「月の女王 夜の音色 2」






 雅な音が月夜にこだまする。
 月光が差し込む、周りを樹木に覆われているが少し開けた場所で少女が胡弓をかき鳴らしている。ベールですっぽりと覆っているせいで、顔は見えないがその姿から少女であると推測された。
 美しい音が夜の中に消えていく。
 銀色の光がたおやかな音色を作り出す少女をまるで祝福するように降り注ぐようで、夢のように美しかった。
 
 
「いいですね」
 ぽつりと背の高い兵士が呟く。
「まあね」
 返すのは、少女に付き従っている女性だ。こちらもベールを頭から被り、おおまかな容姿しかわからないが、二十歳を越えたばかりだろうか。
「この番も、競争なんすよ。近くで音色が聴けるし。時々俺なんかの聞きたい曲とか聞いてくれるし」
 そういって、ぼんやりと兵士は胡弓を弾く少女を見やる。
 
 時々やってきて、美しい胡弓の調べを不釣り合いな場所で弾いている少女は、どう考えても後宮に住まう人間だった。通常なら会うことなど不可能なのだが、少女はそんな事お構いなしにやってくる。
 最初は、夜中胡弓の調べがどこからともなく聞こえてきて、兵士の中で幽霊が出るのかと噂になったのだ。古い城に幽霊などありそうで怖く、確かめるのにずいぶん勇気を振り絞り隊長とその部下である自分ともう一人が月夜に響く音色を探して突き止めた。
 そこには少女が胡弓を弾いている姿があった。幽霊ではなく歴とした人間だった。
 それが、後宮に住まう少女だとわかり、さすがに放置する訳にはいかず、遠くから番をするようになった。自分たちをまとめる隊長が太っ腹な人間だからだろう。少女が後宮を抜けだし……正確にはここも後宮であるし、後宮から脱走など不可能である。ただ、宮から夜侍女と二人抜け出す、という事実は普通であったらあり得ない……上に通報もせず、少女の好きにさせているのは。そうでなかったら、こんな夜中にこんな場所にいていい人間ではない。
 だが、少女は時折気さくに声を掛けてくれる。
 後宮に入るのだからある程度の身分があるはずなのに、自分達のような下級の兵士に対しての蔑みなどがない。その美貌故に平民も後宮へ入ることもあるが、少女はあまりに幼すぎた。ベールではっきりとは見えていないが、将来が待ち遠しいだろうと想像が付くほどの容姿であることは間違いない。やっぱり、相当の身分の少女だろう。
 一ヶ月ほど前は、皆でどうぞと焼いた菓子をくれた。
 いつも番をしてもらっているお礼だと言って、渡された包みには小さいながらも木の実が入った香ばしい菓子がたくさん入っていた。ちょうど後宮の周りの警護をしている自分達兵士が集う舎の人数ほどで驚きだった。
 そっと番をしている人間をしっかり個として認識しているのだ。
 ありがとうございます、美味しかったですと次に会った時にお礼を言えば、国から送ってもらったものだから、美味しいと誉めてもらえると嬉しいわと微笑んでくれた。
 隊長以下、兵士一同、再び少女の魅力に落ちた瞬間だった。
 
 
 
 
 
「陛下。そろそろ王妃の事も考えてもらえませんか?いい加減後宮へ出向いたら、どうです?」
「いやだ。誰が行くか!」
 国王にあるまじき、投げやりな言いっぷりだった。
「あのですね、あなた国王なんですよ?」
「だから何だっていうんだ?あんな場所に足を踏み入れるなんて虫酸が走る」
「……陛下」
 エーランダ国の若き国王の後宮嫌いは有名だった。
 凛々しく、精悍で笑うと柔らかな印象のある国王は若干25歳だ。父親である前国王が亡くなったため、唯一の王子である快斗が後を継いで国王となった。その見栄えのする容姿といい国を治める技量といい、若くして有能だと大陸中に名を知らしめた。
 当然、後宮へと自分の娘を入れようと思う貴族や国が多数を締め、現在の後宮にはあまたの女性が住んでいた。
 宰相である白馬は、大きなため息を付いた。国王の前だが遠慮はない。彼らは幼なじみのようなものだ。今更感がある。
「なら、青子さまでも迎えれたらいいんですよ」
 快斗が唯一気を許した相手がウッディ公爵家の青子だ。白馬同様幼なじみで、兄妹のように育った。
「青子をそんな目にあわせる訳ないだろ?」
 快斗は顔を上げきっぱりと言い切った。
「あいつはな、好きな相手と結婚するんだよ。それで、幸せになるんだ」
 その言い様は、自分とでは幸せになれる訳がないという感情が透けて見える。国王の妻は王妃となり、責任がつきまとう。気安いという理由でそんな目にあわせるには忍びないと快斗が思っていると白馬にも理解できた。
「母親のような目に絶対にあわせない。後宮なんてぶっ潰してやりたいのを我慢しているんだからこれ以上、文句はきかない」
「……」
 それ以上かける言葉を白馬は持たなかった。
 
 
 そもそも、なぜこれ程までに快斗が後宮嫌うのか、そこには明確な理由があった。
 快斗の母親である前王妃千影は人柄の優しい女性だった。些か後宮で暮らすには優しすぎた。だが、国王に見初められ子供を授かった。生まれる子供が男子なら確実にその子供が次代の国王となる。その母親ともなれば絶対的な権力が付いてくる。そう後宮の女たちが思っても無理はない。本人がそんなことを望む性質ではないなど理由とならない。
 千影はエーランダ国の侯爵家の娘であるから、王妃としての資格も十分にあった。他に近隣にある小国の第一王女がいたから、余計に風当たりが強かった。自尊心が高い王女は国王の寵愛が千影に向くのが許せなかった。身分的には低くとも、成り上がろうとする美しい女性たちも一緒になって、千影に執拗に嫌がらせを続けた。それだけなら、千影も耐え抜いたが、女たちの攻撃はついに子供まで及んだ。
 それに気づいたのは、少し後になってからだ。千影は毒を飲まされていたのだ。お腹の子を流産させるために。
 千影は、満足に食べられなくなった。それでも、食べなければ子供は生まれない。どうにかこうにか安全な食べ物を確保して、やがて王子を無事に生んだ。
 だが、千影は出産という大仕事に耐えられる身体ではなくなっていたのだ。王子である快斗を生んだ後、寝たきりとなった。それでも、千影が我が子である快斗に愛情を傾けてくれたことを快斗自身疑うことはなかった。
 そして、更なる悲劇が襲った。
 快斗が襲われたのだ。次代の国王となる王子が邪魔だったのだろう。その時、一緒にいた千影が身を挺して快斗を庇った。小さな快斗を抱きしめてその身に剣を貫かれ、赤い血が流れていくのを快斗は千影の腕の中で見ていた。動こうとしても、千影はどこにそんな力があるのかと疑いたくなるほどの細い両腕で快斗を守った。すぐに、兵が駆け寄って暗殺者を捕らえたが、その時千影はすでに事切れていた。
 幼い快斗の負った衝撃は計り知れない。
 自分を庇って死んでいった母親。自分を狙った暗殺者。
 国王は、迅速に対処した。
 千影が残した快斗を自分の側に置き、食べ物飲み物は同じにし、信頼できる侍女を付け、武術に秀でた者を側におき守った。暗殺者は処刑、暗殺を企てたものが後宮にいる女性たちであり、ほとんどのものが千影を憎み、嫌がらせをしていたこと、すべて理解した上で国王は咎めなかった。後宮を追い出すこともしなかった。ただし、二度と後宮に足を向けなかったが。
 国王は、油断ならない害虫を外に出すこと嫌ったのだ。後宮の中に押し込めておけば、おいそれと人と会うことも敵わないし、何を企てようが監視しやすい。
 快斗は父親である国王からすべて聞き、自身の身を守ることを学んだ。国王は隠さなかった。隠しても誰からともなく伝わることであったし、知っていればこそ出来ることがあるからだ。
 そして、国王が病死するまで快斗はひたすら国政を学び、武術を身につけた。
 国王が代替わりする時は、後宮は入れ替わるのが当然であったから、快斗は憎い女たちを追い出した。快斗以外子供はいなかったから、誰も残す必要はなく……王子でも王女でもいればその母親は残さなければならない……適当な金を渡せばいい。ほぼ母親の敵である身分がある他国の王女は、国に帰ることを勧めた。国内に留まってもらう方が不利益だ。
 新しい後宮にに自国や他国から送り込まれた女たちを断ることはしなかった。これも外交である。そこに通うかどうか、誰を見初めるかは国王の自由だ。誰にも文句など言わせない。
 
 
 
 
 湯浴みの後、椅子に座った新一の後ろから志保が長い黒髪に丁寧に櫛を入れていた。
 絹糸のような黒髪は、手入れすればするほど美しく滑らかに輝くから志保としても手を抜くことなどできない。自分の主を美しく保っているという事実は志保の欲求を満足させる。
 髪を滑らかにし、艶を出すために志保自ら調合したハーブを使う。
 それに、気分のよくなる香りも加えているから今のところ万全のハーブだ。
「さて、これくらいかしら?」
 志保の手の中でさらりと流れる黒髪に満足して、今度は櫛で髪を一つにまとめて後頭部で結ぶ。結んだ紐は銀糸が織り込まれたものだが、決して華美なものではなかった。
「うん、いいわ」
 志保は櫛をテーブルの上において新一の正面に周り、出来映えを確かめて頷いた。
「ありがとう」
 新一がお礼を言うので志保は笑みで返し、今度はお茶を用意する。
 クオード国から届けれたお茶は少し甘く花の香りがするものだ。これは常日頃王宮で飲まれていたもので、新一や志保にとっても馴染みがあるため、ほっと出来る代物だ。
 茶器を一度暖めてから茶葉を入れ回すように湯を注ぎ、蓋をしてしばらく待つ。
 
「はい。どうぞ」
「うん、ありがとう」
 新一は白い茶碗を受け取り、ふうふうと冷ましながら一口すする。喉からじんわりと広がっていく暖かさに、自然に息が漏れる。
 少しずつ口に運んで、新一が半ばまでお茶を飲むと、それを見計らったように志保は両手に果物を持ちながら聞いた。
「……果物、食べられるかしら?」
「うーん。少しなら」
「葡萄?小蓮路?木苺?白梨?黄桃?どれがいい?」
「白梨?」
 新一は首を傾げつつ少し迷んで決めた。
「わかったわ。これから剥くからその間にお茶を飲んでいてね」
「了解」
 新一は素直に頷き再び茶碗を持って、時間をかけながら飲みだした。その間に志保は白梨をナイフで剥き出す。白梨は芳香が豊かで、水分が多く甘みが強い。触感も柔らかくなかなか美味だ果物だ。大量には食べられない新一向きの小振りさもいい。
 志保は皮を剥き、四等分にして皿に乗せる。そして、フォークを横に置いて新一の前に置いた。
「どうぞ。これは結構いい味よ」
 立ち上がる香りから食べ頃かわかるし、剥きながら水分が溢れるように出ていたため簡単に推測が付く。
「ありがとう」
 新一はフォークで少しずつ切りながら食べる。
「美味しい!」
 にこりと満面の笑顔になる新一をみれば、それが本心であるとわかり志保も笑い返した。
 
 
 
 月夜の晩、少女が現れて胡弓を弾く。
 それは後宮の周りを警護している兵士達にとって、今は当然のように受け入れれられていた。少女は毎夜現れる訳ではなく、訪れる時は結構頻繁だが現れない時はとんと顔を見せない。気が向いた時だけなのかもしれないし、毎夜後宮を抜け出すのが難しいのかしれない。
 もちろん、兵士が集う舎では見回りの場所や当番を決める時、少女が現れている時の番役は競争が激しい。妙なる楽の音を近くで聞くことが出来るだけでなく、その光景は幻のように美しくまるで楽園とはこういうものなのかと錯覚を覚えるほどだ。
「……おまえら、なあ。今日の姫の番は、ハーティな。その近辺は、ラードとルイにアントン。わかったか?」
「「「「はい」」」」
 少女の番に決まった四人は元気よく返事をした。
 胡弓を弾く少女の警護を通称「姫の番」という。
 
 
 月光が降り注ぐ中、少女の胡弓の音色が周りの闇に溶けていく。
 今宵の曲はどこかもの悲しい響きがする。聴き覚えはないが悲しい恋の歌なのかもしれない。
 ハーティは少女がいる樹木に覆われ少し開けた広場の入り口で番をしながら、ふと思う。ハーティの前には少女の侍女だろう女性が相変わらず無口だが、主人を見守っている。
 一曲弾き終えると、ついでどこか楽しく朗らかな音色が始まって、ハーティははっとした。
 それは、さきほど少女が胡弓を抱えて現れた時に、なにか聞きたい曲はある?とハーティに聞いてくれた。ハーティは嬉しくてどきどきしながら、故郷の祭りでよく聞いた曲を告げると少女はわかったわと言って広場に腰を下ろして胡弓を鳴らし始めた。
 最初は胡弓の機嫌を聞くように歌わせてから、ハーティの告げた曲を奏でてくれたらしい。
 こうして聞く音色は、祭りで踊っていた曲とはずいぶんと隔たりがある。
 とても美しいのだ。
 ハーティは少女に会う度、彼女はこの世の者ではないのではないかと思う。月の使者と言われた方がよほど納得できるだろう。そのくらい、少女の奏でる音楽は芸術の域だ。芸術に明るくない己でも、それくらいはわかる。
 これは、自分たちが聞くにはあまりに勿体ない類の音楽だ。それでも、それを守る番ができるのだから感謝している。
 
「今日も、素晴らしいなあ」
 そこに彼らをまとめる隊長が歩み寄ってきた。
「隊長!」
「ああ。いい。なにもないか?」
「ありません」
 ハーティは敬礼しながら答えた。
 隊長は軽く頷くと、広場の少女を見やった。そして、視線は少女を見つめながら傍らの侍女へと話しかけた。
「侍女殿。……今宵は、一段と音色が冴え渡っているようだ。まる天上の調べのようだが、だからなのか、このまま月へ帰ってしまいそうに見える」
 侍女は少し視線を落とし黙って、顔をあげた。ベールで顔を覆っているため、真っ直ぐ目だけがかち合う。冷たくて怜悧な瞳だ。
「そうね。だからこそ、番をしてもらって感謝しているわ。これを侵すことなど許さない」
 抽象的だが、彼女がいいたいことはなんとなくわかった。
 そして、確かに番は役立っているのだと。これを守ると思っていいのだと。
「では、自分の力の及ぶ限り努めさせて頂きます。番をしている彼らも同じ気持ちですしね」
「もちろんです!」
 ハーティは隊長に即刻同意した。
 侍女は少し瞳を和らげて「お願いするわ」と答えた。








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