「竜の眠る国」 白帝の章1ー6




 


 身内のみの夕食は、至極和やかだった。
 シンが身に纏っている衣装は、ひどく薄い衣が重ねられたもので動く度に広がる裾がまるで花びらのようだった。細い腰を結ぶ帯は左側に流している。
 漆黒の長い髪はいくつも三つ編みに編み込んで飾り紐で結び、残った髪は後ろへ垂らしている。耳元には青い石の飾り。その蒼い瞳には到底及ばないが、きらきらと輝いて夜のランプの光の中、とても美しい。
「本当に、シン姫様はお美しく成長されましたわね」
 クロウ公爵夫人である叔母、シエーラが口元に手をやりながら、ころころと笑う。さすが、元王女である、仕草にとても気品がある。
「シエーラ様もお元気そうですね。安心しました」
 久しぶりの再会である。
「少ーし、陛下の顔も見ておりませんの。相変わらずですか?」
「はい。相変わらず、あのままです」
「それはまた、困った方。シン姫様もお困りでしょう?」
「慣れています。仕方ありません。あれでも国王ですから」
 シエーラの示唆に、シンは小さな笑いを唇に刻む。
「まあ。シン姫様にはご苦労をおかけしますわね。もう少し、アレが直ればいいのでしょうけど。無理でしょうし」
「でも、他国には賢王として評判だということですよ。……喜ばしいことです」
 ふっと斜め上を見てシンが呟くと、シエーラは首を振ってシンの手を取る。
「所詮他国のことは、よく見えるものなのです。「隣人の衣は錦」と言うではありませんか」
 隣人の衣は錦、とは他人のものはよく見えるという例えである。
「ええ。ほんとうですね」
 二人は、にこりと笑った。
 妹と娘(表向き)にこんな風に詰られているとは国王も思わないだろう。というよりこのように身内から言われる国王とはどんな人物なのか。公爵の方が、首を捻りたくなった。陛下と崇めている国王だが、身内からはけちょんけちょんに言われている。何度も話をしたことはあるが、威厳ある国王だった、と記憶している。公爵は、聞かなかったことにしようと心で決めた。
「そういえば、今度春の祭りですね。姫様の舞が今から楽しみです」
 そして、話を意図的に変えた。このまま続けているのは公爵にとっては怖かった。自分の妻は、美人だが性格的に剛胆なのだ。楚々とした外見を裏切って中身は鷹だ。
「ああ。もう少しで祭りですね」
「我々も、ルエンに行きます故、その時に陛下にご挨拶に伺います」
「久しぶりの首都ですから、私も楽しみですのよ」
 夫妻からの言葉に、シンはええと頷いた。
「その頃、ちょうど花も咲き誇るでしょう。今年の春も首都は花に埋もれます」
 巫女姫からの春の祝い言葉に、公爵夫妻は顔を柔和にほろこばせる。巫女姫たるシンが言う言葉は真実だからだ。
「あら、ついお話に夢中になってしまいましたわ。どうぞお飲みになって」
 この地方のお茶をシエーラはシンの器に注ぎ込む。さわやかな香りがするお茶は少し甘い。
 目の前に料理が並んでいる。晩餐ではない身内のみの食事ということでこの場には、シンと公爵夫妻と息子のサグルとシンの騎士であるキッドだけだ。キッドは最初戸口に控えていたのだが、シンが座りなさいなと声をかけて、下座に腰を下ろした。その手から剣が離れることはない。
 コナンはシンの横に座り、料理をむしゃむしゃと食べている。
 なんとも穏やかな雰囲気が漂っている。
 シン自らキッドに料理を食べるように言うわけにもいかないから、視線でサグルに指示を出す。するとそれに気付いたサグルが小さく頷き、隣に座るキッドに食べ物や飲み物を勧めてくれた。辞退しているキッドにシンも視線をやって強く睨むと、意志をくみ取って食べ物に口を付け始めた。シンも世話が焼けると思いつつ、騎士であるキッドの常識であるため、それを否定することもできない。
「これ、美味しいですね」
 鶏肉に味を付けこんがりと焼いたものを切り分け、そこに上から青菜と胡麻を散らしてある。香辛料もきいているため、香ばしい芳りがする。
「お気に召しました?よかったですわ。料理人の自慢の一品ですの。シン姫様が誉めていたと後で教えておきますわ」
 きっと、狂喜乱舞しますわ、とシエーラが大げさに言うのでシンは目を細める。
「いくらなんでも、そんな事はないでしょう」
「いいえ。本当ですのよ。一昨年春の祭りに首都に行って、巫女姫の舞を見てきたそうです。それから料理人の、ニットというのですけど、巫女姫様に心奪われておりますわ」
 おほほほほと高らかに笑うシエーラにシンはどう返していいか困る。
「シン姫様も罪な方ですわ。あの姿を目にすれば、ほとんどの男は虜でしてよ」
「……シエーラ様」
 さすがに、血縁者である。シンに対してこんな物言いができる人間は数えるほどしかいない。
 妻の暴言に固まる公爵と、反応に困るサグル、心の中の怒りを納めているが目にはしっかりと現れているキッド。シエーラだけが笑顔だ。
「おかげで、陛下はアレですけど」
 シエーラの揶揄に、シンは肩を落として大きなため息を付いた。
「そう。アレなんです」
 二人の間に意志疎通が成り立った。なんとも微妙な雰囲気が漂って、シンは伏せた顔をあげた。
「今度、シエーラ様からがつんと言ってやって下さいませ」
 にこり。シンの笑顔は強烈だった。
「もちろんですわ。お任せ下さい」
 シエーラも破壊力のある笑顔で答えた。国王がどんな目にあうのか、公爵は戦々恐々とした。
 
 
 
 
 夕食を終えて、用意された客間に一度戻ったシンだが、ふと庭へと出た。
 空には月がかかっている。月光が照らす庭はなかなか神秘的だ。
「サグル」
 その庭にいる青年にシンは声をかけた。サグルと呼ばれた青年は振り向いて一礼する。
 亜麻色の髪に薄茶色の瞳をしたクロウ公爵家の長男だ。父親よりも母親に似て容姿は柔和な顔立ちをしている。
「お久しぶりです。巫女姫。相変わらすお美しいですね」
「そういうのは、ランに言って」
 サグルの世辞をシンはきっぱりと捨てた。
 サグルは小さく微笑を浮かべるばかりで反論しない。シンは心中でため息を付きながら、切り出す。
「本当に、ランにちゃんと言って」
「それは、どうして?」
「忙しいのはわかるし、城に頻繁に来れないこともわかります。でも、それではランが可哀想でしょ?」
「しかし……」
 サグルの立場でランに頻繁に会いに来る訳にはいかないことくらいわかっている。でも。それではだめなのだ。
「女心もわかりなさい。それにね、少し我慢ができなくなっているのです。鬱憤がたまってたまって。……ということで、ランの相手をなさい」
「ラン姫の?」
「そう。あなた以外いないのです。今度の花の祭に来る時、城へといらっしゃい。ランとの時間を取るように計らいます」
 それは、普通国王か王妃が言う言葉であるが、なぜか巫女姫が言う。巫女姫が決めた事を覆すことは国王でもできいない。この国は他国とは根本的に違うのだ。
「……」
「まったく、仕方のない。サグルはランに会いたくない?」
「とんでもありません」
 さすがに即刻否定するサグルにシンは心中で笑みを浮かべた。もっと正直になってもらわないと困るのだ。そうでないとランが苦労する。
「なら、ランの気持ちを考えて。憎からず思っているのなら、なんの問題もありません。陛下が何か言ったら私が窘めておきます。ランの恋心を邪魔する人間は私が許しません」
 たった一人の大切な妹。国を背負って立たなければならない将来の女王。それならば、せめて好きな人と結ばれて欲しい。
 それが国王でもシンは絶対にランの味方だ。
「御意に。ありがたき幸せです」
「今更畏まっても意味はないわ。とにかく、ランの相手をして。話をして、ついでに想いも深めてくるといいわ!」
 巫女姫とも思えない台詞に、母親が移ったかとサグルは思った。が口には出さなかった。
「……はい。ええ。がんばります」
 サグルは答えに窮して、返事を濁すと失礼しますと去っていった。
 
「姫様。お身体が冷えますよ」
 背後からキッドが現れて、シンの背中からショールをかける。
「ありがとう。キッド」
「いいえ。それにしても姫様が他人の恋路に口を出すなんて姿、見ることができるとは思いませんでした」
 本気で感心しているキッドにシンが苦笑する。
「これがランのことでなかったら、口なんて出さないって」
 シンは身体をキッドの方に向けて、
「第一、向いていると思うか?私が恋愛ごとに?」
 ぎろりと睨み見上げる瞳が月光の中とても美しいとキッドは思う。
「ですから、珍しいと申し上げているのです。余計なことをしたとは思っていらっしゃらないのでしょう?」
「ランのためだから。できる事は何でもする。似合わないけどさ」
 シンが両手を頬に当て、うなる。
「ほんとーに。自分が他人を焚き付けるなんて性にあわない」
 キッドに寄りかかりながら、シンはため息混じりに囁いた。細い身体を抱き留めながら、キッドは冷えている体温に眉根を寄せる。
「姫様。部屋に戻りましょう。こんなに冷えては、風邪を召しますよ」
 ほら冷たいです、とキッドはシンの頬をそっと撫でた。そして、失礼しますと言い置くと軽い身体を抱き上げる。
「キッド?」
 慌てるシンに、キッドは有無を言わせぬ優しい笑みで諭す。
「このまま部屋に帰ります。いいですか?まさか、まだ庭で月を見たいなどと言いませんよね?」
 シンを横抱きにして、キッドが尋ねるとシンは詰まった。
 なぜなら、シンはこうして月を見上げることが好きだったからだ。多少寒かろうが、夜の気配は肌に馴染む。竜であるコナンも、そういうことが好きだから、自然シンも好きになる。
「これ以上は、駄目です」
「……わかった」
 しぶしぶとシンは頷いた。
 こうなった時のキッドに逆らってはいけないと経験から知っている。騎士としてシンの健康や安全などに気を配るのは当然の勤めであり生き甲斐ですからと宣うのだ、キッドは。
 







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