「だから、それはですね……」 「わけわかんねー、光彦」 「元太君。それだと、課題間に合わないよ」 説明しようとする光彦に、理解しない元太。横から心配する歩美。その後ろを歩く哀とコナン。いつもの少年探偵団の面々だ。学校からの帰り道、今日出た課題について話しながら歩いている。時折道沿いにあるものに興味を示しながら、ぶらぶらと子供らしく歩く。 そんな長閑な雰囲気漂う一行の横に黒塗りの見るからに上質な車が止まった。そして、後部座席のドアが開く。 横付けされた車に、瞬間コナンと哀は視線をやって事態に身構える。 ドアから降りてきた人物は、頭に白いものが混じり柔和な顔立ちの男性だった。外見は紳士風で上質のスーツを身につけている。 「やあ。久しぶりだね」 そして、見かけ同様穏やかな声でコナンに話しかけてきた。 目を見開いて、驚いた顔をしながらコナンが男性を見上げる。 男性はコナンの前まで歩いて来ると、少し屈みながら視線をあわせた。 「江戸川コナン君。少しつきあってもらえないかな?」 「……」 コナンは、小さく息を吐き肩をすくめた。 「神崎さんも元気そうだね。わかったよ、つきあう」 「ありがとう」 笑顔になった男と一緒に後部座席に乗り込もうとするコナンに哀が慌てて声をかける。 「江戸川君……!」 何を心配しているかコナンにもわかった。だから、安心させるように小さく笑う。 「大丈夫だって、灰原。知り合いの、神崎さん。ちょっと行って来る」 コナンの目が、きらりと輝いて哀を見る。そこには、危険はないと言っている。 「……仕方ないわね」 哀は肩をすくめて、ため息を付くと連絡しなさいと言った。 「わかった」 コナンは頷いて、じゃあなと手を振り隣で男も「帰りは送るよ」と笑顔で告げる。やがて車は静かに発進した。 「それで?」 案内された屋敷の一室、書斎のソファに腰を下ろしコナンは神崎を見上げた。 木目の豪奢な机や壁面いっぱいの書棚が並んだ部屋だった。調度品は品がいいが、見かけは派手ではなく置物のたぐいなど一つもない必要なものだけに囲まれた部屋だった。 持ち主の意識やセンスが現れた部屋だ。 「ああ。探偵としての君にお願いがあってね」 「ふうん。何かあった?」 「あるかもしれない。先のことはわからないから」 「……神崎さん?」 不審げにコナンは眉を寄せた。 「私も、いい年だし。いつぽっくり逝くかもしれないだろ?」 「そんな年齢でもないでしょう?親父より上ですけど、まだまだじゃないですか」 「うーん。君に神崎さんと呼ばれるのもいいけど、やはりちょっと他人行儀だな。……いつものように呼んでもられないかな?」 目を面白そうに細めて、意味深に声を潜める。コナンは、ぴくりと片眉を器用に上げて素知らぬ顔をする。 「おじさんと?」 「もう一声」 なにがもう一声だとコナンは思いながら、それでもじっと見つめられて居心地悪そうに一度息を吸って、 「……ちい」 と小声で呼んだ。 神崎千世。千世と書いて「ちよ」と読む。 本当に小さな頃、名前が呼べなくて「ちい」と呼んだのが始まりだ。いくら賢い子供だと認識されていたとはいえ、三歳では舌足らずである。 それに気をよくした神崎本人はそれ以来子供に「ちい」と呼ばれることを望んだ。当然ながら、「ちい」などと呼ぶ人間はこの世にコナンだけである。 「うん。やっぱり、君に呼ばれるとひと味違うね」 神崎は機嫌よく相好を崩した。心底嬉しいと身体から気持ちが溢れてくる。 「失礼します。お茶をお持ちしました」 そこへ、執事が入ってきた。手には銀色の盆を持っている。 丁寧に珈琲とケーキをテーブルに置いて、姿勢を正しコナンに向かいにこりと笑う。 「お久しぶりでございます」 「うん、森村さんも元気そうだね」 「はい」 彼もコナンの見知った人間だ。 森村は長年神崎に仕えている執事である。屋敷のことすべてを取り仕切る。微笑みを称える口元、一分の乱れもない洋服に、いつもぴんと伸びた背筋が彼らしいとコナンは思う。 神崎は父親の知り合いで、小さな頃に出会った人間だ。両親と親しくて父親の書くミステリのファンであり、かつ母親の映画のファンらしい。そう後で教えてくれた。自分のことを子供扱いしなかった。探偵になりたいと、なるのだと語る自分を将来の小さな名探偵と呼んでくれた。成った暁には、自分の依頼を受けてくれと言われて嬉しかったことを覚えている。 この屋敷は、幼い頃に来たことがある。 執事の森村にも、その時会っていて、自分を歓迎してくれた。数度訪れる度、美味しいお茶とケーキを出してくれて、ひっそり内緒話をしてくれた。彼も主人に習って自分も子供扱いしない人だった。 森村が去ってから、神崎はおもむろにソファから立ち上がり机の前まで進む。 「これを、預かって欲しい」 神崎が机から引っぱり出したものは、輪になった金色の鎖で先には鍵らしきものが付いていた。銀色の鍵は鈍く光っている。ちょうど首に掛けられるようになったペンダントと言えるだろう。 「これは?」 コナンが疑問に思うのは当然だ。 ペンダントを片手に掲げ神崎は真剣な目で説明を求めるコナンの瞳を見つめた。 「そのうち。いつか、必要になる時がある。それまで、持っていてくれないだろうか?」 「神崎さん?」 そこにあるものを読みとろうとコナンは神崎の目を真っ直ぐに覗き込む。青い瞳に見つめられて、神崎は困ったように目を細めた。 「違うよ。コナン君」 「……ちい。理由を」 「私に何かあった時のために。探偵であり信頼のおける君に頼みたい。新一君」 「……」 「依頼したいんだ。探偵の新一君に」 「……わかった」 コナンは両手をあげて降参する。 「確かに、工藤新一がお引き受けしました。今はこのような仮の姿ですが……」 今までコナンの名で呼んでいた神崎が、本当の名前で依頼してきた。本気なのだ。本気で何かあった時と言っている。どんな憂いがあるのだろう。そうでなくて、わざわざ自分に依頼などしない。今は、こんな姿をしている自分に。 そこにどんな真意があるにせよ、引き受けたからには彼の希望を叶えよう。 コナンの姿になってから神崎には会っていないし、事情を説明した覚えはない。それなのに、江戸川コナンの子供の姿を工藤新一と最初から知っていて声をかけてきた。そこから導き出されることは、父親から聞いたのだろう。信頼できる相手だから、父親も秘密を話した。 自分の事情を知らない相手のはずなのに、全てわかったように目の前に立った神崎に、瞬時にコナンは悟った。昔の子供の姿を知っているから違和感はなかっただろう。どこか懐かしい目で見つめられた。 彼は、そこまでして自分に用事があるのだと。どんな用件か予想は付いていた。探偵である自分に願うことは一つだけだ。 「ありがとう」 神崎は、お願いすると頭を下げた。 その姿をコナン見つめるしかなかった。 夕御飯を一緒にと誘われて断ることもできず、結局ご馳走になって帰った。車で送られた時、帰り際「会えて嬉しかった」と神崎が告げたのが気になった。 神崎の来訪から一ヶ月経ったある日のこと。 コナンが友人達と別れ、一人で帰途に付いていると黒塗りの車が自分の横にぴたりと止まった。用心して車に視線をやって、組織の連中であったなら迅速に行動しないとならないなと思っていると、ドアが開き出てきたのはコナンが見知った人間だった。 「江戸川コナン様」 「森村さん?」 神崎の執事である。いつもの穏やかさの中に焦りが見える。 「至急、お越し頂けないでしょうか」 真摯に願う眼差しにコナンは目を見開く。嫌な予感がする。こんな蒼白で悲しげな森村は知らない。 「なにがあった?」 「……神崎氏が亡くなりました。殺されました」 端的な言葉は、最悪な答えだった。 「……っ。そう、か」 まさか、本当に。こんなに早く。彼の憂いが現実に起こるなんて思わなかった。 耐えるように奥歯を噛み締めて、コナンは平静を装う。感情的になっては探偵とは言えない。神崎と約束しているのだ、自分は。 「お車にどううぞ。お話はその中で」 「わかった」 コナンはすぐに後部座席に乗った。 「今、警察の方がいらしております。私は、主人がもしも何かあった場合はコナン様をお迎えにあがるように言付かっておりましたから、こちらにすぐに参りました。その旨、迎えに行かねばならない人物がいると警察の方にも申しております。そうでないと、外出の許可が下りなかったのもですから」 「そう」 当然だろう。関係者をそう簡単に外へなど出せない。コナンは柔らかな心地の座席に身体を預け目を閉じて話を聞く。 「それから、現在屋敷には親類の方がいらしておりますので、関係者は屋敷に勤める人間も含めて皆外へ出ずに集まっております」 「親族?」 「はい。今日、旦那様を訪ねていらしております」 「ふうん。親族ってよく来るの?」 コナンは興味を引かれたように、森村を振り仰ぐ。 「ほんとの、時々ですが。最近は多かったように思います」 「神崎さんから、聞いたことないな。そう言えば。……血縁者ね」 亡くなった奥さんの話は聞いたことがあるが、それ以外兄弟のことも何も一切聞いたことがない。自分ににとって大事な人のことなら話す人だったのに。 「神崎さんが殺害される前から?」 「はい。朝からいらしております。三人」 「第一発見者って、まさか親族?」 「いいえ。従業員の三上です。ただ、三上が倒れている旦那様を発見したところに、旦那様の妹である佐々木百恵様がいらして悲鳴を上げられました。そこで我々従業員が、そこへ駆けつけたのです。私も急いで駆けつけました」 「……で?第一発見者を疑った?」 「百恵様は、三上を疑っておりました。ですが、警察から三上が旦那様を発見した時にはすでに亡くなって一時間以上経っていただろうと言われて三上は容疑者にならなくて済みました。その時間三上は仕事をしておりましたから。警察への通報は私が」 救急車へ連絡しようと思ったのですが、すでに旦那様は事切れておいででした、と森村は哀しげに視線をさまよわせた。 「……」 その、符号はどうなのか。先入観は捨てないとだめだ。だが、まるでこうなることを見越していた被害者が後を探偵の自分に託していた事実がある。 コナンは神崎の、真意をどう捉えていいのか考えた。屋敷に到着する前に、心構えをしておくべきだった。 無言を守り思考するコナンを森村も沈黙でもって控えていた。 |