「工藤家の人々 1章 4」






「すごい行列ね」
「うん、すごいね」
 目の前には長い行列が続いている。
 
 占いの館。
 当然ながら女性客が大半である。
 ここには様々な占いがある。水晶占い。人相占い。占星術。名前占い。手相。タロット。
 ほとんどが耳にしたことがある占いだ。過去には過激な占いもあったようだが、現在は一般的なものが9割9厘をしめる。
 何を占ってもらうのか個人差があるが、占いは決して安くない値段だ。
 そこにある価値は個人のモノ。
 例えば10分で千円、30分で三千円という手頃なものから、30分で五千円、1時間で一万円というじっくりコースもある。
 前者は学生が多く、後者は会社員、結婚など人生の節目に悩む妙齢の女性や子供の将来などを相談する母親など様々だ。
 この占いの館で一番人気なのが、その名前も「紅魔術師」。
 ポピュラーな水晶占いだ。が、よく当たると評判が評判を呼び連日行列が出来ていた。
「……これに並ぶの?」
「うん……」
 歩美は口ごもる。
 確かに評判の占い師に占って欲しいが、この行列に並ぶのは気が引けた。かなり待たないとならないだろう。自分一人ならどれだけ待とうと構わないが哀に付いて来てもらった手前、1、2時間も待たせるのは申し訳なさ過ぎた。
 これは、他の空いている占い師のところへ行った方がいいだろうかと歩美は悩む。
「ここがいいんでしょう?私は構わないわよ」
 だが、哀は優しげに歩美に微笑んだ。
 歩美に付き合うつもりで来たのだから、歩美自身が納得いかなければ意味がない。哀本人は占いにさして興味はなかったから、全く問題はなかった。
「いいの?かなり時間かかるかもしれないのに……」
「いいわよ」
 安心させるように笑う哀に歩美は嬉しそうに目を和ませる。
 いつも冷たい微笑みを浮かべる哀だが、歩美や元太や光彦などの友人には心からの柔らかな笑みを見せてくれる。それが歩美には嬉しい。
 双子のコナンや家族に見せるのと同じ微笑みだから。身内に入れてもらっているような気がするのだ。
 二人は心を決めて最後尾に並ぶことにした。
 長時間立って待っていても二人なら退屈でもない。小さな頃からの友達でありクラスも同じなのだ。今日あったこと、明日の課題、学校行事、教師のこと、学園の噂と話し出せば切りがないほどだ。
「……あら?」
「え?」
 二人がしばらく待っていると並んでいた行列が突然散らばり始めた。
「今日は、もう終わりだって!」
 前から順に伝わってくる情報。
「終わり?今日はもう占ってもらえないの?」
 歩美が前列にいた女性に聞く。
「そう、店じまいだって。良くあることだよ、ここの占い師には」
「ええ……?そうなんだ」
 がっかりと肩を落とす歩美を哀は慰めるように覗き込む。
「仕方ないわね。どうする?他の占い師のところに行ってみる?ここまで来たんだから、誰かに占ってもらったら?」
「うん」
 とても残念そうな歩美に哀は内心吐息を付く。
 こればっかりは仕方ないのだ、本当に。でも、占って欲しいという乙女らしい少女の気持ちは自分にはなく理解はできないが見ていて可愛いと哀は思う。
「だったらどこがいいの?歩美ちゃん」
「……ここしか考えてなかったから、わかんないんだよね」
 どこにしようかと困ったように歩美はフロアを見渡す。
「そうね、同じような水晶占いはないのかしら?それとも占星術?タロット?」
「哀ちゃんは、どれがいい?」
「私はどれでもいいわ」
「でも、こうなったら私もどれがいいかわかんない。哀ちゃんが当たると思うのがいいな」
 だってテストの山かけは8割だものと歩美がウインクする。
 哀の勘の良さは、折り紙付きだった。コナン共々本当に勘がいい。
 いつの間にか行列に並んでいた人間は散っていた。他の空いている占い師に並んだり、評判の占い師ではないと意味がないと帰ったものと様々だ。
 すると「紅魔術師」の部屋から漆黒の衣装を身につけた黒髪の美女が出てきて、店じまいのためか雰囲気を出すための黒い垂れ幕を結んでいた紐を取って入り口を閉め始めた。
 そのただ者ではない雰囲気を醸し出す噂の占い師を思わず二人で見つめてしまった。歩美だとて実物を見るのは初めてなのだ。
 黒髪の美女は幕を閉めながら振り向いた。
 視線が、ふとあう。
 絡んだ視線の先は哀だった。その深い色合いをした瞳を何なく受け止めた哀は何だろうと見つめ返した。
「「……」」
 無言の一瞬。行動に出たのは黒髪の美女だった。美女はふらりと歩いてくると魅力的に微笑んだ。
「ひょっとしてうちに来てくれたのかしら?」
「はい。当たるって聞いて」
 御しやすいと思ったのか、美女は歩美に愛想良く微笑む。
「あら、ごめんなさいね。……ねえ、本当は今日は店じまいの予定だったけれど良ければ占いましょうか?」
「本当ですか?嬉しいです。是非、願いします」
 歩美は思わぬ申し出に顔を輝かせる。
「ええ、貴方もどうぞ」
 美女は歩美に微笑みつつ、隣に並ぶ哀に誘いをかけた。
 
 
 「どうぞ」と案内された室内は黒い幕が幾重にも重なり垂れていて曲線を描いている。明かりは大きめの蝋燭が中央に、燭台が隅にいくつかあって揺らめくような炎が真ん中にある水晶に映っていた。
 水晶の置かれた台は青い幕がかけられていて、濁りのない水晶に青い色が映り込んでいる様は神秘的だ。
 美女は長い髪をかき上げて椅子に座ると、歩美を水晶を挟んだ前の椅子に座らせた。
「何を占いましょうか?」
「えっと、恋占いを、お願いします」
 歩美は緊張しながら美女の顔を真っ直ぐに見つめた。
「わかりました」
 美女は歩美にいくつか質問しながら占う。それは占いというより助言というのが正しい。恋占いほど占いで多いものはないだろう。古今東西人は恋愛が気になり、好きな人の心が欲しいものなのだ。それに対する言葉も自然に決まってくる。
 好きな相手との相性と今後のアドバイス。そういった事を教えてもらうのだ。
「ありがとうございます」
 歩美はぺこりと頭を下げた。その顔は感謝で満たされていた。
「では、貴方もどうぞ」
 美女は哀へ向かって手を伸ばす。その誘いに、ほらと歩美も同意して背中を押す。仕方なく哀は椅子に座った。
「何を占いましょうか」
「別に悩みはないから、一般的な運勢でいいわ」
「わかりました」
 哀の投げやりに見える言動にも気を悪くせず、美女は水晶を見つめ手をかざす。
「お名前と年は?」
「工藤哀、14歳」
「………工藤さんはとても強運の持ち主ね。初めて見た時から変わっていると思ったのよ」
「そうかしら?」
「ええ。特異な運勢をもって生まれたのね。……現在は商売繁盛ですって。何か心当たりがあるかしら?」
 14歳という年齢で商売繁盛などという言葉が出るのはかなりおかしいが、言った魔女も聞いた哀も不審な表情一つしなかった。
「……そこそこね」
「何か大きな環境の変化が数年前にあったのね。そして、今は、ふうん。新しいことを始めようとしている。それは……良い結果になるでしょう。周囲に認められるそうよ。勝因はずばり家族ですって」
「……」
 哀は目を眇めて美女を見つめる。美女は意味深に首を傾げた。
「少しは参考になったかしら?」
「そうね。……私、占いは統計学だと知っているけれど、貴方はちょっと面白いわね」
 哀は目を細める。
 占いの種類こそ違えど、「占い」は所詮過去からの積み重ねの統計学に基づいている。
 手相、人相学にしても、今までの統計の結果なのだ。ある相をした人がどうなったか結果を集計して確率が高いものが残る。簡単に言えば血液がA型の人が神経質が多かった、と結果が出たのでそう言われているだけなのだ。A型の人間が全て神経質な訳がない。
「まず私が強運の持ち主だと言うけれど程度問題だわ、たぶん兄妹で末の私が一番運が弱いもの。特異な運勢にしても、うちの長兄ほどの特異どころか希有な運命をしている人はいないと思うの。きっと貴方みたいな占い師にとっては涎ものの対象者でしょうね」
「随分興味深いご家族なのね」
「よく言われるわ」
 哀は小さく肩をすくめた。
「でも、貴方自身がかなり変わった運勢を持っていることに違いはないのよ。忘れないで」
「……それは、まあ、自覚あるわ」
「それならいいわ。これでも占い師の端くれだから、言わずにはいられない運命を持った人間を前にして黙ってはいられないのよ。余計なことだったら、ごめんなさいね」
 素直な哀の態度に美女は薄く笑う。
「いいえ。ありがとう」
 自分は現実や科学で解明できるものが好きだが、だからこそそれでは計れないものを見るのは面白いと哀は思う。
「何かあったら、またいらっしゃいな。自慢のお兄さまも是非見てみたいわ」
 美女はそう言うと、小さな水晶の欠片を哀に渡した。ちょっとしたお守り代わりよと差し出されたそれは見た目だけいえば何の変哲もない石だった。
「貴方にもね」
 後ろで待っている歩美にも同じ水晶の欠片を美女は渡す。
「ありがとうございます」
 歩美も水晶を手の中で握りながらお礼を言う。
「どういたしまして。また、待っているわ」
 そう二人に向かってにこやかに笑う紅魔女は最初の印象を裏切って随分優しいものだった。
 




「ブレンドコーヒーMサイズ一つ」
「Mサイズですね。畏まりました、少々お待ち下さい」
 店員の女性はカップにコーヒーを入れトレーを用意してスプーンや砂糖、ミルクを乗せる。
「お会計は220円になります」
 財布を開けると小銭がなくて千円札を出してお釣りをもらう。
「お待たせしました。どうぞ、ごゆっくり」
「ありがとう」
 コナンはトレーを受け取って店内を奥に進み、開いている席に座った。大きな集合テーブルはコナン以外誰も座っていなかった。
 それほど混んでいない店内は、所々に客が座り本を読んだり同行者と話している。小さく音楽が流れて隣の人間が何を話しているか聞こえない程度の喧噪は、一人でゆっくりと時間に身を任せる人間にとってはもってこいの場所だった。
 他人を意識しないでいて、孤独でもない。
 街角にある少しだけ奥まった場所に建つスタンドコーヒーはコナンの穴場だった。
 彼は今人に干渉されたくなかった。
 湯気の立ち上るカップからコーヒーを一口飲み干し吐息を付くと鞄から小型のノートパソコンを取り出して机に置き電源を入れた。どこでも使えるように周辺機器は用意してあるがやはりマウスが一番使いやすい。幸い広げる場所はあるから小型の光化学マウスを付けるとクリックして画面を立ち上げる。
 カードで繋がったネット上の情報を見て確認を入れながら、エクセルを立ち上げて書き込んでいく。ブラインドタッチでキーを叩いて処理していく姿は見る者があったなら見惚れるだろう事は必至だ。
 コナンは真剣な眼差しで画面を見つめて、キーを叩く。
 しばらく作業に没頭していると、隣の席に失礼と言いながら一人の男性が座った。
 男は足を組んで上着から煙草を取り出すと一本抜きだしライターで火を付ける。指に挟んで美味しそうに吸う姿は大層慣れていて男の喫煙歴を物語る。
 しばらく無言で吸い、灰皿に煙草を押しつけて消す。ふう、と吐き出した白煙が換気されている天井へ吸い込まれて消えた。背広姿からでも判断できるが男は均等の取れた鍛えた身体をしていることがわかる。どことなく男臭さが匂う野性味がある顔は10人に8人がいい男だろうと評価するだろう容姿をしていた。
 コナンはそんな男を横目にして、ポケットからディスクを掴んで徐に差し出した。男はそれを当然の如く受け取る。
「ひとまず統計は入れておいた。また、メールする」
「ほい、了解と。……相変わらず仕事が早いな」
 男はそのディスクを一別して背広の内ポケットに入れる。
「現時点での状況は、様子見だ。市場は変動しているようでいて少し下降気味だから僕の見解としてはしばらく待った方がいいと思う。それでも必用なら○○会社と××企業関連くらいかな。それと△△会社は危ない」
「ふうん。見ておく」
 男は頷いてまた煙草に手を伸ばした。ヘビースモーカーの男だけにコナンの眉間に皺が寄る。そのうち肺ガンに絶対なるだろう男の背広からは煙草の匂いが漂っているのだ。気分が悪いことこの上ない。
「レッド」
 自分の前では吸うなと毎回言っても聞かない男の名前をコナンは咎めるように呼んだ。
 男の名前は赤井秀一。通称レッド。
 コナンとの付き合いは1年半ほどだ。
 小言を言うコナンに秀一は肩をすくめて口元を歪めた。
 大層有能で鼻が利くが扱い辛く軽く見ると痛い目にあう子供、それが秀一のコナンに対する正直な感想だ。
「今度紹介したい奴がいるけど、どうする?」
 だから秀一も仕事の話を再開する。
「……信用できるのか?」
「口は堅い。実際目で見てみないと判断できないなら、内緒で見てみるか?ホテルのラウンジで俺が逢うから、近くで観察して判断すればいい。子供が一人で居ると怪しいからお友達でも家族でも連れて来てカモフラージュしたらどうだ?……ああ、でもお前の兄貴だけは止めておけ。目立ち過ぎる上に、紹介したい奴が惚れる」
 口の端をつり上げて秀一は人の悪い笑みを浮かべた。
「……悪趣味な事を言うな」
 コナンは吐き捨てる。
「何でさ、本当の事だろ?あれは人目を引き過ぎる。印象深すぎて隠れ蓑にはならない。……一度お願いしたいくらいに極上美人だけどな」
 何を思い浮かべているのか、秀一は面白そうに楽しそうに目を細める。
「兄さんを侮辱するのは許さない」
 コナンは冷たい瞳で秀一を睨む。
 普段何を言っても表情を崩さないコナンにしてはとても珍しいことだ。家族のことだけがコナンの唯一の地雷なのだ。否、地雷というよりこれ以上ないくらい大切なものであり、そのためだったら何でもするしそれを脅かす者がいたら抹殺するだろう存在だ。
「おお怖い。俺は子供には興味ないからな、お前も同じような顔しているけど守備範囲外だ。やっぱりあれくらい成長してないと抱き心地がな……」
「レッド。それ以上言ったら容赦しない」
 秀一の軽口にコナンはきっぱりと言い切り冷気を漂わせる。コナンは言った事は必ず実行する。秀一は仕事ができる男であり使えるけれども、切る事など造作もない。コナンにとって替えの効く人間なのだ。
「……もし、兄さんに何かしたら潰してやるから覚悟しておけよ」
 そして、にこりと笑った。世に言う悪魔の微笑み。綺麗で魅力的だが限りなく恐ろしい微笑みだ。それに逆らったら地獄に堕ちるだろう壮絶な笑みは少年が持つものでは決してなかった。
「冗談だろ。本気にするなよ」
「お前の冗談は過ぎる」
 冷酷に切り捨てる。
 侮ると痛い目を見るだろう子供の姿を被った悪魔のように狡猾な人間。
 それが現在の秀一の仕事上の相棒だった。
「ドイル」
「何だ……」
 秀一は普段コナンの本名を決して呼ばない。呼んでもお前、子供等々であるが真面目な時や真剣な話の時だけ通称である「ドイル」と呼ぶ。その名前はもちろんコナン・ドイルから来ていることは誰にでも理解できるが、一応秀一なりの敬愛が込められているのだがそれをコナンは知らなかったし、全く信じていなかった。
「悪かった。……話を戻すけれど、どうする?」
「口が堅くて信用できる人間は少ないけれど、それでも存在はする。問題は僕の外見を見てそれでも信用するかどうかだ。外見で侮る人間なんて必用ないからな、客ならともかく」
 そうだろう?とコナンは肘を付いて顎を乗せ秀一に視線を向けた。
「ホテルのラウンジで見せてもらう事には賛成だ。それで手配をしてくれ」
「了解」
 秀一は親指を立て頷いた。
 コナンはそれを見て、再びパソコンの画面に視線を戻してキーを叩く。そして、秀一の顔を見やるとにこりと天使のような笑顔を見せた。
「帰ったら、ウイルスに気を付けろよ」
「は?」
「僕オリジナルのウイルスを特別に送っておいてやったから。心して励め」
 そして徐にパソコンを鞄に仕舞い残りのコーヒーを飲み干した。
 じゃあな、と捨てぜりふを残してトレーも持つと立ち上がって秀一の前からコナンは消えていった。
「……つまりは、仕返しって事なのか?」
 先ほどの地雷を言葉だけでは許してもらえなかったらしい事が判明した。つくづくコナンを揶揄するにも命がけだなと秀一は思いつつ帰宅した後の苦労を考えて大きく吐息を付く。
 氷が溶けて水っぽくなったアイスコーヒーをグラスから飲んで、これからの算段を秀一はすることにした。仕事だけはしっかりとしておかないと真面目に自分を切り捨てるだろうコナンに予想が付く。まだ秀一にとってコナンは手放すには惜しい人材だった。
 
 




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