「うーん」 新一は唸る。 「どうしました?」 リビングのソファに座り、三時のお茶をしているのに首をひねる新一にキッドが顔を覗き込むようにして聞いた。 「……キッドの料理が食べたい」 ぽつり呟く新一には自分が発した言葉の自覚が欠けていた。 現在、皆でリビングに集まり思い思いの場所に座ってくつろいでいるところだ。目の前には美味しいアップルパイと紅茶があった。アイリーンと一緒に蘭が作ったアップルパイだ。園子は隣で時々手伝いながらほとんどは見ていただけだという。 それなのに、唐突である。何かを考えていた最中にこぼれたのだとは察せられたが。 「私の料理ですか?」 新一はキッドの再度の問いかけに目を瞬いてからあれ?と不思議そうな顔をした。 キッドは軽く吐息を付いてから説明する。 「さっき、私の料理が食べたいと口に出していましたよ?」 「そうだったか?あれ?……しばらく和食食べてないなと思って、それならキッドが作ったご飯が一番美味しい」 新一のきっぱりしたほめ言葉にキッドは相好を崩した。 「嬉しいことをいってくれますね。新一が望むならいくらでも。……アイリーン、申し訳ないのですがキッチン貸して頂けますか?」 「もちろんいいわよ。日本食を作るの?」 アイリーンは即答する。 「ええ。食材によるのですが。何にしましょうね」 和食といっても食材が必要だ。味付けとして、醤油は出来る限り欲しい。 「なら、買いにいきましょう!日本の食材を扱っているアジアン・フードマーケットがあるのよ。私はスシもテンプラも好きだわ!前にロバートと食べた事あるの。キッド、作れる?」 アイリーンがすぐに提案した。かなり乗り気だ。 「もちろん、作れますよ。食材があれば。調味料も必要ですね」 「じゃあ、出かけましょう!車で20分だから近いのよ。クロード!車をお願いね」 さっさとアイリーンは予定を決めていく。 現在午後三時。二時半くらいからお茶にしたため、今から十分に出かけられる時刻だ。 アイリーンはクロードに声をかけ、立ち上がってキッチンでお茶のお代わりをいれている彼のところまで話を進めるため歩いていく。 「キッドの料理か。いいんじゃない?」 「そうねえ。よかったら手伝うよ?下拵えとか」 園子と蘭も話の流れに乗った。 アイリーンが決めたのだから、即刻実行されるのだ。すぐに車が用意されて玄関へ向かうことになる。 自分の欲求を素直に言うようになったことは、喜ぶべきことだが、蘭と園子の影響は不安だ。新一とキッドは口には出さないが思っていた。 「ありがとうございます。蘭さん。食材がどれだけそろっているかわかりませんが、天ぷらなら簡単に作れるでしょう。それ以外も、食材探しはお手伝いしてもらえますか?」 「いいわよ。アジアン・フードマーケットというからには、日本の食材だけじゃなくてアジア全域のものがあるだろうし。探すの難しいかもしれないもんね。任せて」 蘭は男前に胸を張った。 彼女も料理全般は得意である。 「新一、希望があったら聞きますが?一応」 それが可能かどうかは後になってみないとわからないが、出来るなら食べたいものを作りたいと思うのが人情だ。 「……そうだな。天ぷらもいいけど、本当は大根下ろしたっぷりの天つゆで食べたいんだ。難しいとは思うけど。そうじゃなかったら、きんぴらや煮物?豆腐ステーキとかもいいな。うどんや、蕎麦。おにぎりもいいなあ。あと、だし巻き卵」 うっとりと新一は語った。どうやら醤油や出汁が恋しいらしい。 「わかりました。できうる限り努力してみますよ。楽しみにしていてくださいね」 「ああ!」 新一がにこりと全快の笑顔で答えた。 キッドに甘やかされている自覚はあまりないようだ。 「……私達にも聞いてよ」 「そんなこと気にするのムダよ」 ぼそりとこぼす園子に蘭が切り捨てた。 キッドに新一と同じように扱ってもらおうなんて、無駄な努力はしない方がいい。 「……準備しよ?鞄くらいいるからね」 「そうね」 園子と蘭も立ち上がり、自分たちの使っている客間へと向かった。 財布と携帯だけではなく、女性であるからハンカチ、化粧品と必要なものはそれなりにあるから小さな鞄は必須なのだ。その点男性は財布と携帯だけならポケットで済む。 二人を見送った新一とキッドはまだ食べたいものの話をしていた。そのうちキッドの料理でなにが好きかに移って、話が止まらなかったが「出掛けるわよ」というアイリーンの声が響いて急いで立ち上がった。 アジアン・フードマーケットはそれなりに食材がそろっていた。ただ、日本で買うより幾分高かったが、背に腹は変えられない。するとアイリーンが「あなた達はお客様なんだから、私が出す」と言う。そこで出す出さないで言い合うのも困ったため、その場はアイリーンに譲った。その分、アイリーンの希望を聞いて食べたいと思うものを作ろうと決めた。 ポートランドは魚介類が豊富だ。 ロブスター料理やクラムチャウダーなどが有名で、街にはシーフードレストランが並ぶ。 そのため、近くにあったスーパーで魚介も購入する。 あれがいい、これがあると食材を見ながら皆で雑談した結果、夕食に作るものは決まった。 天ぷら。 茶碗蒸し。 豚肉の生姜焼き。 だし巻き卵。 豆腐サラダ。 すまし汁。 ご飯。 「アイリーン、では野菜を切ってください」 「蘭さんは生姜焼きをお願いできますか?」 キッドがキッチンで指示を出す。日本料理の作り方を習いたいのというアイリーンの希望を叶え、手伝いの蘭を加えて三人でキッチンに立っている。幸い、ここのキッチンは広いから三人でも作業できる。 フードマーケットでは、醤油、みりん、だしの元などの調味料が手に入った。それ以外もいろいろそろえて帰ってきた。 天ぷらのタネは小麦粉と卵があればいいから、野菜やエビがあれば出来る。 天つゆは濃縮タイプのだし汁を使用して作ることにした。実際日本でやっているような鰹節を山ほど使って出汁を取れないからだ。何かに振りかける鰹節のパックは売っていたがさすがに出汁用の山となる鰹節は売っていなかった。 茶碗蒸しも、出汁の元を使用して作る。中の具は、鶏肉と青菜ときのこ。現地のものだ。 容器がなため、ココットを使用する。洋風の茶碗蒸しもキッドのレシピにあるのだが、それはココットを使用するため、代わりに使うのはいつものことだ。 だし巻き卵はフランパンで作る。これも出汁の元を使う。 キッドが二品分の卵を手早く割って、ボールにそれぞれ調味料をいれて用意する。 フードマーケットで生姜を見つけたため、豚肉の生姜焼きを作ることに決めた一品だ。 これは蘭に作ってもらっている。 豆腐サラダも豆腐が買えたからこそのメニューだ。切ったキュウリやハム、トマトなどを乗せドレッシングを掛ける。手間の掛からない簡単な一品だ。 すまし汁の具は現地のもので適当にあうもの。本当は味噌汁がよかったのだが、味噌はなかった。 米は売っていたが炊飯器なるものはある訳がなかったため、鍋で炊くことにした。厚みがあり蓋のできる鍋でないと難しいため、あらかじめアイリーンにそういったものがあるか確認してから米は買った。 米の種類はあまり選べなかったが、あるだけいいだろう。 そして、アイリーンに作り方を見せ、自身でもやってもらいながら夕食は完成した。 「美味しいわ!」 感動も一際らしくアイリーンが嬉しそうに声を上げた。 テーブルの上には料理の数々が並んでいる。色鮮やかな盛りつけで香りもよく食欲をそそる。 「うん、美味しい」 「相変わらず、美味しいわよね」 新一と園子も少しぶりの和食に頬をゆるませる。海外で長くても和食が恋しくて困るとうことはあまりないが、いざ食べるとやはり好きだと感じるものだ。それが美味しかったら当然だろう。 「美味しいですね」 今日は同じテーブルに付いているクロードも誉めた。執事という立場であるクロードは客と一緒に食事を取ることはないのだが、今日は特別だ。常日ごろは一人で食べたくないアイリーンと一緒に食事を取ることもある。 「それは何よりです」 「よかったわ」 腕をふるったキッドと蘭が安堵の声をもらす。いくらフードマーケットで材料や調味料が買えたといってもなかったものは代用しなくてはならず、触感や和食との調和が難しかったのだ。 「ここにも日本料理のお店があって食べたことがあるけど、今日の方が断然美味しいわ」 アイリーンは天ぷら、茶碗蒸し、だし巻きと味見を次々にして感想を述べた。 「ロバートはヘルシーな日本食が好きだったから二人で何店か食べに行ったんだけど、味が違うわ。メニューもそうだけど。日本食のお店だと、天ぷら、スシ、ソバヌードル?それからスキヤキ、トウフのサラダやステーキ、魚介のグリル、いろいろ食べたのよ。ポートランドは魚介が豊富だから、生で食べるサシミも食べれたわ。でもねえ、違うのよ」 首を傾げつつ、アイリーンは不思議そうに話した。話し終わるとすぐに今度は豚肉の生姜焼きを食べる。とことん気に入ったようだ。 「……キッドと蘭が料理上手であることは間違いないと思いますが、たぶん、家庭料理だからですよ。一流の料理人にはそれ相応の技もプライドもありますから、彼らの舌で美味しいものを追求しています。でも、そんな店で毎日食べたら飽きますから。まあ、キッドが作る料理が一番好きですけどね」 くすくす笑いながら新一がウインクした。 「そうねえ。その通りだわ。ロバートも私が作る料理を美味しいって毎日食べてくれたもの」 「素敵なご主人ですね」 「ええ!」 アイリーンは笑顔で頷いた。 その夜は、夕食をゆっくり食べお茶をして和気藹々と過ごした。 |