「竜の眠る国」 白帝の章1ー9






 
 アリメリア帝国。
 
 大国と呼ばれる三国の中で、一番南部にあるため気候が暖かく過ごしやすい。そのため一年通して雪は降らない地域だ。山脈は少なく平野が多い。そして、大部分が海に面し、小さな島もいくつか有しているため、有益な港がたくさんあり貿易が盛んである。あらゆる物が港を経由して他国へと流れるため、恵みも大きく様々な物がこの地に集う。漁業も盛んで新鮮な魚介類が捕れ国に大きな実りを与えてくれる。
 新鮮な魚介類は大変美味しく、他国から来た旅人にも評判である。
 暖かい国のため、国民は少し浅黒い肌の者が多い。筋肉の付いた体躯と彫りの深い顔立ちで、髪は黒髪が多い。ただ港が多いので人種的に混じり、いろんな髪や肌、体格の人間が混じっているという特性がある。
 現時点、トルラードともヴェルランドとも友好関係を保っている。
 当代の皇帝は、至って普通の王だ。愚王ではないが、賢王でもない。そう評されているが、無闇に税を高くしないので、国民からは嫌われていない。壮年という年齢で、皇妃、貴妃、夫人が生んだ子供をすべて足すと、皇子五人に皇女四人。合計九人と皇帝としては普通の子弟の人数である。
 

「初めて来た……」
 アリメリアの地に初めてお降り立ったシンは、なんだか嬉しかった。
 トルラードとは明らかに違う。
 行き交う人達を眺めていると、顔かたち、体付き、身につけている衣装が違う。暖かな気候は今の時期でも薄着で十分だ。
 シホの用意したシンの衣装はトルラード王国の貴族の子息に見えるような、襟の詰まった白い上着に深緑色のズボンだ。上から丈の長い上着を羽織っているが、薄い素材のため暑そうに見えない。
 長い黒髪は首の後ろで一つに飾り紐で縛り、白い布を被っている。日差しが強い地域のため、夏は多くの人間が日除け代わりに白い被り布やベールを被る。
 トルラードも同じような気候的理由で……夏は日除け、冬は防寒……男性は被り布、女性はベールを被るが、女性は特に習慣として顔を隠すため身につける。
 その点、アリメリアは実用性が高いようだ。春の季節ではそこまで日差しは強くないから、厚手の布……頭を覆ったり、何かを包んだり様々な用途に使う布であり、素材も多彩だ……を被っている人間は極稀だ。目立つほどではないが、肩に見慣れない動物を乗せている事の方が目を引いた。
「シンイチ様は初めてですよね。どうですか?」
「なんか、やっぱり違うんだなーって思うよ。何を見ても物珍しい感じ」
 素直な感想を述べるシンにキッドが笑みを浮かべる。うきうきとしている表情が、とても微笑ましい。
「そう思うだろ、コナンも」
 シンは自分と同じようにアリメリアの地に初めて来たコナンに話しかけて、頭を撫でる。コナンは同意を示すつもりか、きゅーと鳴いた。
「さて、どこに行きましょうか?」
「そうだな、薬師の店を訪ねてみようと思う」
「そうですね。何か知っているかもしれません。病の人は、まず、そこに行きますから」
 風邪かと思ったら、ひとまず薬師のところへ入って薬草をもらうのが一般的だ。煎じて薬湯として飲む。傷なら薬草をすりつぶしたものを塗る。
 もし、黒点病にかかった病人が行くのが薬師の店だ。そこに情報があるといっていいだろう。
「町で適当な大きさの店を探そう」
 王宮から少し離れた町に二人は来ている。アリメリアの首都マッサーラにこの国の皇帝が住む王宮があり、その王宮の周りに町が広がっている。正門の通り沿いに連なる店、そこからいくつも道が連なり人が住んでいる。二人がいる町はその王宮沿いの町から徒歩で半刻ほどの距離だ。港に近いため、人種もごったがえしている。
「はい。では歩いてみましょうか」
 頷いたシンの隣にキッドは用心深く立ち、何者からも守るつもりで周りの気配にも気を配る。
「いろんなものが売ってる。国が違うと、ちょっとずつ違うもんだよなー」
 同じものを扱う店であっても、並んでいる品物が微妙に違うのだ。果物など、見たこともないものが山になって積んである。
「後で食べてみますか?」
 シンが注意を引かれた果物に熱い視線を向けるため、キッドが聞くとシンは素直に食べてみたいと答えた。好奇心がいっぱいで、あふれんばかりだ。
 キッドとしてはシンが楽しいなら何のも問題もないため、をシンの興味がそそられたものを覚えておいて後で寄ろうと決める。騎士の鏡かもしれない。
「あ、ありましたね」
「ああ。大きいし。入ってみよう」
 店先には薬草が籠に入れられ並べられている。外に出してあるものは高価な薬草ではない。風邪を引いた時に飲むと喉にいいものや、お茶に混ぜると滋養にいいと言われるもの。薬湯の代わりになるようなお茶の葉もある。
 アガサの店でよく知っているし、シンも薬草をアガサから習ったため普通の人間よりは詳しい。
 シンは中へと足を向けて声をかける。
「こんにちは」
 奥からはーいと声がして、人が出て来る。
「あれ?旅の人かい?」
 出てきたのは若い男性で作業をしていたのか白い布を腰に巻いている。シンは愛想良く微笑む。
「そうですよ」
 被っている布を少しずらしたせいでシンの笑みを真正面から目にして、店主は絶句した後大きくため息を付き顔を上げ気を取り直した。
「……その服装、顔立ちはからいって、トルラードだろう?」
「はい。わかりますか?」
「もちろんさ。こんな客商売していれば一目でわかる」
 シンの問いに、男は胸を叩いて自信満々に言い切った。
「あんた、かなりいい身分の人だろ?着ているものもいいものだけど、滲み出る気品が違い過ぎる。それに、その顔で庶民ですって誰も信じないさ。お付きもいるしな」
 そう笑ってシンの後ろに控えるキッドを視線で示した。
 どうやら、店主は相当に人を見る目があるらしい。
 その美貌の笑みを見てすぐに正気に戻ることができる時点で、普通ではないのだ。
 シンはある程度高い身分の人間だと言い当てられるだろうとは覚悟していたが、こうも目端の利く人間に最初に当たるとは思わなかった。用心に越したことはないが、少年らしく振る舞っておけばいいだろうと考え直して聞いてみることにした。
「ええ……一応貴族の子弟です。私は次男ですから、兄が父の後を継ぎます」
 身分が見つかってしまって困ったように、シンは弱く微笑む。後ろでキッドが小さく頭を下げる。
「実は、父親が病気で、薬を探しているのです。国で取り寄せられる薬はすべて試したのですが、効かなくて……。この国ならなにかあるかもしれないと、足を運んだのです」
 悲痛さを滲ませて、目を伏せ気味にシンが告白する。それに、ほうと顎に手をやり店主は頷く。
「どんな症状だい?」
「最初は風邪のように熱が出て、身体に斑点が浮き出たのでかぶれたのかと思ったのですが。その斑点が黒くなって、父親は苦しみだしたんです。どんなに手を尽くしても回復しなくて。この間は血を吐きました……。国で黒点病と呼ばれるものではないかと薬師の方が言っていました。もう、心底困って。どうしていいか」
 シンはぎゅっと唇と噛みしめて病状を説明した。
「そうか、……かなり難しいな」
 顔を顰めて店主は眉間にしわを刻んだ。
「難しいですか?」
「ああ。昔聞いたことがある。そういう病があったって。薬もなくてな。トルラードでまた出たのか?」
「ここでは、掛かっている人はいないのですか?」
「うーん、俺は聞いていないな。ないとは言い切れないが」
「薬も?なんでもいいのです。ありませんか?」
 縋るような視線に、店主はぐっと詰まる。
「……あー。何か、あったか。俺が知っているのは、アレーナっていう万能薬くらいだな。すごく高価で稀少で手に入らないっていう薬草だ。それなら、もしかしたら効くかもな……」
 頭を掻きながら懸命に思い出しながら、店主は答える。
「アレーナ?どんな薬草なんですか?……どうしたら手に入りますか?」
 少しでも父親が助かる方法が知りたいのだと、真剣な目で見つめる少年に店主は困る。その薬草は、おいそれと手に入るものではないからだ。
「……アレーナは黄色い花が咲く野草だ。冬山に咲く花だと言われている。それの根を乾かしすりつぶして飲む。貿易の盛んなこの国でも入ってこない。あっても王宮だろう。一般庶民が手に入るものじゃない」
「……そんな」
 シンは手を堅く握りしめ、震える己の身体を懸命に律する。
「冬山に咲く花だというなら雪に覆われている国にあるのではないですか?ここの港に運ばれている前、産地なら。高額だということは承知しています。それでも縋るしかない」
「……雪に覆われた国。デン共和国。それとも、ヴェルランド、トルラードの北部に位置する厳しい山脈。そのくらいだな、あるとすれば。でも、貴族の子弟では到底買えないだろう。一国の王様なら話は別だがな」
 店主は、辛いが諦めるように目の前の少年に断言した。
「……そうですか。ありがとうございます。お邪魔しました」
 シンは頭を下げた。そして、行こうとキッドを促して店を後にした。後ろで、気を落とすなよ、と店主の声がする。それに振り返り、一礼してシンは人混みへと紛れ込んだ。
 
 
 その後、いくつか他の薬師を回ってみたが、めぼしい話は聞けなかった。ただ、一つの店では黒点病のような病人がいて亡くなったと聞いたと言っていた。今から半年も前のことだ。もう一つの店は、黒点病かどうかわからないが、そんな病に掛かっている人がいると言っていた。
 
 

「どう思う?キッド」
 シンがお茶を飲みながら、目の前にいるキッドに問いかけた。
「そうですね。薬師すべてに情報が回っている訳ではありませんから、知らない方もいらっしゃるようですが。この国にも病は広がっている最中というところでしょうか。広がり始めたばかりで、これからなのかもしれませんが」
「うん。私もそう思う」
 シンは手の中の白い茶碗を見つめて、小さく息を吐いた。
 二人は、今通りにある茶屋で休憩している。
 連なる店の中で良さそうな場所を探した。暖かい国らしい麻の日傘が立てかけられた場所に、小振りな木目のテーブルと椅子がある。そういった席がいくつかる出店だ。店主にお茶や菓子を注文して、それを受け取ってから座る。
 お茶はこの国特有の、甘いお茶だ。アリメリアで栽培されている茶葉で、茶葉自体が少し甘みがあるもので、それに白い花を加えて香り付けしたものだ。飲むと鼻にふんわりとした香りが抜ける。
 丸みを帯びた白い陶器の器でお茶を飲むのが何ともいえず風情があってシンはとても気に入った。
 菓子は揚げた餅のようなもので、コナンがテーブルの上でむしゃむゃと食べている。その頭を撫でながらシンは考えを口にする。
「皇帝もまだ知らないのだろう。何か対処しているようには感じないし。薬師も知らない人と知っている人と差がある。病について知らせも受けていないと考えるのが妥当」
 もっとも、シンはアリメリアが病を他国に広げている可能性も考えた。アリメリアも被害を受けているだけか、首謀者か。国との戦いは戦争以外でもやろうと思えばできる。もし、不治の病を自由に広げることができたら、他国の国力をそぐことができる。戦法として最悪だが、そういった方法もあるのだ。町で聞いた限りは、その線はかなり低いと睨んだが。シンはそんな物騒な考えをしていたとはおくびにも出さないでキッドの顔を見る。
「そうですね。下々の出来事が早急に王まで伝わる国は稀ですから」
「我が国は、違う。それは、王城に仕える者以外に信頼に足る存在があるからだろう。博士は我が国だけではなく各国の事にも詳しいし、王にも率直に進言するから」
 信頼の置ける臣がいるいないで大きく違う。そして、その助言を聞き入れることができる器が必要だ。
「シンイチ様も動きますしね」
 にこりとキッドが明るく笑う。
「それ、もしかして嫌味か?キッド」
「まさか。とんでもありません。騎士たる私がそんな事をするはずないじゃありませんか。シンイチ様にこれほど忠誠を捧げていますのに」
 茶目っ気に笑いキッドがシンの手を取り甲に口付けを落とす。さりげなく堂々としたせいで、誰も気が付く者はいなかったようだが、シンはぎっとキッドを睨んだ。
「時と場所を選ぼうな。キッド」
 目が笑っていないシンの無言の圧力に、キッドはぱっと手を上げた。
「それにしても、シンイチ様は演技がお上手ですね。店主もころっと騙されおりましたよ。……男言葉も馴染んでおりますし」
 感心半分、苦笑半分でキッドが先ほど見たシンの演技力を誉めた。父親を病におかされ心底困っている貴族の少年。シンは見事になりきっていた。普段は多少乱暴な時はあっても姫らしい言葉を使うのに。
 シンにこんな事ができたとはキッドは知らなかった。
「ああ。あれくらい訳ない。私は常日頃から、偽って生きているようなものだから」
「……」
「そんな顔、キッドがしなくていい。別にだから不幸だとか困っているとか悩んでいるとかない。私は、こうしか生きられない。こうして生きる定めの者だ。生まれた時から決定されていて、こうしてコナンと生きている。それで十分」
 そう綺麗に笑うシンにキッドの方が切なくなる。性別を偽り、この国のために生きている。死ぬまで一生。その巫女姫を守るのがキッドの定めだ。自分から望んで今がある。
「私も、シンイチ様のお側にいられて僥倖です」
 ずっと側にと再び胸の奥で誓いながらキッドはシンを見つめる。キッドの迷いのない瞳の色を見てシンは仕方なさそうに目を細めると、コナンの頭を一度撫でてから話を戻す。
「キッドがいいなら、私はいいけど。で、もしやはり皇帝が病に付いて知らないなら、我が国王に親書を認めてもらおうと思う。不審な病気、死者がいないかと。国をまたいで被害があるなら協力くらいするだろう。いくら遺恨があっても」
 シンは細い顎に手を当ててこれからのことを語る。
「根深いものがありますからね。気持ちはわかりますが、私も」
「キッドも?」
「もちろんですよ。誰が自分の主を他国の皇妃や王妃にやりたいと思いますか」
 やけにきっぱりとキッドは吐き捨てる。珍しい。シンは目を瞬いて、やがて声を立てて笑った。
「ないって。シホにも絶対にないって言った。それに、私なら浚われてもコナンと一緒に帰ってくる」
 そう。最悪、コナンが元の竜に戻ってしまえばいい。その背に乗って帰ることは可能だ。やるにはあまりに衝撃的であり竜の姿を晒すことになり、後に困るけれど。戻れなくなるよりずっといい。
 そんな方法があっても、実行しなかった過去の巫女姫はよほどの覚悟があったはずだ。その皇帝と一生を生きる覚悟が。決して恋情があって皇妃として収まった訳ではないことも知っているけれど。それは言うべきことではない。
「信じております」
「ああ」
 キッドの切なる願いにシンは満面の笑みで頷いた。
 
 








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