「アイーダはどうですか?」 ひょっこりと朝、厩舎を新一は覗いた。馬が好きな新一は、ここに欠かさず顔を出しているためすかり顔なじみだ。もちろん、三人も新一同様ちょくちょく覗いている。 エリックがようと片手を上げてと返事をして、 「ああ。……うーん、生まれるな」 「え?」 「今夜だ」 エリックの真面目な顔に新一は目を瞬いた。 その横でエリックはルーファスに細かく指示を出している。 今夜仔馬が生まれるのだと理解した新一は、即刻戻って知らせに行った。 今夜だと知らされたアイリーンは、驚き緊張した。嬉しいが出産は一大事だ。なにが起こるかわからないから、楽観視はできない。 新一の先触れを聞くとアイリーンは急いで厩舎へ行きエリックの説明を聞いた。 その後で、蘭と園子とキッドにリビングで今夜のことを話した。深夜の予定となるため、夜食は作っておこうと決めた。厩舎に差し入れる珈琲や簡単に食べられるものも作ろうと予定を組む。 深夜、皆は厩舎に集まった。 夕方一度、珈琲とサンドウィッチを差し入れた時は、予定通り深夜になるだろうとエリックが告げていた。11時くらいに、紅茶とホットドックとフライドポテトを差し入れた時はかなりアイーダの動きが激しくなっていた。 時刻は午前零時。 慌ただしい中、エリックやルーファスの邪魔をしないように皆は少し離れて見守っている。すでに徹夜の体制だ。 厩舎の中はいいようのない緊張感に包まれていた。 「妊馬の乳頭にヤニが付いて、ぽたぽた乳が垂れてくると出産が近いとわかるもんだ」 エリックがタオルやワラや消毒薬などを用意している。 「まず食欲が落ちる。イライラしてゆすり、ぐるぐる馬房を回ったりして、首のあたりから汗をかく。寝たり、起きたりを繰り返して破水だ」 エリックがただ見守る人間が現状把握ができなくて不安に思わないように、出産について話す。人の不安を馬は感じ取る。まして出産の時では神経が高ぶるのだ。 午前一時を回るころ、破水がおき胎盤が入っている一部の白い袋が出てくる。そして、羊膜に包まれた子馬の前脚が見えてくる。 頭が産道にあるのを確認してエリックが脚を引っ張り仔馬を取り出す。 その瞬間を息を止めて皆は見つめる。 エリックは濡れた生まれたばかりの小さな体を丁寧にタオルで拭き、頃合いを見計らってへその緒切ってから母馬の前に動かした。仔馬が力強くいななく。 母馬、アイーダが呼応するようにひひんとなく。 仔馬の声に母馬が応えるのは我が子と確認した時だ。この挨拶がないと母馬は育児を放棄するため大切な儀式だ。 真剣な目で見守り緊張感でいっぱいだった五人は、歓声をあげた。 「やった!」 「よかったー」 「胸がいっぱい」 「よかったわ」 「ほんとうに、よかったです」 安堵のため互いの肩を叩いたり、手を叩いたりして喜んだ。 生まれて30分ほどで子馬は立ち上がり、自力で初乳を飲む。 息を飲んで見守り、出産に喜び、仔馬に目を綻ばせていると、すでに午前三時を回っていた。 「もう大丈夫だな。フローラ」 エリックが仔馬を優しく呼んだ。 「あら、フローラ?」 アイリーンが首を傾げた。すでに名前が付いていることに驚いたのだ。 「ええ、こいつはフローラなんです。旦那様が、今度牝馬が生まれたらフローラと名付けて欲しいと言っていたんです」 「そうなの……」 ロバートが、とアイリーンは深い思いに耽る。馬の名付けはロバートがしていたから不思議ではない。 新一はその光景をしばらく見た後、顎に手を当てて思考する。そして顔をあげた。 「アイリーン、わかりましたよ」 「なにが?」 「ロバート氏の探して欲しいものです」 新一は断言した。 「フローラです。この仔馬です。フローラと名付けていることからそれは明らかです」 「……」 アイリーンが新一をじっと見つめる。一言も聞き漏らさないように真剣に。 「アイリーンならご存じでしょうが、フローラはヴィクトリア女王が愛したポニーの名前です。彼女の夫、最愛のアルバート公を亡くして悲観にくれていたところ、侍従医が乗馬を進めて馬に乗って外へ出ることで健康を取り戻した。その仔馬がフローラ。……自分が逝くことで貴方が悲しまないように、元気でいて欲しくて。フローラを残したんです」 「ロバートが?」 「そうですよ。馬の妊娠期間はおよそ11ヶ月。彼が亡くなる前にアイーダは妊娠していたことがわかっていたはずだ。仔馬が生まれることを彼は知っていた。否、仔馬が欲しかった彼は種付けしたのですよ。そして生まれことを心待ちにしていた。そうでしょう?エリック」 振り返って問う新一にエリックは頷く。 「ああ。アイーダの仔馬を心待ちにしていつも顔を出して下さった。種付けは旦那様の指示だ。我々が勝手にすることはあり得ない。そして、旦那様が仔馬が牝馬だったら『フローラ』と名付けて欲しいとおっしゃった。奥様には内緒にして驚かそうと悪戯めいた顔で笑って……、それを待たず亡くなられて、どれほど心残りかと」 エリックの声が詰まる。 「探して欲しいとあえて謎を残したのは、そう言っておけば貴方はそれが気にかかる。悲しんでいるばかりではいられない。すべて、あなたに笑っていて欲しいからですよ」 「ほんと?ロバートが?」 アリーンはぽろりと涙を流した。 「ロバート氏の『探しておくれ、アイリーン。君に残していくから』という遺言は、あなたに対する愛情ですよ」 「……っ、ロ、バート」 アイリーンは嗚咽を手を押さえて耐えながら涙を流した。 蘭と園子も泣きながら涙を流しているアイリーンを両側から抱きしめている。 「馬が好きでバラ園が好きなアイリーンを心からご主人は愛していた。彼にとってあなたは最愛。残して逝った後も幸せでいて欲しい。だから、死に逝く身でもあなたを守っていたんです。そして、今でも守っている」 新一の言葉に、アイリーンは声も出ない。ただただ涙を流していた。蘭も園子も無言だ。ぎゅうと抱きしめあっている。 「そうだったのか。旦那様は、すばらしい方だから」 「ええ」 もらい泣きしつつ、滲んだ涙を袖口でぐいと拭くエリックにルーファスも涙声で答える。 新一はすべてを語り終え、そっと息を吐いた。その背後からキッドがお疲れさまと肩を抱く。新一も安心して身体を預けた。 午前三時半。そろそろ寝ないと堪えるだろう。まあ、明日は寝坊でもいいだろう。 ずっと背後で控えていたクロードがアイリーンに声をかけてる。ここにいても身体の負担が大きいから邸に戻りお茶を飲みましょうと促している。 翌日は遅く起きてきた五人にクロードがブランチを用意して待っていてくれた。 そして、ゆったりと和やかに過ごした。 |