ウンブリア

ヴィラ・ロンカッリを後に、ウンブリア地方を巡る。 フォリーニョから20キロ足らずでアッシジに到着。 聖フランシスコ聖堂を訪れ、チマブエやジョットに見入る。 このあたりからイコノ・アディクト(聖像中毒)にかかってきた。 

ウンブリアの風景に魅せられて、ゆっくり巡ることにして、今晩の泊まりはペルージャと決定。 町の中は車の乗り入れを規制していたので、城郭の外にある観光用のホテル・グリフォーネに決めた。 フロントの話好きのおやじは、ここには日本人の団体も来るよと、宿帳を見せてくれた。 イギリスやフランスの日系旅行会社のツアーで使われるようだ。 その日には日本人ツアーも無く、ひっそりとしていた。 バスの回数券を分けてもらい、町に上った。 ペルージャは小高い丘の上にある城塞都市だ。 エトルリア、ローマ、中世と三つの時代が大きな層となって城塞を形成している、時を空間に変換した姿。 その奥行きのもたらす重厚感は町のすみずみから漂う。 そして、その石畳の道を溢れるばかりの学生達が大騒ぎで行き交う。 ペルージャは有数の大学町だ。 何と、幸せな街なのだろう。 学生は街に育てられるべきなのだ。 街は若さに豊かな拡がりを、自由に深い息吹を与えるからだ。 そして、街は自由を呼吸するのだ。

美術館にはウンブリアを中心とした絵画が収められている。 フラ・アンジェリコもピエロ・デッラ・フランチェスかもあるが、何と言ってもペルジーノ。

11月4日広場を左に外れると、ちいさなレコード屋があった。 表通りに面した方は、ちいさな店舗でジャズやポピュラーをよく選んで揃えているが、迷路のような建物の中を下りていくとクラシックのコーナーになる。 パリでよく見た、黒いジャケットの古楽レーベル QUADRIVIUM が山積みになっていた。 どうやら、ここが QUADRIVIUMの出版元らしい。 店番の女の子に訊くと、果たしてその通り。 まだ持っていなかったいくつかのタイトルを買う。 ペルージャは城塞の中のあらゆる通り、路地が中世の面影を残し、更にその下地にはエトルスキが眠っているのだ。 さんざん街を歩いたあと、夕食を城壁内でとっても良かったが、ほろ酔い加減でホテルまで歩くのも骨だ。 夕闇が広がる頃、バスに乗ってホテルに戻った。 バス・ターミナルがあるイタリア広場から見下ろす夕暮れのウンブリアの光景は、いまもよみがえる。

昨晩が大変な食事だったので、その晩は軽く済ませる。

翌日は、グッビオという趣のある城塞都市を訪れた。 そこからコルトーナへ。 宿泊はコルトーナのホテル・サン・ミケーレで、16世紀の建物をホテルに改造している。 ホテルの並びのレストランがおいしかった。 しかしミシュランには出ていない。 イタリアにおけるミシュランの有効性に大きな疑問を感じ始める。

コルトーナの美術館ではフラ・アンジェリコの受胎告知を観る。 フィレンツェにあるものとは別のものだ。 それからアレッツォへ。 ピエロ・デッラ・フランチェスカのフレスコ画のあるサン・フランチェスコ教会に入ろうとするとジプシーの子供がたかってきて、ズボンのポケットまで手をねじ込んでくる。 その時は、上着のチャック付きポケットに分散収納していたのでことなきを得る。 門番のおじさんが気が付いて、ハエのように追い払うとガキどもはちりぢりに消えていった。

アレッツォからトスカナの田舎を走り、シエナへ。

シエナからサン・ジミニャーノの塔に上り、町の外からその不思議な光景を再び焼き付けた。 そして絵のようなトスカナの丘をいくつか越えて通りかかったピエンツァの町で泊まることにした。 町のすぐはずれにあって手頃な値段のホテル・コルシニャーノに投宿。 ピエンツァの町は15世紀からの歴史がある。 小さいけれど、何か人工的な不思議な雰囲気があるところだ。 食事はまたホテルでとることにした。 フィレンツェでのひどい夕飯とヴィラ・ロンカッリの飽食で完全にやられていた。 今回のイタリア旅行では食べ物運に期待するのはあきらめることにした。 イコノ・アディクトになっていたのも、何か中枢神経に作用していたのかも知れない、やれやれ。 そんなことで、今でもトスカナ料理と言うのには、あまり食指が動かなくなっている。




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