書斎の窓からは明るい光が射し込み、そよ風が部屋を吹き抜けていく。 新一は椅子に座りテーブルの上にいろいろ広げてロバートについて調べている。彼について知ることが最初にしなければならないことだ。 何冊もあるアルバムをめくり、そこにある写真から彼の表情や背景から場所を推測する。手帳からどんな思考回路をしているか考える。走り書きでも、どんなことをメモするかから人柄がわかる。 予定を書く場合、時間、場所、人だけを書くのか。それとも他に日記代わりに天気やニュース程度メモするのか。自分だけではなくアイリーンの予定も書いておくのか。 書棚に並ぶ本の傾向はどんなものか。 経済学、工学。物理学。物流、経理など経営全般。六法全書と法律に関する本。コンピュータ関連。歴史書。推理小説。文学。科学やスポーツの雑誌。 タイトルを見ただけで分野が多岐に渡ることがわかる。 興味は?趣味は?嗜好は? 酒はどんなものを好んだのか。煙草は吸ったのか。吸ったなら銘柄は? 癖は?口癖は? 好きな音楽は?CDだけではなく、昔のレコードも並んでる。プレイヤーが部屋に置かれているから、ここで好きな音楽を聴いていたはずだ。 歌手はプレスリーやビートルズが好きなことはわかる。レコードがいくつもある。擦り切れるほど聞いたのだろう、ところどころジャケットに痛みがある。 好きな映画は?好きな俳優は? アイリーンに聞きたいことがたくさんある。 思い出話ついでにいろいろ聞こう。 「新一」 コンコンとノックしてキッドが入ってきた。 「キッド?」 「少し休憩にしませんか?お茶をいれてきたのです」 「ありがとう」 新一は机の上に広げたアルバムや手帳などを固めて場所を作る。キッドはそこに紅茶の入ったカップをおく。 「クロードに許可をもらって私がいれました。どうぞ」 新一はカップを手に取り、一口飲む。口中に広がる豊かな香りと味に新一は知らず笑みを浮かべた。 「……美味しい」 「それは何より」 キッドも側にあるソファに座り自分の分のお茶を飲む。 「……今頃、楽しんでいるかな?」 「そうですね、園子さんも蘭さんも久しぶりだとはしゃいでいましたから」 「まあ、乗馬歴長いから外乗も大丈夫だろ」 「ええ。初めて乗る馬とはいっても、おとなしい性格の馬でしたしね」 今日、蘭と園子はアリーンとともに外乗に行っている。 四人はフランスでポニーに初めて乗った。まだ四、五歳くらいの頃だ。 年齢や背丈に応じて最適な大きさのポニーを選び、慣れるに従って多少大きめの馬に乗れるようになると十一歳くらから本格的な騎乗レッスンに移るのが一般的であるため、彼らは乗馬クラブへと連れていかれた。ちょうど休みを利用して四人がそろっていたから親たちがクラブと契約したのだ。 彼らが訪れたヴェルサイユ郊外の乗馬クラブは広大な敷地を持ち、多くのポニーや馬を所有していた。自然豊かで緑の芝生に囲まれたクラブは、乗馬を思う存分楽しむことができる場所だった。 そこでは「乗馬は人生の学校である」と言われた。馬に乗ることから人は様々なことを知る。 第一に感受性を養う。第二にフィネス(洗練が日本語に近い)の妙を覚える。第三に人に対する優しさを学ぶ。馬に親しく接することで優しくするから、優しくされることを身に付ける。乗馬することは、馬を世話することにつながり愛情が生まれる。ブラッシングし、細々と面倒を見るから情操教育になる。 加えて、姿勢がよくなり美しいプロポーションを手に入れることができると説明されて、女性達(一緒にクラブへ赴いた母親達)が喜んだのは余談だ。 そんな理由で彼らは乗馬を楽しむ人間だった。 「仔馬、もうすぐ生まれるって言ってたな」 身重の牝馬アイーダ。毎日確実に大きくなっていくお腹。 女性陣を送り出した時の厩舎での会話を思い出す。 「どの馬に乗る?」 エリックが一頭ずつ馬の名前を紹介した後、アイリーンが蘭と園子に聞いた。 「私は、このコがいいな。ビアンカ」 蘭が選んだのは栗毛の牝馬だ。優しく大人しそうな目をしている。 「私はね、うーん、このコかな。イングリット」 園子が選んだのは白毛の優美な牝馬だ。毛並みがよく脚腰が美しい。 アイリーンは鹿毛のブライアンに乗ることに決めた。 すでに着替えているので後は鞍を付けたり準備をするだけだ。蘭と園子はアイリーンから手ほどきを受けながら準備を進めている。 新一とキッドがそれを横で見守っていると、エリックがアイーダの世話をしながら手招いた。 「ほら、シン。昨日より大きくなっただろう?」 「ほんとだ……」 驚かせないようにアイーダの膨らんだお腹をそっと見て新一は顔を綻ばせた。 「楽しみだな」 「ああ。亡くなった旦那さまも馬が好きで。新たに生まれる命を心待ちにしていたんだ」 エリックが馬の首を撫でながら想いを巡らす。 「アイーダはうちの王女様だし。旦那さまも気に入ってらした」 「……キングが王様でアイーダが王女様?もしかして、アイーダの意味ってオペラですか?」 「その通り!エチオピアの王女様だ!」 「なるほど。名前の付け方って趣味が出ますね」 『アイーダ』とはジュゼッペ・ヴェルディの有名なオペラだ。ファラオ時代、エジプトとエチオピア二国に引き裂かれた男と女の悲恋を描いている。アイーダはそのエチオピアの王女だ。 「ああ。ノエルはクリスマスに生まれたから、イングリットは白馬で優雅だからイングリット・バーグマンから。洒落でグレースって呼ぶ時もある。キングは黒馬で素晴らしいことから、キング牧師から頂いている。まあ、謙虚さはちょっと足りない王様だけどな」 「それはいつもカーティス氏が付けていたんですか?」 「大まかには旦那様だな。奥様も一緒に付ける時もある。ノエルは奥様だな」 「仲のよいご夫婦だったんですね」 「そうだとも!見ているとこちらまで暖かくなるくらいのご夫婦だった」 エリックがしんみりと言う。 新一は少しだけ間をおいて、雰囲気を明るく変える。 「それで、カーティス氏は生まれてくる仔馬を待っていたんですよね?」 「そうだ。旦那様が存命のうちには仔馬を見せることは無理だったがな。馬は十一ヶ月ほどお腹の中で育つ。旦那様が存命のうちに種付けはしたんだがな、ご病気だったから。それでも、アイーダの様子を楽しみに見ていらした」 「本当に、馬がお好きだったんですね」 「ああ!奥様も大好きだし、旦那様と一緒に乗馬をすることが日課だった。旦那様は身体を動かすこと好きで、スポーツなら何でもやる方だった」 そして優しい方だったとエリックは目を細める。 「でも、馬、お二人のためには多いですね?」 「何頭もいるからな。お客人と一緒に乗馬することもあるし、近所の馬場に貸すこともある。近所で観光客相手にクラブを開いているトコがあってな、足りない時に貸してくれって連絡が入る。奥様もよくご存じの相手だから喜んで貸す」 なるほど、と新一は納得した。 二人しか乗る人間がいないのに、馬の頭数が多すぎると思っていたのだ。 アイリーン一人になっても、新たに生まれる命がある。好きでなくては難しいだろう。 「そういう時はルーファスがいるから、任せて俺がクラブまで連れていく。慣れた人間がいないと馬も不安がるからな。一日そっちにいる。その間くらいは役に立つようにはなったな」 まだひよっこだと言っても実際は彼を認めていることが言葉の端々からわかる。 新一は小さく笑ってエリックに告げた。 「今日は無理ですが、今度乗せて下さい」 「私も、是非」 依頼がある新一であるから、乗馬を優先することはできないが、折角だからそのうち乗りたい。新一の横で話を黙って聞いていたキッドもすかさず同意する。新一一人にすることなどキッドにはあり得ない。 「ああ。いつでも言ってくれればいい」 エリックも笑顔で請け負った。 「時間を作って外乗に行きましょう。少しの時間なら馬場で乗せてもらってもいいし」 「俺も久しぶりだからな。四季会に入ってからは一度も乗っていない」 「忙しいですからね。長期の休みくらい自分のために時間を費やしてもいいと思いますよ」 「そうだな」 時間制限がある依頼。 この休みが終わるまで。まったくヒントのない捜し物ではいくら新一でも簡単ではない。 とはいっても、四季会は多忙で自分のことに費やす時間は明らかに減った。長期の休みくらい、というキッドの言葉も頷ける。だからこそ、探偵としての依頼を受けたのだ。そうでなくては、よほどのことでない限り依頼は受けられない。断っている。 一年の時は、殺人事件でどうしてもと頼まれて依頼を受けたことはある。さすがに、その時は、学校を欠席した。 「いくらか調べたら、乗せてもらうか」 「ええ、そうしましょう」 キッドは新一の同意に微笑んだ。 「ところで、私、ここにいてもいいですか?お邪魔では?」 新一の休憩時間もそろそろ終わるだろうと見越してキッドが尋ねた。 「別にいいけど。集中すれば気にならないし、キッドの気配なら安心できるから」 新一が首を傾げながら正直な思いを口にする。キッドは嬉しそうに笑った。 「それでは、ここで練習をさせてもらいます」 キッドはそういって手を翻すと指の隙間からいつのまにかコインが現れる。そのコインを指と指の間を通ってくるくると動かす。まるで生きているかのようだ。 キッドは日々手先の運動を欠かさない。大かがりなものはポートランドまでもって来れなかったから、ここではカードやボール、コインなどのマジックを主に練習している。 「ああ。なら大歓迎。キッドの手の動きを見ているのも好きだから」 新一も笑顔で受け入れた。 そして、書斎で調べものをしている新一の傍らでキッドがマジックの練習をするようになった。 |