「月の女王 夜の音色 11」






 いつものように月姫の部屋にやってきた快斗は驚いた。
 元気な姿を見るのは嬉しいが、今日は竪琴を日の当たる場所で弾いていた。風が緩やかに吹いていて月姫の髪を揺らしている様がとても美しい。
「……いい音色だな」
 侍女に案内された場所で立ち止まったまま、快斗はまぶしげに月姫を見ている。
「陛下。いらっしゃいませ」
 月姫が、満面の笑みで答えた。
 いつも丁寧で元気なら愛想がいい月姫だが、これほど上機嫌な笑みを見たのは初めてかもしれない。
「どうしたんだ?とても嬉しそうだ」
「姉が結婚するのです。今日手紙が届きました!」
「そうなのか?」
「ええ!」
 答える声も歓喜であふれている。よほど姉が好きなのだと快斗にもわかった。そして、月姫の国の話を初めて聞いたのだと気づいた。
 国の特産、お茶や菓子は出してくれるから知った気になっていた。もっと聞きたいと思ったが、果たして聞いていいのだろうか。
 後宮に住まう人間には個々に事情がある。話したくないことは誰でもあるだろう。
「おめでとう。よかったな」
 快斗ができたのは、祝福することだけだった。
「ありがとうございます」
 だが、月姫はふんわりと笑ってくれるから快斗も嬉しくなる。
「何かお祝いを、と俺が言ってもいいだろうか。迷惑にならないか?」
 自分の立場はわかっている。
 考えて言葉にしろと言われてから、今までとは違った部分で自分は変わったと思う。国王の言葉は影響力が高いから、発言する時はちゃんと考えていたつもりだ。公の場では、特にそうだ。一歩城内だと気を抜いている場が多々ある。
 
「お祝いなど、勿体ないです。……お願いできるなら、私は姉にお祝いの手紙を出したくて、それをなるべく早く届けたいのです。お許しいただければ、早馬で」
 月姫の願いは些細だ。後宮に住む人間にとって望むことが多少難しくとも。後宮に住む人間は城外とのやり取りに制限がある。国から自分の娘のために様々なものが送られてくる事を拒否はしないが必ず検閲がある。後宮から発する場合はもっと細かい検閲がある。
「手紙を?それだけか?」
「はい。無理なら諦めます。出来る時に送ってもらえれば。侍女の使う薬草の取り寄せもお願いしなくてはなりませんし」
「薬草?……そういえば、そうだな。月姫に処方される薬草は元々国のものだ」
 我が国ですべてまかなえるとは思えない。国元から送れてくるものを拒否できないのは理由がちゃんとある。
「わかった。一言、言っておく」
「ありがとうございます。陛下」
 お礼を美しい笑顔で言われると快斗も、ほっこりとする。特別扱いというほど、たぶん何もしていない。月姫が願うことなど今回の一度だけだ。
 
 
 
 
 
「……見ない顔ね」
 月夜、いつものようの場所まで来た。すると、今まで見かけたことのない兵士がいた。
「今日から番を仰せつかりました」
 礼をする兵士に、新一は軽く頷いて広場にゆっくりと歩く。その後を志保が付いてゆき、胡弓を新一に渡した。
「過保護ね」
 その際、新一にしか聞こえないほど小さく志保が囁く。
「ほんとに」
 新一は小さく笑った。
 彼は、動けない新一のために人員を張り巡らせてくれている。さすが、クオード国の赤井家だ。思考が読めるのは、彼が自分の剣や弓や様々なことの師であるからだろう。志保同様、小さな頃から一緒に過ごしてきた。
 新一は腰を下ろし胡弓を奏で始める。志保はその楽しげな音色の原因に感謝しつつ、定番の位置へと戻る。広場の入り口、番の兵士がいるより少し新一よりに。
 3曲弾き終える時、国王が顔を出した。隣には白馬と隊長のローネイがいる。
 
「見ない顔だな」
 快斗も番をしている人間が今までと違うことに気づいた。屈強な身体付きで目つきが鋭く人相が悪い男だ。立ってるだけで圧迫感がある。
「ああ、あの時兵士の何人も傷つき、死にましたから人員を増やしたんです。それも腕が立ち信用がおけるものを選んで、先日から任務に付いてもらっています。ですから、見かけない顔は他にもおりますので、覚えておいて下さると嬉しいです」
 不審に思われたら、折角の補強が意味がなくなる。
「なるほど、そういうことですか」
 白馬も納得する。宰相である白馬は話は聞いていたが、人選は隊長に任せていた。
「ふむ。強いのか?」
 快斗の関心はそこに尽きた。あの屈辱は忘れられない。それに腕がなければ、少女を守ることなど出来ない。
「強いですよ。相当に。保証します」
 ローネイが、胸を叩く。彼の保証なら、かなりのものだろう。快斗も、そうかと頷いた。
「任せる」
 そう兵士に告げる快斗に、白馬とローネイは顔には出さず好ましい事だと笑っていた。国王は、いい意味で変わった。誰にも固執することがなく平等であることは素晴らしいことである一方、その気持ちを理解できないでは民は治められない。人間は、欲望で出来た生き物だからだ。それに、安らげる場所がないと王は孤独だ。現王の特別、寵愛を得る者とは難しかった。後宮を否定する王では望めなかったが、ここに来てそれは弱まっている。後宮というものの考えを一新させる出来事があったからだ。その根元となったのが、胡弓を弾いている少女だ。
 国王が、番に任せると人間らしく言ってしまうくらい特別だ。
 
 
 
「アンドレが入り込んでいるなんて、秀一も本気みたいだ」
 今日初めて見た番の兵士は、祖国で見知った顔だった。
「過保護の一言でしょう、と言いたいんだけど、真実難しいということなのね?腹心の一人を寄越すんですもの」
「ああ。この状況で、腕が立つ腹心をこちらに回すなんて、大丈夫なのか?」
 心配そうに新一は遠くにいる自分の師である秀一を思った。つきあいは半端なく長いから考えていることはわかっても、心配することを止められる訳がない。
 赤井家は特に情報に精通している家系で各国に有能な人間が散らばって各国の情報を集め、赤井家の本家へ報告する。それを集め、状況を見極めどうするか指示を出す。その現党首秀一の腹心はジョディとアンドレとジェイムズだ。ジェイムズは前党首の時代から情報分析が得意で信頼も厚い。彼らは情報を集めるだけでなく、腕にもかなりの力量があって秀一が危ない仕事も任せれるほどの実力を持っている。
 その一人のアンドレを新一の元へと送り込む真意は一つだ。保険であればいいが、事態は急速に動く可能性を秘めている。
「覚悟が必要かもな」
 新一はぽつりと呟く。
「そんな言葉聞きたくないわ。わかっているけど、そんな事いわせるために、あの男も動いている訳じゃないでしょう」
 新一が辛い目にあわないように、無事でいて欲しいから。だから、秀一も志保も心を砕いているのだ。後宮という籠に入れられて、自由を奪われて幸せであるなどと口が裂けても言えない。そこでの待遇や人間関係がよいのは偶然の産物であって、新一を人質として差し出したことを今でも悔いている。それしか方法がなくとも、王家に犠牲を出したのだから四家や名家からすれば、屈辱以外の何者でもない。
 たとえ、新一が自分にしか出来ない役割だからと納得し、気にしていなくても。
 
 

 事態が動いたのは、それから二ヶ月ほど経った後だ。
 
 城内がなんとも、不穏な空気に満ちてぴりぴりしている。後宮にいてもその雰囲気は漂ってくる。女性たちは敏感だ。いち早く、異変に気づいた。
 後宮にいるものは、おいそれと外界の情報は入ってこないし、内部のこともわざわざ話さないので、知るはずがない。だが、後宮にはエーランダ国出身の貴族や庶民が多かったから、国の事情に詳しいのは当然で、おおまかにだが、なにが起こっているか察していた。
「……なにが、これから起こるのでしょう」
「わからないわね。今の現状だけ見れば、ベリッカがエーランダを攻めようとしているとしか考えられないわ」
「そんなことになったら、周りを巻き込んで争いが起きるのに!」
 彰妃の嘆きに、貴妃が慰めるように背中を撫でた。彰妃は貴妃にすがるように腕を伸ばしてぎゅうと抱きついた。二人が幼い頃からの親友であると知っているため、その姿も当然のように受け入れられた。
「貴妃さま。この国はどうなるのでしょう」
 伯爵家の娘である陽姫が、心配そうに尋ねる。
「私たちには、どうすることもできないわね。心配する気持ちはわかるけど、陛下や宰相、公爵以下の貴族、兵士のみなさまを信じましょう」
「……わかりました。不安を申しました。すみません。義弟のことが気になったものですから」
 陽姫は、申し訳なさそうに頭を下げた。彼女には自分を愛した義弟がいる。国として戦う時に、まだ若い義弟が争いに出ることになるかと不安で押し潰されそうになったのだ。
「皆が不安になるのは当然です。けれど、私たちが出来ることなどほとんどありません。それなら、笑顔でいた方がいいに決まっています。何か本当に会ったときは、報告があるでしょう」
 貴妃は集まった女性たちをぐるりと見回して、微笑んだ。
 彼女にそう言われると、そういう気になるから、さすがミシンダ国の王女といったところか。
 貴妃の部屋に集まってきた姫、媛、嬪たち。後宮の頂点たる妃に意見を求め不安を消そうというのは、至極人間として当然だ。
 ここには、彰妃がいるのは必然として、特に親しい陽姫、宵姫、明姫、才媛、芸嬪、昌嬪が来ていた。
「……月姫はまた調子が悪いようで。こんな空気では良くなれるとも思えません」
 残念そうな声音で貴妃が目を伏せた。
「私も部屋を覗いて来ました。でも、寝顔しか見られませんでした。本当に、大丈夫でしょうか?」
 彰妃も、月姫のことは気になって時々様子を見に行くが、体調は気まぐれのように、良くも悪くもなる。それが、とても怖いと思う。
「あまり耳に入れたくないわね、月姫には。ただでさえ弱いのに、これ以上なんて想像するだけで、恐ろしいわ」
 貴妃の本音に、豪奢な美人である才媛も肩をすくめて、そうねと同意した。彼女も成人もしてない子供で、その上病人など勝負を挑むような相手ではない。今、国王が足げなく通っていたとしても。それに、寵愛というよりほとんど見舞いであると誰もが知っていた。
 
 これ以上、月姫に心の負担を負わせないで欲しいという後宮の女性たちの切なる願いは、だが、叶わない。
 
 





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