「ようこそ」 笑顔で夫人は歓迎してくれた。金髪の巻き毛に碧眼。細身に身体に動きやすい格好の夫人は若い頃はさぞ美しかったのだろうと思わせるほど上品な夫人だった。年老いても十分に美しい。 「こんにちは、カーティス夫人」 新一は前に出て笑顔で挨拶する。 「いらっしゃい。シン。よく来てくれたわ。それから、カーティス夫人はよして。アイリーンでいいわ」 茶目っ気に笑う夫人に新一は小さく笑って、わかりましたと答えた。 彼女はアイリーン・M・カーティス。今回の依頼人である。 「紹介します。こちらが、友人である、キッド。隣が蘭、園子です」 新一は振り返って、挨拶してと三人に言った。 「はじめまして、キッド・クローバーです。キッドとお呼び下さい」 キッドが最初に名乗り一歩出てアイリーンと握手する。 「いらっしゃい。キッド。歓迎するわ」 「蘭・毛利です。ランと呼んで下さい。皆そう呼びますので。私たちまで受け入れて下さってありがとうございます」 にこり、と蘭は人好きのする笑顔を浮かべた。相手に警戒心を与えない笑みだ。 「まあ!可愛らしいお嬢さんだこと。会えて嬉しいわ。ラン」 アイリーンはにこにこ嬉しそうにはしゃぐ。 「はじめまして、園子・鈴木です。ソノコと呼んで下さい」 友好関係を結びたい初対面の人間には殊更愛想がいい園子である。猫を背中に何匹を背負ってアイリーンと握手している。 「歓迎するわ。ソノコ。久々に可愛らしいお客様を迎えて嬉しいわ!さあ、どうぞ」 うきうきとした声音でアイリーンはリビングへと促す。 四人はアイリーンについていった。 ここは、オレゴン州、ポートランド。 アメリカ北西部に位置するオレゴン州最大の都市だ。 オレゴン州はカスケード山脈を境に、雨がよく降り緑が濃い海洋性気候の西部と乾燥して平坦な大陸性気候に分かれる。ポートランドは雄大な山々と穏やかな気候に恵まれた美しい環境を持っている。 太平洋からの湿った暖かい空気がカスケード山脈にぶつかって、雨や穏やかな気候をもたらす西部にあって、気候は夏場は暑くとも28度、冬でも氷点下になることはほとんどなく雪が降るのは平均して5日間程だ。また、冬にかけて雨が降ることが多く年間降水量の9割近くが10月から5月に集中すると言われている。 日本を発ちノースウエスト航空でポートランド国際空港に降り立つと、迎えが来ていた。カーティス邸までは車で30分ほどの距離があるためだ。前知識なく、一般の交通機関を使って赴ける場所ではなかった。 空港で待っていたのは、執事だった。アイリーンに付いて日本に来た時、クロード・ローウェルと名乗った壮年の男だ。アイリーンは新一に依頼するため日本まで一度来ている。 新一は会ったこともない人間の依頼は受けられない。よほど人命が掛かっている緊急の時ならば兎も角、通常は依頼人と会い依頼内容を確認する。紹介者から聞いていても、本人に確認を取らないと、食い違いがあるのだ。 その時アイリーンの背後に控えていた男がクロードだ。クロードとお呼び下さいと新一は言われていた。 面識があったクロードが空港で待っていたのでスムーズに車に乗りカーティス邸まで来ることができた。アイリーンは今か今かと待っていたようで、玄関を開けるとまっすぐに出迎えにやってきた。 その後、大歓迎を受けご馳走を食べ用意された客室ですぐに休んだ。 ファーストクラスとはいっても、飛行機での長旅は疲れる。ぐっすりと眠れば、翌日はすっきり目覚めることができた。 朝食を取り、蘭と園子、キッドは邸を囲む豊かな自然の散策に出かけた。 新一は夫人と話があるとわかていたため邪魔をしないようにとの配慮であり、夫人が素晴らしいから是非どうぞと勧めたからだ。 「では、ご主人について話してもらえますか」 リビングで二人はゆったりと向かい合っている。間にあるテーブルの上にはアイリーンがいれた紅茶があった。 「ええ。彼、ロバートは元々ここポートランドの出身だったのよ。でも小さな頃からご両親の仕事の都合で転々としたんですって。アラバマ州、ワシントン州、ロサンゼルス、そして、海軍に入った。なんでも、国民の義務を果たすつもりだったらしいわ。ご両親に苦労して育ててもらったからだと言っていたわ。6年後海軍を辞めた。海軍に入った理由は、ポートランドの港で海軍の艦艇が停泊していたのを見て憧れていたから。その後は大学へ入ってMBAをとってポートランドの会社に入社。軍にいる時に貯めたお金を大学の費用にしたんですって。その会社で働いて、働いて、社長まで努めてようやく退いて二人で暮らしていた。でも、彼も半年前に安らかに逝ってわ。胃癌でほかにも転移してもう助からないと言われて。最後は家で逝きたいと。見取った時、彼が言った。『探しておくれ、アイリーン。君に残していくから』だから、シンにお願いしたの」 「ええ。ご主人が残した言葉、遺言。探してほしいものですね。……それが何かというヒントは残していかれなかった」 それは先日、会った時に聞いていた。依頼内容を聞いて新一も困ったのだ。 「そうなの。なにを探していいかわからなくて。それが物なのか、言葉なのか、さっぱりだわ」 「さすがに、僕も全く会ったこともない方の捜し物をヒントなしで見つけるのは至難の業です。せめて、人となりをお聞きして、家を見て回ることから始めます」 「お願いします」 アイリーンは頭を下げた。 「これで見つけることが困難であることは承知しています。だから、シンの時間が許すだけでいいの」 「夏期休暇が終わるまで、です。さすがにまだ学生なので。すみません」 途中で放り出すのは、本意ではない。 しかし、新一は学生であり四季会というものに属している。責任がある身だ。 「いいえ」 アイリーンは首を振って、それでもいいのと言う。 「無理を言っているのはこちらなんですもの」 「いくつか質問させてもらっても?」 新一は探偵へ雰囲気を変えて尋ねる。 「もちろん」 アイリーンはにこりと笑い、何でもどうぞと促した。 「ご主人は、出身であるポートランドがお好きだったのですか?最後ここに帰ってきている」 「そうなの。いつか帰って来たいと思っていたんですって。だから、どこか勤める時はポートランドにしようって思ったみたい。ここの自然や気候が好きなの。過ごしやすい、本当に、いい街よ。私も大好き。第二の故郷だもの」 アイリーンは笑う。 「では、お二人の馴れ初めを」 彼女を愛していたロバート。だからこそ、遺言を残した。 二人のことを知るために、尋ねておかねばならないことだった。 「まあ。私たちが出会ったのは、私が20代半ばの頃ね。ちょうどポートランドに友人と遊びに来ていたの。で、彼に会った。友人の知人が彼の同僚だったの。ポートランドを案内してもらおうと連絡取っておいて、カフェで待ち合わせた。同僚に誘われてロバートも一緒に来て、それが初対面。背が高くて、体つきががっしりしているから何かしているのかなと思って聞いてみたら、スポーツするのが大好きなんですって。乗馬もするし馬も好きだっていうから気があって!彼の仕事の合間に、一緒に遊びに行ったのよ。ここは観光する場所には打ってつけですもの」 その時を思い出したのか、アイリーンは頬を染めた。 「劇団に楽団、オペラ、室内楽に、クラブがあるわ。オレゴン動物園、オークス遊園地、オレゴン科学産業博物館。そして、バラ園!バラの都と呼ばれるの。6月にはポートランド・ローズ・フェスティバルがあるわ。それにあわせてオート、ボートレースが開かれて華やかなの。楽しかったわ!」 話しぶりからも、うきうきとした楽しさが伝わってくる。 「なるほど。それからおつきあいを?」 新一は相づちをうち、紅茶を一口飲む。 彼女のいれた紅茶は美味しい。新一の舌にもあっていた。 「そうね。私、長期休暇を取って来ていただけでイギリスに帰らなければならなかった。でも、彼が出張でロンドンに来ることがあって、会ったの。今度は私がロンドンを案内したわ。ロンドン観光をしたことないって言うから、いろいろね。大英博物館に行くと一日終わってしまうから、ビックベンやウェストミンスター宮殿、バッキンガム宮殿、ロンドン塔、有名な観光名所に連れていって。ロバートの出張は短くて、今度はもっと案内するわと約束して。そしたら、長期の休みを取って会いに来てくれたの。嬉しかった。それまでは手紙のやり取りはしていたけど」 現在ならメールがあって簡単に連絡は取れるが、三十年以上前は手紙が主だった。国際電話も時差がある。昔の遠距離恋愛はなかなか難しい。 「親しくなって、ご両親に引き合わせた?」 「ええ。ちょっと大変だったけど。最後は理解してくれたわ」 「末娘を遠くにやるには抵抗があったのでしょう。伯爵も」 「お父様にはかわいがって頂いたから」 アイリーンが眉をひそめ苦笑する。 彼女はイギリスのモートン伯爵家の末娘だった。 つまり貴族の出である。今は兄が爵位を継いでいるが、彼女の名前のアイリーン・M・カーティスのMはモートンのMだ。 最初新一がアイリーンに会った時、違和感を感じて質問してみたのだ。彼女はクイーンズイングリッシュを話す。多少米語に慣れているとはいっても、言葉の使い方と発音などから、彼女が純粋なるブリティッシュであり、高等な教育を受けていること、もしかしたら貴族に連なる人間ではないかと思った。所作や考え方から伺えたのだ。 そして、答えはYes。 オレゴン州、ポートランドから来たと聞いていたから、納得した。 「彼に会って何度か話をして、誠実な人柄であることをわかってくれた。結婚も許してくれて幸せだった。それ以来、ポートランドで暮らして。時間が経つのは早いわね。子供には恵まれなかったけど、二人でいれば楽しかった。ふふ、今回シンがお友達を連れて来てくれて、本当に嬉しいのよ。女の子がいるのは華やかでいいわね。いろんなところに連れていきたくなっちゃって」 くすりとアイリーンは微笑む。 「宜しければ、連れていってやって下さい。言葉も文化も問題ありませんから。彼女達なら公の場でも十分にやっていけますし」 彼ら4人は英語をネイティブに話すことができた。新一とキッドは英語圏で暮らしたことがあるし、蘭と園子も今までの付き合いの中自然とできるようになった。もちろん、それ以外の言語もできる。 「いいの?是非、行きたいわ!もちろん、責任をもつし。ポートランドは比較的安全なのよ」 「内緒ですが、ランは強いんですよ?日本の空手をご存じですか?」 「カラテ?ええ、格闘技みたいなものね?」 「ランは日本の高校生女子のトップです。そこらの厳つい男性より、ずっと強いんですよ」 新一は内緒話をするように、茶目っ気に片目をつぶった。 「まあ!すごいわ!あんなに可愛らしいのに?」 「人は見かけによらないのですよ」 アイリーンと新一は顔を見合わせてくすくす笑った。 「嬉しいわ。ねえ、シン。確かに私はあなたに依頼したけれど、どうか一緒に遊んでね?皆でどこかに行きたいわ。久しぶりなの。家中が賑やかだわ」 「はい。……そうですね、ひとまず数日家を見て回ります。知らないとなにも考えられませんから。あと、ご主人の書斎があれば見せて頂きたい」 「書斎は二階にあるの。案内するわね」 |