「百年の孤独」2



 「もう、大丈夫よ」

 哀の言葉にコナンはほっとする。

 「サンキュー、助かった………」

 一気に力が抜けてがくりと身体が床に沈む。

 「貴方も怪我人なんだって、わかってるの?ちゃんと自覚ある?」
 「あいつの方が重傷だろう」

 コナンはベットで寝ているKIDを一瞬見つめて眉を寄せた。



 携帯で連絡するとすぐに阿笠博士と哀は来てくれた。
 博士に運んでもらい、車で飛ばして阿笠邸に着くとすぐに哀が治療に当たった。
 コナンも腕から血を流していたが、「俺より先に」と譲らずKIDの治療を先に行った哀である。

 脇腹と腕からの出血で真っ白のスーツもマントも真っ赤に染まっていて、暗闇では目立たなかった貧血のため顔色の悪さと痛みに蒼白となったKIDの顔があった。
 脇腹は銃弾が掠めただけだが、腕は貫通していた。
 手術は免れたが、傷は酷かった。

 麻酔は効き辛いらしいが、現在は強制的に科学者である灰原哀、特別配合の麻酔薬で意識が白濁としているようだ。
 コナンは治療に当たっている間、目を逸らさずにその作業を見つめていた。
 それでも、見ていられない阿笠博士によって腕は一応消毒して包帯だけ巻いてある。駄目になった上着の替わりに阿笠邸に常備してあるシャツだけを羽織っていた。

 「しばらく目を覚まさないわ。これでいいでしょう?次は貴方の番よ」

 哀は厳しい目でコナンを見た。
 本来なら、KIDなどどうでもいいのだ。
 彼などコナンを手当してからで十分で、例えそれが命に関わろうと哀にとっては知ったことではなかった。コナンが自分より先に手当してくれ、と真剣な苦しそうな顔で頼むから、そうでないと手当をさせてくれなかったからしかたなかっただけである。

 それが終わったのだから、腕の傷を治療させてくれなければ哀としては堪らない。
 いくら掠ったとはいえ、大量に出血しているのだ。
 小さな子供の身体からどれだけ血がなくなれば、死んでしまうのかコナンは理解しているのだろうか?
 こんなにも予測のつかない毒薬で歪められた身体だというのに………。
 お願いだから、身体を大事にして欲しいと哀は思う。

 素直に頷いた、哀の気迫に押されたともいうが、コナンは向かいの部屋に連れていかれ治療を受けた。
 傷口を見て、哀は無言だ。
 丹念に消毒して、ガーゼ、包帯と慣れた仕草で作業をする。
 細い腕に白い包帯が痛々しい。

 それを隠すようにシャツを着て、柔らかな上着を羽織る。一見すれば、傷など負っているように見えない。それは彼のポーカーフェイスがそうさせるのか、弱みを見せたくないだけなのか、大した精神力だと感心する。

 「江戸川くん、それでどうしたの?」

 哀は口を開いた。
 まだ、何も事情を聞いていないのだ。

 「狙撃された」
 「で?」
 「今日はKIDの予告日で俺は奴の中継地点を割り出してビルの屋上に向かった。果たして奴はそこにいた………」

 コナンは一度目を伏せた。再び顔を上げて哀を見つめた。

 「わからない、というのが正直なとこだな。俺が狙われたのか、KIDが狙われたのか判断が難しい。まあ、KIDが狙われた可能性の方が高いだろうがな。俺をもし狙うなら、何もあの場である必要がない。いつでも機会があるんだから………。けど、もし俺のせいで狙撃されたなら、KIDはとばっちりだな」

 コナンは自嘲した。

 「貴方の方がとばっちりの可能性が高いんでしょう?これに懲りて、少しは軽々しい行動は慎んでちょうだい」
 「ああ………」

 コナンが狙われた場合の重要性は、語らなかった。
 言わなくても二人にはわかっているから。

 「怪盗さんだけど、1週間は絶対安静ってとこよ。もちろん、貴方もね?」
 「そっか。わかった」

 コナンは神妙にこくりと頷いた。




 KIDが寝かされているのは通常コナンが阿笠邸に来た時泊まっている部屋だ。ベッドと机にノート型パソコンが置かれただけの簡素なものだ。とはいえ、簡易なベットではなく、しっかりとした木材の造りの高そうな物である。コナンとしてはどんな物でも良かったのだが、この場にいる時くらいくつろげるようにとの計らいだ。もちろん、両親が口を挟んでいることは必至だった。
 コナンは眠るKIDの様子を見ながら、パソコンで黙々と作業していた。
 夜の静寂の中、滑らかにキーを叩く音だけが部屋に響く。

 「う・・ん?」

 小さな声をKIDが上げた。
 コナンはベットの側まで駆け寄り顔をのぞき込んだ。
 ゆっくりと瞼が上がり、ぼんやりとした瞳が現れた。きっとどこにいるのかわかっていないのだろう。

 「目が覚めたか?」

 コナンはそっと声をかけた。ふと、KIDの瞳がコナンを見つめた。
 意識はしっかりしているようだ。

 「灰原!!!」

 コナンは扉を開けて、哀を呼んだ。

 「はいはい」

 やがて哀がしかたなさそうに現れた。KIDの枕元にいるコナンの横に並び、

 「気分はどうかしら?怪盗さん」

 と聞くと、KIDの腕を取って脈を計り、てきぱきと診察する。
 黙ってされるがままのKIDとしては、状況がわかりかけて来たが、どうすることもできなかった。着ていた物は脱がされ、おそらく血に染まり着れた代物ではなくなっていただろうが、片眼鏡を外され、素顔を晒している。身体には治療の後があり包帯が傷口の脇腹にかけてと、左腕に巻かれていた。

 そして、診察しているのはどう見ても小学生低学年の女の子だ。
 赤茶色の髪を肩で揃えた将来有望そうな美形。けれど瞳はとても冷たく鋭い。似合わないはずの白衣を意図も簡単に着こなしている。
 そして、彼女の診察は的確だった。信じられないことだが、おそらく処置をしたのは彼女なのだろう。
 無表情で傷を見る少女の横でコナンが心配そうにのぞき込んでいた。
 やがて彼女は白衣のポケットから注射針を取り出しKIDの右腕に刺す。先に管を通して用意してあった点滴に付けて天井に下げられたフックにかけた。

 「銃創は熱が出るわ………。貴方、麻酔とか効かないわよね。一応点滴しておくけど、絶対安静が必要よ。それくらいわかってるでしょうけどね………」

 処置だけすると哀は、じゃあとコナンに言うと部屋を出ていった。
 それを見送ったコナンがKIDに向き直った。
 沈黙が落ちる。
 先に口を開いたのはKIDだった。

 「名探偵?」
 「ここは俺の知り合いの家だ。あいつは腕は確かだから安心しろ」

 コナンの返事は言わなくてもわかること。
 だからKIDはきっぱりと聞いた。

 「なぜ、治療を?警察に突き出さないのですか?」
 「泥棒は管轄外だ。それより、お前何で俺なんて庇った?」

 コナンは疑問を疑問で返した。
 ずっと気になっていたこと。
 自分が警察に突き出すことより、ずっと不自然で理解できないことだ。

 なぜ?
 あの場では自分の身が一番大切だろう?
 彼は怪盗なのだから。
 自分は彼を捕まえる立場の者。
 命の重さに違いなどないけれど、でも、彼は自分を見捨てて逃げなくてはならなかったはずなのだ。

 「自分のせいで名探偵に怪我をさせてしまいましたから………。貴方はどうですか?」
 「俺は大したことねえよ………お前が庇ったからな。そうじゃなくて、最初からだろ。お前だけなら、逃げられた。避けられたはずだ」
 「理由などないですよ。危ないとわかっていて、見捨てる程愚かではないつもりですし、身体が勝手に動いていましたから。それに、きっと名探偵も立場が違えば同じ事をしましたよ?」

 KIDはそう言って笑った。

 「無事で良かったです」

 そして安心したようにコナンを見た。それに居心地が悪くなる。

 「………お前、狙われる当てがあるのか?」
 「思い切り、思い当たりますね。こんなことをしていると、いらない反感も買いますし。邪魔な人間もいるでしょう。
 ………名探偵にも何か憂いがあるんのですか?」

 絶対的にKIDとしての自分が狙われたと思っていたが、そんな当たり前の事を聞くということは、目の前の不可思議な存在も狙われる当てがあるのだろうか?と疑問に思う。
 確かに、とんでもない小学生であるのだが………。

 「さあ。ただの小学生を狙うメリットなんか、ないだろう」

 コナンはうそぶく。

 「ご謙遜ですね」
 「謙遜なものか。俺の命なんて狙って何がある?何も変わらないだろう、こんなガキなんて殺しても………」

 ふんと自嘲するコナンにKIDは首を傾げる。

 「名探偵?」

 けれどコナンは無視をする。答える気などない。

 「灰原が言うには絶対安静だそうだ。けど、お前俺に世話になるのなんか嫌だろう………?本当なら今すぐにでも、出ていきたいだろう?でも、1日だけは我慢しとけ。身体を鍛えてるから、直りも早いらしいし。そしたら好きにすればいい………」

 コナンは点滴から流れる液体がぽとり、ぽとりと落ちる様子を見上げた。
 ゆっくりと流れる抗生物質などが入った薬は、時間をかけて身体に入れるのが望ましい。

 「私を匿うのは得策とは思えませんが?」
 「俺を庇っておいて、何言ってるんだか………」

 コナンはKIDを真っ直ぐに見た。
 二人の視線が絡まる。
 そしてKIDは、ふと気付いたように瞳を見開いた。

 「ああ、どこか違うと思ったのは眼鏡をしていないからですか………」

 どこかいつもの名探偵と違うと思っていたのだが、今まで気が付かなかったのが不思議である。トレードマークのような不釣り合いなくらい大きな眼鏡がなかった。

 「あの時、壊れたからな………」

 コナンは今眼鏡をしていなかった事に気付いたように瞳に手を翳した。
 それをKIDは真剣に見つめていた。

 「………硝子越しでない瞳は、真実が見えるようですね」
 「何が言いたい?」

 コナンは訝しげ眉間に皺を寄せた。

 「名探偵は、目がお悪い訳ではないのでしょう?先ほど眼鏡なしでパソコンも全く問題なく扱っているようでしたし、今もそうだ。眼鏡をしていないことを忘れる、ということは、もともと必要なかったということではないですか?貴方の瞳は全てのモノが見えている………」
 「………」
 「目も悪くないのに、眼鏡をしている理由は一つしかないと思いませんか?私が言うと何でが、変装ですよ。貴方が日常変装している、ということ自体おかしいことですね?」
 「………便利なだけだよ、いろいろとな。乱視も入っているし」

 コナンは小さな顎を上げて挑戦的にKIDを見た。
 その瞳は真実が映っているはずであるのに、KIDにはコナンの真意を読みとることができなかった。KIDは本当の意味で、目の前の小さな名探偵のことを知らなかった。

 「ほら、水だ。何かあったら呼べ。後で食べる物持ってくるし、食べられるなら、食べた方がいいだろう?………俺がいると嫌だろうから、他の部屋にいるし」

 コナンはこの話は終わりだと言うように打ち切り、水差しを枕元に置く。
 そして、彼には大きいだろうノート型のパソコンを畳むと抱えて部屋から出ていった。




 コナンが部屋から出てくると、哀が心配そうにコナンを見た。そして、徐に額に手を当てた。

 「やっぱり熱出してるわね、貴方。いらっしゃい」

 哀は、はあ、と大きくため息を付いて有無を言わさず腕を掴むと先ほど治療した向かいの部屋にコナンを連れ込んだ。簡易なベットに寝かせて、点滴の用意をする。
 白くて細い腕に注射針を刺して、先ほどと同じように抗生物質等が入った点滴を下げてゆっくりと流れるように調節する。コナンには殊更ゆっくりとが望ましいと思いながら、速度のつまみを調節する。

 「銃創を甘くみないで………。ご飯なら私がもって行くから」
 「ああ」

 ぼんやりとする意識の中、コナンは目を閉じた。
 すぐに睡魔に襲われ、意識を失った。
 実は睡眠薬も入っていた点滴である。哀としてはいい加減休んで欲しかったのだ。
 あんな怪盗の世話などする暇があったら、自分の身体を労って欲しいと切実に思う。



 「どうぞ、怪盗さん」

 哀はKIDの前にお粥をもって訪れた。コナンに言った手前、放っておく訳にもいくまい。

 「ありがとうございます、お嬢さん」
 「お礼は結構よ」

 冷たい言葉と態度の哀にKIDはふむ、と納得する。
 この少女は自分を快く思っていない。それは最初からわかっていたことだ。
 怪盗の自分を匿うこと自体、全く望ましくない。
 その上、コナンに怪我をさせてしまったのだ。
 おそらくそれが最大の原因だろう。彼女は関心のないことなど、歯牙にも掛けない人物に見えた。

 「貴方は医学の心得があるのですか?」

 哀は点滴を片付けて針の後にテープを張り、しばらく指で押さえている。
 KIDの質問に哀はただ見つめるだけだ。
 どう考えても、例え小学生にしか見えなくても、彼女の対処は的確で医学の知識と経験がないと到底無理なことだった。なぜなら、普通の怪我ではなく、銃創なのだから………。

 「さあ?」
 「答えては頂けませんか?」

 彼女が答える気などない事ははわかっているけれど、一応聞いてみたのだ。
 哀は、はぐらかすように微笑むけれど、目は笑っていなかった。

 「彼を庇ってくれたことは感謝しているわ。でも、危険に関わらせるのは止めて欲しいわね。私にしてみれば、貴方はただの疫病神よ………。今後一切顔も見たくないわ」

 切り捨てる、言葉と態度。
 彼女の大切なものは一つ。
 怪盗などどうでもいい、と彼女の瞳が雄弁に語る。

 「善処しましょう。けれど、私にも信念や目的もありますので、ご容赦願いたいですね」
 「貴方の事情などどうでもいいわ」
 「………そうでしょうね。けれどお約束はできかねます。一言、お礼だけ言わせて下さい。ありがとうございます」

 KIDは頭を下げた。

 「私に言う必要なんて、どこにもないわ。彼に言っておいてちょうだい。彼が連れて来なけえば、彼が願わなければ私は貴方のために指一本も動かさなかった」
 「承知しておりますよ。当然だと思います。貴方は正しい………」

 ふん、と哀は横を向いた。

 「さっさと出ていってね」

 捨て台詞のように呟くと部屋から去った。







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