ハーレクインから始めよう!


(11)

「よろしかったんですか?有栖様」
「何が?」
 有栖の目の前には小島自慢の日本食が並んでいる。
 ご飯に吸い物、有栖のリクエストの鯖の味噌煮、大根と厚揚げの煮付け。ほうれん草のお浸し、きゅうりとかぶの  一夜漬け。
 有栖は「いただきます」と手を合わせて箸を持つ。

「ハミルトンさまです。ディナーにご招待されたのでしょう?」
「ああ、ええんや。今日は小島さんに日本食作ってもらう約束だったやろ?」
 美味しいわ、と料理を口に頬ばる有栖。
 それに、少し困ったように小島は言う。
「・・・有栖様」
「だって、児島さんの方が先約や。それも俺の我がまま聞いてもらって!」
「そのような事はございません。私の仕事ですから、自由にお出かけになって結構ですよ」
「小島さんの料理食べたかったんやもん。だめやった?」
 有栖は上目使いで小島を見る。
「・・・だめでは、ございません」
 小島は嬉しいのだが、それを表すことは執事として許せない。プライドなのだ。
 それでも、表情が緩むのはしかたがないだろう。
「今日のデザートはゆずのシャーベットでございます」
 にっこりと微笑みながら、玄米茶をいれる。
 そして、どうぞ、と湯飲みを有栖の傍に置く。
「ほんまに?楽しみやわ!!」
 有栖の嬉しそうな顔と声に、小島も嬉しくなる。
 その夜、有栖は火村にメールを書いた。



 「   火村へ!

 元気か?俺は元気やで。心配いらんでな。
 じいちゃんはちょっと安静が必要やけど、大丈夫って先生に言ってもらったから、
 ひとまず、安心や。良かったわ。
 それから、今日はじいちゃんに逢いに来た外国人に逢ったんや。
 おもしろい人やったで。
 いかにも企業家って感じや。
 俺の小説を読んでくれるって、言うてくれた。
 ちょっと、恥ずかしかったわ。
 今度いっぱい聞いてな。

 それでは、おやすみ。
                               アリス 」

 そのメールを読んだ火村が何を思うのか、有栖には想像もできなかったに違いない。(笑)
 
(12)

「  アリスへ。
 おじいさんは大丈夫そうだな、心配だろうが、傍にいてやることだ。
 きっと、喜ぶ。
 知らない間に変な人間と知り合いになってるんじゃ、ねえぞ。
 もっと、危機感というものを持て。
 お前の印税に協力してくれるなんて、いい奴かもしれないがな。
 それじゃあ、いい子にして、待っていろ。
                              火村   」


 有栖が朝メールチャックをすると、火村からの返事が来ていた。
 いい子にして待っていろ、とは何だと思う。
 そりゃあ、火村に逢えることを楽しみにしているが、自分ばかり逢いたいみたいに聞こえるじゃないか。
 この間の電話で、「俺も逢いたい」と言ってくれたのに!
 全く、火村のあほ。本当に、「いい子」にしてるから、早く逢いたい。
 ああ、朝からこんな気分になってるなんて、らしくない。
 有栖は気持ちを切り替えようと、庭園に出た。
 洋館の一角に温室がある。
 何でも、君子おばあちゃんがお花が好きで、作らせたらしい。
 亡くなった後も庭師の鷲見さんが手入れしているらしく、自由にどうぞと言われていた。
 じいちゃんの部屋に飾ってあげようと、温室に足を踏み入れた。
 一瞬、むっと熱気を感じる。ちょっと息苦しいかもしれない。
 中に鷲見さんが居た。

「おはようございます」
 と声をかける。すると、作業をしていた手を止めて、有栖を見た。
「おはようございます、有栖さま」
 このお屋敷に仕えて、50年というベテランだ。タオルでごしごしと顔の汚れを拭いて、
「どうしました?」
 と聞く。
「おじいさんの部屋に少し分けてもらえる?鷲見さん」
「はい。お好きなものをどうぞ。お切しましょう」
 剪定鋏を見せて、言う。
「自分で切りたんやけど、ええ?」
「よろしいですよ、でも注意して下さいね」

 微笑みながら、剪定鋏を渡してくれる。
 見渡すと、色とりどりの薔薇が広がっている。
 綺麗だった、とても。
 誇り高く匂う、薔薇。生花が持つ、本物の香りだ。
 決して芳香剤や香水では出せない、香り。
 どれにしようか、見まわす。

「ね、これは何て言うの?」
 白っぽい薔薇を指しながら、聞く。
「それは、エメラルドです。薄く緑色でしょう?花弁が多くて綺麗に開くと宝石みたいで、存在感がありますよ」
「へえ、見たことないわ」
「珍しい種類ですから」
 有栖は綺麗だと思ったものをかたっぱしから、聞いてしまうことにした。
「これは?」
 微妙な色合いが美しい。とても柔らかな印象だ。
「それは、キャメルといいます。らくだ色のなんともいえないいい色でしょう?花持ちもいいですよ。切花に向いてます」
「キャメル??」
 有栖は思いもかけない名前に驚いた。これが、キャメルねえ。火村がタバコを吸っている姿が思い浮かぶ。こんな柔らかくって、綺麗な薔薇が・・・。
 でも、煙がふんわり漂う雰囲気はあるかもしれない。
 今度、内緒で育ててみようか、と思った。
 すると、大輪の白薔薇が目に付いた。
「これは?鷲見さん」
「ああ、ティネケです。純白でとても美しいでしょう。花弁が多くて、最後まで綺麗にさきますから、これも切花向きですね」
「そっか・・・」

 実は君子おばあちゃんは白薔薇がお気に入りだったと、聞いていた。
 だったら、これで決まりやな、と有栖は思う。
「これ、もらってもええ?」
「はい。お好きなだけどうぞ、有栖さま」
 剪定鋏で丁寧に一本ずつ切り取る。
 刺に気を付けて。
 20本くらい取っただろうか?これくらいでいいはずや。

「痛い!!」
 注意していたというのに、刺をさしてしまったようだ。指から血がにじんでいる。
 有栖は急いで指を口に含んで舐める。
 鉄の味が、広がった。
「大丈夫ですか?有栖さま!!!」
「ああ、ごめん。大丈夫や」
 鷲見は大急ぎで、温室に置いてある救急箱をあさる。
 焦って、バンドエイド〜、どこだ〜と言っているのがおかしい。
 その姿を見ていて有栖は、あ〜あ、不注意やって、また火村に言われるんやろうな、と思った。
 有栖は先日の出来事を思い出す。
 何かしていて、爪をひっかけてしまった。このままだと気になるし、と指でひっぱって、切れ込みが入った所を剥がしてやろう、と触っていると、たまたま傍に居た火村に見つかってしまった。
 「止めろ」と言うと、じろりと睨み指を取られた。「爪きりがあるだろう!」と言って、勝手知ったる家なので、ひょいと渡された。
 これは、怠惰な行動を怒られた、というより有栖が些細な怪我をしたり、傷つくのが許せないという気持ちらしい。
 何て、過保護な・・・・。有栖は思わずにはいられなかった。
 爪ごときに、どうしてそんなに睨むのか!
 心配してもらうのは嬉しいけれど、時々子供扱いされているような気がするのだ。
 鷲見がバンドエイドをもってきた。
「ありがとう、鷲見さん」
 にっこり、微笑む。
「本当に、気を付けて下さいね、有栖さま・・・」
 心配そうな顔の鷲見だ。
「は〜い!!」
 有栖は舌をペロリと出した。


(13)

「おはよう、じいちゃん!」
 有栖は花瓶いっぱいに生けた白薔薇を持って、統一の部屋を訪れた。
「おはよう、有栖」
「おはようございます、有栖さん」
 統一と今日も診察に来ていた田代が挨拶を返してくれた。
 有栖はベットの横にある、小さな丸テーブルに白薔薇を置いた。
「綺麗ですね、有栖さん」
「そうやろ、先生!じいちゃんも、そう思うやろ?」

 有栖は統一の反応を楽しみに、振りかえった。
 統一はじっと、白薔薇を見つめる。
 ほろり、と頬を涙が伝った。
 その突然の涙に、有栖も田代も驚く。
「じいちゃん?」
 有栖は統一にの傍に駆けより、どうしたの?と不安な顔で尋ねる。
「君子が、よくそうして白薔薇を生けていたんじゃよ。まるで、君子が帰ってきたようじゃった・・・。懐かしいのう」
 統一は泣き笑いという表情で、有栖を見つめる。指を有栖の頬に伸ばして、
「どうして、もっと早くやり直せなかったのか・・・。もったいないことをした。始は当にこの家を出て、有栖川という家にいる。わかっている、そんなことは。でも、どうしても一人残されているようで、堪らんのう・・・。有栖、本当にこの家に来んか?」
「・・・じいちゃん」
有栖は困ってしまった。じいちゃんの寂しい気持ちもわかる。この広いお屋敷で一人きり。
 でも、だからといって・・・。傍には居てあげたい、と思う。でも、でも・・・。
 黙ってしまった有栖と統一を見ていた、田代がふむ、とあごに手をあてつつ、言った。
「十条さん、有栖さんをあまり困らせるものではありませんよ。突然、誰でも困るでしょう、そんなこと言われたら。有栖さんもそんな悲しそうな顔しないで。ゆっくり考えればいいんですから。ね?」
 有栖は、こっくりとうなずいた。


 何を着て行けばいいんやろうな?
 有栖は悩む。
 レナードの食事に招待されているが、どんな店に行くのか聞いていなかった。しかし、あのレナードが連れていくのだから、それなりに高級店ではないだろうか?
 そうすると、やはりスーツにするべきだろうか?
 いくらなんでも、カジュアルはまずいだろう・・・。
 う〜ん、それでは光沢の美しいグレーのスーツにしよう。ネクタイもいるよな、やっぱり。
 ワードロープにいっぱいある洋服の中から有栖は適当に決める。

 まだ約束の時間まで余裕があるので、着替え終わったが、椅子に座って先ほど小島にいれて貰ったお茶でも飲んでいよう。
 ポットに入った紅茶だから、そんなに冷めていない。
 こくり、と飲む。
 美味しいなあ。
 有栖は一息入れつつ、朝の出来事を思い返していた。
 ああ、本当にどうしよう。田代が「ゆっくり考えればいい」と助け船を入れてくれたが、自分がここに来るなんて、想像も出来ない。
 じいちゃんを一人にはしたくないから、遊びに来るし、泊まりに来るし。是非、有栖川の家にも遊びに来て欲しいし。それじゃあ、だめかな?
 はあ。
 一人でいても、ため息が漏れるばかりだ。
 これは、おとんとも相談しよう。なんと言っても息子なんやし。

 コンコン。
 誰だろう?ノックする音がした。
「はい」
 有栖はドアを開けようと近付いた。着替えていたため、当然鍵がかかっている。
 まだ、レナードとの時間には早いんやけど?
 ドアを気軽に開けて、有栖は後悔した。いつも、火村に無防備すぎる、と言われていて、マンションのドアも確認して開けろと言われていたというのに。
 なんと、そこには白鳥がいたのだ・・・。

 有栖は硬直した。

 どうして?


(14)

「有栖様?お話があるんですが」
 白鳥は無表情で言うと、部屋に入ろうとする。
 有栖は我に帰ると白鳥を入れないように、自分が廊下に出て、後手にドアを閉めた。
「何でしょうか?ここに来なくても、お話はできるでしょう?」
 嫌悪感からふるえそうになる声を絞って、きつく睨みながら言う。
 白鳥はにやり、と人の悪そうな表情を浮かべると、
「とても、大切なお話ですよ、貴方にとって、ね」
「私にはあなたと話すことなどないのですが!大切なことというなら、いきなり人の部屋に来なくてもいいでしょう。しっかりと、祖父の前で言ったらどうですか?」
「その可愛い顔で、会長をたらし込んだのか?」
「なっ・・・」

 白鳥は本性を表したかのように言葉使いも変わり、いやらしい顔で、有栖との距離を縮め、細いあごを掴む。
 触られた手に、ぞくりと気持ち悪さがわきあがる。
 有栖は首をふって、その手から逃れようとするが、今度は腕を取られひっぱっられた。
 ドアから有栖を引き離し、ノブを回す。
 開いた部屋に有栖を突き飛ばす。
「何するんや?」
 有栖が叫んでも、少しも気にした様子もなく、有栖に近付く白鳥だ。
「今更、貴方を引き取られても、困るんだよ」
「引き取るって、何言うってるんや?俺はそんな気あらへんで」
「いずれ、十条グループが手に入るというのにか?信じられないな」

 有栖は白鳥が迫る分だけ後ずさるが、すぐに壁に追い詰められる。
 どうにかして逃げなければ、と思う。白鳥越しにあるドアが遠い。
 危機感が警報を鳴らしている。
 まずい、とても。
 有栖は傍にある、花瓶を白鳥に投げ付けた。
 白鳥はそれを避け様と身体をよじる。
 ガシャンと言う音が部屋に響く。
 その隙をついて有栖はドアに走る。
 もう少しで、ノブを掴めあるとした時、強い力で腕を掴まれ引き戻される。その拍子によろめいた有栖は絨毯に転がった。
 急いで起き上がろうとすると、白鳥が伸しかかって来た。
 腕を突っ張って身体を離そうとすると、頭の上に両腕を一つにまとめられる。
 嫌だ、触るなと身体をねじって抵抗するが、信じられないような強力な戒めに成す術もない。
 白鳥は有栖の着ているシャツを力付くで引き裂いた。
 嫌な音がして、ボタンがはじけ飛ぶ。
 有栖の白い肌が露になり、白鳥はのどを鳴らした。
 獲物を見る目だ。

「だから、私の物になればいい・・・」
 勝手なことを言って、有栖の首筋を舐めた。
 ぞくりと、身体がふるえる。
 気持ち悪い。
「嫌や!!!!!!」
 有栖は叫ぶ。誰かに届けばいいと思うが、小島がいる1階には遠い。
 有栖は絶望的になりながら、それでも逃げ出したい一心で細い首をふる。ぱさぱさと茶色の髪が音を立て揺れる。
 そんな些細な抵抗が余計に男をあおることを有栖は知らない。
 有栖の白くなめらかな肌を堪能しようと、白鳥の指が身体の線をたどる。
 嫌や。嫌や。嫌や。
 助けて、火村!!!!
 その時、ドアがコンコンとノックされた。
 天の助けかと有栖は思った。

「助け・・・!!!」
 叫ぼうとした有栖の口を覆う白鳥の手。
「Alice?」
 レナードの声だ。
 有栖は塞がれている手を噛んだ。
「ちっつ」
 それでも力まかせに押さえ付けてくる。有栖はじたばたと暴れた。足が傍にある小さなテーブルに当たり、置いてあったポットとティカップが落ちた。
「ガシャーン」
 激しい音がする。
「Alice?どうしました?入りますよ!!」
 そして、ドアは開いた!!
「何をしているんです???」
 目の前の光景を見たレナードは瞳を見開き、走り寄り白鳥を有栖からひき剥がし殴った。
大きな身体から発した力は当然強大だったらしく、白鳥は絨毯に転がった。殴られた頬を押さえてうめいている。
「Alice?大丈夫ですか?」
有栖をゆっくり抱き起こし、心配そうに尋ねるレナード。
ふるえる身体を止められないが、有栖はうなづく。
そのしぐさを痛ましそうに見て、レナードは有栖を抱きしめた。


(15)

「Alice、落ちつきましたか?」
「うん」
 やっとふるえが止まった有栖にレナードも安心する。
「ありがとう、レナード」
「いいえ。間に合って良かったというか、もっと早く来れば未全に防げたんですけどね」

 有栖は首をふる。
 本当に、助かった・・・。
 段々落ちついてくると、自分はレナードに抱きしめられている。
 破られた服もそのままだし。
 有栖は「もう大丈夫やから」と言ってレナードの胸から離れようと大きな胸を押す。
 それに、少し残念そうに有栖を離すと、
「着替えていらっしゃい、そして少しお茶をしましょう」
 有栖はボタンが飛んでしまった真っ白のシャツをかき寄せて立ちあがると、こっくりとうなづいた。



 小島のお茶の香りが鼻をくすぐる。
 有栖は一口すする。
「何があったんですか?Alice」
「ドアを開けたら白鳥さんが立ってて、話があるって!でも、俺も怖かったから、部屋に入れないように、廊下でなんんですか?って聞いてたんや。そしたら、無理矢理部屋に付き飛ばされて、抵抗したんやけど・・・。」
 有栖は着替えたクリーム色のシャツをぎゅっと握る。
「Alice・・・」
「俺がこの家に引き取られると思ったみたいや。邪魔やと思ったらしくて、おじいちゃんにも注意しろって、言われてたんやけど。まさか部屋まで来るとは思わへんかった」
「わかりました。話にくいことを、すいません」
 レナードは有栖の手を握って安心させるように言う。
「Alice、少し話を聞いてくれますか?」
 有栖は素直にうなづく。

「まず、私がトーイチを訪ねてきた訳は十条グループの調査でした。トーイチは白鳥に疑惑を抱いていました。そして、調査を進めた結果無謀な投資や多角経営の結果十条グループの経営は危機的状況にあることがわかりました。つまり、白鳥には背任罪に追われるわけです。本人も多額の借金があり、十条グループを何がなんでも手にいれたいわけです。そこへ、Aliceが来た。Aliceに後を次ぐ意思がなくても、白鳥には脅威に写ったのでしょう。そして、早く手を打とうと、行動に出た」
 レナードは事情を簡単に説明した。
「そして、白鳥はトーイチの見舞いと言って、屋敷に入っています。けれど、それは口実でしょう。白鳥はトーイチの部屋に行っていません。目的は最初からAliceだったようです。小島が申し訳ないと、謝っていましたよ。自分が無理にでも付いていけば良かったと。白鳥は案内を断ったのです、慣れているから、と」
「小島さんのせいやない。俺が誰か確かめずにドアを開けたからや。それに、俺も男なんやから、もう少し腕力を付けないかんわ」
 有栖は自嘲気味に言う。
「Alice、Aliceは少しも悪くありませんよ。全面的に白鳥が悪いのです。彼は犯罪を犯したのですから!」
「ありがとう、レナード!」

 有栖はどうにか笑顔を見せた。その笑顔を見ながらレナードは思う。
 守りたい笑顔というのはこうゆうものなのだろう。
 そして、同時に手にいれたい、とも思う。
 全く、白鳥をばかにできない。どうしても手にいれたいものがある時、自分の持てる力を全て注いでも構わないのだ。そして、そのチャンスがある場合逃すのはバカだ。
「Alice、トーイチは白鳥を訴えて、ご自分も責任を取る形で会長を辞任するつもりです。そうでないと、銀行の融資が受けられませんから。けれど最近は簡単に融資を受けることもかないません。金額が巨大ですしね。トーイチも自分の財産を処分して返済に当てるつもりのようです」
「そんな・・・」
「厳しいですが、そうしてもでも大会社の企業改革はしなくてはなりません。多くがコスト削減のもと、リストラされるでしょう」

 有栖の表情が曇る。自分にはどうすることもできない、状況だ。
 うつむいた有栖の頬にレナードは大きな掌をそえて、持ち上げると真剣な瞳で見つめた。
 吸い込まれそうな、綺麗なブルーアイズだと有栖は思う。
「トーイチも高齢の上体調も決して良くないのに、財産を処分してこの屋敷から追い出したいですか?Alice」
 有栖は悲壮な顔で首を弱々しくふる。
「私が融資してもいいのですよ。トーイチとも親しい友人ですし。ただし、企業としては融資できません。見通しの暗い企業には許可が下りませんからね」
「だったら、無理なんじゃ?」
「ですから、私個人として、無期限で融資しようというのですよ。わかりますか?」
 じっと見つめる有栖にレナードはにっこりと笑う。
「ただし、Aliceが私と一緒に来てくれるのであれば、ですが」
「・・・え?」

 有栖は言葉の意味が一瞬理解できなかった。
 一緒に、ということは・・・。
 有栖は信じられないという顔でレナードを見た。
「Alice?わかりましたか?」
「ど、して?」
 ふるえる声で、聞く。
「それは、Aliceが好きだからですよ。ほとんど、人目惚れです」
 有栖は驚愕に瞳を見開く。
「人目惚れ?レナードが?」

 有栖はさっぱりわからなかった。どうして、男の自分に人目惚れなどするのか、このいかにも大人の魅力的な男性がだ!
 有栖はこんな時でも限りなく鈍感だった。
 学生時代から出逢う人を一目で虜にして来た、という自覚は皆無だった。
 何年も火村の頭痛の種だったことも、もちろん知らない。想像もしない。これから先もきっと理解できる日は来ないに違いない。
「貴方が欲しいのです」
 レナードは直球で言う。
「そんなこと言われても・・・。第一無期限で融資するって、巨額なんやろ?そんなことできるんか?」
「できますよ。こう見えても私はそれなりな企業の社長ですし、父親が銀行を経営していますからね!」
「・・・本当に?」
「本当です。信じられませんか?もし、Aliceが私と来てくれるなら、すぐに融資しますよ、何なら小切手でも切りましょうか?」
 有栖は力なく首をふった。
 信じられないなんて、ない。きっとレナードはそれだけの力を持っているのだ。
 でも・・・。
「Aliceのためなら、何億でも安いものですよ!」
 信じられないのは、そこだった。自分のために何億も出すというのだから。
 困ったことに、有栖は自分の価値も男心も全くわからなかった。
 しかし、有栖の心はショックに陥っていた。とてもまともに考えられない。
 急展開について行けないのだ。
 困惑と、不安と、不信と、どう表現していいかわからない表情の有栖に、レナードは、
「今すぐに、返事を出せとはいいません。けれど私の日本滞在期間は3日後までですから、それまでに、イエスかノーか聞かせて下さい、Alice」
「3日後?」
「ええ、3日後にまた来ますから」
 その場から離れられない有栖に微笑んで、そっと手を伸ばす。優しく頬にキスを落とし、
「良い返事をお待ちしていますよ、Alice!!」
 出て行った。
 パタンと閉じたドアを有栖はしばらく見つめていた。





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