「Colors」2ー7







「ここよ」
 アイリーンの後に新一は続いて部屋に入った。ロバートが使っていた書斎だ。
 
 重厚な机に座り心地の良さそうな椅子。壁一面の本棚。窓から差し込む光が美しい。
「ここから見える景色が綺麗でね。気に入っていたの」
 新一はアイリーンに誘われて窓へと寄る。窓から見える景色。青い空。遠くに山脈、近くに木立。家の広い庭には美しい花壇がある。横手にバラ園も作られて入り口には蔓が巻き付いたアーチ。
 少し離れたところに厩舎が見える。
「ロバートの大切なものが詰まっているのね」
 愛おしそうに呟いてアイリーンは本が並んでいる棚の隅にあるものからいくつか引き抜いた。
「こちらがアルバム。昔のものは少ないけど、結婚してからはたくさん撮ったの」
 新一が先ほど見てみたいと申し出ていたものだ。ロバートの容姿さえ知らないのでは話にならない。
「ありがとうございます。では、失礼して」
 新一は一枚めくる。
 そこには若い頃のアイリーンと男性が睦まじく並んでいた。
 男性は、焦げ茶色の巻き毛、茶色の瞳。背は190くらいあるだろうか。体付きは、筋肉が無駄なく付いてがっしりしている。
 これが、ロバート。
 隣のアイリーンはとても美しい。
 艶やかな金髪に輝く碧眼。白い肌に果実のような唇。細身の身体にワンピース。写真からも魅力が伝わってくる。
 ロバートはアイリーンに会った時、一目惚れでもしたのだろうか。
 さきほど聞いたアプローチから推測しても、最初から好意的だ。
 アイリーンは思わず男性が親切にしたくなるくらいの美人であることは間違いない。
 それにアイリーンは貴族の娘であり、所作が美しくクイーンズイングリッシュを話す。そんなある意味夢を詰め込んだような存在に出会い、惚れない男はそういないだろう。
 本人はそんな話しをしていないが、本国で立派な嫁ぎ先を考えていなかったはずがないのだ。
 
 アルバムのページをめくっていくと、いかに二人が仲がいいかわかる。愛し合っているかわかる。
 出会って恋に落ち、結婚して、人も羨むほど睦まじい。
 好きなのだと愛しているのだと視線や雰囲気から伝わってくる。
 
「そういえば、日記はあるのですか?」
 一気にアルバムを見ることは諦めて新一は質問する。アルバムは十数冊もあるのだ。
「ロバートは日記を付けていなかったわね。だから、ないのよ。あったら少しはわかるのかもしれないけど。手帳は仕事柄昔から使っていて、今でも持っていたわ」
「手帳。それは見せていただいても?」
「ええ。ちょっとまって」
 アイリーンは机の引き出しから何冊か手帳を取り出す。
「予定を書き込んでいるだけなの」
 新一はそれを受け取って、ぱらぱらとめくる。
 確かにスケジュールが簡単に書き込んである。仕事から退いてからはそれほどマメには書いていないようだ。
「これらですが、一度に見ることができないので、後でじっくり見せてもらっていいでしょうか?」
 書斎にあるものに目を通すだけで時間がかかる。アルバム、手帳だけではなく、どんな本が好きだったのか、どんな人だったのか伺うために時間が必要だった。
「ええ。書斎は鍵がかかっていないし、いつでもどうぞ。他にも案内しておきたい場所もあるから行きましょうか」
「ええ。一応、先に見て回って頭に情報を入れておこうと思います」
 新一は頷いた。
 
 カーティス邸は外装が白い壁で出来ている。
 二階建ての建築で一室の作りが大きい。
 一階にあるキッチンは大きなもので、何でもできるように器具もそろっている。
 ダイニングには6人掛けのテーブルと椅子がある。重厚な木製のテーブルは一枚板でできたものだ。ソファやテーブルなど趣味のいい調度品がそろった広いリビングにはレースのカーテンから光が射し込む。サニタリー、トイレ、バスも広々としたものだ。
 二階には、いくつもの客間がある。二人部屋が2つ、一人部屋が2つあるころから、人が尋ねてくることを歓迎していることがわかる。
 内装は上品はアメリカのデザインだが、所々にヨーロッパの香りがする。
 それはアイリーンがいるからだろう。
 新一とキッドが滞在することになった客間は、どこからどう見ても壁紙、家具、ファブリックすべてヨーロッパだった。もっといえば、イギリス。
 アイリーンの友人が泊まる時使う部屋なのかもしれない。
 
 室内を歩き周り外に出た。書斎から見えた花壇を横目にバラ園へ繋がるアーチをくぐる。
 時期が時期なので最盛期の美しさは無理だったが、それでも種類によっては美しく咲くバラが見えた。
「手入れは私がしているの。バラには思い入れがあるし」
 アイリーンがそっと緑濃い葉に触りながら笑う。
「実家にもバラ園があって、これがとても綺麗なの。私が手入れできる範囲のここと規模が違うわ。迷いそうなバラの園。小さな頃は自分の背丈より高いバラに囲まれて、本気で迷路だったし。実際子供には迷路として遊べるように作ってあったのね。……懐かしいわ」
 イギリス人は庭に力を注ぐ。特にバラは国花だ。皆、バラを愛している。
 貴族の庭園にバラ園があってしかるべきだ。
 アイリーンが大事にバラを育てるのは当然といえた。
「いろんな種類があってね、つい昔家で見たバラが欲しくて探しちゃったわ」
 
「盛りはさぞ綺麗なんでしょうね」
 愛情をこめているバラ園の素晴らしさは想像できた。
「ええ!色とりどりのバラに甘い香り。楽園みたいよ。ロバートも褒めてくれてね。……あそこのテーブルセットで午後のお茶をするの」
 バラ園の片隅白いテーブルとチェアのセットがある。たぶん、そこから見る風景が格別なのだろう。
「ああ、見せたいわね。ねえ、シン。いつか盛りにいらっしゃいな。もちろんいつでも大歓迎だけど、どうせなら見て欲しいわ」
 いいことを思いついたと、アイリーンは少女のように手を叩く。
「ありがとうございます。いつか、寄らせてもらいます。皆で」
「嬉しいわ!」
 新一の言葉を社交辞令とは流さずアイリーンは満面の笑みを浮かべた。
 
 
 
 
 
「ここが厩舎」
 邸の周りを案内して最後にアイリーンが来た場所だ。
 数頭の馬が見える。
「エリック!」
 中で作業している男にアイリーンが声をかける。男は振り返った。
「奥様」
 壮年の男だ。黒髪に濃い茶色の目をした痩せた男だ。
「アイーダの調子はどう?」
「ぼちぼちですな。よく食べているようだし、中にいるヤツもきっとすくすく育っています」
 栗毛の牝馬の首を叩きエリックと呼ばれた男が目を細める。
「そう。シン、紹介するわ。馬のことを任せているエリックよ。うちに馬のすべてを知っているの!」
「はじめまして、シンです。昨日からこちらにお世話になっています」
「ああ、昨日からのお客人か。俺はエリックだ。……シンは馬に乗るのか?」
「ええ。好きですよ。ここの馬は穏やかですね。目がとても優しい」
「そうなんだ、いいやつらなんだ」
「僕が馬に乗るとよくわかりましたね?」
 新一は笑いながら聞いてみた。
「そりゃ、わかるだろう。馬の背後からは近づかない。いきなり大声は出して馬を驚かせない。それに、馬をよく知っている目で見ている。馬が好きな人間が、わからないはずないな」
 エリックは断言する。新一は面白そうに唇の端をきゅうとあげ微笑んだ。
「そうですね。好きな人間同士はわかりますよね!……で、そちらのアイーダは身重ですか?」
 二人の会話から推測することは簡単だ。
 
「おう!もうすぐ生まれるさ」
「楽しみですね」
「今からわくわくするな」
 エリックは相好を崩す。
「そうでしょうね」
 新一も馬の目をじっと見て、元気な仔馬を生んでねと笑った。エリックもああ、と頷く。
 
「話しが弾んでいるのはいいけど、他のコも紹介してちょうだい。エリック」
 くすくすと笑いを堪えながらアイリーンが則す。
「そうだった!こいつが、アイーダ。その隣に見える月毛がノエル。で、ちょっと遠いが白毛がイングリット。反対側の端に見える栗毛がビアンカ。で、区切ってある先の鹿毛がブライアン。今馬場にいる堂々たるヤツがキングだ。艶のある黒が綺麗だろ?うちの王様だ」
 エリックが指さす馬場に一人の青年が馬を引いている。
「あいつはルーファス。俺からすれば、まだまだだけどな」
「エリックったら。何年もすればものになるって誉めていたのに」
「奥様!そうはいっても、まだまだなんですよ、あいつは」
 アイリーンは素直ではないエリックに、くすりと笑う。
 一方、新一は興味津々と馬達を見つめている。
 実は最初に会った時、アイリーンから「うちには馬がいるのよ、よかったら、乗ってみたらどうかしら?」と誘われていた。
「シン、どう?」
「乗ってみたいですね。久しぶりに。ここのところ乗っていないので」
「なら、いいわね。ランもソノコもキッドも乗れるんでしょ?皆で外乗なんていいわ。うちにはウエスタンとブリティシュ用に鞍や用具がそろえてあるから、どっちでもいいのよ。私は今はどっちでもいいけど、最初はブリティッシュだったでしょ?」
 イギリス人で、幼い頃から乗馬に親しんでいたのならブリティッシュが当然だ。ここがウエスタンというもの当たり前である。
「正式なものももちろんあるけど、普段は着やすいもので、その日の気分で選んでいるわ」
 ウエスタンスタイルは、ウエスタンシャツにジーンズ、チャップス、拍車のついたウエスタンブーツ、そしてハットをかぶる。
 一方、ブリティッシュは、正装なら燕尾服に山高帽だが、通常なら帽子(ヘルメット)、伸縮性のあるライディングウェアに足首までのズボン、手袋、ブーツでいい。
 競技に出るなら服装はルールが絶対であるが、普段乗るならスタイルを考えず大らかでいい。シャツにジーンズでも、スボンでも、気候によってベストや上着をを足したりしてもいい。馬に乗ることが重要なのであって、基本としての服装は二の次だ。
「ロバートもね、一緒に好きなようにしていたわ。一緒に外乗したし」
「ご主人も馬がお好きだったんですよね?」
「大好きよ。私も。主人はほかのスポーツも好きだけど。とにかく体を動かすことが好きだったのね」
 一緒にいろいろやったのよと楽しそうにアイリーンは笑顔をみせた。
「よく、わかります。明日、明後日には乗ってみたいと思います。あいつらの予定を聞いて決めたいんです」
「そうね。では戻りましょうか。そろそろお昼にしましょう」
 
 その後、散策から帰ってきた三人と一緒になって昼食を取る。その際、アイリーンから乗馬を誘われて三人は喜んでと頷いた。
 



 「では、今宵は私のマジックショーを披露しましょう」
 夕食の後キッドが立ち上がった。
 
 今日の夕食は魚介の豊かなポートランドらしいメニューだった。
 ロブスターの焼いた料理に、フラドポテトとクラムチャウダーにパン、サラダ。
 和やかに食事を終えて、リビングへ移動し紅茶を飲んで落ち着いた頃だった。
 
 キッドは優雅に一礼してから指を鳴らし、どこからかカードを取り出す。
 流れるように、まるで生きているようにシャッフルしていく様はそれだけで美しく見応えがある。
 扇形に広げた中から一枚アイリーンに引いてもらう。キッドに見せないでカードの確認をしてもらってから束に戻す。それを何度か切ってシャッフスルする。いったんその束を机の上に置いてから、ポケットから赤いハンカチーフを引き出した。
 ハンカチーフの裏表を見せ何もないことを示してから左手の中にぎゅうぎゅうと押し込める。そして、指を鳴らしてから手を広げるとそこからキャンディが現れた。ころころ右手の平に落ちてくるセロハンにくるまれたキャンディは色とりどりで鮮やかだ。キャディをキッドはアイリーンに差し出した。アイリーンも両手で受け取る。
 再び机の上からカードを持ち直して、束を二つに分け手の中であわせるようにシャッフルする。
 そして、机の上にカードを半円に広げ、その中から一枚選ぶ。
 ひっくり返して見せたカード。だが、アイリーンは違うわと答える。キッドはふむと首をひねり次のカードを選んでアイリーンに見せる。だがアイリーンは首を振る。
 キッドはすべてのカードを表に向けた。
 アイリーンはその中から自分が引いたカードを探すが見つからない。
 それならば、とキッドはアイリーンに渡したキャンディを一つ拝借して、指をならした。
 すると、キャンディは消えカードが一枚現れる。はいどうぞ、とキッドがアイリーンに差し出すと、それはアイリーンの選んだカードだった。
 アイリーンは驚きで目を瞬かせる。そしてすごいわと拍手をした。
 キッドは一度軽く礼をしてから再び手を翻し始める。今度は黄色いボールが指に間に現れる。指を翻す度にボールは増えていく。
 流れるような優雅な仕草で夢の世界へと誘うキッドは魔法使いのようだ。アイリーンは喜んでその時間を楽しんだ。
 
 
「すばらしいわ!キッドってマジシャンなのね?」
 ぱちぱちと拍手を贈りアイリーンが興奮気味に問いかける。
「ええ、まだひよっこですが」
「こんなに巧いのに?」
「はい。父親の足下にも及びませんよ」
 殊勝にそんなことを言うがさっさと父親を越えるつもりのキッドである。
「そうなの?信じられないわ」
「キッドはこんな事言ってますが、実際の腕前はプロ並です。父親が世界的に有名なマジシャンだからそれと比べると差が出ますけど、将来は絶対に父親を越えるマジシャンになりますよ」
 隣で新一が断言した。その目はキッドの将来を信じていて欠片も不安などないものだ。誉め言葉を聞いていたキッドの方が少し照れたくらいだ。
「そう。楽しみね。見たいわ」
「すぐですよ。待っていて下さい」
「ええ」
 微笑みあう新一とアイリーンにそれを見守っていた蘭に園子の方が肩をすくめた。キッドは小さく笑みを浮かべ、クロードも目を細め頷いていた。
 
 
 
 
 



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