レッチェまで

サン・ミケーレを出発し、ティレニア海沿いに走る。 パオラの町を過ぎてそこから山に分け入る。 急に霧が濃くなり、視界が3メートル程度になる。 トンネルに入ると、中まで霧が満ちていて、狭いトンネルの中で視界が効かず、車間はイタリア風に殆ど無い。 一歩間違えれば大変なことになる。 ひたすらゆっくり走るしかない。 山を越えて盆地に下りていくと再び天気は好転してくる。 コゼンツァの町から高速に乗り、50キロくらい走ったところで今度はイオニア海の方に出てシバリから海沿いに北上。 海沿いとは言っても海岸線からは離れているので、平凡な道をひたすら走る。 南イタリアの工業都市タラントでは道に迷い全く違う方向に行きかけるが、何とか復帰してブリンディシ方面へ向かう。 今晩は「バロックのフィレンツェ」という「そそる」あだ名の付いたレッチェまで足を伸ばしたい。 ブリンディシからも快適な高速道路でプーリアの平原を突っ走るとレッチェまではすぐだった。 町にはいるとミシュランの市街図ではどこにいるのかがわからず一瞬迷子になるが、ガソリン補給ついでに場所を確認。 この町いちばんの高級ホテル HOTEL PRESIDENT に泊まることにする。 場所は中心部からはやや離れているものの、大きなホテルだった。 飛び込みで部屋の有無を確認する。 「もちろんございますとも」と慇懃丁重な答えが返り安心する。 町一番の高級ホテルと言っても二人朝食付きで20万リラ弱。 しかも、朝食の時に知ったのだが、150部屋のうち埋まっているのは10部屋足らず。 もし再びレッチェを訪れるときがあれば、その時まで残っていて欲しいと願わずにはいられない。

部屋は十分広く、今朝からの緊張と弛緩のドライブの疲れを取り、町に出た。 中心街までは1キロ強。 夕方だがまだ日は高く、サンタ・クローチェ教会、ドゥオーモ広場と過剰な装飾に満ちたバロック的空間に迷い込む。 このような、南の辺境の地にもバロック美術が花咲いたのである。 もちろん、南イタリアは古代から陸の交通と海の交通がクロスする場所であり、辺境というのは近代以降に作られたイメージなのだろう。 バロックの夢から覚めて繁華街に戻れば町中が時ならぬバーゲンで、きれいに飾られたベネトン・ショップに入ると殆どバッタものなみの値段になっている。 スニーカーが1000円とか。 ところがクレジット・カードを部屋に忘れたことに気づき、ケンカをしながら再びホテルに戻り、閉店間際に再び駆け込む。 かなり買い込んだので再びホテルに戻り、レストランを探す。 ホテルの近くは閑散としていたので、また中心街へ。 テラスを出していた開放的なレストランに入る。 "Ristorante da GUIDO & FIGLI" という名前だった。 アンティパストはビュッフェ・スタイルで、そうでなくてもサラダ・バーやら食べ放題に弱い性格の我々はあれやこれやと皿に盛る。 これまでのホテル飯に比べるとパワーが違う。 アンティパストを食べ過ぎ、海の幸のリングイーネの後、セコンドは1品だけにした。 ガンベローニのグリル。 さんざん食べて勘定を済ませると、ボーイがレストランの奥を案内してくれた。 奥は、地下の空間に繋がっていて、そこは千年ほど前の遺跡跡だった。 今はレストランのパーティ・スペースとして時々使っているようだった。 南イタリアは危険だというイメージがあったが、まあバリやブリンディシ、タラントなどの都会はいざ知らず、レッチェではこんな所でも別に身ぐるみはがれることもなく無事にホテルに戻った。








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