「竜の眠る国」 白帝の章1ー7




 


 春の祭。それはトルラードの一番華やかな祭事であり春を迎えるに当たって豊穣を願う祭だ。年に一度の祭は国中から人が集まり城下町は賑やかだ。
 この時期、国中が花で埋もれる。地方でも神殿で春の祭りを祝い、花を家や店先に飾るのが習わしとなっている。特に、城下町では道に花をまいてお祝いする。道いっぱいに艶やかな花びらが散っているのは壮観で、夜にランプの光に照らされてぼんやりと浮かび上がる景色は幻想的で、これまた優美だ。
 祭当日は、大神殿で巫女が舞を奉納することになっていて、その舞はとても美しいと言われている。通常は神殿に仕える成人前の巫女が選ばれて舞を奉納するのだが、その時代に巫女姫がいる場合は別だ。巫女姫はその生涯舞を踊る。幼くても舞を踊れるようになってから死ぬまで春の祭の舞い手はただ一人だけだ。
 巫女姫がいる時勢は、自然災害は少なく実りも大きいと言われている。その上、巫女姫の美貌は他国に知れ渡るほど素晴らしい。
 大神殿で、その時民衆に配られる花はこれまた特別だ。神殿で奉納された花だから御利益があると昔から語り継がれている。
 だから、こぞって人々は大神殿を取り囲む。
 
「巫女姫様。よろしいですか?」
「ああ。神官長も、準備はできたみたいだね?」
「はい。すべての花はこちらにありますわ。今年もたくさんの花をありがとうございます」
 長い黒髪を一つに縛り、細面の顔に柔和な瞳の神官長はシンとは昔馴染みの存在だ。
 巫女姫と呼ばれるように、シンは王女という身分もあるが神殿にも仕えている。神殿内も迷うことなく歩くことができる。実際、神殿内に巫女姫の部屋がある。そこには、代々の巫女姫が残した書物や品々が納められている。それ以外にも巫女姫が春の祭で着る衣装や公の場で身に纏う衣装など数多くがしまわれている。ここは神官長が管理することに決まっている。その時代に巫女姫がいれば、本人に任せればいいがいなければ神官長が責任をもって保存する。
「花はそれだけあればいい?多い方がいいんだろうけど、一人ではね。あれが精一杯で」
 舞で使う白い花。
 レギという5枚の弁からなる白い花だ。聖なる花とも呼ばれていて、婚礼で使われる花でもある。
 シンは禁忌の森で精霊に手伝ってもらいながら花を籠いっぱいに摘んだ。自分で配る分には十分な量であるが、集まった民に配るには足りない。その分は巫女達が神殿裏手の山で摘んで用意している。花が枯れてしまわないように、前日と今日の朝摘んだばかりの花だ。
「十分ですわ。今年もとても綺麗です。生き生きとして、春の訪れを感じさせます」
「それならいい。……ほら、コナン。ここで待っていてね」
 巫女の衣装の長い裾に懐いているコナンを両手で持ち上げて、笑いながら神殿の石の上に乗せる。そしてコナンに籠からレギの花を掴んで落とした。
「今年も、トルラードの上に幸がありますように。ね、コナン」
 シンの声にコナンがきゅーと鳴いた。シンはコナンの頭を撫でてから、行きましょうと神官長を促した。
 
 神殿にある鐘が鳴る。
 大祭の時しか鳴らない神殿の鐘が祭の合図だ。
 白い石造りの神殿奥から巫女姫が現れる。広場は石造りで少し高く作られていて、集まった民衆は広場を見上げる形になる。
 巫女姫の纏う衣装はすべてが白い。上は二枚重ねていて、腰で縛り。下はズボンだが切り込みが入ったスカートを身につけている。漆黒の髪は高く縛り花簪。耳には巫女姫の瞳と同じ青い石の飾りが下がっている。手首と足首に銀色の小さな鈴環。
 そして手には扇。白い花が入った籠も持ってきて、石作りの広場にまく。白い花がひらひらと白い手から落ちる様はとても美しい。
 そして。
 巫女姫が手を合わせてから、優雅に舞いを始めた。
 右手が優雅に天を掲げれば、左手で扇を胸に抱く。
 手首にある鈴が動く度にしゃらんと涼やかな音を立てる。静かに見守る中、鈴の音は響く。
 巫女姫が舞を舞うとスカートがひらひらと舞い上がる。
 足が一歩、二歩と進むと足首にある鈴環がしゃらっしゃらと鳴る。足首にある鈴の方が大きいため、音が手首にあるものと違うのだ。
 豊穣を願う舞は、天の竜に今年の雨の恵みや太陽の光を希う舞である。
 だから、竜を称え、雨を請い、太陽を請う。
 白い花を振りまいて。ここに竜を呼ぶ。
 舞の形は、その願いを体現したものだ。この舞を踊れる巫女は基本的に神殿内においても少ない。
 美しい姫が美しく軽やかに舞う。
 その様は、神掛かっている。
 美しい舞に竜が応え、そこに竜が降り立ったかのように錯覚を受ける。
 人々はその僥倖を黙って見つめている。
 
 やがて、奉納舞が終わると、周りから歓声が沸き上がる。
 だが、巫女姫がある場合は、この続きがある。巫女姫は広場の右側に座している国王の側まで歩き、国王に祝福の白い花を上から降らせるのだ。
「竜の加護が汝の上にありますように」
 一段高く作られた王族や他国からの賓客が座る場所だ。国王の横には王妃が、その横には第二王女であるランが。王族と血縁関係にある公爵に、大侯爵。他国からの賓客が並んでいる。
 シンがやらねばならない事は国王のみの祝福である。それが終われば、シンは巫女姫として集まっている民衆に花を配る仕事がある。すぐに左手、反対側に行って集まっている民に花を配り始める。
 一人では無理であるため、他の巫女達も花籠をもって現れ一人ずつ花を配った。大衆意識として本当なら巫女姫からもらうのが一番なのだが、巫女姫に群がることは恐れ多いため、偶然巫女姫がやってきてくれることに望みをかける。巫女姫から手渡しで花をもらった人間はそれを持って一目散に村に帰り、意中の娘に結婚を申し込む。
 
 
「コナン!」
 すべての仕事を終えて、シンは奥神殿にいるコナンの元までやってきた。コナンは飛び付き、それをシンが受け止める。大祭の時期のコナンはご機嫌だ。自分に贈られる奉納舞を喜んでいるのか、それとも本能のようなものか定かではないが殊の外、機嫌がよくシンにべったりと張り付く。
「着替えるから、待っていて」
 頭を撫でて、巫女姫の部屋でさっさと動きやすい格好に着替えてシンはコナンを伴い神殿裏側出口へと向かう。神官長がお疲れさまでしたと頭を下げ道を開ける。
 シンもお疲れさまと言い置いて裏から出た。神殿内には立ち入れないキッドが待っている。
「キッド」
「姫様。……お疲れさまでした。今年も見事な奉納舞でございましたね」
 小さく笑い、キッドは着の身着のままといった状態のシンにベールを丁寧に被せる。これから人がごった返す城下町へと行くのだから、顔は隠しておかねばならない。こんな時期に正体がばれたらさすがに人に囲まれる。平常なら顔見知りが多いから多少顔が見えていても店に入ったりできるが、今日は駄目だ。
「うん。さてと、ひとまず博士の所に行こう。花も持ったし」
 シンが機嫌よく無邪気に笑う。
 シンが摘んだものは、奉納した花の中でも別物だ。禁忌の森で摘んだ聖域の花だ。欲しい人間は後を絶たないが、シンが特別に持参する人間は極希だ。
 博士、とりわけシホに花をあげたいのだとシンは毎年花籠を持参している。コナンがシンの肩でこれまた楽しそうに鳴いている。キッドでなくとも大祭の時期竜と竜に選ばれし者の機嫌が良くなることがわかるだろう。なんというか、雰囲気が違う。花の祭に引きづられているのだろうか。その存在が違うため、キッドにも本当のことはわからないが。
「では、参りましょうか。人手が多いですから、お気を付け下さいませ」
「わかった」
 シンが頷いてキッドの隣を歩く。
 キッドも今日は簡素だが祝の日用の衣装である。白い上着に青いズボン。上に羽織った長い衣には家紋が金色で刺繍されている。それほど大きくはないから目立たないが、身分のあるものだということだけは知れるだろう。
 
「博士。シホ」
 人混みの中を抜けて店に辿り着くと、声をかける。そこには店先で薬草を並べているシホがいて、奥には博士がなにやら作業をしていた。今日は祭の日であるから、どこの店も人がやって来て商売繁盛の日なのだ。遠方から祭にあわせやってきて普段手に入らない物を買って行く旅行者が多い。露天でも食べ物をいつもよりたくさん売っている。春の祝いのため、少し豪華にした菓子やパンや食べ物を皆楽しそうに美味しそうに買い食いしている。子供達も駆け回り、高い声がさざめいている。
「いらっしゃい。奥へどうぞ。お菓子もあるのよ」
 お茶もお菓子も今日はいつもより上物を振る舞うのが、習わしだ。衣装も、春の祝いらしく明るい色や桃色、朱色、赤い、黄色などを見つける。
 シホも上着は白色だが、スカートは紅色に帯は黄色だ。華やかさを加えるために髪に白い花も飾っている。博士は白の上下に長くて青い上着を羽織っている。縁取りが金色であるのが、唯一大祭らしい。
「ありがとう。これ。ああ、シホの髪に飾ってもいいな」
 籠に入った花を渡しつつ、一輪取るとシホの髪に刺した。瑞々しい花がシホの美しさを引き立てる。
「うん。似合う。可愛い」
 にこりと笑ってそんな事を言うシンの方が可憐だわとシホは思ったが口にはしなかった。ありがとうとお礼だけ言うに止めた。
「お茶とお菓子をどうぞ。コナンの分もあるわよ。たくさん食べてね」
 その言葉に、コナンの方が率先してお菓子をばりばりと食べる。小さな手でお菓子をもって食べる姿はとても可愛い。しかし、コナンはふと顔を上げてシンの目の前に来てじっと見つめた。
「……もしかして。……まあ、いいんじゃないかな。お祭りだし。うん」
 その金色の目を見てシンは最初は驚きで目を瞬き次には笑った。その言葉を理解したのか、コナンは小さな動物の姿から一気に人間の姿に変えた。5歳くらいの少年の姿だ。黒髪に青い瞳の綺麗な顔立ちの少年だ。
「……っ」
 それを見ていたシホも驚く。だが、諦めの境地であるのか、すぐに気分を変えて隣室へと歩いていった。
 シンはなにもまとっていない少年の身体に自分のベールを被せて、にこりと笑った。その笑みに、少年も笑い返す。少年の姿のコナンは話すことができないが、意志の疎通はできるため問題はない。こんな風に、人間の姿に変化する竜は珍しい。剣や槍に変化して巫女姫を助けた竜もいるのだが、コナンは人間の姿になる竜だった。時々気まぐれに変化する。滅多にないが、多分春の祭りで浮かれているのだろう。
「祭に行く?露天でいっぱい食べようか?」
 シンの誘いに、こくりとコナンは頷いた。少年の姿になっても本当に愛らしい。
「服を持ってきたのだけど、どうかしら?」
 シホが衣装を持って戻ってきた。どうやらコナンに着せる服を選んでいたらしい。
「ありがとう。うん、それでいいね」
 着替えようかとコナンに動きやすい衣装を着付けて、手を引く。
「キッド。博士」
 シンはまだ店先で話している二人を呼んだ。
「なんだね?」
「はい。遅くなりました」
 二人が奥の居間へとやって来ると、そこには少年がいた。シンになんと抱き上げられている。目を疑う光景だ。
「な……っ。……もしかして、コナン?」
 そういえば、見たことがあるなと記憶を思い返してはアガサが手を打つ。
「……つまり、お出かけですか?」
 コナンが少年の姿に変化しているということは理由があるのだ。この状況を鑑みて、春の祭で賑わう城下町へと向かうことは明らかだった。きっと、店を巡り、美味しいものを食べるつもりなのだろう。
 気を付けなければ。キッドは心の中で思った。先ほどもアガサと今日の人手について話していたところだ。他国の人間もたくさんやってきている。
 
 
 
 三人は賑わう通りへ歩み出た。
 夜の城下町は常よりもずっと人が多い。夜だというのに、店先に明かりが灯りいろんなものが並べれている。道々は日中にまかれた花びらが散っていて、ランプの明かりに照らされて美しい。
「すごいな。なー、コナン」
 シンはコナンと手を繋いでいる。隣にキッドが立ち、周りに気を配る。動きやすい格好でも腰に剣は下げている。使わない方がいいが、もしもの場合は抜かねばならない。
 ベールをきっちと巻いて顔を隠しているシンだが出かける前にシホに折角からだと飾られている。祭の間は皆そんなものよと言われ朱色と薄紅色のスカートを重ねて金色の玉飾りが付いた帯を腰で蝶に縛り垂らしている。
 コナンが青色の上下に大きめの白い上着をあわせている。襟足の長い黒髪は可愛らしく白い花が飾られていて、些か少女っぽい。見ようによっては童女に見えるだろう。ちなみに、それらはシホの好みである。
 シホが目指した「年若い夫婦と子供」は成功しているといえば成功していた。どんなに早く見積もっても十五歳のシンに五歳くらいのコナンは生めないのだが、顔を隠しているせいで若い妻で人は納得するだろう。見目のよい青年が年若い妻と子供を連れて、遊びに出ている姿に見えるようシホは茶目っ気を出して意見した。
 まさかシホがそんな事を企んでいるとは思ってもみない三人は、周りからどんな目でみられるかなど一切関知せず、ぶらぶらと歩いていた。
「あれ、食べてみる?」
 露天にある珍しい果物を指さしてコナンを見ると、こくりと頷く。よしとシンも頷き返して、露天商から果物を買う。
「はい。半分にしようか」
 シンは甲斐甲斐しく果物を半分に割ってコナンが食べやすいようにして渡す。コナンはぱくりと食いつき、美味しそうに租借した。
「付いている」
 果物の汁が付いた口元を拭き、シンは笑う。
 なんとも穏やかな母子の図である。
「ああ、ミシダの店でお菓子を売っていますよ。ほら、新しく作った菓子でもあるんでしょうか。すごい人です」
 シンがよく利用するミシダの店は女性客でごった返していた。焼いた菓子の香ばしい匂いが漂っている。木の実や果物のジャムが入っていて美味しいのだ。
「本当だ。うーん、どうしようか。コナンどうする?」
 コナンはシンの服を引っ張った。つまり、行きたいという意志表示だ。シンは思わず頭を撫でてやり、手を引いてミシダの店の前まで来た。
「ミシダ」
 小さな声で目立たないように呼ぶと、ミシダは振り返る。
「あら。まあ。今夜は面白いものを見ましたわ」
 親子に見える巫女姫一行に、ミシダは朗らかに声を立てて笑ってから、何にしましょうか?と聞いた。
「お勧めでいいよ。二包みお願い」
「はい。では、いろいろ取り混ぜておきますね。黒砂糖を振りかけて焼いた今日のお祝い用と、木の実が入った焼き菓子と、果物を煮詰めたものと、砂糖に漬け込んだもの。春のお祭りらしく今日は贅沢ですよ」
 包んだものをシンに渡したミシダはコナンにおまけだよと飴玉を渡した。
「ありがとう。ミシダ。また来るよ」
 シンがそう言っている合間にキッドがお金を払う。そして、女性客からシンを隠すように前に立つ。端正な顔立ちで長身のキッドは女性達の視線を集めたが、生憎どう見ても妻と子供連れであったため、がくりと肩を落とした。
 そのまま道なりに歩いて、コナンが足を止めて露天に広げられている細工物をしげしげと見つめる。
「いらっしゃい!それいいだろう?彫り込んである石がお守りになる力のある石なんだ」 コナンが手にとっているのは、銀色の鎖でできた首環で先に楕円形の細工物が付いている。その中央に青い石が埋め込まれている。
 シンもしゃがんでそれを見る。
 シンの目から見てもコナンが気に入ったことがわかる。この石は本物だ。力のある石と店の人間は言ったが、たぶん、鉱山で掘り出されたものではなく古代から竜の目と言われていた希少な石だ。なぜ、こんなところにあるのか不思議だが、巡り巡ってここに並べられているのだろう。その価値はたぶん知らない。
 青い石は、夜ランプの明かりの中、奥に銀色を秘めて輝いている。竜の目といわれた所以はそれだ。
「いいね。これにする?」
 コナンを覗き込みながらシンが尋ねるとコナンは真摯な目で頷いた。するとそれを見て取ってすかさずキッドが、それをくれと店主に言う。告げられた金額は、露天の商品としては高かったがキッドは値切りもせずお金を払ってそれを受け取るとシンに渡した。
「じゃあ、付けておこうか」
 シンはコナンの首にそれをかける。きらりと輝く蒼い光は、コナンの瞳のようだった。手を繋ぎ、また歩く。
 コナンが足を止める度、いろいろ見て時には買って。楽しげに笑うコナンが実は竜の化身だとは誰も思うまい。
 そして、だいぶ歩き回ってコナンが眠そうに目をこすった。
「そろそろ眠い?疲れたかな」
「そうですね。さすがにこの姿では疲れるでしょう」
 人間に変化するとどのくらいの力を使うか全くわからないが、見た目は童女が夜遅くまで起きていられない図である。
 シンがコナンを抱き上げる。そして、腕に抱えてキッドに微笑んだ。
「なんていうか、コナンも可愛い。楽しんでくれたみたいだし、帰ろうか」
 帰るのはひとまず博士の店だ。
「はい。重くないですか?」
 コナンを抱えるシンを気遣ってキッドが聞くが、シンは大丈夫と首を振る。コナンは自分だから身体を預けている。それがキッドでも許されるかどうかは試してみないとわからない。試す気はないが。
「お土産も買ったし。帰ろう」
 ミシダの店の甘いお菓子はアガサの大好物だ。コナンも食べたそうだったし。一つの包みはもって帰ろう。
 そんな事を考えながら喧噪の中を帰る姿はどこからどう見ても親子にしか見えなかった。
 
 







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