「百年の孤独」3



『名探偵の場合』


 1日で姿を消した怪盗。
 彼はここに居たという痕跡を何も残していかなかった………。



 小さく開かれた窓から、部屋に柔らかな風が吹き込んだ。
 レースとオフホワイトのカーテンがふわり、ふわりと揺れている間から午後の光が射し込む。
 穏やかな空気がそこにはあった。

 しかし、この部屋の主である少年はベットで寝ていた。
 高熱が続いていて、満足に動けない。腕に負った銃創は思いの外コナンの身体を蝕んでいた。抗生物質、痛み止め、解熱剤が混じった点滴を細い腕に注射針を通して受けている。絶対量が多ければ必然的に時間も長くなる。例え満足に動けなくとも、少しくらい動きたいのが人情だがベットに繋ぎ止められていてはそれもできない。食事もまともに取れないとなれば、それまで栄養剤として点滴が投与される。

 はっきりいって、もうご免であった。

 何度も針を打てば腕の血管は内出血を起こす。細い腕の内側は白くて薄い肌を通し血の色を覗かせて、見るだけで痛々しい。腕に打てなくなると手首の血管に打たれる。末梢神経になればなるほど痛いのだ。幸いにしてまだ腕で済んでいた。一度の注射針を打てば管を代えるだけで違う点滴が打てるようにしてあるからだ。
 その点、哀は腕のいい主治医であった。注射針も下手な人間が打てば限りなく痛くて、針が刺さっている間中痛みが続くことがある。哀は刺したことも感じないほど上手く腕にも負担がかからない。
 
 コナンはだるい身体の力を抜いて、目を閉じ思考する。

 怪盗が姿を消した次の日、コナンは調べられるだけのことを調査した。父親の残したデータバンクにも所持しているノートパソコンから進入できるようになっているから、過去の犯罪歴や父親独自の情報もファイルされているものを見た。それ以外も公に発表されている事などあらゆる書類を調べた。

 が、わかったことは極少なかった。





 ヨーロッパを中心として活躍していた怪盗。
 1412号という犯罪者番号からKIDという愛称で呼ばれている。
 狙った獲物は逃さず、今時予告状を出すというレトロぶりと鮮やかな手口で随分と人気がある。が、忽然と姿を消し、8年後の現在日本で再び復活した。

 以前は、絵画や宝石など多種に及んだ獲物が現在はビックジュエルと呼ばれる宝石がほとんどだ。
 純白のスーツに長いマントを翻してシルクハットを目深にかぶり、片眼鏡で素顔は誰も知らない。ハングライダーで夜空を自由に飛ぶ事ができ、いつも軽々と逃走される。

 変装、声帯模写の名人で、誰も見破れないほど。マジックは凄腕でいつも驚愕の舞台を見せる。
 「月下の奇術師」「世紀末の魔術師」とあだ名は尽きない。
 そして、盗んだ宝石は現在の所、数日のうちに持ち主に返されている。
 その、目的は何なのか、誰にも計り知れない。ただの愉快犯なのか、はたまた目的があるのか………。





 しかし、コナンは素顔のKIDの顔を見ていた。
 彼は恐ろしく若かった。
 以前対峙した時から、もしかしてと思っていたがどう見積もっても10代の若者であった。
 その事実は、ヨーロッパで活躍していたKIDではありえない、という結論を導き出す。

 それでは、偽物なのか?
 その答えも違うと断言できた。なぜなら、彼は誇りを持っていたから。
 そうでなくで、誰が予告状などという暗号を出して怪盗をするというのか?
 あのような姿で、捕まる危険性を増やしても、やりたいこととは何か?
 そこから導きだされる答えは2代目だ、ということだ。
 恐らく、初代KIDの肉親か近親者。
 現在の彼の目的はビックジュエル。

 それが彼にとって何なのか、知らない。何を探しているのかも、わからない。
 その心は彼だけのもの。
 協力者がいるのかもしれないが、彼は現場でずっと一人だ。
 一人で戦っている。

 そこに負う、罪も、責任も、悲しみも、苦しみも、孤独も、何もかも一人で背負い込むのだろう。
 だから、あんなにも優しいのだろうか?
 自分など見捨てて行けば良かったのに………。
 庇う必要などどこにもない。
 自分を追いつめて、敵対する人間を助ける怪盗がどこにいる?
 あれで命など落としたら、ただの馬鹿だろう?
 やりたいことが、信念が、目的があるのではないのか?
 貫きたい思いがあるんだろう?
 

 答えなどない。

 自分は彼のことなど何も知らないのだから。

 犯罪行為をしているのだから、恨まれることも疎まれることもあるだろう。だから、狙撃されるほど、命を狙われているのか?
 それは今回だけのこと?
 それとも以前から、続いていること?
 全く、わからない事だらけだ。
 
 皮肉気に揶揄することもあれば、驚くほどしつこく自分を現場に観誘してくる。
 口を開けば、気障な台詞を吐き、自分を庇って怪我をするお人好しで、無事だと知ると優しく微笑んだ。
 自分の知る彼はそれだけだ………。
 
 些細なことしか調べられなかったが、無理した身体は倒れてしまった。おかげで、哀にお小言を食らった。絶対安静。外出禁止。面会謝絶。パソコンも本も何もかも取り上げられて、眠るだけ。
 それでも生きているだけ増しなのだけれど。

 毎回毎回、哀には迷惑を、世話をかけて申し訳ないと思っている。反省している。
 毛利探偵事務所になど帰れない自分は、風邪、インフルエンザを引き阿笠邸で療養していることになっている。学校も当然休みだ。
 そこまで考えて、ふう、とため息が漏れた。
 
 「江戸川くん、起きている?」

 哀が部屋に姿を見せた。ドアをゆっくりと開いて、隙間から様子を見る。

 「ああ、起きてる。気分もいい」
 「それなら、いいけど………」

 顔色の悪かったコナンだが頬に赤みが差していて、哀は安心する。

 「なあ………、もし俺が狙われたのだとしたら、姿を消さないとまずいな」

 哀がコナンに近寄りベットの脇に腰掛けると、コナンは徐に口を開く。それはずっと考えていたこと。

 「そうね。でも、まだはっきりしないのでしょう?」
 「楽観視もできねえだろ」
 「組織の恐ろしさは私の方が詳しいわ、江戸川くん」

 哀は薄く笑う。
 そこにあるのは唯一の肉親である姉を亡くした悲しみを乗り越えた、強くてもろい瞳だった。

 大切な者は巻き込めない。
 誰も傷ついて欲しくない。
 迷惑をかけたくない。

 自分たちの正体を知っている人間は、両親と阿笠博士、後は服部だけだった。
 両親に協力を求める気はないが、今更どうしようもない。自分の両親であり肉親であることは変わらない。一番初めに危険にさらすことになる。
 阿笠博士は哀にとっても大切な人間で、巻き込みたくない、でも、なくせない協力者である。そして、自分たちに関わり過ぎているのだ。これ以上巻き込みたくなくても、組織は見逃してはくれないだろう。
 残るは………。

 「西の探偵さんは、どうするの?」
 「服部は巻き込めないだろ。それにあいつは結局の所、黒の組織について何も知らない。このまま知らないままでいればいい。そうすれば、組織に狙われる危険性が減る」
 「そうね………」

 哀は頷いた。

 「もし、ばれたのなら姿を消しましょう」

 そして笑顔で同意した。
 
 誰にも知られないように………。
 どこにも痕跡など残さずに………。

 その覚悟など、とうに付いていた。
 現実に移す日がいつかというだけだ。





『怪盗の場合』
 
 
 怪盗は、名探偵の元から姿を消して、現在は隠れ家に身を潜めていた。
 さすがにこの傷ではまともに動けない。
 絶対安静という小さな女医の診断は正しい。しばらく動けないだろう。

 その間、怪盗のしたことは名探偵「江戸川コナン」について調べることである。
 理由の一つは自分の素顔を見られたから。
 そこから探し出すことは困難であろうが、あらゆる不安の芽は摘まなくてはならなかった。もう一つの理由は、彼が、自分も狙撃の対象ではないかと疑っていたから。
 
 調査の結果から言えば、『謎』である。

 毛利探偵事務所に預けられている、阿笠の親類の子供であるらしい。
 けれど、阿笠には江戸川姓のそんな親類は存在しない。
 きちんと手続きはされているのに、小学校に転入してくるまでの痕跡が一切ない。
 毛利探偵事務所に預けられた経緯もおかしい。外国にいるという両親も一度現れたらしいが、定かでない。
 その後、養育費として1千万振り込まれていることも怪しいことこの上ない。

 第一、あの瞳も意志も推理力も知識も小学生が、7歳の子供が持ちえるものではありえないだろう。自分が唯一と認めた「名探偵」なのだ。

 自分を追いつめる怜悧な探偵の瞳。
 真実を射抜く、蒼い綺麗な瞳。
 眼鏡のない、素で見た瞳は惹き込まれる程に澄んでいて、KIDを魅了した。

 本当の彼は恐ろしく整った顔をした少年だ。いつもは不釣り合いで大きな眼鏡で隠している。「綺麗な少年」を「眼鏡の少年」へと。人間などいい加減なものでぱっと見で印象付ける。彼はあえて、目立たないようにしている。「変装」と自分は言ったがその推測は正しいのだろう。
 
 しかし、それだけだ。
 彼は何者なのか?
 何を隠しているのか?
 KIDにはわからなかった。

 ただ、彼はとても危うい所に立ってるような気がした。どんなに困難でも立ち続けるような気がした。例え辛い道でも、真実があればそこに歩いて行くのだろ。
 同様に自分を診察、手当した「灰原哀」とい存在も全く存在自体が不明だ………。
 コナンと同じように小学校に転入してくるまでの痕跡がない。阿笠邸に住み彼が保護者になっているが、もちろんそんな縁者は阿笠にはいない。
 あの二人は謎に包まれていた。一切の痕跡がない存在。まるで、この場にいるのが幻のよう………。あんなにも強烈な存在だというのに、だ。
 
 そして、コナンはあれから学校に姿を現していない。毛利探偵事務所にも戻っていない。気になって鳩を飛ばし阿笠邸の様子を伺うと、どうやら体調を悪くしているようだ。大したことないと本人は言っていたが、子供の身体に銃創は辛かろう。熱を出している事は想像に難くない。

 一度だけ、変装して小学校に様子を見に行くと、少年探偵団の会話が耳に入って来た。


 「コナンの奴、インフルエンザだって?」

 男の子が大きな声で聞いた。

 「移るから、お見舞いも行けないなんて………」
 「もうすぐ、良くなるわよ。すぐに逢えるわよ?」

 哀が女の子に慰めるように言う。

 「今、阿笠博士の所なんでしょ?いいなあ、灰原さんはコナン君に逢えて………」
 「ちょうど博士の所に遊びに来ていて、熱を出したからそのままいるのよ。私も移るからって逢ってないわよ。ずっと部屋にこもってるの」

 だから、私も詳しくはしらないのよ?と女の子に笑って見せた。


 それは、ある意味正しい。
 熱を出して、部屋から出られない。
 あの傷では誰にも逢えない。
 例え熱で辛くても普段なら毛利探偵事務所に帰るだろうが、傷を見られないために、阿笠邸にいるしかないのだ。保護者である少女に銃創など見せられないだろう。どうしてなどと聞かれても説明などできない。



 さて、どうしたものだろうか?
 先日の暗殺者が本当に自分を狙ったものか調べなくてはならないだろう。
 喧嘩なら買ってやるさ。
 名探偵に怪我を負わせてしまったし………。
 予告を出して、再びKIDとして宝石を鮮やかに盗み取る。
 それが自分にできる唯一の方法だ。






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