「竜の眠る国」 白帝の章1ー8




 


 通常、国王に謁見するにはそれなりの手順を踏まなければならない。一国の主である。簡単には会えないものだ。国内の貴族ならそれでもそう待たされることなく会えるし緊急事態なすぐにも会って話すことができる。
 これが国外、他国ともなれれば先触れが必要だ。宰相や文官や武人なら、それそう等の対応がされる。が、これが国王や王子などの王族の場合、この国にとっても賓客として扱い宴が催されることとなる。そして、国同士の交流を深め、様々に会談を持つ。
 だが、どこにでも例外ある。そしてそれが国王の親族、子供なら大した手はずを踏まずとも会える。同じ城の中に住んでいるのだ。侍女に知らせを伝え、そのまま王が住まう棟へと赴けばいい。
 だが、これが巫女姫の場合は、これまた例外中の例外である。
 何も伝えなくとも、部屋に忍び込もうと許される。この国にとって巫女姫は国王より上であるからなのだが、他国では絶対に許されないことであろう。
「いらっしゃいませ。巫女姫」
 国王が尊称を付けて呼び、敬語を使う。
 すべての王が同じように接している訳ではないが、この王はずっとこんな感じでシンに接している。
 クロサード・ユーサク・ラ・トルラード。民からはユーサク王と呼ばれ親しまれている。他国からは賢王として評判であり、国内からも素晴らしい王だと尊敬を集めている。
 少し癖のある黒髪に青灰色の瞳の涼やかな顔立ちをした国王だが、もちろん穏やかな顔だけではない一面も持っている。冷酷で冷淡な政治家である一面は、滅多に浮かぶことはない反面、一度見てしまうと恐ろしい王という印象に塗り変わる。
「久しいな。陛下」
 シンは今回はちゃんと侍女に訪問を告げた上で部屋に赴いている。後ろにキッドを従え、国王の部屋を臆することなく歩いて、自室のようにくつろぎソファに座る。その背後にはキッドが立って控えている。肩に乗ったコナンが小さく鳴いて、シンの膝に降りてきて丸くなった。
 それを見て取って、ユーサクは苦笑する。
 用意しておいて茶器とお湯で自らお茶をいれてシンの前に置いてから、自分も向かいの腰を下ろした。
「巫女姫がわざわざいらっしゃる。今回はどうしました?」
 穏やかな声音で、柔和な表情を浮かべてユーサクは問う。
「もう聞いているかもしれないが、死に至る病のことだ。黒点病とも斑点病とも呼ばれていて、めぼしい特効薬がない。博士から話を聞いて調べてみたが、国内に広がっているらしい。至急、薬草を集めて病に効くものを調べている最中だ。国王の名で、国中におふれを。病は最初風邪に似ているが、そのまま放っておくと死ぬ。国の至る所の現状把握を。そして、特効薬にして知っていることがあれば、誰からでもいいので募ってもらいたい」
「なるほど。すぐにでも」
 ユーサクは頷く。
「それで、巫女姫。まさか国外へも行かれるおつもりですか?」
 柔和な顔から、少し眼光を鋭くしてユーサクはシンに聞いた。
「他国では同じような病が広がっているのか。もしかして、それに関する詳細を知っているのではないか。知っておくべきだろう?」
「いいえ。それ自体は全く持ってその通りだと思います。それに、巫女姫の行動を止めることなどしませんよ。ただ、国内ならどこへ行ってもいいのですが、他国へ行く場合はお気を付け下さい。できるなら、行って頂きたくはないのですが……そういう訳にはいかないですし」
 巫女姫に危害を加える人間などこの国には存在しない。だが、他国となると別である。その麗しい容姿だけで人を恋に陥れる存在だ。余計な害虫など現れては、腹立たしいことこの上ない。王はそう思うのだ。
「特に、アリメリア。あそこだけは、いけません。そして、王族。絶対に会わないで下さい」
 ユーサクの目が危険な色に鈍く光る。それにシンは気落ちしソファに深く腰を下ろし直して頷く。
「……はあ。わかった。そうする」
「絶対ですよ?巫女姫」
 ユーサクの声は低い。
 シンは心中で、疲れたため息を付く。
 国王のアルメリア帝国嫌いは根が深い。
 別に現王が何かされたのではない。昔からの遺恨だ。巫女姫をアルメリアに皇妃として嫁がせることとなった王が、後悔を綴った書物が存在するのだ。王として巫女姫を他国に嫁がせるなどあってはならないことなのだ。当時、姫が争いを望まないと皇妃となることを承諾して、仕方なく王は送り出した。それ以来、歴代の王は竜に選ばれし者が生まれると、アリメリアに対する態度が悪い。二度とあんな事にはさせないと、絶対に巫女姫をアリメリアの王族に会わせないと決心している。
 巫女姫が皇妃となってもその血がアリメリアに残っていることはあり得ないため、トルラードの血を引く子孫もないのが、拍車をかけている。
「しかし、今回は本当に身の程知らずがおりましてね。先日、隣国、ヴェルランド王国から使者が参りました。巫女姫を是非王子妃にとの申し出です。こちらも事情をお話ししてお引き取り頂いたのですが、今度は再び王子本人が約束もなくおいでになり、是非にとお願いされたのですよ」
「……」
 それを聞いても、シンには何も言えない。ユーサクの怒りがひしひしと伝わって来る。
「本当に聞き分けがない方ですよ」
 ユーサクは、意地悪い笑みを秀麗な顔に浮かべる。
「我が国の事情を理解しようとしない。巫女であるなら、巫女を辞すれば普通婚姻できると浅はかに考えて。この国にとって巫女姫がどういうった存在か説明しても、諦められなというのです。困った方でした」
 過去形である。どんな風に納得させたのだろう。というより、追い返したのだろう。一国の王子に対してあまり無下な態度もできないだろうし。
 シンは無言で王を見つめた。
 これがユーサク王のアレなところだ。シエーラとシンが揶揄していたところだ。
 こと、シンの縁談話やアリメリアに関することには敏感で、我を忘れるくらいの怒りと冷たさを漂わせる。
 きっと、アリメリアに皇妃として巫女姫を出さなければならなかった時の王の呪いだ。アリメリア、許すべからす、という心の声が見えるようだ。
 シンは特別アリメリアに対して思うことはないのだが。
 
「キッド」
「はい」
 ユーサクはシンの背後に立つキッドを呼び真剣な目で見つめた。キッドもまっすぐに見つめ返す。
「姫を頼むぞ。絶対に、絶対に、守り抜け。特にアリメリアの地では気を付けよ」
「はい。必ずや」
 キッドは手を胸において、一礼する。ユーサクはうむと頷いて、頼むぞと繰り返している。
 シンはぐたりとソファの背もたれに体重を預けた。
 甚だ疲れる。これがなければ、賢王なのに。父親で血の繋がった国王でも、シンにとってはただの過保護な王である。
 シエーラ様。がつんと言ってやって下さい。妹であるあなたのお小言ならきっとこの王も聞きますから。
 シンは心中でシエーラに助けを求めた。
 
 
 
 
 
「やっぱり、アリメリアというか他国へ行く場合は巫女姫だとわららないように変装するべきでしょう?」
 博士の店の奥で、にこりとシンは笑う。
 あれほど気を付けてと国王に言われても本人はとても楽しそうだ。他国へなどそうはいえけない身であるから、致し方ないのかもしれない。
「男の格好で行けば、ばれない。うん、いい考え」
 シンは自分の考えに満足して頬を緩める。
 男装する気なのだ。男の服装をしていれば、さすがに他国でトルラードの巫女姫とは思われないだろう。
「姫……」
 キッドが抗議を兼ねて真摯に見つめるが、シンはふんと鼻を鳴らした。
「それ、禁止。キッドが姫なんて呼んだらばれるもの」
「ですが……」
 言い募るキッドにシンは腕を組んで首を傾げ悩む。
「うーん。男装しているから、男の名前がいいよな。そうだ、シンイチ。これからこの姿の時は、そう呼べ!これ命令」
「シンイチ……様?ですか」
「そう。全く別の名前だと間違える可能性があるから」
「……わかりました。しかし、それでも用心して下さい。国王も心配されておいででしたし」
「あれはな、アリメリアに遺恨があり過ぎだ。気持ちもわかるけど……」
 シンはため息を付く。
「歴代の王が子孫に書き記したものが存在するように、巫女姫も特殊な人生を歩むだろう後生の竜に選ばれし者のために自身ことを書き記している。それは巫女姫しか読むことが許されていないし、神殿に納められていて人目にもつかない。その中に、当然件の巫女姫の半生をつづったものがあった。あれは、例外中の例外だ」
 シンは大きく息を吐く。
「男の身で皇妃となるなんて普通できる訳がない。姫だと思って求婚しても、他国の口碑になんてトルラードの王が認めるはずがないからだ。それが、どんな経緯でも生涯皇妃として過ごしていることから、男と知っていてアリメリアの王が望んだのだ。実際は、仲睦まじかったらしいし。案外楽しかったと書いてあった。皇妃も、案外悪くないって」
 シンの説明に、話を黙って聞いていたアガサもシホも目を丸くして驚く。
「……なかなか根性のある姫だったんじゃのう」
 博士が、顎を撫でながら心から感心して宣う。
「本当ね」
 シホも簡素に同意した。
 キッドは黙ってシンの話を聞いている。さすがに騎士らしい。
「相当な人間性だ。元々当時アリメリアの王とは知人だったらしい。互いにお忍び状態で出会った。で、身分を知ってアリメリアの王は我が国に巫女姫を皇妃にと申し出た。で、王は断る。これは、いつでも同じだな。時代が変わっても同じことばかり繰り返す。しかし、アリメリアの王は諦めなかった。なんと、巫女姫を国まで浚ってしまったんだ。はっきり言って暴挙だ。一歩間違えば全面戦争だ。だが、そこで姫が実は王子だと知ったアリメリアの王だけれど、……まあ、ばれるよな、さすがに。それでも、皇妃にと望んだそうだ。世継ぎなど必要ないからそばにいて欲しいと。結局、巫女姫は根負けして皇妃となることを約束する。取り返しに来たトルラードの王には、巫女姫が争いは望まないと言って納得させたらしい。すごいだろ?相当酔狂な人間だぞ?」
 くすくすと喉の奥でシンは笑う。
 はじめこの巫女姫の生涯を読んだシンは空想の産物かと思ったほどだ。まるでお伽噺か、娯楽として民の間で話される作り物だ。事実であることが、一番驚きであるが。
「……事実は、アレだな。事実が書物に残っているだけで、そんな内情は知らんかったのう」
 博士は再び深く感心する。現在残っている史実はただアリメリアの皇妃になっとということだけだ。
「いやだわ。そんな実例があったら国王が心配するのは当たり前よ。シン姫、浚われないようにしてよ。ついでに、なにがあっても、相手に同情しちゃ駄目よ」
 まるで姉のようにシホが腰に手を当てて、小言を述べる。
「全力で阻止する所存でございます。ご安心下さいませ」
 キッドがにこりと爽やかな笑みを浮かべて請け負った。
 気持ちも新たに胸へと誓っている。それも、いかがなものか。シンはつっこみたかった。
「いやいや。ないから。そんな心配いらないから」
 シンは首を振って可能性を否定する。ある訳ないだろうというのがシンの本心だった。
「この世界に、絶対なんてないでしょう?」
 だが、シホは簡単には頷かない。
 それは自分の前から消えてしまった人がいるからなのか。シホは頑なだ。両親を亡くし最愛の姉も行方不明。ほぼ絶望的な状況でも諦められないシホ。
 シンは困ったように目を細めシホを安心させるように薄く笑う。
「だから、それは例外中の例外なんだって。その姫の場合、元々アリメリア王と親しく好意があった。友好関係が前提だ。それから浚われて身柄をすでに押さえられていた。そうでなけえば、絶対にあり得なかった。竜に選ばれし者が例え好意がある相手でも他国の王と駆け落ちなんて絶対にしない。これは、絶対だと言える。なぜなら、自分たちはそういう存在だから。……そして、王が姫ではなく王子だと知っても態度を変えなかったこと。その説得に巫女姫が根負けするくらいの情熱があった。で、絆された結果だ。ついでに、王は巫女姫の行動に制限を付けなかった。竜に選ばれし者は、王宮にとどまることはできない。その身を、この地で生きなければ、ならない。そういった全ての条件がそろって起きた例外だ」
 本当に、同じことは起きないと言えるくらいの奇跡的な出来事だ。
 それは細々とその時の気持ちが綴られていることからシンが知ったことだ。どれが欠けても巫女姫は他国の皇妃になどならなかった。自分達、竜に選ばれし者は、この地から離れては生きてはいけないのだから。もし、それが叶えられなかったら、自力で巫女姫はトルラードに戻っただろう。自分でも、そうする。
「でも……」
「二度は起きない。だから例外という」
 シンは断言した。
「うん。信じるわ」
 シホが首肯したので、シンはよしと手を打った。
「けど、キッド。シン姫になにもないようにくれぐれも見張っていてね」
「言われるまでもありませんよ。命に代えて」
 シホの願いに、キッドはにこやかに胸を張る。二人が、意志の疎通をしてる横でシンは再びため息を付いた。
「命なんて代えるな……」
 自分の騎士であるから、そういう態度も心意気も仕方ないのかもしれないが、実際はキッドの命で己が生き延びたいなど思わない。それが許される身ではないことは理解していても。
「そうね、衣装はどうするの?男装っていってもいろいろあるわよ。この国のもの。他国のもの。どんな身分に装うかによって服装が違うし」
 すっかり協力的になったシホが尋ねる。
「トルラード国の人間であることは隠すつもりはないよ。で、身分だけど。商人で旅をしているというのは、無理かな?」
「無理よ」
「無理です」
「無理じゃろう」
 三人から同時に激しいつっこみが入る。シンは唇を尖らせて、ふんとそっぽを向く。わかっていも腹が立つものだ。
「騎士の子息でいいんじゃないの?いくらなんでも平民ですとは言えないと思うわ。だって、その容姿。気品。雰囲気。隠せないもの」
「成人前の騎士の子息ですね。私はそのお付きとなりますから、父親から護衛を仰せつかったという事でいかがでしょう?」
「シン君なら、それがいいだろう。どうだね?」
「……いいんじゃない。シホ衣装を用意できる?」
 シンを無視して設定を作っていく三人に、いつの間にやる気になっているんだろうと思いながら、鷹揚に問う。
「いいわよ。準備しておくわ」
 にこりと笑顔も素晴らしい。すっかり乗り気のシホである。そういえば、女性はこういうの好きだよなとシンは思う。
「あ、それですっかり確認し忘れていたけど。国王から国中におふれを出してもうことになってる。博士のところに薬草も集まってくる。任せても大丈夫だろうか?」
「もちろんじゃ。シン君からいろいろ書かれた書物を受け取ってから、ワシなりに調べておるし。できるだけのことはやっておく。だから、シン君はシン君にしかできないことをしておいで」
「うん。ありがとう博士」
 優しい笑みでシンは感謝した。
 
 ただ、一つ。気が付いていて、あえて言わなかった問題がある。
 男装してもシンの美貌が隠れる訳ではないことだ。それは、どんな時も一目で相手を虜にするという魅力を持っていることが、後々になって問題を起こすのだが、現時点で誰も今更気にしなかった。
 
 
 
 





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