「暁の空にある煌星」プロローグ






 深夜に近い夜の屋上は光が薄い。ネオンもあるが高層ビルの上ではそれも届かない。
 今日は、強風が吹いている。コンクリートの上を滑っていく風はわずかにある砂塵を巻き上げて行く。冷たい無機質な風だ。
 いつもよりずっと風が読みにくい日だ。よく、暗闇の中こんな風の日に飛べるものだと感心する。ハングライダーの扱いに長けていても、誰も夜飛びたくはないだろう。
 本当に、酔狂な奴だ。
 コナンは、屋上で一人佇む。
 もっとも、こんな場所にいる自分も酔狂であると言われればその通りであるのだが。
 ああ。白い姿が視界に入る。
 真っ白い鳥が、夜空からビルの屋上にある吸水塔に舞い降りた。ふわりと降り立って、羽をたたむと人間になる。白いマントを翻し、シルクハットを被った夜目に鮮やかな世間を騒がす怪盗だ。
「よう」
 ポケットに手を突っ込んだまま、コナンは声を掛ける。
 他の人間が見たら生意気だと映る仕草といいざまだ。普段は特大の猫を被っているため、もっと声も幼く可愛らしくしているから、身内を除いて知らないが本性はこちらである。
「こんばんは。名探偵」
 優雅に一礼する怪盗にコナンはふんと鼻を鳴らす。
 それにしても、寒い。風は体感温度を下げるというが、冷えすぎではなかろうか。
 上着をもっと着てくるべきだっただろうか。だが、あまりに重装備では、どこへ行くのか詰問されるだろうし。コナンは心中で自分に言い訳した。
 阿笠邸に泊まっていても、そこに住む少女から目を盗んでやって来たため、コナンは少々薄着であった。これが世話になっている毛利家では抜け出すこと事態が不可能だ。
「ああ。今日もご活躍だな」
 コナンの嫌味にも怪盗は、口元に微笑を称えて流す。
「それほどでもありませんよ。私など、まだ若輩者ですから」
 若輩者は、堂々と窃盗などしない。暗号で予告状を出してマジックを披露しつつ派手に宝石を盗む。ビックジュエルと呼ばれる宝石ばかりを狙うようになって、どれだけ経っただろう。そんな事を気にする警察関係者はいないが、コナンは脳裏でそう疑問に思う。
「てめえが若輩者だったら、世の中は若者ばかりだ。爺がいなくなっちまう。まあ、そんな戯れ言はいいとして、何かあったのか?」
 今回は、わざわざ自分宛にまで予告状が届いた。窃盗は管轄外だといつも参加しないコナンだから、よほどの事がない限りこんな場所までやって来ることはない。やって来れる状況にもないため、余計に現場にはほど遠い。
 それを知っている怪盗が、来て欲しいと言わんばかりに送りつけて来た。それも阿笠邸に。何かあるのではないかと疑問に思っても不思議ではない。
 というか、ないで呼び出すなと言いたい。
 
(くそー、寒いんだよ。平気なツラしやがって。泥棒のくせにっ)
 
 胸中では、さんざん文句を言いながらコナンは怪盗の返事を待つ。
「探しているものが見つからない場合、探偵のあなたならどうしますか?」
 徐に、怪盗は質問してきた。
「はあ?それな訳?」
 自分を呼んだ理由の真意が不明だ。
 だが、黙って待っている怪盗にコナンはふうと白い息を吐いてから、質問の中身を考える。
 探偵として、探しているものが見つからない。それは、凶器か?犯人か?殺害方法か?どれにしても、見つかるまで探すしかない。放っておけないのだから。誰かが殺害された。命を奪われた。誰に、どうやって殺されたか。見つけるのが探偵の仕事だ。不可解な謎があれば、警察から呼ばれて現場に行く。通常は警察の仕事だ。犯人を逮捕するのも警察の仕事だ。自分が関わるのは、わずかな時間だけ。が、重大でもある。時間が決められている時がある。どうしても、その間に犯人を見つけなければない場合は、時間との勝負になる。
 ふむ。俺だったら。
「見つけるしか、ないだろ?」
「……どうしても。探しても、探しても。手を尽くしても。見つからなければ?」
「阿呆か」
「名探偵……」
「諦めたらそこで終わりだ。見つけるんだよ、絶対に。見つからないんじゃない。見つけろ」
 コナンが吐き捨てる。
「……」
 怪盗は黙ってただコナンを見つめる。じっと真摯な眼差しで瞳を穴があくほど見つめた。コナンは不愉快そうに眉を寄せ、睨み返した。
 文句があるなら、言え。そんな眼光で。
「……ありがとうございました。お手間を取らせました。すみません」
 シルクハットを外し、丁寧に怪盗は頭を下げた。風に髪と、片眼鏡から下がる飾りが揺れる。
 怪盗の頭上には月光が降り注いでいる。彼を照らすように。
「月は、地球の衛星だ。あんな風に銀色に輝いていも、それは反射しているに過ぎない。実際は、あんな色でも形でもない。確かに、そう見えていても幻の姿だ。幻は嘘だと思うか?」
「いえ」
「見えているものが嘘か幻か、本物か決めるのは、その人の自由だ。他の誰がどう言おうとも自分の心は自分が決めればいい。やりたいことをやり遂げるのは本人に意志だ。やめても、諦めていいんだ。本当は。でも、もし……」
「もし?」
「諦めきれない。捨てきれない心があるなら、実行するしかないな。俺もだけど。危険でも、不可能でも。犠牲があっても。見つける。見つけてみせる」
 最後は自分の思いを重ねてコナンは結んだ。
 元の姿に戻ってやる。そして、黒の組織をぶっつぶす。不可能だと言われても、やるのだ。暴いてやる。絶対に。その信念を捨てることなどできない。諦めたら負けだ。危険だからといって手を拱いていれば、決定的なチャンスを失う。
 コナンは強い色の眼差しで怪盗を見据えた。
 嘘なんて、軽く見抜く真実が映る瞳は怪盗の心まで真っ直ぐに射抜く。
「私も、諦めません。少々弱気になりすぎました。お見苦しい姿をお見せしました」
 素直に、怪盗自分の甘えを認めた。
「まあ、いいんじゃないか。人間だ、迷う時もあるだろ」
 軽くそう言うコナンに、怪盗は口元に笑みを刻んで、もう一度だけ「ありがとうございます」と感謝を伝えた。
 つんと顎をそらせてコナンはそれを流して、身体をぶるりと震わせた。

(だから、寒いんだってーの)

 いつまで、こいつに付き合っていなければいけないのだろう。怪盗としては感動的な気持ちだったかもしれないが、コナンからすれば寒さが拷問だった。さっさと帰りたいと思っても仕方ない。コナンの身体は子供なのだから。寒さにも弱いし、体力もないし、十分な睡眠を取らないともたないのだ。どんなに優秀な頭脳をしていても、幼い身体だけはどうにもならない。
 だからこそ、阿笠博士の発明品で身体能力を補っている。便利だから散々活用させてもらっている。身体は、問題の毒薬の製作者である人間がいるからみっちりと見てもらっている。口を酸っぱくして無茶するなと小言を言われ続けている。そのため、コナンの行動に目を光らせていて何か勝手にしないかと見張っている。……ありがたいんだが、厄介なんだか、微妙である。

(これで風邪を引いたら絶対にばれるな……)

 コナンは頭を抱えたくなる。
 問答無用で、ベッドに押し込まれるのだ。

(ああ、イヤだ、イヤだ。お小言さえも想像付くぜ)

 心配されているとわかっていても、本を取り上げられて寝ろと言われるのは苦痛である。
 よし、帰ろう。
 コナンは決めた。
 俺には俺の都合ってものがあるのだ。怪盗の都合ばかり聞いてなんていられない。
「話は済んだな?だったら、終わりだ」
 確認というより、終わったよな?ああ?という脅しが含まれている。
「じゃあな」
 そして、コナンはとっとと背を向けた。
「あっと、お帰りですか?お送りしましょうか?」
「いらん」
 怪盗の気遣いをコナンは無碍に蹴り倒す。
「……お気を付けて」
 掛けられた声に、後ろ手にひらひらと手を振ってコナンは重い扉を開けて姿を消した。
 





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