毎日怪盗から届く暗号のカード。 1週間続いた後は、時々になりカードと共に薔薇の花まで添えられるようになった。 怪盗から寄越された招待状に応じなかったから、きっと、もう、見捨てられると思っていた。折角わざわざ怪盗から歩み寄って機会をくれたのに、待ちぼうけをさせた己など嫌われるだろうと、軽蔑されるだろうと思った。嫌だけれど、覚悟していた。 それなのに。どうして怪盗は暗号で招待状を送り続けて来るのだろか。 決して招待に応じることなどできないのに、暗号を解くことを止められない。どんな内容であるのか、知れないではいられない。 ビルの屋上や、時計台の上、灰戸公園等様々な場所に夜9時から12時の間。深夜を越えないのは、あれでも配慮なのだろうか。 続けざまに送られてくるというのに、暗号のレベルは落ちない。 そこから、いかに怪盗が博識で柔軟な思考回路をしているか偲ばれる。博識であれば暗号が作成できるかと聞かれれば、答えは明らかだ。探偵である己もかなり物知りで雑学が豊富であればと、絶えず知識を貪欲に求めている。そこから事件のヒントに繋がるかもしれないのだから、知らないより知っている方がずっといいのだ。 その探偵としての視点と怪盗の視点は正反対の位置にある。 探偵は、暗号などの謎を作ることは普通しない。作ろうという意志がないせいだろうか、魅力を感じない。謎を解明することが、一番魅力的なのだ。 怪盗は謎を作る人間だ。暗号を作るどころか、本人が全て謎でできている。 そして、怪盗の思考回路は、探偵には現時点で究極の謎だった。 どうして、送り続けて来るのか。 何がしたいのか。 招待された場所へ一度も行かない探偵を、どう思っているのか。 ひょっとして、自分が行くまでずっと送り続けるのだろうか。 あの晩、逃げてしまってから怪盗は目の前に現れない。もし、逢おうという意志があれば、怪盗であればいくらでも探偵の前にひょっこり姿を現すことができるだろう。それをしない怪盗は、やはり、自分を尊重してくれているのだろうか。 あんな態度を取った自分を? そこまでして、どうして? 怪盗からすれば、たかが一探偵の様子がおかしく意味不明な言葉を発しただけだ。 確かに、気になる台詞であるし、首を傾げたくなるのも頷ける。 どういうことだ、と問いつめたいだろう。 でも。 それでも、ここまで怪盗がしてくれるようなことなのだろうか。 それほど怪盗を悩ませたのだったら、本当に申し訳ない思いでいっぱいだ。 ごめんな。ごめん。ごめんなさい。 直接言えないけれど、何度心の中で謝ったかしれない。 薔薇の花が添えられるようになって、その薔薇を部屋に飾った。硝子のコップにさした一輪の大輪の白薔薇。芳香が豊かで自室に広がる。その香りがするせいで、まるで怪盗が側にいるような気になる。 薔薇が枯れる前に届く次の薔薇、そしてカード。 忘れるつもりなのに、忘れさせてくれないモノたち。 どんなに自分が抵抗しても、心は思うように動いてはくれない。 事件の要請があり、現場に赴けば一時忘れていられる。普段自分を思い悩ます彼のことを頭から追い出せる。すべて謎を解明することに頭脳を稼働し、真実を見つける。 ただ、事件が解決すると、一気に想いが押し寄せてくるのだけれど。 まるで、心の一番奥底にある鍵の掛かる箱に仕舞ってあるみたいだと思う。鍵が掛かり誰も開けられないはずなのに、勝手に開いてしまう。鍵を持っているのは怪盗。 彼から届くカードも薔薇も、脳裏に浮かぶ白い姿も全てが鍵になって閉じこめてしまいたい心の欠片を暴き出す。 一ヶ月も過ぎれば、さすがに根負けだ。 このまま怪盗に面倒な行為を続けさせるのは、得策ではない。 彼にはやることがあるのだから。怪盗なんてものをやっている彼にこれ以上自分のことで煩わせてはいけない。 どんな結末になろうとも、覚悟を決めなければならない。 嫌悪されるか、軽蔑されるか、探偵だと思ってももらえないか。 二度と逢うこともないだろうが、彼に冷たい目で見られるのかと思うと身が竦む。 けれど、そうしてもらえば、彼は満足するだろう。もう、見向きもしなくなる。 自分の気持ちなど、言う気など欠片もなかったのに。 迷惑過ぎる言葉なんて、言わないはずだったのに。 これで、最後だと思えば勇気も出る。 今までの感謝をたくさんと、きっかけになってしまった失言の謝罪と。失言の意味を。 きっと最後になる姿を目に焼き付けておこう。 彼が添えてくれた薔薇にリボンを結んで、郵便ポストの上に置いた。 きっと聡い彼なら気づくはず。招待を受けると。その返事だと。 今回の招待状が示した場所と時間に応じると。 今日の彼からの返事は、薔薇だけ。次の招待状はない。己が置いておいた薔薇もない。 つまり、彼は正確に読みとってくれたのだ。 探偵は、その最後であろう彼からの薔薇をコップに活けて透明な笑みを浮かべた。 ******************* 眼下に灰戸公園を見下ろす高層ビルの屋上。 時刻は、11時を差し掛かる頃だろうか。 純白の衣装に身を包んだ、世間を騒がす怪盗が頭上に輝く月を見上げながら一人立っていた。 彼が、予告日でもないのにこんな場所で待つのは相反する立場にいる探偵だ。 探偵に招待状を送ったのは、怪盗で。招待を受けたのは探偵。今日は、やっと色好い返事をもらい、探偵がこの場にやって来ることになっていた。 やがて。約束の時間を30分ほど過ぎた頃、探偵はやってきた。 急いで駆け上がって来たのだろう、息が切れている。胸を押さえながら、はあはあと呼吸を繰り返している。 「ごめん、遅れた」 そして、怪盗の姿を認め開口一番謝った。 「いいえ、構いませんよ。事件だったのでしょう?」 「ああ。……でも、ごめん」 「貴方は探偵です。自分の使命を全うしてきたのですから、良いのですよ。無事に解決できたのでしょう?」 探偵は、こくんと頷いた。 大切な約束があっても、一度事件が起これば探偵はそれを優先させなればならない。事件が解決しない限り、そこから離れることもできない。思考も全てそれに費やさないとならない。 全力で向かうのが探偵の信条だ。片手間などで、事件は解決できない。 探偵は、今日の午後、馴染みの警部から要請を受けて当然のように頷いた。そして、急いで解決し怪盗に招待された場所まで走って来たのだ。 時間に遅れているのは、わかっていたから。まだ、怪盗が待っていてくれる保証などなかったのだが、彼は待ってくれているような気がして。 心臓をどきどき弾ませながら、探偵はこの場所に立っていた。 そして、今日の用件を果たすため怪盗に近づきちょうど三歩を開け、意を決したように、一度深呼吸をして口を開いた。 「おまえが、好きだ」 「……」 真剣な表情で、探偵は隠していた想いを言葉にした。 無言の怪盗に、探偵は当然の結果だろうという顔をして更に続けた。 「ごめんな。迷惑だってわかってるんだ。だから、言うつもりなんてなかった。それがお前を余計困らせたって反省している。あの時、自分でも言う気なんて欠片もなかった。勝手に口から出ていて、後から自分の気持ちに気が付いたくらいだ。……今更だけど、本当に悪かった。もう、迷惑かけないからさ」 ごめんな、と探偵は再び謝る。 無言で探偵を見ている怪盗の態度に探偵は苦笑いを浮かべると決めていた別離の言葉を発した。 「じゃあな。……それから、ずっと暗号と薔薇ありがとう」 さっぱりしたような笑顔で探偵は怪盗に背を向けた。 「……、ま、待って下さい」 怪盗は呪縛が解けたように、止めていた動きを再開させた。 好き。好き? 探偵が、自分を? まさか、本当に? キスして欲しいという言葉が気になっていた。好意くらいはあると思った。けれど、探偵が己のことを好きとは思いつかなかったのだ。そんな告白を受けるなどという状況は考えていなかった。 怪盗は焦っていた。 かなり、焦っていた。 探偵にどう答えていいか、さっぱりとわからないのだ。 呼び止めたはいいが、次の台詞が全く出てこない。 普段怪盗として誰よりも気障な台詞を囁いている人間とは思えない狼狽えぶりだ。 「……?」 探偵は、呼び止められ振り返ったが一向に話さない怪盗を不思議そうに眺めた。 「どうしたんだ?ひょっとして、文句が言い足りない?」 探偵は見当違いのことを心配する。 「違います。そうではなくて、上手く言えないのですが……」 「ああ、気にするな。おまえは悪くないから。俺が勝手に言葉にしたに過ぎない。まあ、気にするなって方が無茶か。おまえ案外優しいからな」 「いいえ。……そうではなく、本当に、どう言ったらいいのか……」 怪盗は心底困ったように、言葉を途切れさせる。 「いいさ。無理に返事をしようとしなくても。困るだろ?好きなんて言われたら。わかってるから、おまえがそんなに気にしなくていい。もう、困らせないから」 探偵はそう言って、にこりと笑う。 まるで、最後だと言わんばかりの笑みで。 覚悟を決めてしまったかのような、強烈な意志を秘めた瞳で。 「じゃあな」 探偵は手を振り、歩き出す。 怪盗は瞬時にその背中に手を伸ばして探偵の腕を掴み引き留めると、両手をで探偵を抱きしめた。 探偵は、驚愕に目を瞬かせる。 どうして、こんな事を怪盗がするのかが、皆目わからない。 なぜ、自分を抱きしめるのか。 ひょっとして、同情なのだろうか。 「離せっ」 探偵は身を捩り腕を突っ張って、怪盗から離れようとするがますます力を込められて抱きすくめられる。 「駄目ですよ。離したら、名探偵は二度と私の前に姿を現さないでしょ?」 「……」 「名探偵?……そのつもりなんでしょう?」 図星を刺されたらしい探偵は眉をひそめ唇を尖らす。 |