グランドホテルが行う1週間だけの展覧会。 その目玉である宝石、ビックジュエル。 公開が決まった時点でKIDが狙うかもしれないと予想される獲物だった。 『醒月』それが今回のターゲットの名前である。 青みがかかった乳白色のムーンストーン。 日本名は月長石。 もともと月光には苦しんでいる人の苦しみを元に戻す効果があると伝えられてきた。その月の影響を受けるムーンストーンには「持ち主の悪魔や夜に出没する悪霊を払う」「口に含んで願いをかけると叶う」と伝えられている。 その乳光と呼ばれる柔らかな輝きと清楚な存在感をたたえる石は「月」に例えらることが多く古代インドでは「月が宿る石」聖なるジュエリーとして、ギリシャでは「セレーネ(月)」を語源とする「セレニテス」と呼ばれる程だ。 『月下の奇術師』と呼ばれるKIDにこれほど相応しく似合う宝石もあるまい、と新聞も雑誌も書き立てた。今回は警察やホテルだけでなく各新聞社に届けられた予告状。どのようなショーをKIDが見せるのか、鮮やかな手際に期待して連日報道されている。当日の今日はテレビで特別番組が組まれるほどだ。宝石が話題になり来客も増えホテル側もまんざらでもない様子である。 「それでは参りましょうか?警察の皆さんと報道の方々………」 KIDはホテルから離れた高いビルの屋上に立っていた。 目深くシルクハットを被り直し、片眼鏡に手をかけた。身支度を整えるという、KIDとしての儀式のようなもの。高層ビルは強風が吹き込み彼のマントを翻す。それを気にも留めず、真っ直ぐ見つめる先は今宵の舞台グランドホテル。 「月の加護があるように祈っていて下さい」 誰に告げたのかわからない言葉。 そのままふらりと飛び出した身体はハングライダーにより夜空を白い鳥のように翔ていった。 「KIDです!」 「KIDだ………!!!」 騒然となる会場。 濃い煙幕と催眠剤が会場中に立ちこめる。 ホテルの外では華々しく夜空に花火が散っている。観客はその美しさに酔いしれる。騒ぎは一時に行われ、あっと言う間もなく、獲物はKIDの手の中にあった。 「それでは失礼しますよ、中森警部」 すでに意識もなく聞こえないけれど、一応そう断る。 再び夜の闇に紛れたKIDが降り立ったのは雑居ビルの屋上にある貯水棟の上だった。 音もな立てず現れた、まるで夜の使者のような真っ白の怪盗。 月の光は彼を照らした。 そこへ静寂を破る影が近付く。 「お待ちしておりましたよ………?」 しかしKIDは姿を消している相手に告げた。 「出てきてはいかがですか?今宵の月は格別に美しい」 歌うようにKIDは誘う。 どこに暗殺者が潜んでいるのかわかってるため、そちらに視線を向けている。 諦めたというより、隠れている必然性がなくなった闇色の暗殺者はKIDの前に姿を現した。 「先日はお世話になりましたね?」 「………」 「貴方の依頼者は、私を殺せといいましたか?それとも宝石を奪って来いといいましたか?」 「………両方だ」 男はそんなのは当たり前だと言わんばかりに苦笑する。 「そうですか?けれど私もむざむざ殺されるつもりはありませんよ?ミスター・龍」 「………突き止めたのか?さすがに情報が早い」 龍と呼ばれた男は、ほう、と感心するそぶりを見せる。もちろん、殺気は消えていない。 「『香港三龍会』は最近活動が目立ちますね。何かありましたか?大きく組織が動いている………。国境を越えて誘拐事件、密入国、窃盗、偽造、急ぐ必要がありましたか?ねえ、龍」 「………、お前何者だ?」 男は疑わしそうにKIDを見つめた。 まだ内部でしかしらない事をどうしてこの怪盗が知っているのか? 「私はただの怪盗ですよ。貴方が付いている『王』は跡目に付けそうですか?まだ材料が足りていない?」 KIDはうっすらと笑う。 冷たい、微笑みだ。闇の世界に住む者が持つ冷酷な瞳。 「何が目的だ?」 男は聞く。 自分の手札を広げて見せる怪盗。それには理由があるはずである。暗殺者の自分に世間話をするように、散らつかせる切り札。まるで殺されることなどない、と知っているような自信。それは虚勢ではなさそうだ。 「ここに1枚のフロッピーがあります。おそらく、貴方が喉から欲しいモノだ………楊の記録」 「………条件は何だ?」 どこまでも低い声。潜まれる怖いほどの殺気。 「手を引いて頂きたい」 「それだけか?随分謙虚だな?」 男は冷笑する。 「情報を………。貴方が持てる全ての情報を」 「………いいだろう」 怪盗の言葉を男は飲んだ。 現在は迷っている暇もない程状況が切迫している。 男の使える『王』は兄弟間の跡目問題で微妙な位置にいる。どこでもそうだが、所詮足の引っ張り合いである。そのための情報。一つだけ、絶対に勝てる情報があることがわかっていた。それを目の前の怪盗はいともあっさりと言い当てた。楊の記録。今回の来日はKIDはおまけのようなものだった。 「商談成立ですね?」 「裏切りは死しかありえない。承知していると思うが………」 怪盗の言葉にそれでも男は言い足した。 情報が嘘なら死を………。裏切っても死を………。敵対している兄弟にその情報を売った場合は怪盗の全ての血縁者に死を………。地獄の底まで襲う悪夢。 「今更でしょう。死などいつも隣合わせだ………。貴方と同じですよ」 覚悟など怪盗になった時点でできている。 闇夜に白い怪盗と黒い暗殺者は手を結んだ。 「怪盗KIDは正しく世紀末の魔術師の如く宝石を、『醒月』を盗んで行きました。ホテル側としては、怪盗がいつものように返却してくれることを望むと言っています。かなりの保険金をかけていますが、あまりに高額で保険会社が払えないと回答してきたそうです………」 テレビ画面からは今日の「捕り物」の特別番組が流れていた。 予告時間から随分立っている。2時間枠で特別番組をしても、実際の犯行はあっという間なのだから持たないだろうに………。 おかげで、今までのKIDの獲物特集などやり始めた。 コナンは馬鹿馬鹿しいとテレビのスイッチを切った。 テレビ画面で見たKIDは一瞬だったけれど、コナンはその様子から怪我が無事に快方に向かっていることを知った。 けれど、どう考えてもあの怪我ですぐにわざわざ行動をしなくてもいいのではないだろうか?疑問が沸き上がる。 もしかして、わざとか………? 暗殺者をおびき寄せるため………? 危険極まりない行為だ。 窓際に立ち、月を見上げた。 部屋の明かりは落としてある。 だいぶ身体も良くなった。熱も引いたし、傷も化膿していない。 哀からも一応のお許しは頂いた。 大事を取っているがもう少ししたら毛利探偵事務所、蘭の元に帰れるくらいになる。しかし、帰っていいものか判断に迷うところだ。 皓々と照らす月光はどこか懐かしい。 そして、浄化される気がする。 なぜだろう? ふう、と小さく吐息を付いた。 今、頭を悩ませてもどうすることもできないのだ。 コナンはベットに再び腰を下ろした。 その振動で軽い体がベットのスプリングに弾む。コナンは部屋に差し込む随分明るい月光が作る影を見つめる。 ぱさり、と衣擦れの音がした。 え? 何だ、とコナンは窓を見た。 果たしてそこには………。 「KID………?」 白い月の加護を受ける使者が居た。 怪盗はふわりとマントを翻して、窓から部屋に降り立った。 「ご機嫌麗しく、名探偵」 片手を胸に当てて、優雅に礼を取る。 「麗しくねえよ」 コナンの素っ気ない言葉に、小さく怪盗は笑う。 「お身体は、その後どうですか?熱は引きましたか?」 「ちっ。知ってたのか?」 「怪盗ですから」 自分が高熱で倒れていた事を知っているらしい怪盗に、少々悔しい思いがする。ここ阿笠邸に来た時点で全て筒抜けなのかと思い至り、嫌そうに眉を寄せた。 「何の用だ?」 だから、不機嫌そうにコナンは聞いた。 「名探偵の憂いを取り払いに参りました。先日の狙撃は私を狙ったものです。貴方のご心配することは何もありません」 「………お前?」 何を言っているんだ、この怪盗は! それではまるで自分のために相手を確かめたようなものではないか。 そんな必要性がどこにある? コナンは怒りを滲ませる。 「俺を見くびっているのか?」 「そうではありません。今回のことは私の責任です。ですから、報告に参っただけなのですよ………。貴方を見くびることなどあるわけないでしょう。私が唯一と認める名探偵なのですから。それほど私には信用がありませんか?」 「怪盗を信用するのは、どうかと思うぞ」 コナンは苦笑した。 どうやら、本当に申し訳ないと思っていただけらしい。 滲む言葉から、穏やかさと優しさが漂っている。 怪盗はそんなコナンに微笑すると一歩近付いた。そして、ベットに腰掛けるコナンのすぐ前に足を付いて腰を下ろし目線をあわせる。 「名探偵」 「何だ?」 「これから時々逢いに来てもよろしいですか?」 「なぜ?」 コナンは訝しげに首を傾げる。 「なぜでしょう?私にもわからないのです。けれど、どうしてかお逢いしたい。貴方は決して現場に来ては下さらない。私が伺わなければ、姿さえ目にする事ができないでしょう?」 「………俺はお前に構っていられるほど暇じゃないんだよ」 「ですから、私が訪れます。貴方のもとに………」 「わからないな。そんなことをして何になる?俺に逢ってどうする?」 「逢いたいだけなのです………」 怪盗は困った顔をする。 コナンをただ、見つめる。真っ直ぐに、偽りのない瞳で。 怪盗は本当の事を言わないかもしれないが、この気持ちに嘘はなかった。 「………今宵の獲物は『醒月』というムーンストーンです。宝石にはいろいろな逸話があり、言葉が、力があると言われています。珍しいことに宝石の色にも願いやメッセージがあるといいます。白色の宝石、真珠やムーンストーンは『一人になりたい』といいます」 突然、静かに語りだした怪盗をコナンは見つめた。 至近距離、お互いの瞳がもう少しで互いの瞳に映る距離。 「『一人になりたい』と思ってきました。一人でいなければならないと。誰も巻き込んではならない。誰にも知られてもいけない。ただ一人で、いつでも何事でも越えて来たと思います。これからも、そうだと思ってきました。けれど、そうではないのかもしれません。誰かに側にいて欲しいと思ってしまう気持ちは許されないことでしょうか?」 偽る毎日。 自分の大切な者に危険が及ばないように。 正体がばれないように。 いつも、どこかに壁がある。 「………お前は孤独の影におびえるのか?」 コナンは目を反らさず、聞いた。 ただ一人で生きて戦い続けることは『孤独』だ。 『孤独』には影が付き纏う。 誰も一人でなどいたくない。 それは当然の欲求だ。 彼は、罪も、責任も、悲しみも、苦しみも、孤独も、何もかも………ずっと独りで背負っていかねばならないのか? 『孤独の影』は怪盗が探偵と呼ぶ自分にさえ縋るほど、彼を追いつめているのか? コナンは何とも言えない気持ちを味わう。 これは、何だろう? 同情? それとも共感? 独りで、生きる………。 誰にも迷惑を危険を負わせたくない。 大切な者を守りたい。 そう思う気持ちは同じものだ。 「これは私の弱さです」 だから、怪盗は見い出した光を見ていたいと傍にいたいと思うのは自分の弱さと知っている。 関わることは危険。 百も承知だ。 それでも、目の前にある澄んだ蒼い瞳を見ていたい。真実を映し出す鏡のような清らかさと厳しさを持った、幻のように不可思議で強烈で清冽な魂を。 「………弱さと言うか?いいだろう………」 コナンは答えた。口元には薄い微笑を浮かべて。 本当は良くないと知っている。 互いの危険も。 けれど、『弱さ』と言ってしまえる『強さ』を持つ怪盗KID。 存在が、救われる。 ほんの少しでも救ってやれる、と思える。 「だが、約束はできない。俺は突然いなくなるかもしれないぞ。俺という存在は消えるかもしれないぞ?それでもいいのか?」 このままでいるつもりはない。 工藤新一に戻る。 戻ればコナンは消える。そうしたら、きっとKIDにはわからないだろう。 逢うこともないだろう。そして関わることも………。 組織を崩壊させるために行動を起こすなら、当然姿を消してからでしか戦えない。 大切な者を巻き込まないために………。危険に晒さないために………。 いつ姿を消すか、それは時期の問題だろう。 死ぬことになるかもしれない。 そして、元に戻るための解毒剤が完成したとしても、劇薬は死ぬ確率と隣合わせだ。 どのみち、約束などできやしないのだ。 誰の負担にもならない。誰の悲しみにもなりたくない。 そう、決めている………。 悲しいまでに、美しく哀れみを称えた瞳が怪盗を見る。 月に輝く蒼い瞳は壮絶なまでに綺麗だった。 「………その時はお探しては駄目ですか?」 「探せるものならな………」 「探し出しますよ。怪盗なのですから。………貴方という存在は謎に満ちている。いつか貴方の謎を解いてみせますよ」 「解けたら、聞いてやるよ。もし、あっていたらその時は、正解を教えてやる」 「約束ですよ」 怪盗と探偵の会話は常なら逆だった。謎を解くのは怪盗、謎を持つのは探偵。 それが、彼らの唯一の誓約。 怪盗は探偵の手を取り、恭しく甲に口づける。 誓約の証に………。 怪盗が飛び立った後で、月に向かってコナンは呟く。 「物好きな奴だ………」 その笑いを含んだ楽しそうな言葉を聞くものは、欠けた月だけだった。 END |