「パパとしんちゃん」2
第4話〜第6話




〜第4話〜



 うとうと………。
 ふわふわ………。

 こっくり、と小さな頭を揺らして新一は眠気に襲われた。
 瞼が落ちてくる。
 意識が段々と薄れていく。

 「新一?お昼寝しよう」

 優作は新一を抱き上げてベットまで運びそっと寝かせた。
 いつものように絵本を読んで、新一の素朴な質問に答えていたのだが3歳の身体は睡魔に勝てなくなったようだ。
 新一はいろいろな事を知りたがる知識欲があり、それを吸収する力があるため、将来が楽しみだと優作は常々思っていた。(←かなり親ばか)そのため、時間が許す限り質問に真面目に答える。だから、優作の膝の上で睡魔に襲われ寝てしまことは多かった。
 優作は優しく新一の髪をかき上げて、今は閉じられた瞳の瞼の上に軽く口付けを落とす。それでも目覚める気配のない可愛らしい寝顔に自然に笑みがもれる。

 (さて、またお仕事しようか)

 優作はベットから離れようとしたのだが、つんと引っ張るものがあった。
 なんと新一が優作のシャツを握りしめて寝ているのだ。

 (いつの間に??)

 けれど、その小さな手が自分の服を掴んでいる様が大層可愛らしくて堪らない。
 優作は誘われるように、自分も一緒にベットに入った。
 すでに、服から手を離させようなどと思わない。
 その小さくて柔らかな身体を抱きしめて「お昼寝」をすることに決めた。


   *******


 「先生〜〜〜〜〜?どこですか〜?」

 「せんせ〜〜〜い!!!」

 どこからか、声がした。
 優作を「先生」と呼ぶ人種は「編集者」またの名を「担当者」と言う。
 優作は聞き覚えのある声に目覚めた。

 「ん………、パパ?」

 新一が目を擦りながら寝起きのため掠れた声で聞いてきた。

 「………だれか、きたの?」

 新一は自分を抱き込んでいる優作を見上げながら、ほややんとした表情で優作の胸の当たりに子猫のように頬をすり寄せた。

 (可愛い………!!!)

 優作は一度ぎゅっと新一を抱きしめて、さらさらの髪を撫でて「ちょっと待ってるんだよ」と言ってベットから立ち上がった。
 そして、音を立てないように扉を開けて身体を忍ばせるように廊下に出る。

 「先生!!!!」

 若い男が声を上げて優作に駆け寄ってきた。
 まだ新人の江崎という優作付きの担当者である。

 「何だい、大きな声を出して」

 優作は鋭い眼光でもって咎めた。

 「だって先生。明日締め切りなんですよ。なのに先生は書斎にいらっしゃらないし………」

 江崎は情けなさそうな、泣きたそうな顔だ。
 けれど、優作は機嫌が悪かった。
 新一とのお昼寝を邪魔されて、穏やかに眠る新一をあまつさえ大声で起こして………。
 許せない………。
 絶対零度の怒りである。

 「………先生?」

 通常見ることのない優作の怜悧で冷徹な表情を初めて見た江崎は恐る恐る優作を見上げた。

 「君のところの出版社とはこれっきりにさせてもらうよ」

 それはそれは恐ろしい笑顔を浮かべながら、優作は宣言した。

 「ええ??先生、どうして、突然?」
 「………」
 「私、何かしましたか?」

 彼は自分が何をしたか理解していなかった。
 まさか、子供との昼寝の邪魔をした程度でここまでの逆鱗に触れるとは思いもしないだろう。(彼はまだ、その理由さえ知らないが、知ったらより困惑するに違いない)

 「したね」

 きっぱりと優作は言い切った。

 「何ですか?」
 「私の、それはそれは大切な時間を君は潰したのだよ」
 「………申し訳ありません。私は一体何をしてしまったのですか?」

 それに優作は答えなかった。
 もう、話す価値はないとでも言うように………。
 江崎は反泣き状態である。
 大作家から最後通告を言い渡されたのだから。

 「先生………!!!」

 江崎の絶叫が廊下に響き渡った。


 後にその理由を妻の有希子から聞いた江崎は、正直驚愕というより唖然として、首を垂れた………。
 以来、新一に関することが優作のタブーであると編集者同士で囁かれるようになる。



〜第5話〜


 優作は世界屈指のミステリ作家であるから、多くの出版社と付き合いがある。
 当然ながら今までに相当な人数の編集者、優作付きの担当者に当たった。
 現在工藤家に頻繁に出入りしている担当者は5人。それ以外にも本が文庫落ちしたり、雑誌のインタビューやら時々入る仕事を入れればかなりになるが、定期的に、工藤家の家族に顔を覚えられる程の人間は5人であった。
 中には優作が気に入らなくてばっさりと首にした哀れな者もいるが、やり手の、優作が出逢った中では最強の担当者も存在した。

 「こんにちは、工藤先生」
 「やあ、朝丘君」

 書斎に入ってきた担当者に優作は執筆の手を止めて振り返る。
 朝丘透子、大手出版の編集者である。本人はモデルでもした方がいいのでは?と思う程の長身に滑らかなプロポーションを持つ美人であった。が、本人は編集が天職ですわ、といつも公言している。

 「これ、お探していた資料と美味しいって評判のケーキですわ。是非、お召し上がり下さいね」

 分厚い封筒に入った書類と小さな長方形の箱を笑顔と共に朝丘は差し出した。

 「ああ、ありがとう。いただくよ」

 書類は机の上に置いて、ケーキの箱は冷蔵庫に入れないと不味いなと思っていると、カチャリと音がして扉がゆっくりと開かれた。そこからは可愛らしい顔が覗いている。

 「パパ?」
 「どうしたんだ?新一」
 「えっとね、ママがおちゃいれましたよって」
 「そうかい。ありがとう。ちょうど良かったよ、美味しいケーキを頂いたんだ。一緒に食べよう?」

 優作がおいで、と手を広げて誘うと新一はぽてぽてと歩いて優作の膝に乗る。
 よしよしと新一の頭を撫でる優作の顔はご機嫌だった。

 「こんにちは、新一君」

 朝丘は新一に目線をあわせるため膝を折り微笑みながら挨拶する。

 「こんにちは、とうこちゃん」

 にっこりと可愛らしく微笑まれて朝丘は嬉しくなる。新一にも顔を覚えてもらえていて、尚かつ『とうこちゃん』と呼ばれているのだ。

 「相変わらず、天使みたいですね、先生」

 朝丘は新一の笑顔にうっとりしながら優作を見あげた。

 「そうだろう、そうだろう」

 優作は自慢げに、満足そうに頷く。

 「ええ………、………新一君、おいで?」

 朝丘が新一に手を伸ばすと素直に腕に納まった。かなり、慣れているのだ。

 「とおこちゃん?」
 「うん、どうしたの?」
 「ケーキありがとう」
 「いいのよ。とっても美味しいって評判のお店なんだよ。フルーツたくさん乗ったのや、生クリームやチョコレートケーキ買ってきたから、たくさん食べてね?」
 「うん」

 正しく『天使の微笑』を向けられた朝丘は歓喜する。

 「新一君!!!」

 (可愛い………!!!!可愛すぎる。浚いたい………)

 朝丘は大きく叫ぶと、思わず小さな身体をぎゅっと抱きしめて、柔らかな頬に自分の頬をすり寄せる。

 (柔らかい………、気持いいわ)

 「………朝丘君」

 しかし、それを見ていた優作は低い声で咎めるように朝丘を呼んだ。

 「何ですか?先生」
 「いい加減、離したまえ」
 「先生、ケチですね」
 「誰がケチだね。新一は私の『天使』であって、君のじゃない」
 「はいはい、わかりました。困ったパパね?新一君」

 朝丘は新一にそう言いながら笑う。新一は状況が今一歩わかっていないため、にこにこと笑うばかりだ。

 「本当に、可愛いわ〜、先生、今度新一君をCMに出させて下さいよ。探していたんですよ、天使みたいな子。でも見つからなくて困っているんです」
 「………絶対、駄目だ」

 きっぱりと一刀両断する優作に朝丘は肩をすくめる。

 「わかってましたけどね?先生がそう言うことは………。誰にも見せたくないんでしょう?」
 「当たり前だ。誰がそんな不特定多数の人間に見せるもんか!」
 「もう、独占力過剰なんだから。とはいえ、私も勿体ないとは思います」

 自分でCMの話を振っておいて、朝丘はそんなことを言う。つまりは、最初からCMに出す気などなかったのだ………。

 「朝丘君………」

 だから、優作は朝丘を不機嫌そうに睨む。朝丘は優作の不機嫌など気にもせずくすくすと笑うと、今、さも思いついたと言わんばかりに手を叩いた。

 「先生、では本にしてみてはどうですか?」
 「………本?」
 「はい。新一君みたいな天使が出てくる絵本です」
 「絵本?」
 「初チャレンジということで、どうですか?絵本の文章書いてみませんか?すっごく可愛い天使が主人公の話………。真っ白い羽根をもっている愛する生き物。天界でもいいですが、下界に降りてきて人間と過ごすなんてのもいいですね?………どうです、煩悩………、失礼、創作意欲が刺激されません?」
 「………」

 優作の頭の中ではすでに、天使になった新一の姿が思い描かれていた。
 天界でもそれはそれは愛らしく美しい外見と魂であるに違いない………。
 人間界でどんな活躍をするのか?
 親しい友達を作るのか?はたまた、困った人を助けるのか?
 ありきたりではつまらないから、どんな展開にしたらいいだろう?

 優作はすっかり朝丘の計略にはまっていた………。
 ここが、最強の編集者である朝丘のすごいところであるのだ。書き手をその気にさせる話術と企画力、構成力は他の編集者の追随を許さない。

 「わかった、やってみよう」

 優作は頷く。

 「本当ですか?がんばりましょう、先生。絵描きはイメージにあう方を探しますね。でも希望の方があればおっしゃって下さい」
 「ああ………」
 「先生、それでですね、………少々時間が足りないのですが絵本を新一君の誕生日に出してプレゼントにしてはいかがでしょう?」
 「プレゼント?」
 「はい。新一君に一番に渡すんです。新一君の誕生日はゴールデンウィーク進行になりますし、出版業界はお休みです。でも、出版日はもちろん5月4日にしますわ!どーです、先生?」
 「………いいかもしれないね。新一のために書いた私の本をプレゼントするとは、朝丘君も考えるねえ」
 「誉めて頂いて、光栄ですわ」

 朝丘は完璧な笑顔でもって答えた。そして、大人の会話を首を傾げて聞いていた新一を覗き込み、ふんわりと柔らかく微笑んだ。

 「新一君、今度のお誕生日はパパからすんごく素敵なプレゼントがもらえるよ?」
 「ほんとう?」
 「うん、本当!良かったね〜、楽しみに待っててね。私もがんばるから」
 「とうこちゃんもがんばるの?だったら、もっとうれしい………。パパ、まってるね?」

 前半は朝丘に、後半は優作に向けて新一は小首を傾げながらそれはそれは可愛らしく微笑んだ。

 「パパ、がんばるね、新一………」

 もちろんそれに見惚れた優作はでろでろに顔を崩して約束する。
 心の中は、

 (………My littel angel♪)

 である。親馬鹿と危ない人の境界線に佇む優作は、その危険性に気付かないのか?否、気付いてもどーでもいいのだろう。新一の前では全て無意味だ。
 優作の馬鹿っぷりを目の当たりにする朝丘は、呆れる所か自分も同じ穴の狢であると自覚していたため全く問題なかった。
 そこに存在する大人はある意味最強かもしれなかった。



〜第6話〜


 「ねえ、優作、………今度新一も幼稚園ね。どこがいいかしら?」

 夜もとっぷりと暮れた頃、居間でお茶をしながら子供の教育について語るのは夫婦であるなら日常のことである。有希子はお茶を味わい、ティカップをソーサーに置いて優作を見た。
 現在3歳の新一は、今度の5月に4歳になる。満3歳児は幼稚園にと考えるのは普通だろう。

 「何だって?幼稚園!!!!」

 当然のことを言われたというのに、優作は声を立てて驚愕する。

 「どうしてそんなに驚くの?」

 有希子は首を傾げる。
 3年保育なら、4月から幼稚園。もちろん全てが3年保育ではないし、幼稚園は義務ではない。けれど、有希子は新一にとって良さそうな幼稚園にやるつもりだった。教育面(英会話、音楽、リトミックなど)環境面(温水プールや体育館、木材でできた遊具)美味しくて栄養のある食事、と充実した幼稚園がたくさんあるのだから。

 「何も3歳からやらなくてもいいだろう?」
 「3歳からやってどこが悪いの?3年保育の子供、たくさんいるわよ?」
 「………新一は幼稚園にやらなくても十分賢いし、幼稚園にやると世間擦れして言葉使いが悪くなるっていうじゃないか………」
 「確かに新ちゃんは賢いわよ。幼稚園みたいに不特定多数の子がいたら家の中だけの上品な言葉使いではいられないと思うわ。でも、新ちゃんは一人っ子で兄弟もいないから、いつも大人の中に子供が一人なのよ。子供の集団で生きていけるように小さい頃から馴染んだ方がいいと思うわ」

 有希子は母親らしい心配をしていた。
 我が子は可愛い。だからこそ、世間にも出ないと駄目なのだ。

 「でも、いじめにでもあったら、可哀想じゃないか………」

 優作は有希子の正論に言い募る。

 「新ちゃんをいじめるような子がいるとも思えないけど?」
 「天使みたいだからね。いじめたら、罰が当たるよ」

 罰を間違いなく当てるだろう張本人の優作は断言する。

 「………新ちゃんのことだから、みんなのアイドルね。きっとプロポーズされまくりだわ」

 有希子はある時のパーティを思い出してにこやかに微笑む。
 出逢った男の子に女の子だと勘違いされて、その場でプロポーズされていた。もっとも、男の子だとわかっていてもされたとは思うが。

 「プロポーズされまくり?………やっぱり、だめだ。そんな危ない場所にはやれない!」

 優作は見るからに動揺して椅子から立ち上がり、机を叩く。

 「優作ったら。幼稚園児に何ができるのよ?」
 「今時の子供なんて信用できるか?絶対駄目だ!!!!」

 優作は叫ぶ。

 「駄目っていってもねえ。新ちゃんのためなのよ?新ちゃんが将来集団の中で暮らしていけなくなってもいいの?親としてそれはしてはいけないことだわ」
 「………幼稚園に通わせなければならないことは、わかった。でも、新一が自分の身を守れるようになってからでないと、駄目だ」
 「………はあ?」

 有希子は大きな瞳をさらに見開き呆れたように優作を見上げた。

 「小さくても簡単な護身術くらいなら慣らえる。今度知り合いに頼んでみるから。だから幼稚園はせめて4歳からだ」
 「………わかったわ。4歳からね。今度はあきらめましょう」

 有希子は優作に何をいっても無駄だと諦めた。
 もっと最終手段に訴えてもいいのだけれど、優作の言い分を一利だけ認めたのだ。
 新一は、誰構わず人を魅了する子になるだろう。たった3歳であるというのに、この状況では将来が目に見えていた。幼い頃から身を守る術を身につけておけば、よりよいはず。
 優作が新一と離れたくないだけだと知っていたが、そこは目をつむりましょう。
 4歳からは行かせると約束したのだから。
 有希子は内心やれやれと思いながら、新一の波瀾万丈であろう未来に思いをはせた。



 そのような経緯を経て、4月になっても幼稚園には新一は行かなかった。
 相変わらず優作の書斎で過ごす新一を見て、これではいけない、優作が来年になっても駄々をこねると有希子が思ったかどうかは定かではないが、彼女は優作と新一をしばらく離すことにした。

 そう俗に言う、子離れである。

 「貴方、ちょうど締め切りがあるでしょう?私しばらく新ちゃんと旅行に行ってくるから」と徐に宣った。
 そこには、反論の余地は全くなかった。
 すでに決定事項。
 ここで有希子に逆らえば、世にも恐ろしい報復が待っている。(←つまり新一に逢わせてもらえない)
 優作の心は怒濤の波に襲われた。
 そして、泣く泣く手を振って二人を送り出す。

 「パパ、いってきま〜す!!」

 と可愛らしく微笑む新一の姿を瞳に焼付け、しばらく心の支えにして優作は涙を飲んだ。
 
 その後超特急で原稿を上げて、世界に名だたる推理作家は母子の帰りを待っていた。
 なぜなら、原稿が上がらない内は絶対に帰ってこない上、連絡もするなと言い渡されたからだ。原稿を上げないと、新一の可愛らしい声も聞けないとあっては、死んでも終わらせない訳がなかった。
 そのマッハの早業に担当者は歓喜にむせび泣いたらしい………。





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