唇を噛んで耐えた。そんな子供の儚い抵抗を興味深げに見ると男は背を向けた。そして、後ろに控えていた黒づくめの男達に上機嫌で声をかけた。

 「よくやったな。特別に手当を出そう。こんなにも似ている子供をよく見つけてこれたものだ………」

 男が誉めているのはコナンを浚った奴らだ。
 そして、「見張っていろ、逃がすなよ」というと部屋を出ていった。




 男が立ち去り抱きしめていたコナンを一旦離すと、ソフィアはコナンの瞳を真っ直ぐに見つめた。そしてコナンに向かって、何か飲む?と優しく話しかけた。
 喉が乾いていたため、コナンは素直にうんと頷いた。

 ソフィアはコナンを連れてリビングに移動して、応接セットになっている優美なデザインの椅子にコナンを座らせた。
 そして、部屋に用意されている茶器を使い慣れた仕草で紅茶を入れた。
 湯はさすがに沸かさずに、電気ポットにある湯を使いティポットを暖め人数分の茶葉を入れて湯を再び注ぐ。ティポットから熱が逃げないよう、ティコージの変わりにナフキンを被せて、茶葉が開くのを待つ。ゆっくりとした時間を過ごして、やがてカップに注がれる黄金色の飲み物。

 そんな仕草に母有希子を思い出す。
 有希子も紅茶が好きで午後のお茶の時間には必ず入れていた。その際に父優作のため彼の好きな珈琲まで入れてお菓子を用意する。その暖かな時間を思い出した。
 ソフィアはコナンの前に湯気の立つカップを置きにっこりと微笑んだ。

 「貴方の好きなアップルティよ」
 「ありがとう」

 コナンはカップを手に取り一口飲む。
 甘い香りと薄めに入れてある紅茶が美味しい。
 ほっと、一息付くことができた。すでに男に触られた嫌悪感も拭い去り、暖かな雰囲気が自分を包むだけだ。
 コナンは改めて自分の置かれている状況を振り返ってみるが、ひとまず様子を見るしかないだろうと思う。
 男が背後で見張っていて、シューズも麻酔銃も何もない自分では歯が立たない。

 どう考えても、このソフィアと呼ばれる女性は自分のことを娘のリーナと思いこんでいる。男の自分がどうして娘?と疑問に思うがそれは置いておこう。
 自慢じゃないが、着ている服によっては女の子に間違えられたことは一度や二度ではない………。
 そして、「生きていたのよ」という台詞からリーナは死んでしまったのかもしれない。
 そのかわりに自分を彼女にあの男は宛ったのだろうか?

 にやりと笑った男………。
 思い出すだけで、嫌な気分になる男………彼を取り巻く空気は自分のことしか考えない傲慢さと手段を選ばない執着心と決して逃がさないという粘着心が混じり合っていた。




 ソフィアが優しく見守る中、コナンは紅茶を飲み干した。
 薬の効いた身体にはちょうどいいようだ。身体を少しでも万全に戻しておかなければ逃げるに逃げられないし、戦えない。
 ふう、とコナンが吐息を付くと、ソフィアは楽しそうに笑んでいた。
 そして、満足そうに微笑むとコナンの側まで来て小さな手を取り、隣の部屋に連れて行こうとする。しかし、背後に控えていた男達が二人に付いてこようとするのに、彼女は振り返ると、にっこりと微笑んだ。

 「レディの着替えを覗いては駄目よ?」

 そして、やんわりと断った。
 さすがに、男達はこの部屋で待つことにしたらしい。その場でぴたり、と止まると同じ場所で立ちつくす。


 部屋に入るとソフィアはコナンを隅にある小さな椅子に腰掛けさせた。
 着替えって何だろう?
 いくら子供でも女性が着替えるのに一緒にいるのは嫌だな………と思う。
 しかし、コナンはその思いが全く違うことを知った。
 ソフィアはワードロープの戸を開けると内に並んだ洋服を見て、どうしようかしら?と考え込んでいる。

 そこにはたくさんの洋服が掛かっていた。
 もちろん、彼女の美しいドレスや上品なスーツ、普段のカジュアルなものなど様々に。
 が、問題はそこではなかった。
 なんと、彼女の横のスペースには子供服がたくさんあったのだ。もちろん女性物である。

 可愛らしい、女の子の服………。
 レースやフリルの付いたブラウス。
 ドレープやギャザーがたっぷりあるスカート。
 清楚なワンピースやドレス。
 色も様々で白、ピンク、赤、蒼、黄色と並び、下方には揃えた靴まである。


 嫌な予感である、予感なんて生やさしいものではなく、確信………。
 思った通り、ソフィアはハンガーにかかった服を取り出してコナンに一つ一つあわせ始めた。

 「これなんて、似合うわね?それともこれがいいかしら?」

 ひきつるコナンにピンクのワンピースをあわせる。

 「色が白いから、何でも似合うわね」

 ソフィアは嬉しそうに微笑んだ。


 正しく、着せ替え人形である。


 どうしようか………、コナンは天を仰ぎたくなった。
 この悪魔のような時間を自分は知っているのだ。
 幼き頃母、有希子にも同じ事をされていた。

 「新ちゃんて何でも似合ってお母さん嬉しい〜〜〜!」と叫びつつ、実はその女の子の服で外まで連れていかれ、買い物に食事に付き合わされた。父優作は止めてくれなかった。どうしてなんだ?と思ったが「ああいう時は女性に逆らってはいけないのだよ、新一」と諭された………。それでも自分の息子だろう、助けろ!と思ったが、決して助けてはくれなかった。そんな忌まわしい記憶を抹殺したはずなのに、どうして今になって………。

 コナンは絶対に、絶対に誰にも言いたくないと決心していた。
 無事に帰ったとしても、絶対言わねえっ。
 コナンが心に誓っていると、突然ソフィアが抱きしめてきた。そして、コナンの耳元に小さな声ではっきりと囁いた。

 「絶対に、返してあげるから。ごめんねさいね?」

 その真実を言っているだろう言葉に、コナンは驚いてソフィアを見上げた。

 「しっ。黙っていてね。隣の部屋には男達が見張っているから」

 唇に人差し指を置いて、静かにするように則す。

 「どうして?貴方、わざと?」

 穏やかに微笑むソフィアにコナンは自分の感覚が正しいことを知る。
 彼女は狂ってなどいない。
 自分を見失ってなどいないのだ。瞳から狂気など感じられない。
 間近で見た彼女の蒼い瞳は、理知的で澄んでいた。

 「私はソフィア。自己紹介が遅れてしまったわね?貴方のお名前は?」
 「江戸川コナン。探偵さ」






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