1/5社を辞め、東京へ出てすぐ、人材派遣会社に登録をして最初に派遣されたのは、某通信大手の会社でした。
ここでまず味わったのは、1/5社でいかに自分が甘やかされていたか、そしていかに怖い物知らずだったかということ。
ある程度名の通った会社で、それなりの仕事をまかされてきたのだという「思いあがり」の気 持ちが自分の中に育ててしまった実態の無いプライドが、ガタガタと音を立てて崩れ去っていったのです。頼まれる仕事といったら、コピー取りとお茶汲み仕事ばかり。それまでのキャリアなど、何の意味も持たない世界でした。
でも、その屈辱感を味わったことは、今にしてみれば自分にとってとても大切な経験だったと思っています。はやく本当に自分のやりたい仕事を見つけて、定職に付こうと思うようになったのも、その時の経験があ ったからこそだったのです。
そして、1年間のコピーライター養成講座を終了した頃から本格的に就職先を見つけるため、毎日新聞の求人欄を隅から隅まで見たり、求人情 報誌を立ち読みしまくったりする生活が始まりました。 しかし、そうそう簡単に希望の会社が見つかるわけも無く、書類を送っても梨のつぶてか、なんとか面接までこぎつけても、最終で不合格。結局、東京に出てから2/5社に就職するまで、3年もの年月がかかってしまいました。

2/5社は、1/5社と同じ業種で、某大手商社とイギリスの某会社が合弁で設立した会社でした。その設立時のメンバー募集の広告を見た時、 「この会社しか無い!」と思ったことを今でもよく覚えています。とい うのも、その会社は希望していた業種だった上に、以前からイギリスが大好きだったからです。そのため、合格通知をもらった時にはもう天にも昇る気分で、今度こそバラ色の社会人人生が始まるくらいの晴れやかな思いだったのですが・・・。
ここでまた2度目の挫折を味わうことになったのです。
2/5社は、商社から出向してきた人たちが全権を握り、プロパー社員の発言権は低く、しかも女性は完全にアシスタント扱い。入社早々に自分が目指すべき会社ではなかったことを悟り、半年後には次の就職先も見つからぬまま、とりあえず退職することを決意しました。
ところが、その会社の相談役をしていたある方にその決意が事前に漏れ、私は呼び出されて次のようなことを言われたのです。 「あと1年は我慢しなさい。どんなに駄目で嫌な会社でも、2年居れば それなりの仕事を覚え、人とのネットワークをつくることができる。半年で辞めてしまったら、また振り出しに戻るだけで、君の人生に何の役にもたたないよ。」と。
結局その言葉で私は会社を辞めることを思い留まったのですが、この時のアドバイスは、その後の私の転職人生にもずっと大きな影響を与え続けることとなりました。
今振り返ってみても、その言葉は本当に正しいことだったということが 身を持ってわかりますし、あのまま半年で会社を辞めてしまっていたら、 今の私は無かったとさえ思っています。 だから私は、いつも同じ言葉を自分にも言い聞かせ、人にも伝えるようにしているのです。
どんな会社でも仕事でも、最低2年は我慢すべし!

5.私の転職ものがたり・1回目の転職(2)

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