「二つの暗号」2




 テーブルの上には所狭しと料理が並んでいた。
 トマトとチーズの冷たい前菜、かぼちゃのポタージュ、子牛のステーキ黒胡椒風味、舌平目のムニエルクリームソースかけ、茸と魚介類のトマトソースパスタ。デザートには、りんごのシャーベット。食後は珈琲。
 食事中は優作にはワイン、コナンにはオレンジジュース。

 「結構美味しいね?」
 「まあまあだな」

 その、フランス・イタリア料理を混ぜたような料理を口にしつつ、工藤親子は談話していた。

 「最近はどうなんだい?」

 優作は天気の話をするような気軽さで聞いた。

 「何が?」
 「相変わらず事件に巻き込まれてるのかい?」
 「人聞きが悪いだろう。たまたまだよ。こんな姿じゃ依頼が俺に来るわけじゃねえから………。毛利の叔父さんに来た依頼先に付いていくくらいだ」

 コナンは若干目を細め、仕方なさそうな表情をした。
 優作はコナンの言葉を聞き、ふむ、と顎に手を当てて考えるように一瞬瞳を閉じた………その思考する時の癖は親譲りかもしれなかった………そして至極真面目に言う。

 「毛利さんだけではなくて、事件に関わっているらしいじゃないか。どうも、お前は事件を引き寄せる癖があるらしいね………。僕の若い頃も相当引き寄せたが、お前程ではないよ。これは事件体質とでも言えばいいのかな?それとも探偵なら幸運な体質なのか?」

 受け取りようによっては全く誉めていない言葉である。
 事件体質って何だよ?とコナンはつっこみを入れたかった。
 確かに事件に遭遇する自覚はあるが、それは『癖』なのか?それで済ましていいのか?
 組織を追っている身としては情報が欲しいから事件が起きると首を挟む事も多いが………。大いに疑問を残す発言だ。

 「父さん………、俺に喧嘩売ってるのか?」

 コナンは柳眉を寄せて優作を睨んだ。

 「とんでもない。これでも心配してるんだよ?この親心がわからないかな?」
 「わかるか!」

 コナンはぷいっと横を向く。
 その子供のような仕草に優作は苦笑する。
 外見は子供だからそれは正しい仕草なのだが、中身は高校生なのだ。なんだか得したような気になる優作は親ばかであった。
 けれど、機嫌が悪いままでは折角の時間に支障があるので、眼下に広がる夜景を見つめて、少々話を振ってみた。

 「今日は怪盗KIDの予告日らしいね?」
 「………そうだな」
 「興味はないのかい?」
 「泥棒には興味ねえよ」

 コナンの返答はそっけない。

 「でも、新一の好きな暗号らしいじゃないか。それでも?」
 「それでもだ。暗号は解くのは好きだけど、今はそれほど暇でもないし余裕もねえよ」
 「そうか………」

 それは組織を調べている事を意味する。
 危険が伴う活動に、親としては大変心配だが息子の意志を尊重もしたい。
 優作は立ち上がり大きなガラス窓に手をかけた。暗闇には人工の光に照らされた今日の予告である米花美術館がある。警備のために美術館は四方から照らされていて闇夜にくっきりと浮かび上がっている。その周りにある赤い小さな光はパトカーだろうか?

 「折角だから新一と一緒に怪盗見物にでも行きたいが………、そうもいかないんだろうな、残念だよ」

 工藤優作とコナンが一緒にいる場面を見せる、親しいという認識を世間に与える行動をする訳にはいかなかった。どんな所にでも人目がある。迂闊なことはできない。

 「興味があるなら行って来れば?止めないぜ」
 「一人ではいかないよ。まあ、十年前ならいざ知らずね………」
 「もう、歳か?」

 コナンがにやりと笑い、からかう。

 「そうだね、なにせ高校生の息子がいるくらいだから若くはないね?」

 優作は余裕の表情で笑う。





 「俺、今日は帰るよ」

 コナンは食事を終えて世間話に興じていたが………ミステリ談義ともいう………徐にソファから立ち上がり椅子に掛けてあった上着を掴んだ。

 「あれ?泊まっていかないのかい?」
 「ああ、ちゃんと明後日には顔を出すから。母さんが選んだ洋服来てくるし」
 「そうか………残念だな。久しぶりに新一と一緒に寝られると思ったのに」
 「は?一緒にって、何言ってるんだ?」
 「だって、子供の姿ならいいじゃないか。僕は新一の姿でもいいけど、さすがに一緒に寝てくれないだろう?小さい頃は抱きしめて眠ったのになあ………。新一も僕に引っ付いて離れなかったのに………」
 「父さん!!!」

 いきなり何を言い出すのだろう、この父親は!コナンは叫ぶ。

 「小さな頃はよく僕の書斎で本を読んでいたじゃないか。ベットで絵本やミステリを読んで一緒に寝ただろう?瞳をきらきらさせて続きを読んでってせがんで………可愛いかったなあ」

 コナンの顔が引きつる。
 そんな忘れたい過去を持ち出されても困るのだ。
 覚えているのが恨めしいが、確かにそうだったかもしれない………。内心、子供だったのだから、しかたないじゃないかと言いたい。

 「絶対嫌だ」

 コナンは強く拒否をする。

 「新一はケチだな。たまの親子水入らずなんだから、サービスしてくれてもいいじゃないか。ね、一緒に寝よう」
 「何がサービスだ!気持ち悪いこと言うな。子供にサービスなんて求めるな」

 コナンが嫌そうに顔をしかめても優作は全く気にしなかった。さすが父親である。

 「明後日楽しみにしてるから」
 「そんなこと楽しみにするな、クソ親父!」
 「口が悪い所も可愛いなあ………」

 そういうと優作は問答無用でコナンをぎゅっと抱きしめた。
 それにコナンが適う訳がなかった。





 「ただいま」

 コナンは阿笠邸に帰ってきて、玄関から声をかけた。

 「あれ?新一?今日は泊まってくるんじゃなかったのかね?」

 博士がコナンの声に驚きながら部屋から出てきた。そして不思議そうに首を傾げる。

 「………ああ、ひとまず戻ってきた。明後日にもう一度顔出すよ」
 「優作君は元気だったかね?」
 「すんげー元気だったよ。あのくそ親父!」

 コナンは先ほどの怒りがこみ上げてきたようで、眉間に皺を寄せた。

 「そうか………」

 コナンの剣幕に博士はたじろぐ。
 優作君は何をしたんじゃろうな?と博士は疑問に思った。
 なんだかいつになく新一の機嫌が悪い。実のところ優作はかなりの親馬鹿だから、新一に余計なことでも言ったのだろうか?と付き合いの長い博士は推測した。
 すると、コナンの声に気付いたのか哀も階段から降りてきた。

 「早かったのね?江戸川君」
 「まあな。また行くし」
 「ふうん、そう」

 哀は読めない微笑みを浮かべてコナンを見る。だからコナンもそんな哀の態度には知らないふりをした。下手に追求されても困るのだから………。





 コナンはベットで本を読んでいた。洋書のミステリはもちろん先ほど優作にもらった物である。
 すでにお風呂も入り寝るばかりだから、パジャマの上に上着を羽織っている状態である。好きな作家の新作なので集中して読みふける。コナンがふと壁にかかった時計を見上げると12時になろうとしていた。
 随分時間が経ったらしい。ふう、と息を吐いて本にしおりを挟むと机の上に置き照明を消した。
 カーテンは敷かれていないから、窓から皓々とした月光が差し込んでくる。そんな薄明かりの中、コナンはベットに入り目を閉じた。

 どれほど時間が流れたのか、静寂が部屋に満ちていた。

 やがて、音も立てずに窓が開き部屋に降り立つ白い影があった。
 ふわりとマントをたなびかせてコナンが寝ているベットまで近付くとその影は小さく囁いた。

 「名探偵?」

 コナンはゆっくりと瞼を開ける。視線の先に白い怪盗を見つけると、

 「KID………」

 そう怪盗を呼んだ。コナンはそのまま身体を起こしてベットに腰かけた。

 「こんばんは、名探偵」

 KIDは優雅に礼を取る。

 「それで?今日の用は何だ?わざわざ指定しやがって」
 「ご招待に応じて下さり、光栄です」

 KIDはくすりと微笑む。
 届けられた暗号文。新聞などで発表されている物と違う点は1文だけ。
 『その後で』とそれだけが添えられていた。
 通常は犯行後に現れることが多いが、わざわざそれを伝えることはない。それが今回に限り、必要のない暗号などを送りつけてきた。
 特別に用があるとしか思えなかった。
 そのために予定を変更して帰ってきた………最初から帰る気であったけれど………と知ったらKIDは感激しただろう。もちろんコナンはそんな余分な事は言わない。

 一方この場に居てくれるだけで、名探偵は優しいとKIDは思っていた。なぜならその予告をコナンが無視しても文句など言えなかったのだから。全てはKIDの我が儘である。
 KIDはパチリと指を鳴らすと、どこからか白薔薇の花束を取り出しコナンに捧げた。
 何十本もある大輪の白薔薇。レースのリボンで綺麗に結ばれた見事な花束である。

 「お誕生日おめでとうございます、名探偵」
 「………お前」
 「12時を過ぎましたから、もう5月4日ですよ?」

 なぜKIDがコナンの誕生日を知っているのか?と疑問に思うが、その疑問は愚問であろう。相手は怪盗KIDなのだから………。問題はなぜわざわざそれを言いに来たのか、である。

 「………それだけのためか?」
 「それだけなんて事はありません。私にとっては十分な理由ですよ?」
 「暇人だな」

 コナンは容赦なく言い捨てる。
 捧げられた薔薇には罪はないので一応コナンはしぶしぶ受け取った。
 こんな嵩張る物をどこから出したのか相変わらず見事なマジックだ。その点だけは感心しているが決して口に出してやるものか………。
 コナンは薔薇から芳醇に漂う優美な香りを吸い込んだ。一瞬瞼を閉じて、再び開く。その先には優しげに見守るKIDの瞳がある。

 「気に入って頂けましたか?」
 「薔薇に罪はないからな」

 コナンはふんと横柄に返した。
 それでも受け取ってもらえたのでKIDとしては満足であった。結局のところコナンは優しいのだ。絶対的に拒否などしない。例え犯罪者であり怪盗であるKIDだとしても………。だから、ちょっとだけ欲を出してみた。

 「名探偵。夜空を空中遊泳なんて誘いたいんですが、駄目でしょうか?」
 「はあ?」

 コナンは瞳を見開いた。

 「きっと星も綺麗だと思うのですが?お時間は取らせません。ほんの少し私と一緒に夜空の中を飛んでみませんか?」

 コナンはそのKIDの真摯な誘いに、一度天井を見上げてもう一度視線を戻すと吐息を付いた。
 俺は馬鹿かなあ、とコナンは内心思う。が、しょうがないかと諦めた。

 「………わかった」
 「本当ですか?」
 「ああ。二言はない」
 「ありがとうございます。それでは参りましょうか?」

 KIDはコナンの小さな手を取った。そして側にあった上着を手際よく着せると窓から夜空に飛び立った。





 翌日コナンは工藤邸にひっそりと忍び込んだ。自分の家に忍び込むというのも変だが、見つかるわけにはいかないのだから、しょうがいない。
 人の手が入っていないため………それでも蘭が時々掃除してくれている………埃がつもり、空気がこもっている。換気をしなくてはならないのだが、それもできない。
 庭など、全く手入れされていないから木々が伸びたい放題でジャングルのようだ。外装を見て幽霊屋敷と言われてもしかたないだろう。
 コナンはそんな考えを諦めて、優作の書斎に向かう。

 扉を開けると部屋の中央に大きな机、両隣の本棚には資料や犯罪を納めたファイルなどが所狭しと並んでいる。
 机の一番上の引き出しが、秘密の引き出し。謎に満ちたその箱には何が入っているのか?
 コナンはポケットから鈍く光る鍵を取り出し、鍵穴に刺す。ゆっくり回して、かちりと音がする。慎重に引き出しの取っ手を持ち手前に引く。
 すると一番最初に目に付いたのはカードだった。


 『 愛する新一へ。

   誕生日おめでとう。
   これからの君の未来に幸せがあることを祈っている。
  

                    工藤優作      』


 ………父さん?
 コナンはカードを手に取りしげしげと眺めた。
 たったそれだけの文章。
 けれど、愛情に満ちた気遣いが心に溢れてくる。
 そして、引き出しの中にあったものは。

 フロッピーが何枚か。
 鍵の束と紙片。
 カードと暗証番号。
 小さなビロードの小箱。
 
 その数々はいつかコナンが組織と戦う時のための支援であろう。
 きっと自分は両親に何も言わずに姿を消して活動する。
 それも全てばれているらしい。
 優作は、そうとは言わずに必要な物をこの引き出しに忍ばせたのだ。

 時々、まだまだ父親には適わないと思う時がある。
 どうしてこんなに、見破られるのだろう?
 父親とはそういう者であるのだろうか?
 そうと気付かせずに大きな手で包み込まれているのだと、感じる。
 
 コナンはその中でも異彩を放つ青いビロードの小箱を開けた。
 白い布に挟まれた指輪がある。
 コナンはそれを摘み目の前に翳した。
 窓から光に反射して輝くのは蒼い宝石である。
 
 サファイアか?
 蒼い宝石といえば、タンザナイト、アクアマリン、などそれ以外でも宝石によっては多彩な色を備えているものがある。
 
 が、どれも違うような気がした。
 色と輝きとその特別なカットが裏切っていた。
 光を反射するための………ラウンド・ブリリアンカットというのではないか?
 コナンは宝石に詳しいわけではないが………それでも一般人よりは知識も本物を見た機会もある………母、有希子の持っていた宝石で見たことがあった。
 
 まさか、ダイヤモンド?
 
 ………ブルー・ダイヤモンド????
 
 その価値を知るだけに、一瞬思考が停止した。
 
 これも優作の謎かけの一つなのだろうか?
 コナンはそう納得すると、指輪を丁寧にしまう。
 そしてため息一つ。
 全く、謎が好きだよな………。
 
 

 明日は有希子の選んだ服を着て出かけよう。
 たまには我が儘も聞いてやってもいいかもしれない。
 もう一度、一緒に寝ようと優作に言われたら断れないだろうな、とコナンは思った。
 それが作戦だったら、絶対に意地が悪いが………。
 こどもの日に、子供にサービスさせるなんてうちの親くらいのものだろう………。
 でも、まあいい。
 明日は存分に楽しもう。


                                                  END



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