「工藤家の人々 1章 2」






 
「おはよう、新一」
「おはよう、快斗」
 新一が自分のクラスに入って行くと友人である黒羽快斗がすでに来ていた。彼とは小さな頃からの付き合いである。両親が生きていた頃は多くのパーティに出席することがあり財産家である黒羽家とも当然付き合いがあり、そこで彼とも知り合った。まだ互いが5歳くらいの頃だ。
 新一は席へ着いて鞄を置く。そこから教科書を取り出して机の引き出しに入れて鞄を横にかける。一連の作業をしていると快斗が新一の前まで来て、はいと本を差し出した。
「これ、読みたがってたやつ」
「サンキュ」
 快斗が新一へ差し出した本は前から新一が読みたいとこぼしていた本だった。それを快斗は覚えていたらしい。新一はそれを笑顔で受け取り感謝を述べる。
「いえいえ。ちょうどあったからさ」
 快斗は本当は探しただろうに、おくびにも出さず微笑む。
 工藤家には新一が好む蔵書があるが、如何せん今は本を買うお金もない。それにかける出費は極力抑えなければならないことくらい新一だってわかっていた。だから新一は図書館へ通っていたし、友人から借りたりして自分の読書欲を補っているのだ。
 資産家の黒羽家には蔵書も揃っているから時々新一は本を借りに行く。
「悪いな、快斗」
「こんなの別に悪い内に入らないって」
 そうだろ、と快斗は気安く笑う。快斗が笑うので新一もそうだなと微笑み返した。
「おはようございます、黒羽君、工藤君」
 そこへ礼儀正しい声がする。二人が視線を向けた先にはおなじみの友人が立っていた。
「おはよう、白馬」
「よう、白馬」
 白馬探、新一と快斗の友人であり幼なじみと言える関係だ。
 新一と快斗が5歳の時に出逢って、その後この学園に入学して白馬に逢った。つまり6歳で出逢ってからずっと友人関係にあるのだ。もう、幼なじみと言って差し支えないだろう。実質、周りの皆はそう見ていた。
「工藤君。うちの蔵書を今度整理することになりましてね。良かったらいらっしゃいませんか?」
「え?そうなのか。行く行く」
 新一は白馬の言葉に飛びついた。
 白馬家も黒羽家に劣らぬ資産家である。そこにある蔵書は新一の興味をそそり友人であることから、借りに通っていた。
 白馬はそれに加えて新一と本の趣味があうから、話していて楽しい。
「ええ、今度のお休みにでもいらして下さい」
「ありがとう!」
 新一は嬉しくて瞳をきらきらと輝かせた。それをいいんですよ、と白馬も優しげに微笑んで頷く。
「良かったな、新一」
「ああ。今度の日曜日にでも行くな」
「お待ちしておりますよ。黒羽君もいらっしゃいますか?」
「行くに決まってるだろ」
 俺をのけ者にするなよと快斗が言うと白馬はそんなことしませんよと口元を和らげる。
 3人は新一を真ん中に本当に仲が良かった。大抵3人一緒に行動する。もちろん資産家の子弟だから個々に様々な事があるのだけれど、そういった事を除外して仲がいいのだ。
「そういえば、園子に言われたんだけど。今日は奢られて来いって」
 新一は今朝も園子から言われた言葉をそのまま脚色もせず二人に言った。毎月の恒例行事なので快斗と白馬はその言葉をすんなり受け取る。新一は別に奢って欲しいなどと言っていない。単に工藤家の実力者園子から言われたままを友人に伝えたに過ぎない。そこには何にも含むものはなく、奢られる事に対する卑屈さも傲慢さも何も存在しなかった。
 彼はその点かなりの天然さんだった。
「あ、そうなんだ。じゃあどこに行く?」
「どこでもいいけど」
 新一は小首を小さく傾げる。
「そうですねえ、この間見つけたフランス料理店は美味しかったですが、工藤君は何がいいですか?」
「……堅苦しくないところがいい。制服だし」
「そうですねえ、だったら家に来ますか?そうすれば制服なのも気になりませんし、気楽ですよ」
 笑顔で白馬は誘う。
「そうだな……それもいいかな?」
「いいんじゃないか。白馬んとこのシェフいい腕だし。家もいいけどデザートの方が得意なんだよな」
「あ、ケーキもいるって言われた」
 園子から言われたお土産を新一は思い出し、ぽんと手を叩く。
「いいよ、ケーキなら家のパティシエに作らせるから。問題ない。届けておくように言っておく」
 快斗は携帯を取り出して、さっさと話し出した。
「では、私も。工藤君、今日の料理はフレンチでいいですか?中華でもイタリアンでも何でもいいですけど」
「フレンチでいい」
「わかりました」
 白馬も携帯で何やら話し出す。隣では早々に電話を終えた快斗が笑っている。
「今日は新一と一緒に夕飯だなあ。ちょっと久しぶりだ」
「そうだっけ?」
 新一は夕食はなるべく家で取る。家族を大切にしているからクラブにも入らず用事がない限り真っ直ぐに帰宅する。家長としても威厳なんて感じていないがそれでも責任はあると思っている。頼りなくても自分が一番上なのだから、とそれだけを新一は心がけていた。
 快斗や白馬と一緒に出かけて夕食を取ることはもちろん楽しいが新一は何より家族を優先する。そのことを二人とも知っていたから、無理には誘わない。その分実力者の園子から晴れて奢られてこいというお達しがあると、堂々と誘えるからその機会を逃すはずがなかった。
「帰りは送るし。大丈夫だって園子ちゃんに言っておいていいよ」
 新一はうんと頷く。そして、校内であることを配慮して園子にメールを入れることにした。
 出かけた場合どちらかが新一を送っていくのが常である。夜遅くならないように、遅くなっても絶対連絡を欠かさず送る。まるでどこか深窓のご令嬢に対する態度のようであるが、意味合いとしては同じようなものだ。
 なにせ、新一一人でふらふらさせておくなど恐ろしくて安心できないのだから。
 幼少の頃誘拐されかけた逸話がある事からわかるように、何が起こるかわからないのだ。新一を送るという事そのものが実は出かける時の園子との約束である、とは新一本人は知らなかった。知らないが不審に思ったことはない新一はある意味滅茶苦茶鈍感で総天然色だった。
 
 



「先輩、『白百合の君』の新作が欲しいんです!」
「私は『白薔薇の君』を」
「『アイリスの君』と『桜の君』が……!」
「はいはい、注文する人は並んで下さい」
 工藤家の長女園子がクラスに顔を出すとすぐにはりきった声が掛けられた。いつものことだ。
 園子は席に着いて鞄を置くと、ノートとペンを取り出し一列に並んだ人物達一人一人から注文を聞く。
「で、貴方は?」
「『白百合の君』と『白薔薇の君』の新作全部下さい」
 喜色満面な少女はきっぱりと大きな声で訴える。
「はい。じゃあ5枚と4枚あるわ。……これ見て確認して後ろ回してちょうだい」
 園子は学年、クラスと名前を聞いて注文票に書き込む。そして、見本である写真が納まったアルバム渡して並んでいる後ろに回すように指示した。
「次は?」
「はい。僕、『アイリスの君』と『桜の君』を」
「どれだけ?貴方新顔ね」
「全部です。全部下さい」
 今まで勇気が出なかったんですと少年は頬を染めた。
「そう、………これからもどうかよろしくね」
 園子はにこりと愛想良く笑う。しかし、心中は全部買い占めてくれる上客ににやりとしながら反面、どうしてその二人で止まるのかと悪態を付いた。
「お姉さま、私はもちろん『ひまわりの君』ですわ。お姉さまにはどこまでも付いて行きます」
「いつもいつも、ありがとう」
 園子は目の前でうっとりと目を輝かせている少女に、愛想笑いを返す。
 自分を慕ってくれる少女は可愛いが、だからといって熱烈に見つめられるのはちょっと遠慮したい。なぜなら少女が慕っている理由が自分の容姿ではなく性格なのだから。
 園子が先程から売っている写真は工藤家の人間の写真である。
 『白百合の君』が新一、『白薔薇の君』がコナン、『アイリスの君』が哀、『桜の君』が蘭、『ひまわりの君』が園子。通称で呼ばれる程兄弟は学園で有名だった。その渾名は学園中に知れ渡り、堂々と呼ばれているため誰もが知っていた。知らないのはそういう噂に疎い新一だけであろう。
 家族の写真を園子が撮るのだから、当然隠し撮りではなくまるでポートレートのように目線のあった出来のいい写真ばかりである。売れ行きは良く1枚150円という値段はアイドルの生写真並みだ。
 売れ筋としては一番人気が新一で二番がコナンである。彼らは女性から男性まで幅広く買われる。そして哀。蘭と続き、最後に園子。園子本人からすればなぜ私が『ひまわりの君』なの、皆綺麗な花なのにと言いたい事も過去にあった。しかし最近は諦めている。この際写真が売れてくれるなら自分の人気が最下位でもいい。商売に私情は禁物だ。
「えっと、あの私は『白百合の君』と騎士様が欲しいんです」
「はーい。騎士は二人とも?」
「はい。二人ともです」
 そう、と園子はノートに注文を書き込む。
「私も!」
「私は白騎士様の方がいいけど」
「えー黒騎士様でしょ?」
「二人とも捨てがたいわよ。どっちかなんて選べないわ。……っていうか、『白百合の君』はどっちなのかしら?それが一番知りたいわ」
「そうよね、そうよね」
「3人並んでいるだけで絵になるわ。美形ばかりに囲まれた美貌の君!」
「廊下でお見かけするだけでドキドキするわ〜。いいわあ、うっとりしちゃう」
「でもね、やっぱり黒騎士様と並んでいる方が似合うと思うのよ。仲がいいし、黒騎士様の見つめる視線がいいのよ」
「えー、白騎士様だって上品で優雅よ?お似合いだと思うわ」
 目の前でいきなり黄色い悲鳴を上げながら盛り上がり始めた少女達を、園子はまた始まったと口を半開きにしながら冷めた目で見上げた。
 騎士達とはもちろん『白騎士』が白馬探、『黒騎士』が黒羽快斗の両名である。新一を挟んで仲がいい上あらゆる事から守っているからその名前が付いた。誰が付けたか、単純である。
 そして、二人の人気は二分していた。
「園子さん、本当はどっちなんですか?」
 噂の真相を知りたい少女達は家族である園子へ率直に矛先を向けた。
「さあ。知らないわねえ」
 園子は白を切る。
「えー、家族なのに知らないんですか?」
「知らないわよ。そういう事は、新一君本人しかわからないでしょ?」
「確かにそうですけど……」
「でもねえ……」
「ほらほら、注文をさっさとしちゃって。後ろがつかえているわ」
 不満顔でぶつぶつ言い出す少女の注文を聞いてちゃきちゃきと仕切る。
「大変そうね、私も手伝おうか?」
「蘭……」
 隣のクラスの蘭が苦笑しながら横に立っていた。毎朝の園子の副業、仕事を手伝いに来たらしい。
「ありがとう、じゃノートに書いてくれる?」
「いいわよ」
 蘭を自分の隣の席に座らせてノートを渡し園子は注文を聞いたり列を整備したりする作業に集中する。すると工藤家の長女と次女が揃っているせいか、騒いでいた人間も静かになり列はすんなりとさばけていった。
「まあ、朝はこんなとこか。昼また波が来るだろうけど」
 とんとんと片方の手で肩を叩きながら園子は首を回す。ぼきぼきと鳴る音が若いのにもの悲しい。
「昼?いいよ、手伝いに来るから。新作が出ると忙しいもんね」
「ありがとう、蘭。助かる」
「いいわよ、そんなの」
 蘭がくすくす笑う。蘭は工藤家で一番性格がいい。裏表のない性格に家事は万能。その上器量好し。売れない訳はないのだが、付き合っている恋人はいなかった。
 形ばかりの許嫁がいる園子とはえらい違いである。本当なら蘭の方が相応しいだろうにと園子は幾度も思う。
 園子に許嫁がいるくらいだから小さな頃に蘭もそんな話が出たが消滅した。まして両親が亡くなってからはそんな話が出るはずもなく、今のところそれが実行されるかどうかは置いておいて、許嫁が決まっているのは園子だけという状態だった。


「それにしてもさ、今日も新一君の相手は黒羽君か白馬君かって煩いよ」
「あ、やっぱりそうなんだ?私も聞かれたもん。みんな関心があるんだよね」
 蘭はカップコーヒーを飲みながら朗らかに笑う。
 ちょっと仕事の後の休憩と僅かな時間で校舎の1階にある自販機前まで来ている二人は安いカップコーヒーを飲んでいた。学校におかれているせいなのか、一杯70円と安い。その中で特選ブルーマウンテンなるコーヒーが一番高くて120円であり、味的には70円のコーヒーと大差ないと思うのだが、贅沢したい気分の時はそれを二人は選ぶ。
「でもそんなの私たちに聞かれてもねえ。見たままじゃない。あの新一君相手だよ?」
「そうよね、新一だもんね。天然で鈍感で無自覚で無防備。歩く公害みたいなのに!」
 さすがに双子なだけあって掛け合いの息があっている。
「ま、黒羽君は相変わらずだけどね。あのままなら私にも考えがあるんだけど……」
「何?」
「新一君に玉の輿に乗ってもらうって事よ。新一君なら選びたい放題なんだから!これでも男の純情を優先させてあげてるっていうのに、いつまでああなのかしら?」
「いつまでって、いつまでだろうね。気持ちもわかるけど……。なんせ相手が新一だし。アプローチしても気づかない鈍感相手だから、男の純情ってなかなか扱い難いみたいよ?」
 蘭は新一の「友人」と書いて「思い人」と読むの男の顔を思い浮かべて苦笑する。
「だってね、もうずっとずっと黒羽君は新一しか見えてないんだから」
「そんな事わかってるわ、蘭。けど、いつまで待てばいい訳?ええ?」
 男ならいい加減きっぱりと決めろ、と園子は言い切る。快斗から言わせてもらえば、余計なお世話である。
「黒羽家の長男なんだから、うちに婿には来てもらえないでしょ?新一君が嫁に行くしかないけど、ちゃんともらってくれるの?そうじゃないなら、そのくらいの覚悟と意志が見えないなら本気で他に玉の輿先探すわよ。工藤家としても新一君の将来にしても、それが一番なんだから。……新一君が世間で生きていけるとも思えないしさ」
 はん、と園子は鼻をならす。
「誰かの保護が必用だよね、新一って。まあ候補なんて掃いて捨てるくらいあるけど。白馬君だってきっと面倒くらい見てくれるよ?とっても大切にしてくれてるし」
「そうね……」
 誰も聞いていないため、二人は言いたい放題である。
 そもそも黒羽家の長男快斗と幼少の頃将来の話が出たのは蘭だった。親同士が親族になるのもいいねえなどと両家の父親が言い出したが、すぐに立ち消えた。
 なぜなら、肝心の快斗本人が妹の蘭ではなく、長男の新一にご執心だったからだ。その事実は誰の目にも明らかだった。
 黒羽家の当主は当然ながら申し訳ないと苦笑した。新一しか見えていない快斗と婚約するなど蘭にはあまりにも申し訳ない。第一失礼になるだろう。親としても息子が好きな相手を娘と婚約させるなど不幸が見えている約束などできなかった。そこら辺は子供の気持ちを大切にする人の良い親同士だった。
 蘭は全く気にしていないが、園子は幼心に思った。
 人間は顔だ、と。
 蘭はとても可愛い少女だった。誰から見ても申し分ない少女だった。しかし隣に新一が並ぶのは分が悪かった。別格の輝きを持ち子供ながらに美貌としかいいようのない容姿の新一。だから快斗が新一へ引き寄せられても仕方ないのだ。子供は残酷なほど正直なのだ。そして子供は綺麗で可愛いものを欲するのに禁忌がない。ただ、好き。それだけだ。
 結局それ以来蘭に許嫁の話が出ることはなかった。
 そして、新一にも。
 今は亡き両親がどう思っていたのかは定かではないが、黒羽家の長男快斗に新一をやってもいいくらい気前良く考えていたのかもしれない。両親はなかなか世間の常識などどうでもいいと思う破天荒な人達だったから。お人好しだが大胆不敵で天衣無縫。容姿は極上という強者だった。
「新一君の行き先は本人の意志を優先したいんだけど。このままだと鳶に油揚げになっても知らないんだから!」
 園子が叫ぶ。
 すでにどこかにやることは前提の会話である。新一に工藤家を継いでもらおうなんて欠片も思っていないのだ。いいところに嫁いで大事にされて保護されるのが一番と兄弟姉妹から思われているなどと新一が知らない事は幸いであるだろう。
「鳶に油揚げねえ。黒羽君や白馬君以上の人材ってまだ見たことないけど」
 蘭が過去を振り返って腕を組み首をひねる。
「世の中は広いのよ。どこかの王子様が新一君を見初めないとも限らないでしょ!」
「どこかの王子?今時いるかな?」
 姫ではなく王子という意見には全く疑問を持たない二人だった。
「だから、未来の事なんてわかんないっていう意味よ。でもね、新一君はお母様の『傾国の美女』ばりの美貌を受け継いでいるんだから王国に嫁いでも遜色なくってよ!王子様は美女にうつつを抜かして政治が疎かになって国が傾くのよ?楊貴妃ってお呼びっ!」
「……園子、カルシウム足りてない?」
 あまりの暴言に蘭は少々不安になる。園子の雄叫びは、たががはずれている。
「……違うと思うけど、今月ピンチだからちょっとヒートアップし過ぎたかしら」
 ふうと息を吐いて肩から力を抜く。
「今日は、カルシウムを補う料理にするから、園子倒れないでね?」
「大丈夫よ蘭。また昼休みにはどーんと稼ぐんだから!こんな事で負けてられないわ」
 どんと胸を叩く園子に蘭はうんと頷いた。
 工藤家の大黒柱は誰が見ても園子以外にいないだろう。逞しい、その腕にぶら下がっても決して折れることなどないような強固な意志。素晴らしいの一言だ。尊敬の眼差しで園子を見つめる蘭だった。
 






BACKNEXT