「やあ」 ベリッカからの代表がエーランダにやってきた。圧力に耐えかねて、そろそろ何か動かねばと思っていた時、訪問が申し込まれたのだ。 要約するなら、会談である。 「ベリッカの第一王子、ラーディだ。どうかよろしく、エーランダの国王よ ラーディと名乗ったベリッカの王子がにこやかに快斗へ握手を求めた。快斗も手を差し出して握手に応じる。 「こちらへどうぞ」 快斗は賓客の間進み、そこで王子と相対することになっていた。それぞれ椅子に腰を下ろし、視線を絡ませる。どちらから切り出すか大事な外交だ。 快斗がこちらから聞いては、弱みを見せることになるし、要求を飲む前提となることを考えて黙る。快斗の沈黙を見て取って、ラーディは小さく笑うと、口火を切った。 「それほど緊張されなくても、結構ですよ。ベリッカは友好的な国ですから」 友好的な国が圧力をかけるとは信じられないが、これも詭弁だ。 「こうして友好的な国と親密に語り合えるなんて、喜ばしいですよ」 快斗も同じように返す。 「そうですか?僕は一度国王と話しがしてみたいと常々思っていまして、願いが叶って嬉しいです」 「私と?」 快斗は不思議に思う。話すとはいうが、なにを話すのか。 何か要求の話なら、「国王と一度話したかった」とは言わない。互いに王子時代、顔を見ることはあったが話すには至らなかった。 「ええ。そうですよ。おかしいですか?」 「光栄です。ベリッカの王子からそう言われるのは」 意味のないやり取りが続くうちに、快斗はどうしようかと思う。このまままったく条件に触れないでいたら、時間が無駄になる。 それに、条件はすでに決まっている。それが、どうしても用意できないもの以外は、エーランダとして、受け入れねばならない。 「そういえば、国王は後宮嫌いだと聞いたけど?本当なのか?」 快斗が胸中で考えて、どう話を運ぼうかと思っていたら話題を変えるように、ラーディからそんな下世話なことを聞かれて面食らう。 「別に、嫌いではありません」 「けれど、王妃を迎えていませんね。エーランダの後宮は美人揃いだと噂で聞いているのに」 「王妃はまだ考えられないだけですよ。王子の方がどうなんですか?」 快斗がラーディに振ると、ラーディは目をきらりと輝かせて口角をあげた。いきなりの表情の変化に快斗は驚く。 「僕にはずっと前から王子妃として迎えたい人がいました。ですがその子は他の国に嫁いでいってしまいました」 「ベリッカの王子なのに?あなたが望めば、叶うでしょう?なぜ、すぐに申し込まなかったのですか?」 ラーディは苦笑を浮かべて、困ったように語り始めた。 「僕が初めて出会った当時はまだ子供だったのです。10、11歳くらいでしょうか?さんし、戸惑う年齢です。偶然会えただけで、まだ公の場に出るような年齢ではありませんでした。本当に、子供だったけれど、愛らしく美しい姿なのに、強い瞳を持っていて、なんとも言えない雰囲気をまとっていました。その国は成人するまで王子王女を一切出しません。公の場に出たことがない王族の子供は他国からも知られていません。ですから、成人したら迎えに行くつもりでした。一目惚れだったのです」 ラーディの王女にかける想いは十分に伝わってくる。成人したら迎えに行くなど、快斗からすれば、微笑ましい出来事だ。そこまで想っていた相手と結ばれるといいと勝手に思う。もっとも、相手は子供の時に会ったきりの王子を好きできるかどうかは不明だが、愛があればその情熱で心も溶かすことができるかもしれない。 自分の心を癒し、奮い立たせくれる存在は大事だ。快斗はそんな存在を知って初めてラーディの気持ちがわかるのだ。昔なら、理解できなかったに違いない。 「そうですか。残念ですね、とても」 「……残念だと思ってくれますか?」 「もちろんです。一目惚れの相手なのでしょう?」 「……ええ。今でも諦められません」 ラーディは俯いて、吐息を付くと再び顔上げた。その顔は、どこか不穏だった。 「僕の一目惚れの相手は、同盟の人質のために他国に行きました。そう、ここエーランダですよ、国王」 ふふと、さも面白そうに嗤って、快斗を真っ直ぐに憎しみがこもった目で挑発するように、顎をあげた。 「あなたの後宮におりますよ」 「……っ!」 快斗は自分が憎まれているとわかった。同盟の人質としてやってくる女性は後宮へ入る。これは快斗のせいではないが、王子からすれば許せないことだろう。政治的なことで快斗の意図などどこにもないが、真実愛する人間が他国の後宮へ入ったら自分でも激しく許せない。自分を癒すあの存在が他国の男のものになるだなんて。 「さて、これが軍を引く条件です。私の王女を返して下さい」 「……それだけが、条件なのか?」 「そうですよ。愛する人を取り戻す。国王がこの条件を飲めば誰も傷つくこともない。血を流すこともない。大切にしますよ。王子妃として。将来の王妃だ」 ラーディは快斗が断ると思ってもいないだろう。目が歓喜に染まっている。 「誰だ?」 「クオード国の王女ですよ。残念ながら名前は教えてもらえませんでしたから」 「少し、待って欲しい。その人物が誰なのかわからない」 快斗がすべての女性の出身を知っているはずがない。彼女たちは後宮の身分としての名前で呼ばれていて、本当の名前さえ快斗は知らない。筆頭女官ならすぐに調べられるだろう。 「それでは、部屋にご案内を」 快斗は立ち上がり、ラーディを伴って王子が泊まるに相応しい部屋へと自身で案内した。 「それは月姫です」 快斗は、目の前が真っ暗になった。 クオード国の王女は誰だか調べて欲しいと筆頭に女官に聞いたら、答えは残酷なものだった。 出会った時10、11歳で子供。それなら、今でも成人していない? 同盟の人質としてやってきた。 一目惚れするほど愛らしく美しい。瞳が強くて、雰囲気があって。 どれもこれも、月姫の特徴ばかりだ。 快斗は、どうしたらいいかわからなくなった。ラーディの話を聞いて、相手が必ずしも彼を好きだとは定かでない。子供の時会っただけなのだから、覚えてるかどうかも不明だ。そんなところに、差し出すのかと思ったら少し憂鬱になった。後宮の女性を条件として差し出すのは国王として情けないことだ。ただ、きっと国にとってはそれで戦いから免れるとしたら、なんと少ない被害なのか。 さっきまでの心境は、そんなものだった。 だが、今は違う。渡すなんて、許せない。自分の側から離したくない。 国王なのに、国王だから民を守るのが仕事なのに。争いだけは絶対に避けなくてはならないのに。そう言った時、彼女は言った。「その決意を覚えていて下さい。それがあなたの存在意義です」と。慈愛の笑みまで乗せて。まるで予言ではないか。 快斗は、月姫のところまで行かねばならないと思い走った。 「月姫!」 快斗はいつもの常識などかなぐり捨てて、月姫の部屋の扉を開いた。先触れもないから、驚かれるとはわかっていたが、止められなかった。 「どうしました?陛下」 穏やかな声と表情で迎えてくれる月姫に、快斗の方が泣きつきたい気分になる。 「知っていたのか?月姫は、ベリッカの要求がなんであるか?だから、あの時『その決意を覚えていて下さい。それがあなたの存在意義です』と言った?俺の決意を聞いて!」 「あなたの頭は飾りですか?感情的にただ訴えるだけで、話ができますか?あなたがここに来た理由はなんですか?本当に言うべきことは、他にあるのではないですか?」 月姫としてある時は見せない、夜の少女の言葉で一刀両断された。 本当に、正しい。快斗は項垂れて、少ししてから顔を上げた。まだ迷いが混じった顔だったが、自分が告げるべきことは一つしかないから。 「ベリッカの王子が来た。そして、要求は一つだけだ。彼の一目惚れの相手である王女を返してくれと。それは、同盟の人質としてこのエーランダ国の後宮に入れられたクオード国の王女だ。……月姫だ」 快斗は言い切り、月姫を見る。月姫はなんら動じることなく、そのままだ。絶対に、知っていた。どうしてなのか、こうなることを彼女は知っていて快斗に決意を覚えておけと言ったのだ。なんて正しくて残酷なのだろう。自分に迫る決断は快斗の心を斬りつける。血も流れる。 「わかりました。それで、どうすればいいですか?」 「どうって?どうってなんだよ!」 「国王は決断をすることが、最大の仕事です。民を守るのが国王の仕事です。存在意義です。わかっているのなら、一つしかないでしょう?」 「ひどいな。月姫は。正しい、どこまでも正しいけど。俺の心までは思いやってくれないんだ」 ふうと、悲しげに目を伏せる快斗に、月姫はいきなり雰囲気を変えた。夜の女王のように尊大で美しい。 「決断できないというなら、王などやめてしまいなさい。そんな王は迷惑です。王は公の場に立ったなら国益を考えなければなりません。王の決断で被害を最初に受けるのは民です。わかっていて、正しい決断をしないなら、それは愚王です。即刻、引きずり下ろすべきです」 「……」 「さあ、王としての決断を」 月姫の言葉は快斗へ断罪するように迫る。 自分に、ベリッカへ行けと言えと?月姫に?自分に月姫を亡くせと? 感情は嫌だ嫌だと告げている。それなのに、国王の自分は決断しろと促す。 「……月姫。否、クオード国の王女よ。……ベリッカの要求によって、第一王子ラーディの元へ、行け……」 心が引き裂かれそうだった。もう裂かれてばらばらだ。 「承知いたしました。陛下」 月姫は綺麗にお辞儀をした。完璧なる礼だった。 承知したと答えるとラーディは喜んだ。ただ、すぐには無理だと告げた。 彼女はとても身体が弱く体調が少しでもいい時でないと旅に耐えられない。後宮でも、体調は回復しなくて良い時と悪い時を繰り返す。侍女が医師と薬師を兼ねていて、侍女がいなくては彼女は成り立たない。もちろん、薬草なども必要で、持参しなくてはならないものがある。すぐには準備できない。こちらから安全に連れていく。約束は守ると言うと、ラーディは納得して帰っていった。 |