不完全な僕ら−或いは人並みの生活
「星と君」



 愛してますよ、とささやいた。
 誰もいない、二人だけの儀式のようだった。朝陽の射し込む、部屋の中のワンシーン。
 それが二人の婚姻と、知っている者もいなかった。

 高校教師の天蓬と、大学院生の金蝉。
 この二人が結婚したことを知るものは、この世の中に多くはない。
 しかし、そんなことは幸せと比例しないもので。
 多少交通の便がよろしくなくても、二人で公団に引っ越し、仲良く新婚生活を始めた。
 とまあ、ここまではありがちな話。
 問題なのは、この二人が同性であること。しかも、片や世間知らずで潔癖、片や切れ者だが、妙なところで無頓着。一見うまくいきそうにない二人の結婚は、それでも穏やかに、いくつものエピソードを重ねながら、ゆるりと流れていた。
 今回は、そんな二人が結婚してから、三月と少しくらいたった頃のお話。


「金蝉、ベランダに出ませんか? 星が綺麗ですよ」
 そんな声をかけられ、金蝉は誘われるまま、ベランダに出る。
 タイミングよく煙草の火を消した天蓬が、振り向いて微笑んだ。
 空を見上げてみると、確かにちらほらと星が見える。確か、階段の隣に住んでいる人が、昔はこの辺りももっと星が見えたのにと言っていたなと、金蝉は思い出していた。
「星は好きなのか?」
「どっちかって言うと、地面の方が好きですけどね。面白そうな土があれば、掘りに行ってもいいんですけどねえ」
 まるで、出会って間もない恋人のような質問をすれば、どこか浮世離れした答えが返ってくる。天蓬が話すと、何光年も離れた星が、近所の公園のような感覚で押しよせてくる。
 温度だとか、距離だとか、そういった要素を全部知っていて、それでもなお、そんなことを言うのだから始末が悪い。できそうに聞こえるあたりが、なおさらだ。
「流れ星があったら、願い事をするんですよ」
「……知ってる」
 金蝉は、少し不機嫌そうに答える。自分をどれほどの世間知らずだと思っているのかと、たまに問いつめたくなるのは、こんな時だ。
「三回なんて、大変ですよねえ」
「三回?」
「ええ。流れ星が消えるまでに、三回願い事を唱えると、叶うそうです」
 それは初耳だったらしい金蝉に、天蓬はわずかな苦笑を洩らす。いったいどんな環境で育てばそうなるのかと、たまに聞いてみたくなるのは、こんな時だ。
「それは、大変だな」
 言いながら、金蝉の目は空をきょろきょろと見上げている。さては探しているのかと思うと、天蓬の頬に笑みがこぼれた。
「――何を、お願いします?」
 流れ星を見つけたら。天蓬のそんな、冗談のような問に、金蝉は真剣な顔をして考える。
「それくらいで叶う願いなら、最初から願わんだろ」
 見つからなかったのか、それとも言いたくないのか、そんなことを言う金蝉の後ろに回って、天蓬はそっとその背中を抱きしめた。
「違いますよ。そうでもしないと叶わないような願いだから、『お願い』するんじゃないですか」
「……お前には、あるのか?」
 星に願ってでも叶えたい「お願い」が。金蝉の問に、天蓬はうーんと空を仰いで、考える。
「これでも昔は、いろいろあったんですけど。僕、けっこう欲張りですから」
 自分のことに執着しないくせに、欲も何もあったものかと、金蝉は思った。だが口にだした言葉は、今は違うのかという、実にありふれたものだった。
「今は――そうですね、なにせ一番の『お願い』が叶っちゃってるんで、他のものがすぐに浮かばないんです」
 抱きしめる腕に力をこめてささやいても、金蝉から「それは何だ」という質問は来ない。
 ただ、彼の正面に回した手を、金蝉がきゅっと握っただけで。
「叶わないかなって、思ってたんで」
「……安上がりな奴だな」
 ぼそりとつぶやかれた言葉に、天蓬は思わず吹き出す。
「いえ、けっこうな高望みだと思ってるんですけど、自分では」
 何がだとか、どういうことだとか。そういったことを問う必要がないほどに、今の距離が近くて。金蝉は、ただ天蓬の手を握った手に、わずかな力をくわえただけだった。
「それで、貴方の『お願い』は、なんなんですか?」
 忘れていなかった天蓬が、しっかり金蝉に聞く。しばらく黙っていた金蝉は、やがてぼそりとつぶやいた。
「似たようなモンだ」
 天蓬は少し驚きの表情を浮かべて、それからゆっくりと苦笑を浮かべる。
「貴方こそ、安上がりですよ」
 どうしてこの人は気がつかないのだろう、と天蓬は時折不思議になる。その気になれば、この人なら望みのままに、きっと誰でも手に入るというのに。指先をひとつ動かすだけで、おおよその願いは叶ってしまうのに。
 なのに、こんな所にわざわざ住んで、せっせと苦手な料理に勤しんでいる。
「あ、一つ浮かびました」
「なんだ?」
 天蓬は、目の前の金蝉の首筋にそっと、顔を埋める。
「貴方がこのままベッドに来てくれますように」
 金蝉は一瞬目を見開いて、それから口許だけに、ぱっと見ただけではそれとわからない笑みを浮かべた。
「……それこそ、安上がりだ」

      終  



安がり????お互いにとってはね・・・。
私から見たら、すんごく贅沢よ!
金蝉様自分のこと、わかってないし。
ああ、いいなあ。新婚さん♪(春流)



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