「この手の中に残るもの」4



 「4. この手の中に掴むもの」


 「ところで、『有希』とは何なのですか?」

 KIDは自分の腕の中に安心して身体を預ける新一を覗き込みながら聞いた。

 女性としての「有希」という存在は何なのか。
 板に付きすぎた立ち振る舞いは今回だけのものとは到底思えなかった。
 プライドの高い彼が自分を騙すためだけに……魔法をかけたともいう……女性の振りをするとは思えない。確かにカラーコンタクトで蒼い瞳を黒い瞳に隠すという用意周到な手段を使ってくれたけど………。そこに、自分がわかるかどうかという、思惟が働いていただろうことは想像に難くない。まんまと填められたけれど………。

 「今の俺は10年前に消えた工藤新一そのものなんだよ」

 新一は詳しく説明する気になったらしく、KIDを見上げながらその背に手を回し姿勢を安定させた。
 高校2年生で行方不明になった『東の名探偵』。
 15〜17くらいの少年の姿はちょうど消えたその当時のままであり、まるで時間を止めた希有な存在である。

 「ちょうど高校生探偵って世間で騒がれていたから、写真も出回ってるし人の記憶にも残ってる。今の俺はいくら10年も昔とはいえ、そのまま過ぎて怪しいだろ?誰も無関係だとは思えないほど酷似している。本人なんだから当然なんだけどさ」
 「そうですね。私は新聞の写真でしか見たことがありませんからわかりませんが、『工藤新一』という存在は今でも覚えていますよ?」

 逢ったことがなくても、存在は有名過ぎた。KID自身が先ほど名前を聞いてわかったほどだ………。
 血のつながりを彷彿させる美貌。
 誰彼も惹きつけずにはいられない存在を、そっとしておいてはくれない。

 「だから、世間に知れていた今の俺はあまり人目につくわけにはいかないから、公の場に出る時は『有希』としているんだ。………まさか女性に化けてるとは思わないだろ?似てるとは思っても女性に向かって『工藤新一』とは言わない」

 それは、人情である。
 これほどの美少女に『工藤新一』ですか?とは聞かない。聞けるような人間はまずいない。
 しかし、つまるところ、10年前の「工藤新一」もこれほどの美貌だったのだろうか。
 KIDは面識がないため、映りの悪い新聞の写真で見たことしかなく、そこから姿を想像するしかない。
 
 (一度見てみたかったかもしれない………)
 
 そう思わずにはいられない美貌である。というか、この美貌が側にあったのかと思うと今更ながら驚愕の事実である。なぜなら、彼の住んでいた米花町とKIDが住んでいた江古田は近所なのだ。ひょっとしたら、どこかですれ違っていたかもしれないな………と思う。
 すれ違うどころか、ものすごく強烈な出会いをしていることに本人達だけが知らなかった。KIDなど捕り物の時、いきなり発砲されたというのに、知らないのはある意味幸せかもしれなかった。

 「それで、髪ま伸ばしてるんだよ。わかるか?この徹底振り」

 少々嫌そうに新一は眉をひそめながら、頬にかかる自分の髪を引っ張った。

 「それはまた、どうして?短くても構わないと思うのですが………」

 髪が短かろうが、長かろうが新一の美しさは少しも損なわれることはない。

 「母さんが面白がってる。ついでに父さんまで加担してるんだよ。娘も欲しかったとか言いやがって………」

 余程嫌なのか、ああ、むかつくと新一は毒付いた。

 「なるほど。でも『有希』という名前はどうして?母君の『有希子』から取ったのでしょうが………普通はもっと違った名前にするでしょう?」

 名探偵である新一が母親と関わりあいをもった名前をわざと使うとは思えない。そうするなら、理由があるはずだった。

 「たまたまだよ。………変装してるつもりがない時に女性に間違えられて名前を聞かれて、咄嗟に『有希』って言ったら、それから両親も志保もそう呼ぶようになった」

 もう、諦めてるけどと新一は肩を落とす。

 「志保?」
 「ああ、灰原だよ。俺と一緒にアメリカに来たんだ。知ってるだろ?」

 新一は首を傾げてKIDを見つめる。

 「同じ小学生のお嬢さんでしたよね?」
 「あいつも俺と同じ薬で縮んだんだよ。何てったって、その毒薬を研究していた科学者本人だからな」
 「え?そうなんですか」

 名探偵と同じ子供らしくない落ち着きと頭脳と冷めた瞳をもっていると知っていたが、まさか彼女が、と驚いた。

 「あいつも俺と同じようにもう一度成長をしている。今じゃあ、まるで姉貴みたいだぞ?」

 母親の有希子とそれは楽しそうに新一を飾り立てるのだ。
 まるで妹に対するように嬉しそうに洋服を選ぶのはどうかと思う。
 有希子と志保とまるで親子のように、まるでこれ以上の娯楽はないと言わんばかりにショッピングに連れ出され、引っ張り回され、洋服やドレスを試着させられるのだ。

 ただ、購入してくるだけなら許せる。
 例え着なくても、ワードロープに埋もれるだけだ。
 「これ、絶対着てね。一緒に出かけてね」と言われた洋服以外なら、文句も言われない。それくらい大量に購入してくる。女性は買い物好きだし、いろんな小物を持つものらしいから、靴、鞄、アクセサリー果ては化粧品まで揃える始末だ。

 その経験で、女性は偉大だと新一は実感していた。
 あれほどの努力の末に成り立つ女性の美意識。天晴れである。
 けれど、どれほど尊敬しても自分までそれに巻き込むのは遠慮して欲しかった。なのに、そう言えないのが新一の不幸である。相手が悪すぎるのだ。
 その瞳と演技力で世界中の男を虜にすると言われた母親と自分の主治医である志保。適うわけがなかった………。

 「なかなか楽しそうな生活を送っているようですね、新一」

 新一の話ぶりから、KIDはそう推測する。

 「楽しい………?愉快といえば、愉快かもしれないけどな。変わって欲しかったらいくらでも変わってやるぞ?」
 「遠慮しておきますよ。新一の楽しみを奪うのは本意ではありませんから」
 「何が、本意だ」

 新一はなんとなく癪に触った。だから、少し悪戯心が疼いてきてKIDに注文を付ける。

 「なあ、今度はお前から俺を捜してみせろよ?」

 にやりと人の悪い笑みを浮かべながら、上目使いでKIDを誘惑するように蒼い瞳を瞬かせる。妖艶な彩は母親譲りの最たる証であり武器でもある。新一はそれを有効に活用しながらKIDの頬に手を伸ばし指で撫で上げた。

 「もう、俺の情報は十分に手に入れただろ?」

 艶やかな声で首を傾げる様は、何者も逆らうことなど許さない威力がある。
 工藤新一である、という情報はきっとそれだけで大変わかりやすい。それだけ明かされていてKIDに新一の居場所が突き止められない訳がない。これで突き止められなかったら、KIDを買いかぶっていたことになる。
 もっとも、そんな事には決してならないと新一も知っているが………。

 「ええ。すぐに参りますよ」

 KIDは新一の細い指を掴みその指先に口付けを落として約束する。
 世界的に有名な両親を持ち、本人は格別の輝きをもつ人物の居場所。それに彼はアメリカにいると言った。
 ヒントは十分過ぎるほど与えれている。だからすぐに逢いに行くとKIDは宣言した。
 新一はKIDの返事に「待っている」と微笑んで頷くと、公爵のことを思い出した。消えてしまった有希とレオンにきっと激しく動揺し、心配しているだろうと簡単に想像できる。思ったより時間がかかってしまったな、と自覚がある。
 どんな事が起こっても大丈夫だと一言いっておけばよかったかもしれない。いらない心配をさせてしまった………。

 「そろそろ帰るか。シャルルおじさまが心配していだろうし………」
 「………そうですね。ではお屋敷までお送りしますよ」
 「お前も一緒にこればいいだろう?今回は何も盗んじゃいないし、警察もいない。問題ないじゃねえか」
 「いいのでしょうか?公爵は卒倒するかもしれませんよ?」

 新一のあっけらかんとした言葉にKIDは苦笑する。
 KIDと共に新一が帰ったら、公爵はどんな顔をするだろうか。考えるだけで、恐ろしい。大切にしている存在を目の前で浚われて平気な男はいないだろう。

 「何でだ?………喜ぶだろ。ついでにマジックでも見せてやれよ、黒羽快斗として………」

 新一の提案に、ふむ、とKIDは考え込んだ。
 喜ぶかどうかは大層怪しいが、この場の新一の保護者である立場の公爵にマジックを披露してご機嫌を取っておくのも悪くないだろう。
 折角逢えたのに、ここで新一と別れるのは惜しい。

 「では、そうしましょうか。どちらにしても、この姿では目立ちますしね」

 KIDはそういうと、マントを翻しポンという破裂音とともに真っ白い怪盗の衣装からマジシャン黒羽快斗に成り代わった。細身の黒いスーツ姿。胸元にはアクセントに赤いチーフ。「黒羽快斗」として初めて見る姿に新一は目を奪われた。
 マジシャンだけあって洗練された優美な立ち姿と指先。KIDの時にも感じるが、より身近で暖かな雰囲気を持つ。

 「黒羽………?」

 新一がKIDでない名前を呼ぶ。嬉しいけれど、快斗は訂正した。

 「快斗だよ、新一」
 「………快斗?」
 「そう」

 瞳を見開きながら聞く新一に優しく快斗は頷く。

 「快斗………」

 吐息のような声音。大切な名前を声に乗せて新一は夢見るように瞳を揺るがす。その瞳は快斗の心を歓喜させるに十分であった。そして沸き上がる思いのままに一度ぎゅっと抱きしめた。再び腕をゆるめると、正面から幸せそうに微笑んで「愛しているよ」と耳元で囁く。
 新一に、その真実の名前を呼ばれる日が来るなど夢にも思わなかった。愛しい人から呼ばれる名前は、なんと甘美な響きがするのだろう。
 快斗は満面の笑みを浮かべて愛しい人を呼ぶ。

 「新一………」

 そして、己の手を差し出した。

 「ああ」

 新一は自分に差し出された快斗の手を見つめて、素直にその手を取る。しっかりと絡められる指は離れない、という安心感を与えてくれる。互いに顔をあわせ微笑みあう姿は、見る者があったなら初々しいと目を細めただろう。
 恋人同士になったばかりの見目麗しいカップルは、白亜の城に続く目の前の真っ直ぐな道にきっと未来を思っている。

 そして、仲良く手を繋いで歩いて行く後ろ姿を見守るのは銀色の月だけだった。
 
 
                    END





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