「今日も?」 快斗は自分でも間抜けだと後で思ったが、ついそう口にしていた。 「今日もなんですか?」 「……別に、なんでもない」 快斗は少女になにも言えない。今晩も少女が胡弓をもって現れたと報告があったため、やはり白馬を伴いやってきた。少女がやってくるのは、絶対ではないし時間も一定ではない。少女の気の向くままにやってくるようで、まったく姿を現さない時もあると詳細を聞いていた。快斗はそれを前提として、見回る兵士に見つけたら知らせるように言い置いておいた。 「何でもないなら、何ですか?」 「何って?」 問いを問いで返す快斗に少女は眉を潜める。そして肩をすくめた。 「考えてから言葉にしなさい。あなたの頭は飾りですか?」 「……だから、そうだけど」 がつんと今日も正しい理論で自分の欠点を突きつけなれる。これほど人から遠慮もなくきっぱりと怒られることはなかった。今は国王として、昔は王子として、多少の苦言を聞くことはあってもあからさまに馬鹿だと言われることはなかった。 「聞くに堪えません。だらだらと意味のない言葉を並べて、誰もがそれに付き合ってくれると思ったら大間違いです」 少女の吐く言葉は本当に快斗の心臓を抉る。 自分は国王として慢心していたのだろうか、と思い知らされる。民のことを考えて、今まで治めてきたつもりだけれど、国王に反対し否定する人物なんているはずがない。父王の時代の宰相はそれでも快斗のことを考えて、厳しいことも言ってくれた人だったが、白馬に後を譲り引退した。 白馬も宰相であり幼なじみのようなものだから気安く何でも言えるが、だからこそ改まって反対だと言われたことはない。一応、白馬が求めている王政を快斗が実行しているからだと自負はしていた。 「それで、何ですか?用がないなら、お帰りなさい」 自分は彼女に嫌われているのだろうかと思う瞬間だ。用がないなら帰れとは国王になって言われたことはない台詞だった。 自分の価値とはなんだ。一度考えるべきだろうか。 用がないのは半分正しくて半分違う。少女に会いたかった。それだけだ。それが理由になるだろうか。己の場合はならない気がひしひしとする。 それなら、明かな理由であればいい。 「剣の相手をして欲しい」 「……剣を?まだ納得できませんか?」 納得はきっと絶対出来ない。認めることは出来るけれど。 「正しい剣術で、だから剣筋が読まれやすいと言っただろう?師に会ってきた。弱点だと言われた告げたら、笑われた。そんな事を言ってもらえる相手はそういないから、大事にしなさい、だそうだ。出来るなら打ち合っておけとも言われた」 快斗はどうしても気になって自分に剣術を教えてくれた師に会ってきた。弟子に基礎を教えるのは正しい。戦いの経験もそうないから、正しい剣筋が不利に働くなんて知らなかった。師は快斗の質問にとても喜んでいた。 「……師は素晴らしい方ですね。いいでしょう。その師の願いのためなら、相手を致しましょう。剣を」 白馬に少女は剣を請う。白馬は自身の腰から昨日まではなかった剣を引き抜き恭しく差し出した。 「……これは、ずいぶん細いですね」 細身の剣は白馬が持つものよりかなり軽い。そして、たぶん少女が扱いやすい長さである。 「剣は選ばないようでしたが、本来はこの剣のような形を好まれると思いまして。僭越ながら、ご用意いたしました」 「ありがとう。使わせて頂くわ」 少女は笑った。好意には好意で返す姿を目の当たりにすると、結局は言動が跳ね返っているだけなのだ。 「では、どうぞ」 少女は細い剣を構えた。確かに、とても様にある。少女のために誂えたように似合う。快斗はそんな事も気が回らなかった自分が嫌になったが思いを振り切って腰から剣を抜いて構えた。 そして、少女に向かっていった。 結果は予想通りだった。 何日か、夜現れる少女相手に剣を交えた。話す度、厳しく指摘される事にはいい加減慣れた。直したらよくなるのだと思えば教えてもらった方がいいに決まっている。少女以外に言ってくれる人物はいないのだから。 「え?起きていて、いいのか?」 月姫の部屋を訪れるのが日課となっていた快斗である。いつも寝ている顔ばかりで、このまま起きなかったらどうしようかと不安になっていた。夜は会えるから、仕方ないのかとも思っていた。 「ええ。大丈夫です」 月姫が椅子に座っている。そして、竪琴を優雅に弾いていた。竪琴からは美しく優美な音色がぽろぽろと流れてくる。細い指先が弦をつま弾く姿は、大層目に優しい。 「よかった。顔色もいい。こんな風に元気そうな姿を見ることができるなんて思わなかった」 本心から快斗は嬉しくて微笑んだ。 「いい時もちゃんとあるのです」 月姫はそう答えて手の中の竪琴を弾く。豊かな音が部屋に響く。 それにしても、胡弓だけでなく、竪琴までこれほどの腕で弾けるのか。ひょっとして他の楽器も弾けるかもしれない。楽の才能があるものは、楽器を選ばないというし。 「月姫は、楽器が得意なのか?」 快斗が思わず尋ねた。 「得意というより、弾いているのが好きなのです。綺麗で優しくて妙なる音色を聞いていたいのです。もちろん、上手に弾ければ言うことはありません」 ふと、目を伏せながら自身の内なる心に耳をすませるように月姫は言葉にする。 「そうか。俺は楽の才能がないから、羨ましい。どうしたら、ああも素晴らしい音色が出るのか不思議でならない。同じ楽器でも俺が弾くと雑音になるのだ。習っても練習してもとんど駄目だったから、諦めた。教えてくれていた楽師も俺には才能がないようですね、と苦笑していたくらいだ」 快斗はずいぶん古い記憶を引っぱり出した。王子ということで、一通りのことは学んだんだが、誰でにも向いているものといないものがある。その最たるものが楽器だった。 「陛下にも苦手なものがあるのですね」 微笑を浮かべた月姫はまるで子供を見るように、慈愛に満ちていると快斗には感じた。自分よりかなり年下の月姫なのに。 その時、快斗ははっと気付いた。自分は彼女の年齢さえ知らないではないか。成人してないとは思うが、いったいいくつなのだ? 「月姫。つかぬことを聞くが、いくつだ?」 自分でも今更で、突拍子もないとは自覚があった。その証拠に月姫は目を瞬いて快斗を見つめた。 「私、15歳になりましたわ」 月姫の言い方から、快斗は簡単に推測する。 「……ここに入ったのはもしかして、14歳か?」 「ええ。二月前に、15歳になったばかりです。皆さんが祝って下さいました」 「……」 16歳で成人を迎えるのが一般的だ。その年齢から結婚が親からふつう許される。貴族など良い家だとその前から許嫁が決められることも多い。だが、実際年齢より前に結婚する場合も少なくない。それぞれ事情があるのだ。後宮など、その事情の頂点かもしれない。 だが、月姫はここに14歳で来た。そして、いまだ、15歳。成人していない。 つくづく、後宮とは快斗にとって潰してしまいたいものだ。そうずっと思ってきたが、ここが天国だという女もいた。ここで友人ができたいう女もいた。親友を一人にしないために入った女もいる。それをすべて否定するつもりは今はない。 「陛下。何か、私の年齢が?」 問題でも?と月姫がひたとした目で問いかけてくる。 「問題はない。否、あるというか、成人していないのだと改めて知ったから。後宮が月姫に住み心地が良ければいいと思ってな」 たまたま今の後宮は楽園のように、穏やかで明るい時間が流れているが、快斗が知る昔の後宮だったら月姫はどうなっていたことか。考えただけで、恐ろしい。 「ここは、皆さん優しくて。とてもよいところですわ。勿体ないほどです。感謝してもし足りません」 「うん。それならいい」 快斗が口出しできることなど、ない。 「そろそろ、お茶にいたしませんか?」 そこに侍女がお茶を運んでやってきた。盆には二つの茶器が乗っている。テーブルの上に二つ丁寧において、どうぞと侍女は即した。 「今日は、青茶です。北部ヘリンでしか取れない珍しいものです。お菓子は干しプランディの砂糖漬けです」 「ありがとう。どうぞ陛下」 「ああ」 月姫に勧められて快斗は茶碗を持ち上げ、一口すする。爽やかな香りもすっきりした味も口中に広がり、驚いた。薄い緑色のお茶は快斗が今まで味わったことのないものだ。 茶菓子用の干した果物の砂糖漬けを口に放り込む。甘い。果物の甘みと砂糖の甘みの2重構造だ。最初は甘すぎるかと思ったが、お茶と一緒に食べるとそれほどくどさを感じない。 「美味しいな。お茶も菓子も。ちょうどいい」 快斗が誉めると月姫は、侍女に笑いかけて再びありがとうと伝えた。侍女も微笑んで、失礼しますと盆を持って部屋を出ていった。 「お茶とお菓子を気に入って下さって嬉しいですわ。皆で開くお茶会はもっとすごいのですよ。陛下も一度いらっしゃってみれば、いかがです?」 月姫がそんな事をいうので快斗の頭にお茶会というものが刻まれた。 |