「月の女王 夜の音色 14」






「月姫……」
「なんですか?陛下」
「……すまない」
 快斗は懺悔したかった。国王として月姫をベリッカに、つまりラーディの元に行かせねばならないことを。力のない自分は月姫を差し出さなければ国を守れない。
「謝る必要はあいません。陛下は当然のことをしたままです。誰もがその判断を認めて下さいますわ。もし、それでも言いたい人間には、言わせておけばいいのです。自分の決断に自信をもって下さい」
 相変わらず、月姫は快斗の気持ちを受け取らない。
 もう、明日にはここからいなくなるというのに。微塵を寂しさを感じさせないで、正しいことばかりを言う。恨んでくれた方が快斗として楽である。許され、正しいと言われることが、溜まらなく苦しい。
 月姫の処遇が決まってから、後宮の温度が変わった。
 快斗を責める視線ならともかく、同情気味な視線が強くて困惑する。
「どうぞ。最後のお茶です」
 侍女がお茶をもって現れた。茶碗から湯気が上がっている。茶碗を持ち上げて一口すすると、花の香りと甘みが口中に広がる。ほっとできて、美味しい。
 これを飲むのも、最後になる。月姫も侍女もここからいなくなる。
「最後に、何かして欲しいことはあるか?」
 最後という言葉は、なんと悲しいのだろう。だが、快斗に出来ることなら何でもしたかった。二度と会うことがない月姫のために。
「いいえ、ありません。もう、十分に叶えて下さいました。願いを聞き入れて下って、ありがとうございます」
 月姫はゆるりと頭を下げた。
「止めてくれ。それに、月姫が望んだのは、本当に些細なことだ。俺が叶えるなんて言うには少なすぎて、俺の方がなにも出来ないで寂しい」
 快斗は月姫がお願いがありますと言った時のことを思い出す。ベリッカへ行くたまには、侍女が絶対に必要であること。それから、母国の人間に囲まれて行きたいこと。今度会うことは二度とないと思うから、最後に会っておきたい上、彼らは自分の事情をよく知っているので、自分を連れていくのに申し分ない。母国から、この国まで連れてきてくれたのも彼らだから。そういわれると、その通りだった。月姫の体調を考えて、エーランダからベリッカまでの移動できるのは、母国からエーランダまで連れてきた実績のある、人間だけだ。さっそく、連絡を付けるために月姫から手紙を書いてもらい、自分も事情を書いてクオード国まで早馬で届けてもらい、返事をもらって帰ってきた。
 月姫を乗せる馬車から警備の人間など、一団が今日すでに着いて明日を待っている。
 明日から彼ら一団をエーランダの軍が警護しながらベリッカの首都ルアンまで数日の旅に出る。
「寂しがる必要などありません。私は誰かのために行くのではありません。これが、自分の運命だから行くのです。陛下の責任ではありません。ですから、己を責めないで下さい」
「……月姫」
 どう言えばいいのか。謝るなというなら、感謝すればいいの?感謝なんてできるはずがない。月姫をここに止めておけるなら、何でもするのに。国のためでなかったら、月姫を誰かの手に渡すなど許すはずがないのに。
 快斗は、そっと月姫の手を取った。こうして、手に触れることだって稀だ。細い指をゆったりと握って、請う。
「どうか。元気で。俺が願いなんておこがましいが、元気でいて欲しい」
 握った手に頭を付けて、願う。それくらいしか、自分は願うことすら出来ない。
「ありがとうございます。ですが、それを決めるのも運命です」
 月姫はとても綺麗に微笑んだ。蒼い瞳が強く輝いて細い身体から漂う雰囲気はやけに眩しい。
 その最後に見た印象的な微笑みを、快斗は忘れられなかった。
 
 
 
 
 
 


「着いた」
 ぽつりと呟く声に、誰もがじっと聞いていた。
「こんな目にあわせて、すまない」
 新一はそこにいるクオード国の親しい人間たちに、穏やかに笑って謝った。首を振って否定する皆に、新一は振り切るように告げた。
「行こうか」
 新一は白く金糸が縁取られてた衣装を身にまとい、足を踏み出した。
 
 
 
「クオード国の王女のお着きです」
 王女は即されるままに、広間に通される。そこにはベリッカの国王と王子のラーディが待っていた。王女が一歩一歩進むと、待ちかねたようにラーディが近寄ってきた。
「よく、来てくれた!」
 手を伸ばし触れようとした時、王女はラーディの腰から剣を抜き取る。すらりと剣を片手に持ちラーディを見つめる。ラーディは驚愕に目を見開いて、ぽかんとした。瞬間、王女が剣を持ってることを認識した広間の人々は、悲鳴を上げた。国王も立ち上がり側近に指示を与えようとする。
「私は、二人の人には嫁ぎません」
 そう言って、王女は自らの胸を剣で貫いた。
 白い衣装に、赤い血がじわじわと広がって、握った剣からも血が滴る。そして、ゆっくりと崩れ落ちていく細い身体。ばたりと、倒れた身体から白い床に血が広がる。白い大理石に赤い血が目にも鮮やかで、そこだけくっきりと浮いて見えた。
 再び、広間から悲鳴が上がって、こだました。側にいたラーディは言葉を失い、なにが起きたのか理解できないように突っ立ている。そして、号泣した。
 そんな中、クオード国から付いてきた男が進み出て、血で汚れた王女を大切そうに抱える。
「……墓くらいは国に入れようと思うが。ベリッカの国王?」
「わかった。許す。葬ってやってくれ」
 国王は頭を押さえながら、それだけ絞り出す。
 衝撃が強すぎて国王もまだ動揺から回復できていない。無理矢理求めれば、手酷いしっぺ返しを食らうのだ。小国の王女一人の扱いをそれほど考えていなかった。王子が心から欲するから、叶えてやってもいいかと思った。王子妃を迎えて、立派な後継者となるよと言うから、多少力で奪ってもいいのだと傲慢に思ってた。だが、王女は自分の運命は自分で決めた。自らの命を賭けて。
「承知」
 男は血に塗れた王女を抱えて、さっさと広間を去っていった。
 そこに残るのは後味の悪い、嫌なものでも飲み込んだ時のような喉から何かが迫り上って来る息苦しさだった。
 
 
 
 








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