不完全な僕ら−或いは人並みの生活
「君の弱点」



 愛してますよ、とささやいた。
 誰もいない、二人だけの儀式のようだった。朝陽の射し込む、部屋の中のワンシーン。
 それが二人の婚姻と、知っている者もいなかった。

 高校教師の天蓬と、大学院生の金蝉。
 この二人が結婚したことを知るものは、この世の中に多くはない。
 しかし、そんなことは幸せと比例しないもので。
 多少交通の便がよろしくなくても、二人で公団に引っ越し、仲良く新婚生活を始めた。
 とまあ、ここまではありがちな話。
 問題なのは、この二人が同性であること。しかも、片や世間知らずで潔癖、片や切れ者だが、妙なところで無頓着。一見うまくいきそうにない二人の結婚は、それでも穏やかに、いくつものエピソードを重ねながら、ゆるりと流れていた。
 今回は、そんな二人が結婚して、半年たった頃のお話。


 冬のある日。
 掃除をするぞと、金蝉が言った。


 一応、天蓬の部屋と金蝉の部屋は別れている。金蝉はともかくとして、天蓬はやはり職業柄、部屋の一つもないと困るだろうということだったが、その部屋の散らかり具合がすさまじい。
 それを見た金蝉は深く深くため息をついて、宣言したのだ。
「今日は大掃除だ。一日つきあえ」
「はあ。でも、いつも貴方が掃除してくれてるじゃないですか。他にどこを掃除することがあるんです?」
「……お前の部屋だ」
 一気に低くなった声に、天蓬は少し笑って、そうですかと答える。これが天然なのか、わざとなのかわからないから、始末が悪い。
 天蓬には、どうにも散らかっているという自覚がなく、金蝉がどんなに言ってきかせても、きちんと掃除をした試しがない。本の整理をすることはあっても、掃除機を持って部屋に立つ天蓬というのは、ある意味レアな光景だ。
 金蝉は長い髪をまとめて、掃除にとりかかった。彼とて、決して掃除が得意だというわけではない。むしろ、掃除機の使い方すら知らなかったわけだから、苦手な方なのだろう。
 だが、潔癖性の気がある金蝉は、天蓬が散らかすことはあっても、片づけることはないことを、つきあっている時分から知っていた。
 誰もやらなければ、自分がやるしかない。金蝉は半ば必要に迫られる感じで、掃除を学んだのだ。
「さっさとやれ」
 いらついた声に、天蓬はのんびりと返事をして、掃除にとりかかる。
 それにしても、よくここまで散らかしたものだと、金蝉は呆れるのを通り越して安心する。
「これは捨てていいのか?」
「駄目です」
「これは?」
「駄目です」
 仕事上の書類はわかる。捨てるわけにはいかないだろうと、全部ひとまとめにしておいてやるが、他のものが圧倒的に多い。
「そう言えば、あの人形はどうした?」
「人形?」
「どこからかとってきたやつだ」
「ああ、カーネルサンダースですか。アレはここに置いてませんよ」
 じゃあどこなんだとは怖くて聞けず、金蝉は小物類をまとめにかかった。
「なんだ、これは」
「面白い形をしてると思いません?」
 だからと言って、明らかに女性の化粧品を家に置くのはどうだろう、と金蝉は腕を組む。
「とにかく、この中の半分くらいは捨てろ」
「どうしても、ですか?」
「ああ」
 嫌そうな表情を全面に押し出す天蓬に、金蝉は冷たく言い放った。
「これだけ散らかった部屋で暮らすなんて、俺には耐えられん。どうしてもこれだけいるんなら、俺が出ていくだけのことだ」
 ふっと天蓬は笑って、金蝉の顔をのぞき込んだ。
「それ、究極の選択ってヤツですか?」
「……まあな」
 自分をとるのか、それとも趣味をとるのか。ある意味、残酷な問いかけと言って言えなくもなかった。
「迷うと思います?」
「何?」
 金蝉の唇に、そっとキスをこぼす。
「貴方が最優先事項なのに」
「なら早く片づけろ」
 顔を背けて、金蝉は足下の小物を片づけはじめる。
「ま、なんとか折り合いをつけるように、頑張ってみます」
 そう言いながら、天蓬は小物を選別しはじめた。おそらく、この量だと、これで一日が終わりそうだなと思いながら。
「また今度、休みの時に大掃除しましょうね」
 彼らしくない提案に、金蝉は訝しげな顔をする。
「もうちょっとで、お正月じゃないですか」
「……ああ」
「初めてですね。一緒にお正月を迎えるの」
 嬉しそうな天蓬に、つい「もう片づけなくていい」と言ってしまいそうで、金蝉は何も言わず、黙々と手を動かした。甘やかしてはいけないと、自分に言い聞かせながら。

   終  



最後の「甘やかしてはいけない」ってのがツボですわ。
いつも、甘やかしているんでしょうね。うふふ。
新婚さんだもの!天蓬幸せだなあ。(春流)


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