「月の女王 夜の音色 8」






 月光の下、少女は胡弓をかき鳴らす。
 久しぶりに、こうして奏でると祝福されているような気がする。気がするのではなく、確かに美しい月の光が少女を照らしていた。
 夢のように儚い音色が夜の静寂に響きわたる。
 
 
「やはり、胡弓の音色が聞こえてきます」
 白馬の呟きに、快斗ははっとして顔をあげた。
 あの少女が胡弓を弾いているという知らせを受けて、快斗は夜の道を急いで歩いた。そしてやはり聞こえてくる楽の音色に快斗は確信する。これは、あの少女だと。
 広場の入り口まで来ると護衛に立っている兵士と侍女がいた。
 快斗と白馬を認めて、兵士は敬礼をするが、侍女はちらりと視線をやってからどこか憮然とした雰囲気をもったまま、何も言わなかった。その後は、二人に興味を失ったように、主人である少女を見つめるだけだ。
「……」
 快斗は、侍女の横を通り過ぎ胡弓を奏でる少女の元へと向かった。ゆっくりと歩み寄り、少女のすぐ側まで来て立ち止まる。
 ベールを巻いているが、やはり自分が知る人物である。
 さすがに、曲の途中で話しかける訳にもいかず……そんな不作法ではない……終わる待って、表情を改めるとずっと疑問に思って聞けたなかった事を開いた。
「月姫なのか?」
「私は月姫などというという名前ではありません」
 しかし、少女はきっぱりと否定した。
「違う?」
 疑問を浮かべた快斗に少女はため息を付いた。そして、出来の悪い教え子に、諭すように答えた。
「月姫は名前ではないでしょう?」
「……名前?つまり、後宮の位だと言いたいのか?」
「よくできました。何か他に?」
 明らかに快斗は子供扱いだった。だから、快斗はつい聞いていた。
「……なぜ、そんなに強い?」
「私が強いのではないしょう?あなたが弱いのです」
「……!」
 事実だが、言われて腹が立たない訳がない。快斗は、ぎっと鋭く少女を睨んだ。だが、それを平然と受け止めて、小さく首を振られた。まるで、仕方がない子供を相手にしてるような仕草だ。
 ますます快斗は、むかむかしてくる。
 馬鹿にされる事実が耐え難い。
 国王を馬鹿にして、ただでは済まされない、ふつうならば。
 自分が弱いなんて認めたくない。認めたくないが、少女の方が圧倒的に強いのだ。
 これだけは変えられない。なんたる屈辱!
 
 ふうと少女は息を吐くと、すぐ側で待機していた白馬に向かって「剣を」と言って手を差しだした。白馬は、首をひねりつつ言われるがまま自分の剣を渡す。
 少女は細い手でそれを掴み緩やかに構える。そして、まるで女王のように告げた。
「かかってきなさい」
「……は?」
「それほど屈辱的な目で見るのなら、自分の力に自信があるのでしょう?」
「そうじゃなくて!」
「なら、何です?私と剣を交えるのが、怖いのですか?」
「そんな事、あるか!」
 国王が怖いなんて、認められるはずがない。絶対に。
 快斗は自分の腰から剣を抜いて、構えた。そして、そのまま少女に剣で向かった。
 何度か打ち合う。その度に剣の鈍い音が夜の闇に響く。快斗が力で押そうとしてもかわされる。何度も打ち込んでも、軽く受け止められ、いなされる。
 なぜだ?
 こんなに小さく細い少女のどこにこれほどの力があるのか。剣の腕も素晴らしい。兵をまとめる隊長にもきっと負けない。

 やがて、快斗は少女の激しい剣さばきに跳ね返されて、剣を落とした。
 愕然とする。
 こんなに差があるのか?快斗はどうしても納得がいかなかった。自分が一番強いなどという思い上がりは持っていない。が、それなりの剣の使い手だと自負していた。幼い頃から剣の稽古に励んでいたのに。
 少女は快斗の動揺や葛藤などどうでもいいと言わんばかりに白馬に「ありがとうございます」と言って剣を返した。
 そして、再び座り胡弓を手にして弾き出した。先ほどの立ち回りなどなかったかのようだ。
「……」
 白馬が快斗を気遣うように側に寄る。快斗はぎっと唇を噛んで背を向けると、そのまま立ち去った。白馬は少女に一礼して快斗の後を追った。
 
 後には少女の奏でる胡弓の音があるだけだった。
 
 
 
「なんでだ?」
 愕然として快斗はその場から動けなかった。
 
 快斗は翌日仕事をさっさと終えて時間を作ると月姫の部屋に向かった。もちろん、行くことは前もって告げてある。快斗としては今度こそ正体を暴いてやるという気持ちがあったことは否めない。昨夜ははぐらかされたが、あの少女は月姫に間違いない。
 快斗が扉を叩くと侍女が中から扉を開けて、どうぞと室内へ即された。
 だが、室内は静まり返っている。快斗は嫌な予感がして、侍女の後に付いて寝台まで行くが、片側の布が開けられている隙間から見えたのは眠っている月姫だった。
 白い顔に散らばる黒髪。微動だにしない寝顔は、このまま儚くなってしまうのではないかという不安を抱かせる。
 眠っているふりをしているとは到底思えなかった。そのくらいは、快斗もわかるのだ。
 なぜ、こんな状態なのだろう。
 あれは自分が見た幻なのか?
「どういうことだ?」
 快斗は侍女に問う。月姫の医師であり薬師であると聞いている。
 この嘘のような状態を説明できるのは彼女しかいなかった。
「見たままです。陛下」
「月姫がまた悪くなっているのは、わかる。この間会った時は起きあがって調子が良さそうだったのに。よくなると言っていたのに」
「良くも悪くもなるとお聞きになられませんでしたか?」
「そんな……」
 そんな事があるのか。だったら、あの姿は何だろう。
 己と剣を交え、圧倒的な強さを見せた夜の姿は?本当に幻だとでもいうのか。
「体質なのです。月姫さまは、そういう運命の元に生まれたのです」
 貴妃から、聞いたことがある。体質であって治ることはないのだと。
 運命とは、なんだ?
 運命の一頃で片づけたくない。母の辿った人生も。自分が辿っている道も。
 
 
 
 
「どういうことだ?」
 また、少女が胡弓を弾いていると報告が来て、快斗は白馬を伴って走った。確かめなければという思いでいっぱいだ。
 本当に、少女はいた。腰を下ろし優雅に胡弓を奏でている。月の光が降り注ぎ、幻想的に美しい。
 
「幻なのか?」
 思わずそう聞いていた。
「幻に見えるのなら、そうではないですか?」
 少女の答えはそっけない。が、自分の前に確かにいて、話している。これが幻であるはずがない。
「おまえは、何者なんだ?」
「……答える義務を感じません」
「俺には確認する権利がある。夜中に、後宮の女がこんな場所にいていい訳がないだろう?その身分を確かめるのは、当然義務であり権利だ」
 まともに相手をしてもらえない快斗は理論で攻めた。快斗は決して間違っていない。それを今まで正さなかったのは、この少女を知る人間の温情だ。
「権利であり義務ですか?……私は人に支配される覚えがありません。まして、自分より弱い人間になんて」
「……!」
 快斗はかっとして少女の腕をぐいと掴んだ。
 細い。自分が少し力を込めたら折れそうだ。そして軽い。間近で蒼い瞳とかち合う。少女は、不愉快そうに顔をゆがめると「離しなさい」という。快斗が離せないでいると、見下ろされるような視線を送られ、どこにそんな力があるのか、振り払われた。
「権利を振りかざすのは構いませんが、それに伴う義務、礼節や公正さ様々なものが必要不可欠です。間違っても力ずくでどうにかしようなんて、人間として劣っていますね」
「……」
 ぐうの音も出ないとは、このことだろうか。
 自分はこの国を治める王だ。だが、少女はまるで世の摂理に生きていない女王のようだ。
「剣をお取りなさい」
「……え?」
「男なら、何か訴えたかったらそのくらいの覚悟を持ちなさい。私にも剣を」
 白馬ははいと短く答え、自分の腰にあった剣を少女にどうぞと差し出した。見守る立場の白馬としては、なんとなく少女がしたいことがぼんやりとわかってきた。
 これは、感謝していいことだ。
「さあ、いらっしゃい」
 言葉は丁寧だがほぼ命令に近い少女の言葉に、快斗は大きく息を吐いてから剣を抜いた。そして、構えて思いきって飛び込む。切っ先は鋭く突くように、ぶれないように注意して。
 身軽に避けられ、今度はぐいと力強く突かれる。身体を素早く横にどけて、その瞬間斜めに剣を振り下ろす。剣で受け止めるギンという鈍い音がして、はじかれる。
 快斗は間合いを取った。少女はそんな快斗を観察する視線を送ってくる。少女にとっては児戯に等しい行為なのかと思うと、羞恥と屈辱で居たたまれない。
 快斗は、力一杯睨み付け気合いを入れると、足を踏み出した。迅速に、受け止られることを前提に剣を何度も突き出して、少しでも相手の乱れを狙う。簡単に誘いに乗ってくれるとは思えないが、闇雲に振り回しても意味はない。
 快斗は軸足を蹴って、今できる精一杯に突きを繰り出した。ガツンと音を立てて、快斗の手から剣が落ちる。
 ああ。またか。快斗は落ち込みたくなる。その姿を見せたくないが、どうしても平然としてはいられない。こんなことで動揺していたら、国なんて治めるられるか。
「とても正しい剣術です。師は基礎をしっかりと学ばせる方だったのでしょう。でも、だからこそ、相手に剣筋を読まれやすい。つまり、素直過ぎるのです。駄目ではありませんが」
「……は?つまり、それが弱点なのか?」
 快斗ははっとして顔をあげた。弱点を知ることができれば、自分は確実に強くなれるはずだ。
「弱点とはいえません。あなたが各国をめぐる旅人なら山賊や荒くれ者とやり合う必要がありますから、どんな手をしても勝たなければなりませんが、そうでないのなら部下に任せておくべきでしょう。自分から争いに手を出すなんて愚か者のすることです」
「……」
 少し浮上した快斗を少女はやはり女王の威厳で突き落とす。
 その口から出る言葉の数々は正しすぎて、一々快斗の心に突き刺さる。いくつも傷を作って血が流れる。けれど、血を流すのを止めたら自分はおそらく独裁者に成り下がる。
 部下や誰かの諫言を聞けない国王になんてなりたくない。どんなに腹を立てても、侮辱だと感じても、甘言だけを聞き自分を立ててくれる部下に囲まれる趣味はない。
 黙った快斗に興味を無くした少女は乱れたベールをなおして、再び腰を下ろし胡弓を引き始めた。その姿と音色をぼんやりと眺めてから、快斗はその場を後にした。白馬も一礼して「ありがとうございます」と言い置いて快斗を追いかけた。
 
 
 
 
「……なんでなんだろうな」
 寝台で眠る月姫を見ながら快斗は呟いた。
 昨夜も胡弓を弾いて、剣を交えて、散々に言われたのに。予想通り仕事を片づけて来てみれば、白い顔で寝ている月姫がいた。昨夜の雰囲気はまるでない。
 月の下で見る少女と、日の下で見る月姫はまるで存在が違うのかと疑いたくなるほど、外見は同じでも中身が別のものだ。そう、器だけ同じで中の人格が違うような、不思議な感じだ。そんなことはあり得ない。否、自分が知らないだけで、どこかにそんな人間がいるかもしれない。快斗は自分でも思考が少々おかしい自覚があったため、大きなため息を付いて気分を切り返える。
「陛下。何か飲まれますか?」
 侍女が声をかけてきた。
「ああ。いや。すぐに失礼する」
「さようですか」
 快斗の答えに侍女は余分なことは話す気がないのか、すぐに黙った。快斗は、結局、問うことができる相手の侍女に聞いた。
「なあ。月姫は、本当にどうにもならないのか?」
「これも体質です。運命なのです。陛下にはおわかりになりませんか?」
 簡素な答えは同じ答えを繰り返すだけだ。
「……体質?」
 だが、また聞いた「体質」という言葉。体質だから病は治らないのだと思ってきたが、違う意味なのか?なにが運命だって?俺だとなぜわかる?夜のことを踏まえて言っているのか?
 問いつめたいが、侍女絶対に主の秘密を割らないだろう。本人に聞く以外ない。ただ夜の姿で問えるのかと聞かれれば、まったく無理だろう。その少女には勝てない。口も腕も自分よりずっと上等だ。
「……また、来る」
 快斗はそう言い置いて、去った。
 
 









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