「月の女王 夜の音色 12」







「どうしました?」
 月の光が射し込む中で、快斗は少女をまっすぐに見た。胡弓を片手に持ち、何も言わない快斗を訝しげに見ている。
「なんですか?」
「……」
 快斗は無言だ。何か言いたい事があるのは、よほど鈍くない限りその視線からわかるだろう。それを口に出来ないのには、事情もあるだろうと予測はできるが、その点を配慮して延々と待ってくる相手と、そうでない相手が世の中に存在した。
 今回は快斗本人にだってわかる、後者だ。
「あなたには、話すことができる口がないのですか?」
「……その、じつは」
「何ですか?はっきり言いなさい。あなたには思考する頭がないのですか?」
「ある!あるけど。どうしても、いい難くて……」
 快斗は頭を抱えたくなる。言わなくてはならない事がある。でも、言いたくない。絶対に、怒られる。蔑まされる。国王とは思えない心情に快斗はいた。
「あなたの頭は飾りですか?同じことを二度も言わせないでください。考えてから言葉にしろと言いましたね。言い難いことでも、意味のない言葉を並べ立てて、誰に聞いてもらうのです?それで、あなたの意志は伝わるのですか?」
「……伝わらない」
 いつも少女は正しい。ここには、年齢差など存在しない。身分も意味をなさない。
 快斗は、ぎゅうと拳を握り、顔をあげた。
「しばらく、夜に外に出るのは控えてもらいたい。城内は警備しているが、絶対ではない。守らねばならない人間には、なるべく安全な場所にいて欲しい。本当なら、それくらい安全だ、うちの兵は強いと断言したい。断言したいが、事態は急を要する。頼むから、しばらく、いつまでとは言えないが、夜の外出は止めて欲しい」
 快斗は一気に言い切った。勢いが大事だった。
「……そうですか。つまり、私の警護まで手は回せないということですか?自分の力でどうにかなりますが、できないと言いますか?」
「言わない!言わないさ!それでも、守りたいと思う気持ちは迷惑だとでもいうのか?」
 激しい口調で快斗は訴えた。それが、心の中からくる本物の欲求だろうと見ている者にも容易に理解できた。
「いいえ。迷惑ではありません。人の好意を無碍にする気などありませんから。……わかりました。しばらく控えましょう。お約束します」
「ほんとうに?」
 簡単に是の返事をよこす少女に快斗は拍子抜けする。もっと説得には時間がかかると思ったのだ。
「ええ。なんです、信じられませんか?」
 快斗の微妙な表情を読んだのか、少女は眉をひそめた。
「信じるさ!約束は絶対に守るってわかるから」
 少女が約束を違えるなど、快斗にはそっちの方が信じられない。
「では、私に約束をさせるのです。多少の理由は教えなさい。知らないは聞きません」
 少女はどこまでも女王さまだった。快斗の思うままには決して動いてはくれない。対等を求められる。否、対等として見てくれているか危ないところかもしれない。彼女の中の自分は格下かもしれない。それに気づくと落ち込みたくなる。
「……どこまで、わかっているんだ?」
 少女がまったく事態を知らずに、こんな質問を投げかけるとは思えなかった。それは快斗の確信だ。
「どこまで?この国が危機に瀕していることですか?ベリッカが本気かもしれないことですか?争いは避けるつもりがあると?それとも、なぜ今このような事になったのか理由がわからないからですか?」
 水のようにさらさらと並べられた言葉の数々は、快斗が思うすべてだった。
 原因はベリッカだ。今まで互いに動かなかったのは、一度両国に争いが起きたら周り中を巻き込んで大戦になるからだ。それなのに、なぜ、今動くのか。ベリッカはエーランダを狙っている。それだけは事実だ。間違いない。各方面から攻める用意があると圧力がかかっている。まだ、一歩を踏み出していないが、あの兵力がすべて一気に攻め込んできたら、国は戦場となるだろう。
 両国の間にある三国は、ソーラドがベリッカ。ミシンダがエーランダと同盟を結んでいて、両国両方と繋がっているギランダーは静観していたはずだ。ベリッカがエーランダに攻め込むには、この三国を進んで来ねばならない。だが、この三国を味方にできたら?それとも静観すると約束をさせるだけでいい。自国に被害が出ないのが一番大事だ。関わったら多くの兵が死ぬし、土地が荒れる。争うなら勝手にやってもらいたい。それが本音だ。
 まるで、試されている。
 戦いの準備はこちらにある。おまえは、どうするのだ。戦う気があるのか。それとも、避けるのか。ベリッカの狙いが不明なのだ。争わないなら、土地や権利を要求するのだろうか。ふつうなら、そうする。が、今回どうしても理解できない。土地でも権利でもすでにベリッカは相当の財産を持っている。同盟国からも多くのものが献上されている。
 一旦争いが起これば、ベリッカにも被害は出る。その損害を考えたら、やはり冒険は出来ないと思うのだ。これほど、快斗は付き合いがあるベリッカの考えていることが不明なのは初めてだった。
 
「説明するまでもない。すべて、その通りだ。ベリッカがこの国を攻める準備があると圧力をかけてくる。もし、争いが起こったら、両国の被害は甚大だ。たくさんの血が流れる。それは避けなければならない。……ベリッカの狙いがわからない。なにか目的がなくては、このような無茶しないだろう。今までとはあまりにも違いすぎる。ベリッカの目的がわからなければ、どう対処するかも決められない。こんな状態では、城内も決して安心とは言えない。これでいいか?」
 快斗は、本来なら絶対に他言してはならない事実を告げた。少女には嘘も偽りも通じない。すでに真実を知っている人間に、隠しても無意味だ。それよりは、少女が夜の外出を控えてくれた方がずっといい。少女は聡いから、快斗が言葉にしないことも察するだろう。
「ベリッカの目的ですか。それがわかったら、どうするのです?」
 少女が意外にも、快斗の真意を聞いた。国のことには関わらないものだと思っていたのだが。少女にも思うところがあるのだろうか。
「争いだけは避けるように、全力を尽くす。民を守るのが俺の仕事だから」
 きっぱりと快斗が王としての心を吐露すると、少女が笑った。慈愛に満ちた笑みだった。そんな笑みは今まで見たことがなくて、快斗は目を見開いた。
「その決意を覚えていて下さい。それがあなたの存在意義です」
 少女はそう言うと、胡弓をもって去っていった。快斗はあまりの驚きに、しばらくその場所から動けなかった。
 
 
 
「志保。覚悟が必要な時が来たな」
 以前同じ台詞を言った時とは状況が急変した。もう、時は戻らない。
「……」
 志保はいつものように、広場の入り口にいたから二人が話した内容はすべて聞こえていた。思わず、その時志保は目を伏せてしまった。少し離れたところにいた番のアンドレが、表情は変えず雰囲気というか殺気のようなのを一瞬漂わせてすぐに消した。今夜は白馬も隊長もいなかった。きっと国王が一人で言いたいと告げたのだろう。確かに、あれを言うのに保護者付きとは情けない。
「嫌よ。諦めるのは嫌!諦めたら終わりじゃない。あなたが運命を受け入れているなら、私がその分抵抗してあげるわ!それが私の存在意義ですもの!」
「ありがとう。志保」
「お礼なんていらないわ!私は失いたくないのよ。あなたが月のよう美しく成長するのがこの目で見たいの。最悪なんて、なんで起こるの?ここにいるだけで、十分なのに」
 志保は泣き崩れないのを我慢する。新一が堪えているのに、自分ばかり自由にしてはいいけない。泣くことさえ戒めている新一なのだから。好きに泣くことすら、出来ないなんて悲しすぎる。
 心を律するのに慣れている姿が忍びない。
「志保。聞いてくれ。そもそも、だろう。俺はひっそりと生きる予定だった。できるなら、蘭の女王姿を見て過ごしたかった。けれど、運命とは巡るものだ。時は帰らない。俺は俺の出来ることをする。志保がいっぱい心配してくれていると、わかっている。皆が俺を人質として出したことを悔やんでいると知っている。それだけで、俺は十分幸せだよ」
 新一が綺麗に笑う。
「幸せなんて言わないで!お願いだから。これ以上あなたが過酷な運命に振り回されるのなんて見たくないわ。でも、私が見届けないで誰が見届けるの?……ねえ。私も一緒だからね。離れないから。一人で行ってしまわないで。約束して」
 切実さを秘めた瞳と声に、新一は仕方なさそうに肩をすくめた。
「わかった。志保は一緒だ。置いていったりしない。運命は俺にはどうしようもないな。志保だってわかっているだろう?俺のために怒ってくれて嬉しいけど」
 クオード国の王族には秘密がある。
 その直系は生まれた瞬間から運命を背負う。月の女神に愛された一族として。
 月の満ち欠けにあわせて、一族の人間は生きることになる。夜、月が満ちていればそれが起きて動ける時間だ。反対に、昼はぐっすりと眠っている。まるで死んでいるかのように動かない。満月の時が顕著で、夜月がある時は力がみなぎる。昼はまったく動けない。月が三日月のように欠けていき、新月となれば昼が起きて動く時間で夜はぐっすりと眠りに付く時間となる。月にあわせて生活の時間が変わるため、ふつうの生活を送れない。幼子の場合は育つのが前提なので、あまり関係はしないが、少し大きくなってくると月の影響を受ける。女性は子供を産む時その枷から外れる。そうでなければ、子孫を残せないからだ。その反面、男性の場合は、一生月に支配されて生きる。本来なら、月に愛され、月の加護があるのだが男性はどうしても過酷な運命をたどりやすい。
 クオード国が女系である理由は、女性が子孫を残しやすいからだ。男性は一生月と共に生きるが、そんな人間と結婚して子供産んでもらうには確率が悪すぎた。不可能ではないが、男性は短命なものが多い。女性は女王となるが、男性はひっそりとその存在を秘されながら生きる。ひっそりと生きられたなら、幸せな一生だ。ひっそりとはいかないのが、男性の方が女神に愛されているからだろう。誰もがとても美しく育つ。その上時々美麗としか言い様のない麗人が生まれることがある。正しく傾国だ。
 その場合は、当然平穏な生活は望めない。過酷で悲愴な運命が待ち受けていて、やがて生を終える。
 彼らは、月の女神の依り代に相応しく、満月に近いほどその存在に近くなる。美しいものに宿るものなのか、美しければ美しいだけ顕著だ。そして、昼死んだように眠るのはその反動だ。もちろん、意識はしっかりとあるのだが、月の化身に近づくのだ。
 新一が夜月の女王のように振る舞うのは、そのせいだ。死んだように眠るのも反動だから仕方ない。ただ、身体が付いていくのは別問題だ。必然的に、短命の人間が多くなる。
 志保などの医師や薬師が必要になるのは必然だった。
「わかっているの。ごめんなさい、あなたに言わせてしまって。私は信じたかったのよ。逆らうことの出来ない運命でも、最悪になんてしない選択くらいあるって。……けれど、美しく成長するというのは、酷ね。女神もがっちり掴んで離さないってのがありありとしていて、ちょっと嫌になるわ」
 志保は苦笑した。美しければ、美しいほど悲劇なんて悲しすぎる。
 私の運命は最後まで、あなたと一緒よ。
 志保はずっと昔から決めていたことを再び、心中で誓った。
 
 







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