「一同、陛下をお迎えできて光栄ですわ」 「本当に。ご尊顔を拝見できる日が来ようとは夢に思いませんでした」 王妃候補筆頭と世間から言われている女性二人は、大層仲が良さそうに寄り添って穏やかにそう挨拶した。 快斗と白馬が後宮へとやって来れたのは、侵入者が現れて10日ほど経った後だった。侵入者の調査だけでなく各方面への警護の調整や普段の仕事に、ちょうど豪雨が降った地域からの被害の報告があってその指示にと二人は大忙しだった。 そして、筆頭女官に「後宮の女性をすべて集めよ、自ら挨拶する」と指令を出して実現したのが今日だった。 後宮などに足を運びたくないが、仕方ない。白馬を伴って女性たちが集まっている広間に行けば、そこには二人の想像を越えた世界が広がっていた。ここはどこだ?と疑問に思ってしまっても仕方ない。 後宮の主たる陛下がやって来るというのだから、普通女性たちは豪華に着飾り己を売り込むために媚びを含んだ目で見られるのだと快斗は覚悟していた。上下関係があり、隠していてもそこには女性の嫌な部分が見えるのだと、人を蹴落として自分がのし上がるのだという意気込みのようなものがあるのだと、勝手に思い込んでいた。 それが、どうだ。 女性たちは着飾ってはいるものの、特別豪奢な感じはしない。ここで一番身分が上である女性二人と平民出身だろう女性との待遇の差が歴然とは存在しない。 多くの女性が並んでいるというのに、誰もが仲が良さそうだ。後ろに控える女性の誰もが自分を認めてもらおうという気が欠片も漂ってこない。ただ、顔も見たことのない珍しい国王を間近にして、「これが国王か。初めて見た」という感想を持っているのだとありありとわかる表情や目をしていた。 おかしい。 ここは後宮だ。 なのに、女性一同、国王に男としての興味が全くないのはどういうことだ。 視線からわかる。彼らは、自分に特別愛情を求めていない。寵愛など欲しくないのだと伝わって来る。 快斗の動揺を感じ取った白馬も同じように自分も激しく動揺しているため、少し黙っていた。宰相である自分が国王である快斗より先にここで口を開いてはいけない。 「……二人は仲がいいのか?」 ひとまず、目の前にいる女性二人に快斗は質問した。事実を知るためにはこの二人に聞き筆頭女官との話をあわせなければならない。嘘を付く必要など感じられないけれど。 「私たちですか?」 「そうですね、かれこれ十年以上の付き合いですわ」 二人は顔を見合わせてころころと笑った。 「……十年?」 聞き捨てならないことをこの耳で聞いた。この後宮は快斗が国王になってから女性が集められた。つまり、それ以上前からの知り合いだというのか? 「そうですわ。私、貴妃はミシンダ国の王女です。ですが、幼い頃身体が弱かったためこの国の南にある温泉が沸くリンガによく行きました。そこで彼女、彰妃に出会いました。彼女はこの国の侯爵家の娘でしたから、遊びに来ていたのです。気があって、自然仲良くなるのに時間はかかりませんでした。それ以来親交がずっと続いて親友になりました」 貴妃はなれそめを語り始めた。 「時間が流れて、私は後宮へ上がることになりました。誰も知人がいないのは不安でした。そうしたら、貴妃が後宮まで来てくれたのです。いくら、ちょうどエーランダ国と同盟の証に王女を嫁がせようとしていても、第一王女なのに……」 彰妃が嬉しさと申し訳なさが混じった表情を浮かべて、薄く笑う。 「だって、心配だったのよ。あなた人見知りだから。後宮に一人でなんて暮らせる訳ないでしょう?私はいいのよ、別に。どうせどこかに行くならば、あなたと一緒がいいわ」 にこりと朗らかに貴妃が笑う。彰妃が大好きなのだと伝わって来る。 明るい波打つ茶色の髪に緑の瞳を生き生きと輝かせている。性格もかなりはきっぱりとしていると表情と語り口からわかる。 その一方彰妃は焦げ茶色の長い髪を結い、優しげな黒い瞳を伏せる様は貴妃が知るように人見知りなのだろう。 二人の関係性がよくわかる話だった。 「……」 それにしても、女の友情とはすごい。驚異的だ。 親友を一人にしないため、自分も後宮に入るなど考えられない。 「そのような訳ですの、陛下。ですから、私たち幸せなのですわ」 貴妃が満面の笑みで宣言した。 「……そうか。それは何より」 それ以上、快斗に言う言葉はなかった。自分など必要ないのだとその顔が語っていた。 自分はこれでも後宮の主であるのに、立場がない。まるっきり存在を否定されたも同然だった。 「それで、他の女性はどうなんだ?」 快斗の疑問は妃の背後に佇む姫、媛、嬪に向けられた。 「では、陽姫の私から。実はお恥ずかしい話なのですが、私には義理の弟があります。幼い頃に母親が死んでしまって、父親は屋敷まで引き取ってくれました。母は下級貴族の娘で伯爵家とは身分違いでしたが、私は大事に育ててもらいました。将来、どこに嫁がされても恩を忘れることなどありません。義弟も私に懐いてくれて、可愛くて本当の姉弟のように育ちました。ところが、私が成人した頃……義弟が、段々とおかしくなっていったのです。姉弟のように育っても男女の差がありますから、わからない事もあるものです。仕方のない事だと思って諦めていました。けれど、それは私の勘違いでした」 一度陽姫は言葉を切る。そして、長い息を吐いて続けた。 柔らかそうな栗色の髪と瞳をした優しい感じの陽姫は声まで穏やかだ。 「……義弟に愛を告げられたのです。ずっと前から慕っていたと言われて私は背筋が凍る思いがしました。父に恩がある身で、伯爵家を継ぐ弟の道を誤まらせるなんて!恐ろしい事です。私は、すぐに離れなければならないと思いました。そこに、後宮にあがる話が舞い込んで来て、私は是非行かせて欲しいと懇願しました。……結果、ここに私がおります。私は逃げて来たのです。義弟から。後宮にいる限り義弟に会うことはありません。これで私の事は忘れて立派な跡継ぎとなってくれれば、これ以上の幸せはありません。私は義弟として心から愛していますから」 そう言って微笑む陽姫は迷いのない決断をしたのだと伺えた。 「……幸せなら、なりよりだ」 快斗はそう声をかけた。それ以外何も言えなかった。 当たり前だが、一人一人事情があるのだ。 「……次は明姫の私が。私は普通に後宮へ参りました!子爵の娘として育てられ、教養を身に付けいつかはどこかに嫁ぐのだとわかっていました。まさか、それが後宮とは予想していませんでしたけれど。……ただ、実は私、趣味がありまして。教養で身につけた裁縫が昔から大好きで。本当は、もっとたくさん作りたかったのですが、あくまで教養の一つですから、それ以上は家では作れませんでした。ても、ここでは違います。時間はたっぷりある上に、誰も私に時間の使い方を強要しません。ついでに、衣装用の織物や生地をたっぷりともらえます!ドレスも作りたい放題です。繊細なレースにふんわりとしたドレープ。銀糸と金糸で上品な刺繍だって付けたい放題!それに、ここには美しい女性がいっぱい。私の腕が鳴ります。皆さん、私の趣味を受け入れて下さって、『こんなドレスがいいわ』と注文までして下さって。豊富な織物や染色布、上布に金銀の絹糸まで下さって、私はこれほど嬉しかったことが過去にございません!まさに、ここは私の適地!天国です!」 薄い金髪を振り乱し、水色の瞳をらんらんと輝かせ明姫は激しく力説した。 明姫の熱烈な勢いに快斗は仰け反りそうになった。圧倒された。それは黙って聞いていた白馬も同じだ。 ここは、どこだろう。二人の心中に占める問いは先ほどから変わらない。 明姫の後ろにひっそりといた女性が顔を勇気を持ち上げて、話し出した。 「宵姫です。……私はここで初めての友達ができました。引っ込み思案で、人見知りで、昔から人と上手に話すことも苦手で。両親から出来損ないだと、言われて育ちました。……身分だけは伯爵家ですから、せめて教養は徹底的に身につけるよう……言い付けられて、余計に人と交流することもなく、周りに気兼ねなく会話ができる友人一人、出来ませんでした。……ここでは、私がどんなに言葉に詰まっても、遅くなっても、笑って待っていてくれます。話すことが苦手で、人の話を聞いている方が楽で。そんな時は、お茶をしながら……いろんな、話を聞かせてくれて。私を……受け入れてくれる、んです。嬉しくて。ほんとに、ここにいられるのが、嬉しい」 何度も言葉に詰まりながら、言い切る。それは、宵姫の成長でもあるのだろう。その証拠に、他の女性たちは微笑ましげに宵姫を見守りながら、何度も頷いて聞いていた。 その宵姫の斜め後ろで悠然と立っていた女性が、つんと顎を反らして続いた。 「才媛の私は下級貴族の娘で、この通りそれなりの容姿だから昔から父親がいい身分の貴族に嫁がせようと画策していた。そしたら、後宮を募集するという話を聞いていた父親は即刻入れることを決めた。その美貌で国王の寵をもぎ取って上り詰めろというのが父親の弁です。せっかく若いし、美貌もあるから陛下の寵愛でも頑張ってみようかと思ったけれど、全くこちらには見向きもしない陛下を待つのも面倒だし、ここにいる面々と競うのも馬鹿馬鹿しいから、適当に楽しんでいますわ」 豊かで波を打つ黒髪に白い肌、薄い緑と銀色が混じったような瞳に、はっりした目鼻立ち。身体は成熟した大人の女性が持つもので、うっすらと色香も漂う。彼女は確かに本人が言うように万人が認める美人だった。 だが、不敬ぎりぎりの正直過ぎる言葉を発するほどの押しの強い性格だ。 嘘のない事はわかる。彼女は計算高い振りをして、嘘のつけない正直な人間なのだ。 だから、人から嫌われない。女性たちが受け入れている理由がわかる。 そして、背後に控えていた地味な雰囲気だが、芯の強そうな瞳をした女が一歩前に出て話し出した。 「私は昌嬪ですが、貧しい平民の出身です。兄弟も多くて、父親が死に母親一人で懸命に育ててくれようとしましたが、無理が祟って死にました。途方に暮れたところ、貴族の方が後宮へ推薦して下さると言うのです。そうすれば、兄弟を養う配金が出ます。私は大して美人でもないのに、身なりを整えて送り出してくれました。本当に、感謝に堪えません。身分は下級貴族ですが昔から村のことを大事に考えて下さる方だったのです。兄弟のことも頼んできました。一番上の弟は出来がいいので、学校にも行かせてもらえるとこの間手紙が届きました。……それに、ここの方達は私のような者にまで優しくて、私は日々健やかに暮らしております」 「……大変だったな」 「いいえ。私はとても運が良かったのですわ」 昌嬪の隣にいた女も続いて口を開いた。こちらは茶色の巻き毛に琥珀色の瞳を持つ少女で、嬪の中でも目立つ容姿をしていた。 「私も昌嬪と同じようなものです。芸嬪と申します。私は父と母を幼い頃に亡くして商家で働いておりました。成人を前にした頃、たまたま商家と縁のあった男爵様が私を養女にしたいと申し出てくれました。養女なんてなんと恐れ多いことでしょう。嫁に出す娘が欲しかったと教えられましたが、それがどうだというのでしょう。働かなければ生きていけなかった私からすれば、お嬢様の暮らしは夢のようでした。でも、夢は続かないものなのです。男爵家は取り潰されました。男爵様は特別悪事を働くような性格ではなく、実直な人でした。何かの責任を取らされたのだと噂で聞きました。私は、再び働き始めました。働くことは苦ではありません。皆が汗水垂らして働いて生きています。……そして、再び転機がやってきました」 芸嬪は思い出すように、そっと遠くを見やってから語る。 「後宮で働く女性を捜しているというのです。私は役人の目に止まりました。私のようなものが後宮にあがっても粗相をしないか心配でしたが、男爵様が娘として教養を身につけさせて下さったことが幸いしました。私が多少の心得があることがわかると、なんと嬪として後宮に上がることを勧められました。夢か嘘のようです。それが決まると私は男爵さまのところまで報告に行き、お礼を伝えました。男爵さまは喜んで下さって、私の支度金をささやかながらも置いてここまで来ました。ここでは、食べるのに困りませんから、大金は必要ありませんもの」 貧しくとも、生きている。 頭ではわかっていたはずの民の生活を聞いて快斗は何とも言えない気持ちになった。 自分は、国王として正しく国を治められているのだろうか。やれることはやっているつもりだが、何か見過ごしてきたことがあるのではないか。 快斗は知らず唇を噛みしめた。 「学のない我々に、みなさん親切にいろいろ教えて下さるのです。礼儀作法から、文字、教養、楽、刺繍、興味のあることを何でも」 「時折行う、お茶会がすごく楽しみで!」 「お茶会は奥が深くて。テーブルにかけるクロスに飾る花、お茶と茶器とお菓子。どれを選ぶか難しいけれど、面白くて!」 品嬪、充嬪、歌嬪の仲良し三嬪が少女のように、きゃらきゃらと述べた。 ここは、後宮と名前が付いているだけの別の場所だ。自分が知っている後宮とは全く違う女性が住んでいる、彼女たちの楽園だ。ここには自分は必要がない。 国王の存在意義のない後宮とは、なんて平和で穏やかな場所なのだろう。 なんて自分は思い違いをしていたのか。今までの考えを思い返すだけで、恥ずかしい。 大嫌いだと、後宮に通う通わないは自分の勝手だと一方的に思っていたが、後宮では国王を待ってなんていなかった。己なんてやって来なくても全く問題なかったのだ。その反対で、来なくていいと思っていた節がある。 快斗は長い息を吐いて、情けない思考を振り切ると気になっていた疑問を問う。 「ここにいるものが全てなのか?」 あの少女がどんなに探しても見あたらないのだ。ここにいるはずなのに。 貴妃が困ったように微笑んだ。 「一人ここにはおりません。無理なのです」 「無理とは何だ?後宮に住む女性をすべて集めるように指示したはずだ」 国王の命令に逆らうことなど、後宮でありえない。 「本当に、ここに集まることが不可能なのです。今も死んだように眠っています。いつ儚くなるか不安で心配で溜まりません。月姫は、ここで暮らせる身体をしておりません」 「……は?病気なら医師がいるだろう。ここでの生活は何不自由ないように決まっている。自由は少ないが、その分、衣類、食事、健康。それを疎かにしているのか?」 それなら、医師を変えなければならない。快斗はそう思った。 「いいえ。後宮の医師に問題など一つもありません。月姫は最初から身体が弱くて、ここに来てからそれが治ることはありません。ずっと寝たきりの時もありますが体調が良い時は一緒にお茶をしたりします。それが私が知る月姫の一番元気な時です」 「……」 どういう事だ。あの少女は、その月姫ではないのか?しかし、ここに住む女性全てを騙すことは不可能だ。 「あえるのか?」 「……会えるといえば会えます。ただ、寝ていて目を開けることもなく話もできませんが」 「それほどなのか?」 「体調の悪い時は、本当に顔色は青白く目を覚ますこともなく、今にも儚く散ってしまいそうです。食べ物もほとんど食べられないため、華奢な身体は一層痩せて細くなり折れそうで、見ているこちらが不安になります。それでも、今日はまだいい方です。今朝様子を見て参りましたから」 「……どうしたら治るのだ?治療法は?」 「ないそうです。月姫には優秀な侍女が付いています。彼女は国元から一緒に付いてきた者で医師であり薬師でもありますから、月姫のことはよくわかっているのです。その侍女が生まれもった体質だから、治療法は残念ながらないのだと言っていました」 「だが、優秀な医師なら他にいるだろう?」 後宮に出入りする特別な医師以外でも、それほど病状が悪化しているなら申請があるはずだ。後宮の女性が簡単に病気で死んだら大問題だ。管理ができていないとうことになる。第一、快斗は母親の事があったから毒殺などが行われないないように、自身が関わらなくとも健康管理は言い渡してある。 「いいえ。彼女は本当に優秀な医師です。後宮にいらして下さる医師が彼女には敵わないと認めたほどなのですから。医師としての技量や能力なら経験があるため、負けはしないけれど薬師の力は彼女が圧倒的に優秀なのだそうです。実際、私たちも世話になっております。風邪など軽いものなら、彼女に頼みます。風邪などの軽い症状でわざわざ後宮の医師にお願いするには、恐れ多くて。彼は国の医師ですからね。それも、月姫が自分だけでなく後宮の皆を看て欲しいという願いがあるから叶っているに過ぎません。そうでなければ、人様の侍女である医師に勝手に看て欲しい、などと言えるはずがありませんもの」 ただでさえ、病弱な主にずっと付き添い看ているのに、その上後宮の女性たちの願いを聞き風邪なら薬草を調合し粉薬や煎じ薬を渡してくれる。 その働きは、他の侍女など足下にも及ばないほどだ。 「そんな女がどうして、ここにいる?」 後宮は国王のためのものだ。国王を慰め、楽しませる場所だ。そして、将来その女たちが国王の子供を生む。つまり、そのくらいの体力がいるのだ。 「それは陛下が一番ご存じでしょう?月姫は同盟の人質でやってきたのです。どんなに病弱で、後宮暮らしが耐えられない身体でも国から出せる王女が一人しかいなければ、外交として拒むことはできません。たとえ、それで命を落としてもです。それが私たちの運命ですわ」 「……」 がつんと頭を殴られた気がした。 そんな事理解している。外交上、自分も人質を受け入れなければならない。将来の王妃の座を狙い、王の寵愛を請うため貴族の娘たちが大勢後宮入りを願うが、それも受け入れなくてはならない。王とは不自由だ。 だが、母のように命を落とす女性だけは見たくなかった。 今の後宮は昔とは違い、愛憎乱れ息苦しさの欠片もない。それなのに、死ぬかもしれないのにここに入れられる。 ふざけるな、と思う。 こんな場所、潰してしまいたい。 ほんの1時間ほど前と違う理由でそう切に思う。 「……あわせてくれ」 快斗の切実な響きを持った願いを、拒む者はいなかった。 「こちらです」 貴妃に案内され快斗は宮内を歩く。宮内を歩いたことなど、幼い頃の記憶しかない。その時も身体が弱った母親と少し庭園を歩いた思い出があるだけだ。母親が死んでからは、父親の側で育てられた。 随分、ぐるぐると歩き宮内でも端にある宮まで来た。これだけ別で建っている宮だ。 「貴妃です」 貴妃が名乗り扉を叩くと、中からゆっくりと開いた。 「こんにちは。月姫はどうかしら?今日は陛下をお連れしたのだけれど」 「貴妃さまには今朝も見舞って下さいまして、ありがとうございます。月姫さまは今も寝ています。……陛下には、ご命令に従えませんでした。申し訳ありません。月姫に代わりお詫び申し上げます」 やたらと丁寧に侍女が一礼した。恐縮していると態度と目で示しているが、快斗はあの夜少女に付き従っていた侍女は、この女に似ていると思った。侍女もベールをかぶっていたし、月夜とはいえそこまで人相は見えなかったが。 それは、背後にいた白馬も思ったようで、眉をそっとひそめ侍女を観察していた。 「どうぞ」 「ええ、ありがとう。さあ、陛下」 「ああ」 部屋の奥へ案内されて、寝台の横まで来ると侍女が垂れ下がっている布を引いて片側を開ける。そこには眠っている少女がいた。 目を閉じ黒髪を枕に散らして眠る姿は、どこか儚い。白い肌は全く日に当たっていないのではないかというくらい不健康な白さだ。掛け布がかけられた上からでも身体が折れそうに細いと主張していた。そう、女性らしい膨らみもないほどに、華奢で脆そうな身体だ。 「……」 目を閉じて瞳を見ることができないせいで、あの夜の少女かどうか全くわからない。あの夜の少女の剣の腕前といい鋭く美しい瞳といいまとう雰囲気は女王のようだった。 覇気のない少女を見て、姿形は似ているのにどうしてもあの夜の少女だと断言できない。この少女しか該当者がいないのに。 「少し、顔色がいいですね。寝返りもしているようですし」 貴妃が月姫の顔を横から覗き込み、瞳を和ませる。 「はい。もうしばらくすれば、目を開けてくれますよ。そうすれば、起きあがることだって出来ます。貴妃さまとお話するのを楽しみにしていましたから」 「まあ!嬉しいわ。お茶会、できればいいのだけれど」 「きっと、大丈夫」 侍女が微笑んで保証する。 「あなたがそう言ってくれると、安心するわ。そうそう、南国の果物が手に入ったの。明日にでももってくるから月姫が目覚めたら、食べさせてあげて?」 「ありがとうございます」 貴妃と侍女の会話は穏やかに進む。貴妃がいかに気にかけてこの部屋を訪ねているかわかる会話だ。 「……いつ、目覚める?」 快斗の率直な問いに侍女は答えた。 「明後日くらいには、たぶん。保証はできませんが」 「わかった」 快斗は立ち上がる。そして振り向き「目覚めたら、知らせるように」と言い置いて去っていった。 「……陛下も気にされているようです。今まで足を運ばれませんでしたから、こんな事実をご存じなかった」 快斗の背を見送って、貴妃はため息を付きながら目を伏せる。 「……人質で後宮に入る者など、今までもこれからも山のようにいます。月姫さまの身体が弱いのは陛下のせいではありません。だから、それに責任を感じる必要はないのです。月姫さまの身体がどのような状態でも、たとえ命を落としても陛下に出来る事は一つもありません。……どうか、月姫さまの事は放っておいて頂きけないものでしょうか」 志保は前方を見つめながらそう告げると、寝台で眠っている自分の主に視線を戻して小さく悲しそうに微笑んだ。 志保の意図を瞬時に理解した貴妃も困ったように瞳を揺らした。 「陛下の気持ちもわかります。きっと、事実を突きつけられ動揺したのでしょう。頭で理解している事とその目で見る事は違いますからね。……陛下が今後どのようなお気持ちになるのかははかれません。けれど、こちらにお越しになるのを拒むことはできないのです。ここは、後宮ですから」 「ええ。わかっております」 志保は、口ではそう言いながら国王の自己満足になんて付き合えないわと胸中で呟いた。 悲しいことに、ここは後宮だ。王のための宮だ。国王を止めることなど誰もできない。 「何かあったら力になるから。言ってね」 「ありがとうございます。貴妃さま」 貴妃も心優しい言葉に志保も頭を下げた。志保の目から見ても貴妃は素晴らしい女性だ。新一から、自分は寝ているだけなのだから志保の医師とての力を後宮の女性たちに使ってほしいと言われてから、志保は部屋を訪ねる女性のために薬を調合し渡してきた。そんな交流があるからこそ、後宮の女性たちは特に月姫へ好意的た。 「では、また明日」 そう言って貴妃は去っていった。 |