「おはよう新一」 新一が教室に入ると快斗がすぐ笑顔でやってきた。 「おはよう。快斗」 新一も鞄を机の上に置きながら笑い返す。 「すごかったね。見たよ、あれ」 旅行会社のモデルを勤めることを快斗は知っていた。本人から前もって聞いていたのだ。詳細はもちろん園子から、毎回写真撮影に協力するお礼として。 「綺麗だったよ。撮った人は新一の魅力をよくわかっているんだな!」 「そうか?うちでも見たんだけど、女三人がいい出来だって言っていた。俺も自分が撮られている時は完成がどんなものかわからなかったけど、見たらびっくり。あんな風になるんだっ……て」 くすくすと新一は笑う。 つまり、モデル経験はそれなりに楽しかったという現れだ。快斗も撮影については根堀り葉堀り聞いていない。園子が責任者として家族全員が付いていくと聞いて快斗は心配を止めたのだ。第一園子を敵に回したくない。 「いい経験になったんだな」 「うん」 微笑む新一はあのCMの妖艶さの欠片もない。 快斗は当然、すべてのパターンを手に入れていた。黒羽家の力を使えば可能なことだ。 「おはようございます」 そこへ白馬がやってきた。 「あ、おはよう。白馬」 「おはよう」 「今日は朝から学校中が賑やかですね」 「まあな。浮き足立っているんだろ。あれじゃあ、仕方ない。それでも、それ以上ではないのはさすがだけど」 「ええ」 二人の会話に新一は小首を傾げる。 「なにが?」 「うーん。さすがにCMで新一とコナンが出てきたから、皆興味津々なんだろう。ここまで来る間、視線が集まらなかった?」 「……いつもと変わりなく挨拶してくれたけど」 つまり、新一にはなるべく平常心で皆は挨拶していたのだろう。さすがだ。白百合の君にそんな下世話な話はできないらしい。 「そっか。ならいいよ」 快斗も笑って流した。 実際、新一とコナンは注目の的だ。元々目立って学園の君だったせいで、実感が沸きにくい可能性もある。所詮、うっとりと遠くから見つめているだけだ。害はまったくない。 いかにも、資産家や育ちのいい良家の子女が通う学園らしい。 「そうそう。工藤君。CMを見たんですけど、あれは是非旅行に行きたくなりますね。けれど、すぐに旅行には行けません。薔薇園ならうちにあるので、今度行ってみませんか?美味しい紅茶とケーキを用意して」 白馬の誘いは的を得ていた。 「いいな、それ!撮影だとさすがに楽しむまではいかなかったし。休憩とかあったけど、時間がなくてな」 「では、来週にでも。ちょど咲いていますよ」 「うん」 「なら、ケーキやパイなんかはうちで用意するよ。スコーンとか欲しいだろ?」 「快斗のとこ、お菓子本当に美味しいよな〜」 黒羽家お抱えのパティシエは腕がいいと三人は昔から知っている。 「では、お菓子は黒羽君にお願いしましょう。紅茶は僕が選び、簡単な軽食程度用意しましょうか」 「楽しみだな」 「ええ」 「そうだな」 顔を見合わせてにっこりと微笑む姿はクラスからひっそりと視線を向けられていたが、誰も気にしなかった。 「おはよう、哀ちゃん。コナン君」 いつも通り二人で教室へ入ると歩美が元気に声をかけた。 「おはよう」 「おはよう、歩美ちゃん」 哀もコナンも笑顔で返す。歩美は大事な友人だ。 「あのね、見たよ!CMすごく綺麗だった!」 興奮しながら誉める歩美にコナンはくすりと笑った。 「ありがとう。見てくれたんだ?」 「もちろんだよ!コナン君と新一さんが出るんだもん。テレビの前に囓り付いてたわ。どきどきして待っていたら、見てびっくり!すごいんだもん。感動しちゃった」 素直な感想に哀も微笑を浮かべる。歩美に他意はない。ただ感動したことを伝ええているに過ぎない。 普通はテレビ番組の合間にかかるCMはずっと待っていなくては見られない。関係者がまとめて全部見られるのとは訳が違う。実は地道さが必要だった。 「おはようございます。歩美ちゃん。哀さん。コナン君」 「よう!おはよう」 光彦と元太もやってきた。仲良し五人組はいつでも一緒だ。 「見ましたよ!コナン君」 光彦は意気込んだ。今日登校したら言おうと思っていたとまるわかりの態度だ。 「いやー、聞いてはいたんだですけど、素晴らしいですね。映像も綺麗で、雰囲気がありました。あれだと同じ場所に行きたくなりますね」 的確な感想だった。光彦らしい。 「そうか?ありがとう。CMはいくつかパターンがあって基本は3つ。それに時々しか流れないパターンが2つ。これは基本の変化系だ。そのうちかかるんじゃないかな?」 だからコナンも必要なことを的確に答える。 「へー、そうですか。気をつけて見ます」 「私も!海と花園しか見てないよ」 光彦も歩美もその情報に頷いた。 「俺見てねえぞ」 が、元太は違った。元太らしいといえば、らしい。 「元太君見てないの?変だな。昨日テレビ見てないの?結構どこでもCMかかっていたよ?」 「昨日は珍しくほとんど見てねえんだよ。父ちゃんが野球見るって言ってテレビ占領してたから別のとこでゲームしてた」 家庭の事情は仕方ない。 「それなら、見られないか。うん、きっと今日帰ったら見られるよ」 仲間外れのような気になる元太を歩美は笑って慰めた。 「……ああ」 元太も機嫌を直す。 「で、宿題はやってきたの?小島君」 そこに哀の無情な声が響いた。昨日ゲームをしていたと元太は答えている。そこから哀は日頃の行いから予測した。 「やってねえ!貸してくれよ、光彦!数学!」 途端に元太は光彦に泣きついた。相変わらずの光景だ。 「……元太君。宿題をやってからゲームして下さいよ。仕方ないですね」 いそいそと自分の鞄からノートを取り出し光彦は元太に渡す。元太は「サッキュ!」と言うとノートをもって席まで走った。これから写さなければならない。時間がないのだ。 その姿を仕方なさそうな目で四人が見ていた。 それから1週間ほど経ったある日のこと。 今日は特売でスーパーまで買い物につき合うため新一が蘭と園子と待ち合わせて帰ろうと校門から出ると、待ちかまえていたらしき男が目の前に立ちふさがった。 「君、あのCMに出ていた工藤君?」 顔を寄せられ迫られる。 「え?」 新一が困惑していると男はそのまま続けた。 「テレビで見るより綺麗だね。少し話しを……」 「勝手に取材しないでちょうだい」 園子が前に押し出て、蘭が新一を後ろに庇う。一瞬にして緊迫した空気が漂う。蘭は小さな声で「学校まで走って」と新一の耳元に囁く。新一はこくんと頷いて、すぐに走って学校へと戻った。 校門を入ってしまえば、部外者は立ち入れない。その瞬間警察に通報される。 新一は走ってどうしようか迷う。教室まで行くべきだろうか。 「新一!」 そこへ、快斗が急いで走ってくる。 「蘭ちゃんから連絡が来たから。大丈夫だった?」 「うん」 「そっか。ばれたみたいだよね。まあ、この学校の人間はばらすようなことはないけど、他校は違うからな。新一がここの学校だって見知っている人間から伝わったんだろ」 「……なら、コナンは?」 そう、新一とコナンは同じ立場にある。コナンも同様に付きまとわれる可能性がある。 「そっちには白馬が行っている」 「ありがとう」 新一はほっと安堵を漏らした。 一方、コナンと哀も二人で帰宅しようと歩いていると、一人の男に立ち塞がれた。 なんだ?と不愉快に眉を寄せると、 「へえ、ほんとだ。噂通りに、可愛い」 嗤う男にコナンはイヤな視線に身震いする。明らかに、哀ではなくコナンを見ている。 「ちょっと俺に時間くれない?君、あのCMに出ていた子だろ?」 「戻りなさい!」 哀が前に出てコナンの腕を引っ張り叫ぶ。 「でも」 「私は大丈夫よ!さあ!」 鋭い視線で哀が言い聞かせるようにコナンの背を押す。コナンはわずかに顔をしかめて、学校へと走って戻った。その時校門前にいた新一よりも学校から離れていたため、コナンは懸命に元来た道を走った。 哀は男と相対する。 「どこの三流記者かしら?不躾ね」 クールビューティと言われる瞳で哀は年上の男を見下ろす。 「お嬢ちゃん」 男は、哀の顔を覗き込みながら口の端を上げて嗤った。 「邪魔してもらったら、困るんだよね。お嬢ちゃんも可愛いけどさ」 聞くに堪えない言葉を紡ぐ男に哀はふんと鼻で笑う。 「それで、どこの人かしら?名乗れない人を相手になんて出来ないわ。礼儀もプライバシーも守れない人には答える義務はないでしょう」 「ずいぶん、生意気な口を聞くなあ」 「名刺もないの?」 哀は男を無視して則す。 「……」 「相手をする必要はないようね」 哀はスカートを翻し、男に背を向けた。男は、おいと哀の肩を手で掴もうとする。すかさず、哀はポケットから何かを取り出しならが、 「痴漢よ!」 と声を上げて何かを男に投げつけた。その瞬間、ピーピーピー!と甲高い男が鳴り出して、男は驚く。ついでに痴漢呼ばわりされたせいで、人目が厳しい。哀を睨みつけるが、男は「覚えていろ」と決まりの捨て台詞を吐いて去っていった。 哀は顎をそらせて女王様のように笑うとストラップ型の痴漢撃退グッズを拾い、スイッチを止める。周りが騒音で迷惑にならないよう、配慮だ。 そして、再びストラップをポケットに入れると学校へと引き返した。 「コナン!」 「兄さん!」 新一は掛けてきたコナンを抱きしめる。 「大丈夫だったか?」 「うん。哀が逃がしてくれて」 「ああ。俺も蘭と園子が」 渦中の二人を逃がしてくれた家族はいずれも女性であるのが、あれだ。工藤家は女性の方が圧倒的に強い。だからそのことに情けないなどという感情は浮かばない。家族が危機の時自分たちは協力して守ると決まっているのだから。 「そっちはどうだった?白馬」 「ええ、僕が向かったらコナン君が走って戻って来たんです。そちらを優先して連れて来ました」 快斗も白馬も顔を見合わせて、考え込む。 「一応、すぐに車を裏門に用意させたけど。皆を拾った方がいいよな」 二人の保護を任せられたのだから、先に送り届けろといいそうだが、家族そろっていた方が都合がいいだろう。 「ええ、そうですね。元々今日は車を用意するつもりでしたから、うちも今頃裏門に付いているはずです。だから、皆を送れますよ」 「それなら、いいか」 車が二台あるなら工藤家全員を送れるだろう。 現在は中庭に面したベンチにいる。教室まで戻ると騒ぎになるだろうから、なるべく人目がないところにしたのだ。 少し落ち着かせるため、何か飲み物でも自販機で買って来ようかと思っていると、待ち人が現れた。 「あら、待っていてくれた?」 園子がひょこりと顔を出した。二人の身柄と安全を確保してから、もちろん快斗は園子にメールを入れている。 「うん。どうだった?」 「名刺はもらってきたわ。ほら」 ひらひらと名刺を振る。さすが園子であると誰もが思った。 「蘭は?」 もうすぐ来るわ。それと、私この後、少しやることがあるから、蘭と哀が合流したら家に送ってもらえるかしら?」 「了解」 「もちろんです」 快斗も白馬も頷く。 緊急事態である。無駄口など叩いている暇はない。 そして、しばらく待っていると哀が駆けてきた。 「哀!」 コナンが哀の姿を認めて名前を呼ぶ。 「兄さんも無事ね」 哀は新一とコナンが並んでいるのを見て、冷静な顔で頷いた。いつでもクールだ。 「大丈夫だったか?」 コナンは哀を信じているが、それでもあの場に哀を置いていくのは抵抗があった。自分がターゲットだから逃げなければならないことは理解していても。蘭が一緒ならいくらでも安堵できるが、哀はそれほど体術が得意ではない。頭脳は悪魔だが。 「平気よ。痴漢なんていくらでも撃退できるわ」 ふふふと、哀が楽しげに笑う。その笑みにコナンが思わず男がどんな目にあったのか理解できた。同情もしないけれど。 快斗と白馬は四人を工藤邸に送ってきて、そのまま誘われるまま上がりこんだ。 家まで押し掛けては来ないと思うが、何かあってはいけない。それに園子を待っていたのだ。 この家の権力者であり決定者の園子にこれからの対処を聞かなければならない。方針を示してもらわなければならないのだ。勝手に動いてもし園子の考えと反したら、意味がない。 それから一時間ほどして、園子が帰って来たため快斗と白馬を交えて話し合いが行われた。 「皆、聞いてくれる?」 夕食の後、園子がそういえば皆がリビングに集まる。今回の事に関して事だと瞬時にわかる。 「学校には記者が来たことを報告したわ。一歩でも校内へ入れば即、警察に連絡。学校としても記者と出版社に抗議。黒羽君も白馬君も、雑誌社に通達してくれるわ。名刺はもらったから、そこにも圧力をちょっとね。高校がばれているから家までばれるのは時間の問題として、多少はよくても毎日車で送り迎えをしてもらっても問題解決にはならないし。不自由からだね。そこは考えたのよ。ちゃんと通学できるように。私の考えも学校は納得してくれたし、協力くれると言ってもらったから」 園子はにっこりと笑って、今後の対処を告げた。 |