本日はお茶会である。 あの、話に聞いていた後宮の女性たちが開く楽しいという集まりだ。 快斗はその誘いに乗ることにした。貴妃から「お茶会を開きますが、一度いらっしゃいますか?」という手紙が筆頭女官から渡されたのだ。自分は彼女たちを知らない。勝手に自分の過去の想像を押しつけて、酷い女の巣窟なのだと思ってきた。実際は、まったく逆だったのに、知ろうともしなかった。反省もあり、思い切って参加すると返事をした。 部屋には大きめのテーブルがいくつもある。そのテーブルの上に色鮮やかな布が敷かれていて、花が飾られている。いくつもの茶碗には琥珀色の液体が湯気と香りがゆったりと上っている。菓子もいくつか用意されていて、胡桃などが入った焼き菓子、林檎などを焼きクリームの乗せた菓子、干し果物がいっぱい入ったケーキ、砂糖漬け各種、蜂蜜漬け。 たくさん並んでいる。 貴妃と彰妃が先頭に立って用意したのだろう。それぞれが、報告している。 快斗は、ゆっくりとその間に入った。 「いらっしゃいませ、陛下。どうぞ」 椅子を勧められて快斗は座る。部屋中を見回して誰もが笑顔で楽しそうだ。その事実に、本当に己はなにも見ていなかったのと実感する。 貴妃が快斗の茶碗にお茶を注ぐ。 「どうぞ」 「ああ」 快斗はそれを飲んだ。芳醇な香りとわずかな甘みを兼ね備えたお茶だ。昔はどんなお茶でも関心などほとんどなかったが、最近はお茶の味をよく感じる。国王である自分が食事の時に一級品を提供されていないはずがない。絶対に、美味しいものを飲んできたはずだ。それをいままで感じていなかっただけだ。 「美味しいな」 快斗が感想を述べると貴妃は微笑み横にいる彰妃に視線をやる。彰妃も軽く頷いて、快斗に菓子の乗った皿をおいた。 「どうぞ。お菓子です」 「ああ、もらおう」 快斗は焼いた林檎にクリームがかかったものを口へ運ぶ。租借して食べる。 酸味のある林檎が焼かれて甘みを引き出され、クリームが微妙に調和していて、なかなか美味だった。 「うん。美味しい」 快斗が告げると、彰妃はほっと安堵の笑みを浮かべた。周りにいた女性も、よかったという顔で、笑いあっている。そして、皆が自分の席に座り茶会が始まった。 美味しいお茶とお菓子の威力は大きく、女性たちは楽しそうに会話をしている。国王がいることには、すでに緊張はない。最初は、国王に食事を出すという当たり前だがかなり気を使っていたが、快斗が美味しいと答えたのを機に、女性たちはいつもの雰囲気へと変えた。 誰も、国王に取り入ろうという意志がない。まるで来客を迎えた程度の関心と気遣いで、快斗はかなり居心地がよかった。多少は疲れるのかと、覚悟はしていたのに。 きっと、月姫のところで慣らされたのだ。その月姫は、少し離れた場所に座ってお茶を飲んでいる。月姫が元気でお茶会に参加しているのが、嬉しいのか周りが声をかけていた。騒がしくせず、月姫の体調を気にしながら話しているのを遠目に見やり、快斗は思った。 自分が、こういう場で自由に動いたら、やはり問題なのだろうか。誰かの横に行ったら、驚かれるだろうと予想は付く。あの後宮に関心などない王だ。もしかしたら、珍しいものを見たという顔で観察されるのか。あり得そうである。 快斗は、再びお茶を飲んだ。二杯目はまた別のものを入れてもらった。今度は香茶だ。味はふうつだが、ほのかに甘い香りがする。 今度白馬にも見せてやりたい気になる。 後宮のお茶会がこれほどまでに、和やかなものだなんて、きっと誰も信じないに違いない。だが、あいつにこのお茶は勿体ないか。自分と同じように、それほど拘わっているとも思えない。それとも、家では茶に興じているのか。考えただけで、気持ち悪いな。 快斗は大変失礼なことを考えつつ、お茶を飲む。 何かをぼんやりと考えながらお茶をする習慣は自分にはなかったものだ。 快斗が感じるよりかなり時間が過ぎた時。 「月姫……!」 悲鳴と共に、倒れる月姫の姿が目に入った。快斗は立ち上がって大股で近づき様子を見るようにしゃがんだ。 「どうした?」 気を失っている月姫を認めて側にいた女性に快斗は聞いた。 「突然、倒れたのです。少し怠そうだとは思っていたので、心配していたのですが」 「陛下。こういう時もあるのです。……ほら、侍女の方が待っていますもの。きっと多少の無理はして来てくれたのですわ」 部屋の入り口に月姫の侍女が立っていた。快斗も理解する。そして、月姫を抱えあげた。軽い。そして、細い。自分の腕にかかる重みが少なくて、怖くなる。快斗はそのまま部屋を横切って侍女のところまで歩いた。侍女は心得たようで、先に立って歩き出しだ。快斗は振り返らずにそのまま茶会を後にした。 「「「「……」」」」 その後ろ姿を見送って女性たちは無言になった。そして、貴妃が代表して呟く。 「陛下は月姫がかなり気になるご様子ね」 「そうね。……亡くなったお母様に重ねていらっしゃるのかもね」 応える彰妃は、少し顔を曇らせている。 「陛下のお母様?」 「ええ。この国の貴族の間では有名な話なのよ。ねえ、知っている方もいらっしゃるでしょう?」 彰妃の問いかけに、貴族の娘たちは頷いた。 「陛下のお母様、前王妃様は王の寵愛を得た方だった。侯爵家の方だったから王妃素質は十分にあった。そして子供を身ごもった。けれど、後宮の女性たちは許すことができず、王妃さまに毒を盛ったと聞いているわ。子供共々殺す気だった。それに気づいた王妃さまは、わずかでも安全な食べ物でどうにか栄養を取り、王子を産み落とした。でも、その後身体をすっかり弱くして、寝たきりになられた。王子が幼い頃、命を狙われて、その時一緒にいた王妃様が、王子をかばって亡くなったそう。それから、陛下は後宮を憎んでいると聞いていたの。ここにまったく姿をお見せにならないから、噂は真実なのだ、わかったの」 長々と彰妃は話して悲しげな微笑を浮かべた。妃の一人である自分がやるべきことを理解しているから、普段は自分から多くを話すことはしないが、知ることを語ったのだ。 もちろん、話を聞いていた他の女性たちも語られる内容に、しんと静まり返った。 噂として聞いていても、それが本当だと目の前で見せつけられると、同情してしまうのが女の性だ。 「それなら、お母様を重ねているでしょうね。あれほど身体が弱いと」 貴妃も納得と頷いた。 死んでしまった母親と重なるほど、儚い月姫は国王の目にどう写っているのだろう。もし何かあったらと怖くてしかたないのかもしれない。すぐに抱えて行ってしまった後ろ姿からもよくわかる。 「きっと、月姫まで儚く逝ってしまったら、陛下の心は今度こそ壊れてしまうわ」 彰妃がそう心配そうにもう誰もいない部屋の入り口を見た。 「……そうね。二度は堪えられないわ。特に陛下のような方には」 貴妃は彰妃に同意して、淡く笑った。 「そうならなように、祈るこしかできないけれど。月姫まで失ったら陛下は孤独ですもの」 王とは孤独なものだ。 それを王女の貴妃は知っている。 その場にいた女性たちが、思わず月姫とそれを大事そうに抱えた国王を思い浮かべて、祈った。 「新一。国から届いたわ」 本国から定期的に送られてくる物資。本に衣類、お茶、お菓子。志保用の薬草各種。手紙も添えられてある。 手紙をまず読む。手紙は誰が読んでも問題ない内容ばかりだ。検閲が入っても大丈夫なように工夫してある。 「……え?ほんとか?」 新一は手紙を読み進め、驚いて次に笑顔になった。 「どうしたの?」 「蘭が結婚する。相手は、本堂家の瑛祐だ」 「まあ!ついに」 「少し頼りないところもあるけど、蘭にはあっていると思う。なにより彼は昔から蘭のことが好きだから、そういう相手との結婚ならこれほどの縁談はないな。今は若いから至らない部分があっても宰相がいるから、しっかりと見ていてくれるだろう」 新一は満面の笑みを浮かべた。嬉しくて仕方がないのだ。自分の半身が元気で幸福であることが新一の一番の幸せなのだから。 「……予定通りね。やっぱり、そうなると思っていたけれど」 女王となる王女は、四家から夫を選ぶ。将来の国王だ。もちろん、慎重に選ばなければならない。四家は赤井家、鈴木家、毛利家、本堂家である。主家の血筋にある男が選ばれるのが一番いいが、ちょうどいい年齢で男性がいない場合は分家まで広げて選定が行われる。四家の独身男性は赤井家の秀一と本堂家の瑛祐だけだった。年齢からいえば、秀一は年が離れすぎていた。瑛祐になるのは、当然の結果だった。 だが、志保は消去法で彼しかいないとわかっていた。赤井家の秀一は、蘭王女の夫には絶対になる気がない。彼が忠誠を誓っているのは新一の方だ。それは幼い頃からの付き合いが関係しているのだから、仕方がないことだった。 「返事、書けるだろうか?これなら出しても平気だよな?」 後宮に住む人間に本国から様々なものが届く。その地位が高いほど送られてくるものが多く高価だ。嬪ともなると、送られてくるものはないが、この後宮ではそんなことは問題とされない。大抵送られてきたものは、皆で分けるからだ。生地などが送られてくると、明姫のところに届けられる。明姫はその織物などでドレスを作り皆に配る。菓子やお茶があれば、皆でお茶会が催される。宝石があれば、最近細工を覚えた媛の一人が試行錯誤しながら、装飾品へと変えている。そんな風にぐるりと皆の中で上手に回る。 ただ、必ず検閲されるのだ。後宮の女性たちが何か企むなどあり得ないが、不審物や誰かと内密にやりとりしていないか調べるのが国として仕事でもある。 手紙は最たるものだ。 必ず検閲が入るといっていい。 新一がもらった手紙も誰に見られても問題のない内容だ。姉の王女が結婚するという内容を疑う者などいない。そして、返事としておめでとうと書くのも当然である。こちらか出す手紙は絶対に検閲されるが、きっと無事に届くだろう。 「大丈夫よ。きっと無事に届くわ。それに、私から今度はどの薬草を送って欲しいかの手紙も添えてもらうから、後宮として必要になるわ」 志保の医師と薬師としての能力はここで高く評価されている。彼女が持つ薬草は後宮の女性たちの生活に必要不可欠だ。 「うん。そうしよう。蘭……。幸せになってくれ」 新一は目を閉じて半身を思った。 そして、次にいくつある本をぺらぺらとめくりやがて一つの本に挟んであるしおりを取り出した。その美しく作れたしおりを新一は分解し始めた。紙の部分を順番に広げていくと、そこには手紙があった。 赤井家の秀一から寄せられる情報である。一族が持つ情報は正しくて早い。 新一は真剣に読み始めた。 だんだんと顔色が変わって来る。深刻そうな表情に志保も心配そうに見つめる。 ふと顔を上げ志保に視線をあわせた新一が語る内容は、あまり嬉しくないことだった。 「ベリッカが、動くかもしれないから、注意しろと」 「……ベリッカ?まさか、両国が動いたら、周りを巻き込んで激しい争いになるじゃない。今までずっと静観していたのに?なぜこの時期に?」 志保はにわかには信じられなかった。たとえ秀一の情報はほぼ間違いないとわかっていても。 エーランダとベリッカの間には三国がある。ソーラドはベリッカの真横だから、ベリッカよりであるし、ミシンダはエーランダの横で王女を後宮に入れていることからも、エーランドとの同盟は強い。二国に真下にあり、両側を大国に挟まれているから、どちらよりにもなることができず、中立を貫いている。 第一、ベリッカの位置する下方海よりはイントゥルダンがあり、エーランダの下方海側にはナディアン・ラダクがある。大国が争ったらその間に挟まる小国はひとたまりもない。それに、どこにつくかで揉めるだろう。 「まさか、こんなことになるなんて思わなかったな、4年も前のことだし」 新一が珍しく大きなため息を付いた。 「……ベリッカが動くというのは、どういう意味?あなた、まさか関係しているの?」 志保の嫌な勘がぴりぴりと感じる。秀一が知っている事実とは何だ。新一は困ったように笑って、昔話になるけどと前置きして話し出した。 「俺が、11歳くらいの時だと思うんだけど。夜、いつものように秀一に剣術を習っていたんだ。その時によって違うけど、それが終わった後に弓を撃っていた。俺も蘭も城内の隔離された庭でいろいろ励んでいたのは知っているだろう?蘭は京極家の真に、俺は秀一に付いていた。一緒にやる時もあったけど、別々に練習するこもあった。一応警備もしていたし、簡単に入ってこれる場所じゃなかったはずなのに。誰が見ていたらしくて、後でわかったことだが、それはベリッカの王子だった」 「ベリッカの王子?なんでそんな所にというか、読めたわ。読みたくないけど、その後があり得そうで怖いわ!」 志保は嫌な予感が当たって、げんなりした。 新一の美貌は幼い頃から健在だった。愛らしく美しい子供で双子は王国の宝だった。その体質と運命のため、公の場には一切出さなかった。秘密裏に育てていたから、国に双子がいることは知られていなかった。子供であっても、もし出会ったら忘れられない存在だろう。 「森からたまたま侵入したらしい。ベリッカの王子がうちにわざわざ侵入する必要なんて欠片もないから、本当だろう。俺も、誰だと思って思わず見つめたし、侵入者だから弓を撃ちそうになったしな。秀一がいち早く俺をかばって侵入者と相対して、そしたら『すみません。うっかり迷って、城壁があったので側まで来て、ますます興味が沸いたのでついここまで進んで来てしまいました』と謝る訳だ。あっけらかんと。肝の据わったヤツだと秀一が言うと、『それが取り柄のようなものです。月夜に素晴らしい姫に出会えて、僕はかなり幸運です。以後お見知りおきを』と言って去っていった」 「……で、そいつは、またやってきた?」 そうでなければ、ベリッカの王子だとはわからない。名乗っていないのだから。 「その後、正式に訪ねたらしい。近隣を回っていて、是非うちもと。稀少価値のある宝石ブルーナイトも見てみたいと言われて、無碍にはできないからと受けた。で、城に滞在している間に、探していたらしい。夜になって検討を付けて探し当てたそうだ。俺と秀一がいる場所を。その時は胡弓を引いていたような気がする。いきなり現れた人物に驚いたけど、よく見れば、いつかの侵入者だ。で、秀一は今滞在している他者が誰か知っていた。俺は公の場に出ないから伝え聞いていただけで、それがベリッカの王子なんてわかった時は、どうしようかと思った」 ふうと新一は息を吐く。 「秘密が漏れる。恐怖だ。けど、王子は他言しなかったんだ。また、今度は成人する時にっと言って去ってから秘密はいっさい漏れなかった」 「……王子、成人したら迎えに来るつもりだったのね?正式に申し込むつもりだった。婚姻を。だから、この時期……。蘭さまが結婚されると公表されたら、王子は確かめに行くものね。で、あなたじゃないと知ったら。では、エーランダに行ったのが、あなたとわかる。クオード国から人質として王女をエーランダに出したのは、隠されていることじゃなから。もしかして、王子は確かめたくてうずうずしていたのかしら?」 自分が将来を望む王女は公の場には出ないから、いろいろ確かめようがない。クオード国の王族は秘されているけど、王女がいるとわかっている人間からすれば、他よりは情報が入りやすい。クオード国の城に滞在して新一を見つけたように、きっと王女が一人ではないと空気でわかったのだろう。それに、クオード国が女系であることは、それなりには知られている。ところが、国王が死んでエーランダとの同盟のため人質として王女を出すという知らせも入っただろう。どちらかというと、ベリッカと同盟を結んでほしかったはずだ。そうすれば、人質に王女をもらえるのは、自分の国だ。 志保は、嫌な汗が流れた。 簡単に考えただけで、厄介なことになる。ちらりと志保が新一を見やると、本当に珍しく眉をひそめて難しい顔をしていた。 「ベリッカが動くとは、あなたがここにいるのがばれたということね?」 志保の確認に新一はこくりと頷いた。 「注意とはいっても、あなたはどうしようもないでしょう?」 「そうだ、俺にはどうしようもない。ここから動くこともできない。外でなにが起きているかも秀一に教えてもらわないと、さっぱり入ってこない。歯がゆいな」 沈痛な面もちで、新一は紙面をゆっくりと撫でた。公にできる手紙と、できない手紙。こうして検閲の手を逃れて新一のところまで届く情報を頼りにしていた。 「最悪の事態だけは避けたい。争いなんてまっぴらだ」 新一の言葉から発する心からの叫びに、志保の方が溜まらなくなる。安易に弱音も吐けない。泣くこともできない。 争いを避けるために、後宮にまで来ている新一だ。彼は、それを避けるためなら何でもするだろう。 「……運命とは、逆らえるものよ。避けられないこともたくさんあるけど、その中で一番だと思うものを選ぶことはできるわ」 運命を受け入れすぎている新一に志保は姉のような気持ちで諭す。きっと、志保が言う事など新一もわかっているとは、思っていても。 「うん。ありがとう。志保」 新一は素直にお礼を言った。 聡すぎる新一に、志保は平穏をせめて願わずにはいられない。幸せを願うには、運命は過酷だ。 |