「月の女王 夜の音色 1」






「俺が行くよ」
 新一はそう宣言した。
 

 クオード国はアラクカラン大陸の中でも小国だ。北東に大国エーランダ、西南にベリッカ、その間にソーラド、ミシンダ、ギランダーといった国が位置し、その合間に小国がいくつも点在した。
 クオード国は、小国でも他国から占領されることもなく平和だった。それは、平和を好む人柄に加え現在の国王がやり手だったからだ。唯一にして最大、ブルーナイト石の産出国として、外交にも上手く利用していた。
 それが、乱れたのは国王が唐突崩御したからだ。
 当然、国王を失った国は周りの国からすれば滑降の餌食だった。どんなに残された宰相と女王が国王の穴を埋めようとしても、実際信頼と安定を支えていた国王がいないのは、大きな痛手だった。
 このままでは、クオード国が激しい争いに巻き込まれる。国土が荒らされ国民が被害を受ける。それは絶対に避けたいと女王と有能な宰相は考え、大国の力を頼ることにした。どんなに受け入れ難い事でも、それが唯一国も守る残された方法だった。
 
 アラクカラン大陸で一番の大国はエーランダだ。国土の広さに豊かな土地を有し、穀物の生産高が大陸一だ。それに加え、葡萄の実りがよく芳醇な葡萄酒の産地として有名だ。そのため、多くの商人が他国から買い付けに来る。
 そんなエーランダ国は武力も高かった。優秀な兵士を育て国境や要所に配置している。他国でも兵士を国境などに配置してはいるが、その人数と力量は比較にならなかった。
 国の豊かさと兵力がそろったエーランダ国は、現在いくつもの小国と同盟を結んでいる。同盟とは聞こえはいいば、傘下に入ったも同然だった。大国と争っても勝ち目はない。多くの犠牲を出すくらいならと、同盟を結ぶ国が後を絶たなかった。
 クオード国も、他国と同じように同盟関係を結んだ。稀少価値のある宝石ブルーナイトをエーランダ国へ献上することを約定として。
 だが、それだけでは大国と同盟を結ぶには要素が欠けている。こういった場合は、人質として王女を後宮へと差し出すのが常だった。
 クオード国の王族には双子がいた。まだ成人していないからか、ほとんど他国から存在を知られていない双子だった。未だ14歳という若さであり、公の場に出たことはなく容姿や年齢、性別を知る者はいなかった。
 
「そんな、新一!」
 新一と双子の蘭が叫ぶ。
 長い黒髪に蒼い瞳。華奢な体躯に白い肌。その顔立ちはこれから花開く前の蕾のように美しかった。
 男女差などほとんどなく、双子の容姿はよく似ていた。
「蘭を行かせる訳にはいかないだろう?おまえは将来の女王なんだから」
「でも!新一だって、同じでしょ?そんな場所に行って大丈夫な訳ないじゃない!」
「蘭、聞いてくれ。同盟を結ぶには絶対に必要なんだ。蘭だってわかってるだろ?」
「……」
 クオード国は女系の国だ。女王がいて初めて成り立つ。その夫たる国王は四家から選ばれる。
 王女は国を継ぐが、王子は別の意味で表に出てくることはない。
「新一。……こんな目にあわせてごめんなさい。許して」
 女王である有希子が涙をこらえて告げる。それはつまり決定であり覆ることがない事実だった。
 
「有希子さま。……エーランダ国の現国王は、最近王位を継いだばかりです。やっと2年でしょうか。若いが、かなり出来る国王らしく、後宮へは顔も出さないと言いいます。これは、綿密に確かめたが事実です。前国王が崩御して当然後宮は入れ替えがあったけれど、今の国王は興味もないらしく王妃候補の王女も後宮へ入れっぱなしで無視しているといいます」
 秀一は断言する。
 四家の一つ赤井家の現当主である秀一は精悍な青年だ。
 赤井家は昔から王家との繋がりが深い。特に情報に精通している家系で幼い頃から様々なことを叩き込まれる。そして、各国に赤井家の有能な人間が散らばって情報を集め、常に赤井家の本家へ報告しているのだ。
 
「……本当?」
「はい。間違いありません」
 有希子の視線に秀一は真顔で頷いた。
「そう。では、性別がばれないでいれるの?」
「おそらく。元々後宮は多くの女性が住んでいます。王妃候補の身分の高い女性から始まり、容姿の美しいもの、人質としてのもの、様々な事情の人間が存在するのが後宮ですが、ふつうでも国王に見初められるのは困難です。国の後ろ盾のある王妃候補の女性を無碍にはできない上、数多いる女性の中で目立つのは至難の業です。それに後宮はなかなか住み難い場所です。女性の競争心、嫉妬、陰謀などが絡まって自分に邪魔な人間を蹴落とそうとするのです」
「……大丈夫かしら?」
 後宮など存在しない国であり、女王である有希子には理解したくない世界である。知識としては一応知ってはいても。
「きっと蹴落とす必要性を感じませんよ。容姿はともかくとして」
「ええ、そうね。知らない人間からすれば病弱で通るわ」
 有希子はほっと安堵して、椅子に座り直した。
 ここは王妃の執務室だ。それほど広くはない作りだが調度品は品がよく、余分なものがなくすきりとしていた。テーブルや椅子は使いやすいものが選ばれていることから王妃の資質が伺えた。
 ここに集まっている人間はすべて、王家に深く関わっている者ばかりだ。そして、口が堅く王家に忠誠を誓うものしか存在しなかった。
 もちろん、大切な話し合いが行われるため部屋は厳重に警備されている。
 
「有希子さま。私がついて参りますから。ご安心下さい」
「志保……」
 医者であり薬師でもある家系の志保が微笑んだ。
「幼い頃から看てきた新一さまですもの。私か行くのが当然です。哀も最近十分に育ちましたから後は任せられますし」
 隣に立つ哀の背中を少し押して、志保は笑う。哀もはいと頷いた。
 阿笠家はすべての人間が医師であり薬師の心得を持っている。その家に生まれたら物心つく前から最高の教育が施され、成人する頃には立派な医師となる。他国には知られていないが、彼らの医師としての技量は大陸に誇るものだった。
「志保。いいのか?」
 新一が申し訳なさそうに志保を見上げた。
「当たり前よ。私はあなたから離れないわ。昔から決めていたんですもの。それに、あなたに私は絶対に必要。そうでしょ?」
「うん。ありがとう」
 常人には理解されない運命を持つ新一と蘭には、生まれた頃から阿笠家の人間が付いている。
 阿笠家の中で、天才の二つ名を持つ現党首は「博士」と呼ばれているが、その博士が幼い新一と蘭を看てくれていた。成長するに従って志保が伴われ、ついで哀が加わって双子の面倒を看るようになった経緯がある。
「大丈夫。私があなたを守るわ。これは我が一族の使命でもあるけど、私の生き甲斐でもあるんだから。あなたが美しく成長する姿が見たいのよ」
 志保の偽らざる本気だった。
 阿笠家の人間は王族につく。そして数奇な運命をたどる彼らを見守り、尽くす。自分の役割を理解した上で、彼らと共にられることを誇らしいく思う。出来るなら、運命に翻弄されようとも月のように美しく成長した姿がみたい。
「志保……。うん。そうだな」
 小さな頃から自分の運命を受け入れている新一は小さく笑った。
 
 そこにいつ皆の願いはただ一つ。
 双子の未来に幸あらん。
 
 





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