「姫様」 キッドが気配を悟り声をかけていないのに、自分を呼ぶ。 森の入り口でキッドはシンを待っていた。直立の状態で、騎士らしい姿勢だ。 いつもシンは思う。彼は自分を待っている間どうしているのだろうかと。食事だけはするように約束をしているから守っているとは思うが、のんびりなんてしていないのだろうか。気を休めることなどしていなさそうだ。この森に踏み込む勇気のある者はそういないと思うが、侵入者が現れないように多分見張っているのだろう。 ずっと、ああして気を張り待っているかと思うと申し訳なく思う。 だが、一人で出かけるととんでもない事になるので、どんなに申し訳ないと思っても拒否できないのだ。 一度一人で出かけて、シンは痛い目にあった。シン自身が何か被ったのではなく、それによってキッドが己を責めた事と心配させた事により罪悪感がいっぱいになったのだ。あんな苦しそうで哀しそうな顔なんて二度とさせたくない。あれ以来、絶対になにも言わずに一人では出かけないことにしている。 「お待たせ」 シンが手を軽く挙げて隣に寄ると、キッドはいいえと首を振り「これからどうしますか?」と聞いた。 「博士のところに行こうと思うんだけど」 「博士ですね。では、参りましょう」 キッドはシンを促し、再び町へと歩みを進めた。博士とはシンの教師である。 アガサという名前の国一番の賢者だ。若い頃に各国を歩き回り国勢に詳しく、言語や文化などに精通している。特に素晴らしいのは薬草の知識だ。その知識を生かして国内でも少ない医師でもある。「博士」とは、最上位の官位の名前である。官位の名前を今でも親しみを込めてシンは呼んでいる。 国王とアガサは昔から親交があり、シンが子供の頃教師となって様々な事を教えてもらったのだ。アガサは王子の教師として十分な知識を持っていた。人柄も申し分ない。だから、国王は自分の子供の教育を頼んだのだ。 シンだけでなく双子の妹や時には従姉妹も一緒になりアガサについて学んだ。 キッドはアガサに付いて勉学に励んでいる姿を後ろで控えて見ていた。だからキッドも昔からの顔見知りだ。その頃からキッドはシンの側から離れることはなかった。 「何か買って行こうか?」 「そうですね。博士は甘いものが好きですから」 「うん。この間美味しいって言っていた、木の実を甘く煮詰めたやつにしよう」 「では、先にミシダの店に行きましょう」 うんとシンは頷いた。 王城の正門へと繋がる橋までまっすぐに続く大きな通り沿いには店が並ぶ。小麦などの穀物の店、果物や野菜の店、お茶や水などの飲み物の店、パンや焼いた菓子の店、酒の店、食物の店、お茶を飲む店、茶葉の店、繊維や布の店、上質なベールや衣装の店、金銀細工の店、薬草の店など軒を連ねている。通り沿いは店構えも立派なものもあるが、大通りから一本ずれれば、小さな店が雑多にある。 商品を売っている店以外にも、宿もある。旅人や首都に商いに来た人間、祭などのために出向いた人間と宿に泊まる人間は多い。 二人は、世間話をしながら賑やかな通りを歩み甘い菓子を売っているミシダの店先まで来た。ミシダとはいろいろな菓子を器用に作る年輩の女性のことだ。恰幅のいい身体と太い腕で繊細な味を作り出す。 「こんにちはー。ミシダ?」 シンは声を上げた。 「はーい。あら、いらっしゃいませ。姫様」 よく寄るところはシンの素性がばれている。ばれても変わらずに接してもらえる店ばかりだ。 「今日はどうしました?」 「えっと。この間買った、木の実を甘く煮詰めたのある?」 小首を傾げたシンを見てにこりと笑うと、ミシダはもちろんと請け負った。 「そうですね、これなんてどうでしょ?今あるのは、クミの実とガラシの実です。最近人気なのはクミの実ですねー。甘いから女の子が買ってくれます」 ほらと、煮詰めた木の実が入っている瓶をシンに見せる。クミの実は赤いため、つやつやして確かに美味しそうだ。ガラシの実は薄緑色だ。見た目だけで言うなら断然クミの方が美味しそうに見えるだろう。 「クミの実にする。二包みお願い」 シンは迷うことなくクミの実を決めた。二包みあれば、十分だろう。常連の女の子が買う場合半包みが一般的な量だ。 「承知しました。少しお待ちくださいね」 ミシダは急いでクミの実を木の皮を薄く削ったもので包み藁で縒った紐でくるくる縛る。 「はい。どうぞ。これは姫様とコナンちゃんにおまけです」 ミシダは頼まれた木の実の包みと一緒にシンの手に小さな焼き菓子を乗せた。ミシダ特製の果物のジャムが入った菓子だ。 「ありがとう。……ほら、おまえにももらったよ、コナン」 左肩に乗っているコナンの頭をシンがつつく。するとコナンはきゅーと嬉しそうに鳴いた。どうやらお菓子をもらったことがわかっているらしい。 「それを食べて、大きくなってね」 ミシダはコナンがまだ成長すると思っているらしい。多少大きくはなるが元は大きな竜なので、この小動物の姿ではあまり変わらないと思うがシンはそうだねと同意する。 「またね、ミシダ。ありがとう」 シンはお金を渡してにこりと笑った。その綺麗な笑顔を見てミシダも目元に皺を刻みながら笑う。 「また、ご贔屓に」 「うん!」 行こう、とシンは後ろに控えていたキッドを促して店を後にした。 「無事に買えて、よかったですね」 「うん。博士も喜ぶだろう。シホも食べるだろうし」 満足そうにシンが笑うのでキッドも嬉しくなる。キッドにとって巫女姫たるシンが笑うならこれ以上の幸せはないのである。騎士の鏡というよりシン姫至上の人間なのだ。ちなみに、その事実は城中の人間は知っている。つまり、国王にも認知されているのだ。巫女姫付きの騎士としてこれ以上の栄光はないだろう。たぶん。 キッドからすれば、巫女姫の騎士としてこれからもずっと認められることが重要なのだ。それ以外は付属のようなものであり、今以上馬術、剣術、弓術などの技量向上を望むのは姫を守るために他ならない。 騎士としての尊厳より、姫の方が大事な存在は国王としては申し分なかった。 そのような思惑が絡まって現在があるといっていい。もちろん、シンがキッドを気に入っていることが一番の理由であるけれど。 「こんにちはー。博士?シホ?」 シンが店先から声を掛ける。博士はその知識を生かして現在店を持っている。店先には薬草が瓶に入れられ並べられている。奥に行くに従って貴重な薬草が小さな瓶や、包みで小分けし引き出しに納められている。 薬草を集めた店構えは、一見薬師の店に見えるが本当は珍しい医師が開く店だ。薬師よりずっと病に詳しく、困った時はここに駆け込む人間が後を絶たない。国王に認められた国一番の医師なのだ。それを知っている人間は迷わずアガサを訪ねる。噂を伝え聞いて、遠方から訪れる人間もいるほどだ。 ただ、時々彼は薬草の仕入れや各国を旅するため、不在の場合がある。 これはもう運が悪いとしか言いようがないため、もう一度出直すつもりで一端諦めて帰る人間もいる。 「おお?シン君じゃないかのー」 恰幅のいい頭髪が薄くなった男が相好を崩してひょいと奥から顔を出した。 「こんにちは、博士」 自分のことをシン君と呼ぶのは、彼だけだ。小さな頃からシンの教師であったためその時の呼び方が今でも生きている。付け加えるなら博士は、大抵の人間を君付けにする。 「シホ君!シン君じゃ」 アガサは自分が現れた奥へと声を上げた。その声を聞いて少女が現れた。茶色い髪に薄茶の瞳をした美少女だ。 「シン姫?」 シホである。この店に博士と共に住んでいて、助手のような位置にいる、シンやキッドとも馴染みの少女だ。 アガサが王城に教師として滞在している間、シホも一緒に連れてきたためシンや妹や従姉妹は小さな頃からの顔なじみなのだ。まるで姉弟、姉妹のように時を過ごしたため今でも近しい存在だ。 「シホ。はい。お土産」 シンは久しぶりに会ったため驚いた顔をしたシホの手に、持っていた包みを渡す。その包みを一度見てシホは、状況を把握してありがとうとお礼を言った。 「博士の好きな木の実の甘く煮詰めたヤツ。シホも食べるだろう?」 「いただくわ。お茶を入れましょう。ほら、入って」 「ああ」 シンもシホも微笑みながら、店先から奥へと進む。毎回のことなので、遠慮する間柄ではない。 「……行くかの。キッド」 「はい。失礼します」 「どうぞどうぞ」 置いていかれてしまった二人は視線をあわせ、小さく目配せすると苦笑を浮かべながら中へと足を進める。 店の奥は表からはわからないが、実は広くて長い。生活する場所には居間と台所と風呂がある。それぞれの部屋に薬草などの瓶が並べられ調合する仕事部屋に、各国の本が集められた書物部屋、客間などがある。一般的な店とは思えないほど奥に部屋数がある。それに無駄な装飾はないが調度品のセンスはとてもいい。 居間で、シンの好きなお茶をいれてシホが貰った菓子を皿に盛っている。 カップの中で湯気を立てるお茶は、異国のものだ。アガサが前回の旅行の時に買ってきたもので、果物の爽やかな香りがする珍しいお茶だ。 「……美味しい」 ほうと息を吐いてシンが頬をゆるめる。厚手の布が張ったソファに腰を下ろし、両手ににカップを抱えている姿は、くつろいでいることがよくわかる。その背後にキッドが立っている。 「どういたしまして。これも、美味しいわね。……博士、あまり食べ過ぎないでね」 皿に盛られた菓子を一つ摘んで口に入れて味わい、シホは自分の隣に座るアガサに注意した。 「でも、美味しそうだのー」 ぱくりとお菓子を口に放り込んで食べると、アガサは相好を崩し二つ目に手を伸ばす。その手をちらりとシホは見取って、小さく肩をすくめた。 「一日、三つまでよ」 「三つ?たったの?」 目を大きく見開き、シホを見つめて抗議するがシホは折れなかった。首を左右に振ってだめよと言う。 「薬師、医師なんですから、自分の身体を大事にしてくれないと困ります。病の方が駆け込んで来たのに博士が甘いもの取り過ぎで体調が思わしくないなんて話になりません」 シホに断言されてアガサは項垂れた。だが、反論の余地はなく、引き下がった。 その娘にやり込めれるまるで父親のような姿に、シンは笑う。 「博士もシホには敵わないね。娘に怒られている父親のようだよ」 「ワシは本当の娘だと思っておるぞ。可愛い娘だ。なあ、シホ君」 シンのからかいに、アガサはまじめに本心を返した。シホの方が照れるくらい真っ直ぐな言葉だ。 「いやねえ。私だって実の父以上だと思っているわ。だから、身体には注意してね。これ以上病で突然失うのはたくさん」 「シホ君」 気遣うようにアガサがシホを優しく呼んだ。それにシホは笑って、ごめんなさいと手を振った。 シホは小さな頃両親と姉を失いアガサに引き取られた。アガサはまるで本当の娘のように育て自分が知る薬草の知識を教え込んでいる。巫女姫達と歳が変わらないため、アガサは引き取った子供を王城まで連れてきたのだ。そこで、姉弟のように友人のように育った。 「そういえば、最近何かあった?」 コナンに先ほどもらったお菓子を千切りながら与えつつ、シンが違う話題を振ると、アガサがふと真摯な眼差しで顔を上げた。それを訝しく思いながら、どうぞ、と手で話の先を促す。 その間コナンがきゅーと鳴いて催促するので、シンはお菓子をコナンの口元へと持っていく手は休めない。 「……少し前から、病の噂を小耳に挟んでいたんじゃが。先日、ここにも病人が担ぎ込まれてのう。もう、すでに手の施しようがなかった。最後は血を吐いて死んでしもうたわ。体中に斑点があって、熱も出ていた。たぶん、臓器をやられたんじゃろう。だが、そんな状態の病人が他にもいたらしい。どこかの村でも同じように斑点が出て血を吐いて死んだそうじゃ。旅人から聞いた。少ーし、調べてみたんじゃが、ここのところ、何人も同じように死んだものがいたらしい。病になった人間のいた村は、離れていたようじゃがな」 アガサは大きなため息を吐いて、苦しそうに眉を寄せた。 「それは、伝染する病って訳ではない?博士は心あたりがある?」 自分の国でそんな病で苦しんでいる人間がいたことに驚きだ。話に聞く限り、シンがいままで見たことがない病のようだが。 「ワシが思うに、多分、黒点病とか斑点病と呼ばれるものだと思う。表れる症状が似ている。原因は、まだ明らかになっていない。人によって、いろいろな症状が表れるんじゃが。最初に斑点が出て、でも特になんともなく微熱が出る程度じゃ。そこで痛いとか痒いとかあればいいんじゃが、ないのじゃ。で、そのまま過ごして……働かんと生きていけん者ばかりじゃからな。少しよくなると、風邪だと思って普通に働く。そして、突然体中に黒点が出る。これは痛い。そして、血を吐いて。臓器をやられたんじゃろう。どんな薬草も効かず、衰弱して死ぬ。昔の文献にもそのように書いてある」 眉間に皺を刻み、アガサは唇を噛む。 「なにも効かない?治らない?」 「……唯一、希少な薬草が効くと伝えられているのう。山の斜面などに生える野草で、白い小さな花を付けるんじゃ。その花の形が星に似ていることから白星草と呼ばれていて、月夜に浮かび上がるように白い花が咲くらしいのじゃ。なんと夜しか咲かないため、手に入り難い。とても稀少で、ワシの店にも簡単には入ってこない。常備もしておらん。だから、病人に試してやることもできんのじゃ。……噂だと、竜の鱗が効くと大嘘が広まったことがあるらしい。恐ろしいことを言うもんじゃ。そのくらい、特効薬がないくて思わず竜に縋ったのじゃろう」 アガサの声は低い。 「……」 なんということだろう。 コナンが肩の上できゅ−と細く鳴いた。愚かな人間への抗議かもしれない。 「ただ、絶対そうだとも今はいい切れん。ワシが見た病人は一人じゃからな。もっと調べてみないと、黒点病なのだと断言はできん。特効薬も、探せん。調合はしているんじゃが、薬草が足らんからのう。また、探しに行かねばならんじゃろう」 国一番の薬師、医師でも特効薬が見つからないという。しかし、諦めることはできいないし、しないのだ。 だが、ここでアガサがまた旅立ったら病にかかった人間は誰にも縋ることができない。薬草も大事だし、病を患った人間を看ることを大切だが、アガサがここから離れることも、かなり困る。 シンはぐっと奥歯に力を込めて、顔を上げた。 「私も、調べてみる。城の書物庫を片っ端から読んで、今までどんな風に病気があったか、収束したのか。特効薬についても、できるだけど調べるし、博士だけでどうにかしないで。協力する。……あとは、もっとその病について聞いてみるべきだね。公爵もそんな恐ろしい病があることを知っているのかな?」 シンは細い顎に指を添えて、目を伏せて思考する。 シンにとって、トルラードは守護する国だ。竜の契約によって、守護されている国だが、それを見守っていくのは竜に選ばれし者のつとめだった。この国で何かあるのなら、自分が見捨てることなどできないのだ。 「陛下も、まだ知らないだろし。放っておいていい訳がない」 「動かれるおつもりですか?」 今まで無言で話を聞いていたキッドが厳かに口を開いた。 「私がやらないで、誰がやる?」 真っ直ぐな強い瞳でシンはキッドを見上げた。綺麗な蒼い瞳は、誰の束縛など受けない。 「承知致しました。お供させて下さいませ。殿下」 胸の腕を当て、優雅に腰を折り、正式な礼を取る。そんなキッドの態度にシンは少し睨みながら、仕方なさそうに肩を落とした。 「……わかった。置いていったりしないから。だから、殿下はやめて」 キッドに殿下と呼ばれるのは、居心地が悪い。シンは普通、殿下と呼ばれる身分であるが城内では巫女姫、姫と呼ばれることが多かった。対外的な場合や他国の人間からすれば、殿下であるが、普段そう呼ばれるのは好きではなかった。 だから、アガサはシン君、シホはシン姫、カリンは姫様と呼ぶ。妹はシン、従姉妹はシン姫、巫女姫。従兄弟は巫女姫。城内の人間は巫女姫様。そして、普段はキッドも姫様と呼ぶ。加えて、シンの事を王女と呼ぶ人間は国にはいない。王女と呼ばれるのはシンの妹だけだ。 「シン君。あまり無茶はせんでくれ」 アガサは情けない声で願う。 シンという巫女姫が、そういう人間であり存在であることはわかっていても、なるべく自分の身体を大切にして欲しかった。 シンの秘密。本来の性別を知る人間は王族と少しの人間だけだが、そのわずかの人間の内にアガサとシホがいた。キッドは当然最初から知っているし、シン付きの侍女もそれを踏まえて仕えている。 そして、アガサはもう一つ知っていることがある。それは賢者と言われるほど彼がこの国の歴史に詳しいからなのだが、その当たっているだろう事実は口に出したことはない。口にして本当だったら、悲しいことだ。だから、口を噤む。 「わかってる、博士。キッドも付いて来てくれるから、大丈夫。キッドの腕は知ってるでしょ?」 「知っている。剣術も馬術も弓術も、体術全て抜きんでている。シン君を守ってくれるじゃろう。……頼むぞ」 「確かに」 キッドは一礼した。キッドの顔に浮かんだ表情は、自分が命に代えても守ってみせると告げていた。 それを知っているからこそ、アガサもキッドを認めている。 「では、博士。私も調べるから、待っていて。博士もその間にできるだけ病に関する噂や薬草を頼みます」 「はい」 アガサもこの時ばかりは殿下に対する態度で返した。 「シホも。博士のこと頼んだよ。疲れると甘いもの余分に取るから」 片目を瞑り、茶目っ気にシンはシホに微笑んだ。 「任せて」 シホも笑顔で返した。 まるで、それでよしと言わんばかりに、シンの肩の上でコナンがきゅーと鳴いた。 |