今日も新一は胡弓を弾いていた。 月光の中、妙なる音色を奏でる姿はとても幻想的だった。 少し離れた場所で志保が見守る。 そのまた少し離れた場所で番をする兵士がいた。兵士はハーティだ。姫の番に選ばれることが多いため、仲間からは羨ましがられている。側でこの音楽を聴けるのは至極幸せだ。 その隣には隊長のローネイがいる。 ローネイも兵士たちの仕事ぶりを見回りっていたが、曲の演奏が始まったので立ち止まって聞いている。 が、その幸せな時間がふいに破られる。 ガツンと嫌な音が少し離れた場所でしたと思うと、どすんと何かが倒れる音がする。ハーティとローネイは瞬間顔を見合わせたが、ローネイはハーティを手で制して少女の方を視線で示すと自ら異音がした方向へ慎重に足を向けた。 ローネイが窺うように不審な方へと向かう後ろ姿をじっと見つめながら、ハーティは自身の剣を腰から引き抜き侍女や少女を守るように立つ。 その様子を見ていた志保は眉をひそめて、用心深く周りの気配を探る。兵士や隊長が守ってくれようとしている事はわかっているが、それとこれは別問題だ。信用と信頼の違いだ。 「何者!」 ローネイの厳しい声と鈍い剣の音が響く。 「……ハーティ!」 せっぱ詰まったローネイの声がしたと思ったら、男が走ってきた。闇夜に埋もれるように黒い服を着た男は素早い動きでハーティへと斬りかかった。ハーティは、すんでのところで、それを避ける。だが男はすぐに剣を振り下ろしハーティの腕を斬りつける。腕を押さえ反撃しようとするが今度は肩を貫かれた。ハーティは苦しげに膝を付き、男が止めを刺そうと剣を振り上げた時、背後からローネイが現れて男に斬りかかった。 「ハーティ無事か?」 そう叫びながら、ローネイは激しく応戦する。侵入者の男はかなりの使い手だ。実際ローネイは一人倒してから戻って来た。つまり侵入者は複数だ。 何度か二人の剣がぶつかりあい、その度に鈍い音が闇の中に響く。 「隊長!」 そこに、この近くを警護して兵士のラードが駆けつけた。 「おまえは、姫を守れ」 「はい!」 ラードはローネイが侵入者を引きつけている間に少女の方へと走り抜けた。すでに、志保は新一の側まで来ている。だが、新一はまだ演奏をやめてはいない。 「……ご無事で」 ラードが新一と志保の姿を認めて、ほっと安堵しながら守るように二人の前に立ちふさがる。すらりと剣を抜き構える。 ローネイは隊長である。そして、とても強い。普段は温厚だが一度本気になると悪鬼の如く鋭く獰猛になり相手を追撃する。そのローネイをしても、相対している侵入者は強い。侵入者というより、ひょっとして暗殺者と言った方がいいかもしれない。何のために?自分が相手をしている間に他の侵入者が目的を果たしているのではないかと疑問が頭を過ぎる。 そして、悪い予感は当たる。 ローネイが激しい攻防を繰り広げいくつも掠り傷を作っていると、別の男が横を通り抜けた。 「ラード!」 ローネイは叫ぶ。男は素早く走り新一と志保がいるところまでやってきた。ラードが剣を構え男と対峙しようとするが、男の方が動きが早かった。ラードを一撃で倒す。お腹を貫かれラードが血を吐きながら倒れる。がしゃんと剣が落ちる。 漆黒の男が新一を冷たく見やる。それを平然と受け新一は落ちた剣を軽く拾うと、慣れた仕草で剣先を男にあわせた。背後に志保をかばいながら。 がつん。 新一と男の剣がぶつかる。新一はすかさず何度かやり合い間合いを取る。男も新一の強さを認識して、今度は本気の殺気を出すと素早く斬りかかった。だが、新一はそれを避けると同時に男の肩を剣で攻撃した。それを半分しか避けられなかった男は肩を負傷したが、それで終わらず男は新一へと剣を流す。わずかに新一の横を掠めた剣は新一のベールをひっかけた。はらりと落ちるベールから、少女の美しい顔が露になり月光に照らされた。 男がそれを認め、再び剣を構えた時複数の走り寄る音が聞こえた。 そして走ってきた一人の男が、剣を抜き侵入者へと斬りかかった。瞬時に振り向き侵入者は剣でそれを受ける。金属の鈍い音が響く。 侵入者は肩を負傷しているとは思えない早さで剣を繰り出し、それを男が受けるた瞬間脚で男の腹を蹴り上げた。そして数歩後退するとぴーっと口笛を吹くと、闇の中に消えていった。 腹を蹴り上げられた男、快斗は手でお腹を押さえながら侵入者が消えた方向を憎らしげ睨み、視線を新一へと向けた。 「……おまえ」 新一は快斗を無視して手にした剣を一度振って侵入者の血を落とすとそれを地面に突き刺し、背後にいた志保の安否を確かめる。 「大丈夫?」 「ええ」 快斗が唖然として新一を見やるとすぐにローネイと白馬が駆けつけた。 「大丈夫ですか?」 白馬が快斗の元へ駆け寄るのは当然だ。国王の安否が一番だからだ。しかし、快斗は自分を無視した新一を睨み付けた。 「おまえ、何者だ?」 快斗がそう問いたくなるのは、当たり前の感覚だった。 何かが起こったのだと理解した快斗と白馬がここへと走っている間に倒れている何人かの兵士を見つけた。これはまずいと速度をあげて駆け付けると、ローネイがやり合っているところに出くわした。すぐに、白馬が剣を抜き応戦する。だが、ローネイはせっぱ詰まった声で叫んだ。 「姫がっ」 白馬は顔色を変える。ついと奥に視線をやると少女が侵入者とやり合っているのが見えた。白馬は理解するのに少しだけ時間がかかった。ローネイと白馬が注視する存在を視界に納めた快斗がそちらへと剣を抜いて走った。 そこには、細い腕で少女が相当腕が立つ男と互角にやり合っている姿があった。月の光が差し込む中、嘘のような光景だった。いかにも華奢な少女が剣を自在に振るう。その度に長い黒髪が揺れ、蒼い瞳が侵入者を見下ろすように煌めく。 思わず、快斗は剣を侵入者へと斬りつけた。だが、快斗の腕ではいなされただけで腹まで蹴られた。 快斗が新一へと詰め寄ると、新一はそれを眉をひそめて手で制しまるで女王のように告げた。 「馬鹿ですか?今やるべき事は負傷した兵士の手当と、侵入者の捜索でしょう」 「……なっ」 国王に向かって不敬を通り過ぎて、罪に問われる暴言だった。だが、国王がやるべき事としては正当な指摘だった。その証拠にすぐ側に血を流して倒れ伏している兵士がいるのだ。すでに死んでいるかもしれないが、そのままにしていて言い訳がない。 「その通りです」 白馬が横から快斗の腕を引いて即した。 快斗は白馬の腕を振り払い、新一を横目に睨むとそこからすたすたと立ち去った。白馬も新一に一礼してその後を追った。 「お二人とも怪我はありませんか?」 残ったローネイが新一を気遣う。 「平気です。私のことはいいですから、負傷した兵士の皆さんを先に看て下さい。……この方も私を守ろうとして下さいました」 足下に倒れ伏している兵士を新一は悲しそうに見つめる。新一の目から見て、すでに事切れていることがわかっていた。 「こいつもあなたを守ることが出来てさぞかし喜んでいますよ」 新一はそれに切なそうに笑い、落ちたベールを拾いあげて再び頭からかぶって首に巻き付ける。 「……それでも、失われた命は戻りません」 新一は少し屈み、兵士にそっと触れた。一度目を閉じ何事が呟くと再び顔をあげて立ち上がる。 「……ありがとうございます」 新一の気遣いにローネイがお礼を言った。死者の手向けとしては十分だろう。 「それでは、気をつけてお帰り下さい」 「はい」 新一と胡弓を持った志保がローネイの横を通り過ぎて去っていった。 「腹立たしい事この上ないな!」 快斗はそう叫びながら書類を裁き、白馬からの報告を聞いている。 現在執務室には快斗と白馬しかいない。内密の話があるからと、人払いがしてあるため誰も近付かない。 「ええ、本当に。……手は動かして下さい」 「わかっている!」 快斗の手は止まらない。さっさと目を通してサインをするもの、駄目だと思うものは横に振り分ける。先に白馬が選り分けているが、快斗が見てすぐに決済してはいけないと思うものをはねるのは、二人の目を通して間違いがないようにするためだ。 これでも快斗は有能な国王だ。 部下の意見もしっかりと聞く。そして判断を下す。 税もその年の出来によって決めるし、重い課税もない。兵力に力を注いでいるが同じだけ作物にも力を入れ国は豊かになっていたから、民からも慕われている。 「……で?」 おもむろに快斗は顔を上げた。 「結論から言えば、どこかわからないとしか言いようがありません。残された死体からは身元を確認できるものはありませんでした。背格好や人相などから、ここより西の人間だとは思います。肌の色は白く、髪は茶色。背丈は普通。鍛えた肉体。私たちが見た人間は黒髪で背が高かった事から、国を特定するのは難しいかと。暗殺者並に腕が立つ者でしたし、雇われていると考えると、何を目的として厳重な城内へ入ったのか不明です。彼らに殺された兵はおりますが、途中で逃げたため他に大きな被害はありません」 「ふん。たまたま鬼とあだ名される隊長が側にいたから応戦できていた、というだけだろう。そうでなければ、邪魔な兵士を殺して目的を果たしていたかもしれない」 目的は特定できていないが。言外にそう告げて快斗は鼻を鳴らす。 「……そうですねえ。たまたま、相当の腕前の侵入者とやり合うことができた者が二人いましたから」 快斗があえて口にしなかった事実を白馬が白々しく口にした。 わかりきったことだ。 あの侵入者は隊長も白馬も快斗も敵わなかった。隊長と白馬が相手になっていた男は口笛の合図と共に身軽に消えた。 快斗も手も足も出なかった。蹴られまでした。だが、快斗は決して弱くない。 幼い頃の記憶を教訓にして剣の稽古に精を出した。白馬も同じように鍛錬した。 彼らが相手にならない侵入者を、なぜ少女があしらう事ができるのか。あんな細腕で剣を扱えるのか。否、相当慣れて見えた。 ますます謎が深まる。 「ああ、今度会ったら只じゃおかない」 彼女に正論でやり込められた快斗は、本当ならすぐに見つけ出し文句を言いたかった。 だが、侵入者について何も調査せずに少女の前に立って再び馬鹿、無能だという目で見られるのが我慢ならなかった。 それに剣の腕まで彼女から格下だと思われていると快斗は勝手に思って落ち込んだ。 一体全体、あの女は何なんだ! あんな場所で胡弓なんて弾いて、その上強いなんてあり得ない。憎らしい。 俺に馬鹿だといった、なんて不敬でふざけた女だ。 後宮の女だとはわかっている。逃げることも隠れることもできない。 なら、真正面から突き付けてやる。 「白馬。あの女をおまえは知っているんだろ?」 「いいえ。ほとんど知りません。あそこで芸術品の腕前で胡弓を奏でていること以外は」 「はあ?それで放っておいたのか?」 「私はこれでもあの音楽を愛しています。聞けなくなるなんて勿体ないでしょう?」 「……」 なんて現金なヤツだ。快斗は恨めしげに白馬を見た。 「正体なんて、どうでもよかったんですよ。兵士たちも同様です。隊長も同意見でした。あれは、月の幻。時々気紛れにやってきて胡弓を演奏して去っていく。我々人間に素晴らしい感動を残して。……彼女が後宮の主でも、否、だからこそ、皆はそっと見守っていたのです。あんなどこから見ても成人していない少女が、夜に宮を抜け出して音楽を奏でているのに、事情がない訳がない。後宮に居場所がないのか、窮屈なのか、それとも故郷を懐かしんでいるのか、理由などわかりませんが」 「……事情なんて知るか」 快斗はそっぽを向きながら呟いた。先ほどまでの苛立たしさは消沈していた。 成人していない子供が、後宮に入れられる。それは国の事情であって、快斗が望んでいることではない。外交上、快斗はそれを拒否することも出来ない。 快斗の預かり知らぬところで、後宮に娘を入れたがる貴族はとても多い。それ以外でも美しい女を献上して機嫌を取ろうとする大商人や下級貴族も少なくない。 中小の同盟国が人質として王女を差し出すこともあるが、それを拒めばその同盟国が困る上、外交として我が国の損得を考えれば快斗は承諾しない訳がない。 「……だから後宮なんて嫌いだ」 それは快斗の本心だった。 |