アルベロベッロとマテーラ

翌日は、早起きをして再びバーゲンの続きに興じる。 昨晩、通りを歩いていて革製品の安さに注目していたのだ。 もともとイタリアは靴やバッグが安いが、更に輪をかけている。 安いと言ってもデザインは悪くない。 1足ずつ買うことにした。 フルラのショップでは、定番のバッグでもパリやミラノのおよそ半分の値段で売られていた。 イタリア人に後できくと、確かにブランドものも地方に行くと安くなっているようだ。 観光客が買うのではないので、その土地の購買力にある程度アジャストしているらしい。 イタリアに来て、初めて買い物らしい買い物をする。

11時前にレッチェの町を出てアドリア海沿いに北上。 途中、オストゥニで降りて海辺に行く。 のっぺりとしたあまり変化の無い海岸で、ユーゴスラビアの人に聞いた「アドリア海もイタリア側は平凡だがユーゴ側は珠玉の光景」というのは本当なのかも知れない。 それでも、数日でティレニア海、イオニア海、アドリア海と見ることが出来たので満足。 途中の町が大規模な道路工事で道が寸断されていて訳の分からない道を遠回りするが、初めてトゥルッロのとんがり屋根の家を見つけて感激。 ロコロトンドを過ぎる頃には、トゥルッロがいくつか集団になっていて、まさに複数形のトゥルッリとなる。 アルベロベッロの町に入り駐車場に車を停めて、町中に入る。 完全な観光地と化していて、道沿いのトゥルッロは殆どが土産物屋になっている。 呼び込みも熱心だ。 レストランでセコンド抜きの昼食を食べ、通りを歩いていると10歳くらいの男の子たちに声をかけられる。 テレフォン・カードを持っていないかと聞く。 外国のテレカを集めるのがアルベロベッロの子供達の間でブームになっているらしい。 まだ度数が残っていたが手持ちのフランスと日本のカードをあげると非常に喜んで、家の屋上が展望台だから是非来いと言う。 観光地でもあるし、まあ危険なことも無かろうとついていくと、彼の家は土産物屋で、その屋上を展望台にしているのだった。 そこから見るトゥルッリのとんがり屋根の波は壮観だった。 階下に降りると、細々した土産物が所狭しと並べられていたが、トゥルッリの模型は思い出になりそうだった。 本物のトゥルッリの屋根に使う石で作っていると言うことだ。 中くらいのサイズの4万リラほどする模型を買うことにすると、先ほどの少年が割り引いてくれた。 結局、彼のセールスにはまったことになるが、まあ安いものだし思い出になるから良いだろう。 何回か屋根が外れたりしたものの、接着剤で補修して、今でも部屋に飾っている。

アルベロベッロを午後も半ばを過ぎる頃出発し、本日の、そして今回最後の宿泊地マテーラに向かう。 マテーラはサッシと呼ばれる洞窟住居で有名な町で、アルベロベッロと同様、世界遺産の町だ。 1日の間に世界遺産のはしごをするというなかなかに重い旅になる。 マテーラまでは50キロ弱で、車があれば実に便利に回れるが、列車やバスでは接続が大変らしい。

マテーラでは ALBERGO ITALIA という部屋からサッシが臨めるというホテルを訪れる。 骸骨寺院の前にあり、町の中心部にも近い。 予約無しで訪れたにもかかわらず運良くサッシ側の部屋が空いていた。 部屋からも確かに眺めることが出来るが、まだ夕方になったばかりなので降りていくことにした。 日は高いとは言え、ほとんどが廃墟となった洞窟住居地帯は不気味な感じがある。 ちいさな教会堂にはサンタ・キアラ(クララのイタリア名)の像や骸骨が飾られている。 ここのサンタ・キアラは目玉を持っているので不思議な感じだ。 説明を聞くと、サンタ・キアラは光、つまり眼の聖人なのだった。 つまり、眼に問題がある人はサンタ・キアラに祈るのだ。 サッシを上から眺め、下から見上げて、歩き回る。 いくつかはきれいにレストアして人が住んでいる。 町に上がると、まるで地底世界からはい上がってきたような気になる。

一旦ホテルに戻り、7時過ぎに夕食を取りに町に出た。 広場には沢山の人が出ていてまるでお祭りのよう。 しかし、よく見ると8割方が老人だ。 これだけ大勢の老人老婆に囲まれるのも不思議な気がする。 広場から少しサッシの方に下ったところに "IL TERRAZZINO" というレストランがあり、夕日を浴びる洞窟住居群を見ながら食事が出来るようになっていた。 昨晩のレッチェと同様、充実したイタリア飯だが、少し観光地価格になっている。 ホテルに戻り、窓を開けて再びサッシの谷を見下ろすと、未来的な廃墟のような実に不思議な光景だった。








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