不完全な僕ら−或いは人並みの生活
「続・君の弱点」



 愛してますよ、とささやいた。
 誰もいない、二人だけの儀式のようだった。朝陽の射し込む、部屋の中のワンシーン。
 それが二人の婚姻と、知っている者もいなかった。

 高校教師の天蓬と、大学院生の金蝉。
 この二人が結婚したことを知るものは、この世の中に多くはない。
 しかし、そんなことは幸せと比例しないもので。
 多少交通の便がよろしくなくても、二人で公団に引っ越し、仲良く新婚生活を始めた。
 とまあ、ここまではありがちな話。
 問題なのは、この二人が同性であること。しかも、片や世間知らずで潔癖、片や切れ者だが、妙なところで無頓着。一見うまくいきそうにない二人の結婚は、それでも穏やかに、いくつものエピソードを重ねながら、ゆるりと流れていた。
 今回は、そんな二人が結婚して、半年たった頃のお話。


 冬のある日。
 掃除をするぞと、金蝉が言った。

 元来、天蓬は片づけが得意ではない。いや、むしろ苦手な方である。
 やってやれないことはないとか、いつでもできるとか、そういったことを常に言っている者こそ要注意である。いつでもできると言う者の「いつ」の範疇に、「今」はないからだ。
 そういう自分を自覚していないわけではないから、この状況は新鮮だった。
 先週の休みに引き続いて、今週の休みも掃除をする、などということは。
 ずいぶん変わったものだと思う。そしてその「原因」にあたる人物は、不機嫌そうに天蓬の拭いている電気の傘を、先ほどからじっと見ていた。
「どうしたんですか?」
 そう聞いても、別に、としか返ってこない。明らかに態度に出ているのに、それを言葉で言おうとしないのは彼のくせみたいなものだが、今回はどうしてそうなっているのかわからないだけに、天蓬としても対処のしようがなかった。
 だが、これは今に限ったことではない。朝からずっとこんな調子だったし、もっと言うと、ここ一週間、ずっと機嫌が悪かった。
 最近何か、怒らせるようなことをしただろうか。天蓬は朝から何度も自分に問いただしているが、この一週間、特に思い当たるフシはない。むしろ、誉められてもいいと思っているくらいだ。
 なにせ「片づけなければ出ていく」とまで言われたのだ。大急ぎで片づけ、これまでにないくらい、自分の部屋の掃除をした。今だって、危ないところや力仕事と思われることは、全部天蓬が代わってやっている。
 いったい、何が不満なのだろう。
「あの、金蝉」
「なんだ」
「次は、どこをしましょう」
 とりあえず、高いところにある物はすべて、取り外して磨いた。気にしているらしいので、本人の前では口が裂けても言えないが、反射神経の鈍い金蝉では、万が一落ちたりした時、危険だと思ったせいだ。
「……しばらく、休憩したらどうだ」
「いいですね、それ」
 微笑んで、天蓬は電気の傘を元の場所に戻した。金蝉がコーヒーをいれ、二人はとりあえず一息ついた。金蝉も、天蓬の足下で朝からこまごまと働いている。疲れ始めた体に、コーヒーは心地よかった。
「なにかあったんですか?」
 ゆっくりとくつろぎ始めた頃を見計らって、天蓬がさらりと聞く。
「……別に、何もないが」
 それでも硬質な声を保つ金蝉に、天蓬は心の中で首をかしげる。本当に、どうしたというのだろう。
「だいぶ片づきましたね」
「まあな」
「年末に大掃除するなんて、僕初めてなんですよねえ」
 何気ない天蓬のその言葉に、金蝉はぴくりと反応する。
「初めて?」
「ええ」
 こくりとうなずく天蓬に、金蝉は呆れた顔をする。無論、金蝉も初めてだが、彼の家では、彼の知らないうちに誰かが掃除をしているのだ。決して、掃除をしていないわけではない。
「僕だって、たまに掃除はするんですよ。自分でやると、なかなか片づかないんですけどね」
 苦笑して天蓬が言う。ただ、季節に関係のない生活をしていたので、年末大掃除という感覚がないだけだと。
「……そのわりに、慣れてるな」
 金蝉は自分のコーヒーカップを見つめて、顔を上げなかった。それで天蓬は、今のが本音なのかと知る。
 なるほど、と天蓬は思った。金蝉にしてみれば、唯一天蓬よりも勝っていると思えるところが、掃除という分野なのだろう。だが、自分の部屋を掃除する天蓬を見て、また、言われるままにてきぱきと動く天蓬を見て、自信をなくしたといったところだろう。
「ホントに、可愛い人ですよねえ」
 何の脈絡もなく発せられた言葉に、金蝉の怪訝そうな顔が重なる。
 それを見て、ふふっと天蓬は笑った。だが、金蝉にはその意味するところがわからない。
「いつから掃除、再開します? 僕、どこを掃除していいかわからないんですけど」
 ――貴方が、言ってくれないと。
 天蓬の言葉に、金蝉はまとっていた不機嫌な雰囲気を、少しやわらげた。
「物置と、お前の部屋だ。きちんと掃除したのかどうか確認する」
「その前に、約束してもらっていいですか? 特に、物置に関して」
 真剣な顔の天蓬に、金蝉は同様の表情でなんだと聞く。
「絶っっ対に、怒らないでくださいね」
「……お前、物置に何を入れてる?」

    終  



金蝉様、可愛い!!!
ところで、物置には何が入っているのでしょうか?気になります。
天蓬のことだから、たくさんガラクタ?が入っているとは思うのですが・・。(春流)



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