日々是好日・身辺雑記 2005年12月
(下にいくほど日付は前になります)

 
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十二月某日「幻の新記録」
        
てなこといってる間に、あらま、年の瀬である。
ドッコイの実家へのお年賀を買いに街へ出たのではあるが・・・・
目が回る。 風邪のせい。 吐き気もする。 風邪のせい。 肩が凝る。 風邪
のせい。
しかし熱も出なけりゃハナ水たらしてるわけでもなく、今年の風邪は主にお腹に
来るのだとか。 やーね。 昔の風邪ってぇのは分りやすかったね、
「熱・ハナ水・せき・3点セット、以上!」
だったもんね、いったいいつから「熱は出ないけど風邪」なんてのが流行りだし
たんだかね。
     
・・・は、まあさておいて、相変わらず低空飛行な風邪っぴきモードなんである。
いっそパァッと高い熱でも出てくれたほうが、治るのも早いような気がするが、
低体温・低血圧(昇圧薬処方されてます・苦笑)な私は、なかなかスッキリとは
いかないんである。 グジグジ。
人出のあるところには行きたくないのだが、ドッコイのお義父さんは某・福砂屋
の(全然某じゃないってば)カステラが大の好物で、帰省のお土産は夏冬問わず
これと決まっているので、デパートに行かなければならないのだ。
(関西方面の方へ・関東では「京都・千本今出川・越後屋多齢堂のカステイラ」
は売っていません。 「カステラ一番電話は二番、三時のおやつは文明堂〜
という歌でマリオネットの白熊さんがラインダンスを踊るCMの「文明堂」がポ
ピュラーです。 「福砂屋」もめったにあるもんじゃないんですが、そこはそれ、
お義父さん孝行ってことで。)
    
しかーし。 駅前広場で強烈なめまいを起こした私は、半分意識がどっかにすっ
とんだまま千鳥足でデパートに転がり込んだのであった。
で、まあ「なんとなく治まったかな〜?」と思いつつ、カステラとお茶を購入、
さて駅前広場に戻ったら・・・・手がスースーする。
・・・・またやっちまったのか「手袋落っことし」しかも両手・・・・?
歩いたコースを辿り、カステラ屋さんとお茶屋さんとデパートの案内所のお姉さ
んに「落とし物はありませんでしたか?」と聞いて回りつつも、心は素手に、も
とい既に、マドリードの「LOEWE(ロエベ)」ヘ。
12月18日に前の手袋を落っことして、13日目でまた落とすというのは
記録更新ですね。
ヤな新記録だ〜。
     
しかし、うんと下の「新記録達成とサクラな日々」に書いたとおり。
      ↓
私は変なところで律儀ヘソマガリな女である。
こうなったら、行くよスペイン、買うよ「LOEWE」っ!!(くぅ〜ッ!)
年末だからパスポートの申請は年明けだな、往復の交通費都合する頃にはもうバ
カンス・シーズンだろうから、高いよな〜飛行機もホテルも・・・・
などなど、冷え込む師走の街を、シリアスな思考しつつ歩行する女ひとり・・・
「来年のことを言うと鬼が笑う」というが、私の心はすでに真夏@鬼も大笑い。
(夏場に売っているのかね、手袋?)
    
待てよ。
ドッコイの実家は、長野県の諏訪湖のあたり。 雪は降らないかわりに本州では
1〜2の寒さのところ、なんせ特産品が「凍り豆腐と寒天」とゆう、冬は天然フ
リーズドライ工場になる土地である。
「寒く」はないのよ、寒さなんて通り越して「痛い」の、ひたすらに。
手袋がないからといって、滑り止めつき軍手をはめて行くわけにもいかんじゃろ。
小なりとはいえ、本家のひとり息子のヨメをやっておるのだ、まずい、ひたすら
まずいぞ、いくらなんでも「軍手」は〜!!
    
で、買いました、黒の革手袋。
「すぐ使いますから」とタグ外してもらって。
「マイ・ルール」を泣く泣く曲げたココロが痛い、が、サイフも痛い。
手袋はめた両手は暖かい、が、フトコロは寒いよ。
      
家に帰って玄関見たら・・・・・手袋が。 あった
風邪でボ〜っとして、はめ忘れて出たのね、手袋を。
風邪でボ〜っとして、感じなかったのね、寒さを。
新品の手袋はめたまま、「おかえりなさい」の手袋見つめて固まる冬の玄関。
    
結果的にはパスポートもスペインへの旅費もなくなって、ああ、めでたしめでた
しなんだけどな、なんか口惜しいんだな、これはこれで。
    
いっそ興福寺の阿修羅像みたいに手が6本出てこないかな、気ぜわしい年の暮れ
なんだもん、いろいろやることあって、手が6本あったら便利よ、何かと。
手袋はめた4本はパタパタ働いて、残った2本懐手で「ウ〜ン」と腕組みするの。
    
幻と消えた新記録と、20年近く昔の想い出のマドリードと、薄くなったサイフ
との、ああ、「三すくみ」で手袋はめたまま立ちつくす私である。
   
と、あいもかわらずスットコドッコイな年の瀬でございます。
   
みなさまどうぞ良いお年を! 
     
    
     

十二月某日「まったく記憶のない女」
   
リディア・デイヴィスの「ほとんど記憶のない女」(白水社)を、気が付い
たら1ヶ月のうちに2冊買ってしまっていた、私は「まったく記憶のない女」
ですわな・笑。
しかもこの51の物語からなる短編集、途中に栞が挟んであるのに、これま
た内容の記憶まるでナシ。 「ホントに記憶のない女」です、私。
短編小説集のいいところは、「ほどよく忘れて、また読んで楽しめること」。
ブラッドベリも「剣客商売」も最初の頃の村上春樹も、何度読んでも新鮮。
       
私の場合視覚刺激が変な風に発達してしまっているらしく、これが漫画だと
「忘れられない」というのが長所であり、短所でもあるのです。
    
「不幸や死が
 訪れてくるものならば
 それはきっと
 “時の小径”をたどって
 家の前に立つのだろう。
 どんな姿をしているか
 知っていたなら
 けっしてベルの音に
 ドアをあけたりは
 しないのに。
 −萩尾望都」
    
名作「訪問者」の雑誌掲載時の表紙にあったこのコピーを(単行本化の時は
コシマキにも青地に白で印刷されていたなぁ)忘れられない、あぁ、これっ
て無駄な才能なのかしらん?
        
ちなみに音楽に関してはまったく記憶がないことが判明済みでゴザイマス。
とっちらかったCDを整理すべく735枚収納のCDダンスを買ったはいいけど、
フランソワーズ・アルディーのアルバム「GIN TONIC」が、何故4枚も?
苦労して手に入れたはずのカーリー・サイモンの「BOYS IN THE TREES」
なんで2枚あるの?
三遊亭圓生師匠の「淀五郎」なぜ3枚?
覚えのない越路吹雪さんの13枚組(未開封)がなぜここに?
カントリー&ウェスタンのベスト集が2組あるのはまあ許せるとしても、ね、
「ベスト・オブ・ポルカ」って・・・・? ポルカ聴くのね、私。
ちあきなおみさんに至っては「ルージュ」「ベスト2枚組」「ベスト6枚組」
「ベスト10枚組」・・・・・。 貢ぎまくっております。
ザ・ピーナツの10枚組なんてのもあるでよ、「モスラの歌」聴きたいために。
      
なんで万年金欠なのかわかったような気がするね、これで。
735枚収納じゃ、たぶん足りないな、家のあちこちからまだザクザク発掘さ
れるCDの数々〜。
    
もう、「百舌の早贄(もずのはやにえ)」と呼んでやってください・笑。
     
風邪ひきなので休み休み、ボチボチやっております、「岩谷時子作品集」なん
てCD(私は作詞家岩谷時子さんのファンなのでございます)で、加山雄三さん
の「幸せだなァ〜♪」なんてのを聴きながら。
さーて、葛根湯飲むかぁ〜♪(薬の時間は忘れずに、ね。)
      
メールのお返事・各種発送が遅れまくっております、ごめんなさい。
私は「1日に雑記は2本書ける」けどメールや手紙は「どんなにがんばっても
1日に1本か2本しか書けない」ヤツでございます。 もうちょっと待ってね。
    
    
    

十二月某日「聖夜にケホケホ、あぁ藤山さん」
      
そうだ、世間さまではクリスマスだったのだなぁ・・・・
この冬2度目の風邪ひいて寝てました。 ごく軽いヤツだったので、葛根湯
飲んで、抗生物質飲んで、ふとんの中でぬくぬく〜してるに限るわい。
実はその前にも一度ひいて数日ダウンしていたのだが。
やれやれ治ったよと、23日に新橋演舞場へ藤山直美さんの「スーパー喜劇
・狸御殿」飛び込みで観に行ったときに、またまた風邪拾っちゃったみたい。
いいの。 クリスマスの2日ふいにしても、ナマで藤山さん観られたから。
    
私は藤山直美さん好きなのだ、テレビでお姿目にするたびに
「ああ〜、生の舞台での藤山さん観たいよー!」
と悶絶していたのだ、それが今回、まず最初大阪でやって、それを東京でも
12月2日〜25日公演とゆーので、新聞広告を切り取って機をうかがって
おったのです。
なんたって、戦前から何度も映画化され、舞台にも掛った「狸御殿」シリー
ズなんだもん。 いろいろあるよ、1936年の「狸御殿」「阿波狸合戦」
に始まって、「歌ふ狸御殿」「花くらべ狸御殿」「春爛漫狸祭」、確か元宝
ジェンヌの女優さんたちが舞台化もしてるし、今年は鈴木清順監督(いった
いお幾つなのだろう!?)が「オペレッタ・狸御殿」を発表して、まあこれは
映画だから多分レンタルで出るね〜、とのーんびりかまえておったのだが、
しかーし! 舞台はナマものである。
こちらが積極的に劇場へ足を運ばないと、公演は終っちゃうんだもんね。
    
2階席最後列(補助席)だったので(花道はちょっと見づらかったのだが)
舞台を丸ごと眺められて、楽しかった。
「エグゼクティブ・スーパーバイザー(これって何なのだろう?)」が市川
猿之介さんで、キャストの半分は市川右近さん始めとして市川一門の歌舞伎
の人、藤山さんのほう半分は松竹新喜劇の人でしっかり締めて、「歌舞伎と
新喜劇のコラボ!」とうたっているだけあって、めっちゃくちゃ濃ゆくて、
おなかの底から大笑い〜な、年末にふさわしい、おもしろい舞台だった。
「笑い納め」ですな。
    
「狸の『きぬた姫』役」の藤山さんはアドリブかましまくるは、花道で宙吊
り(!)するは、妖艶な市川笑也さんまでカラリとギャグこくは、藤間紫さ
んは、まぁっ!迫力あるわぁ〜。
「こんな贅沢な舞台、観られちゃっていいのかなー!」
なのだった。
藤山さんのボケっぷりは、なんだかお父さん(関西の喜劇王
故・藤山寛美
さん)が乗り移ったようで、スゴかった〜。
パンフの広告にあった「松竹新喜劇・藤山寛美十八番DVDBOX全6集」に、
一瞬心がグラついちゃった私ではある。(しかし全部で11万なんぼなので
いくらなんでも無理だわぁ、これは・・・・)
    
でもって、ふとんの中で、藤山さんのあっぱれなはっちゃけっぷりを思いだ
しながらケホケホしております。 葛根湯と抗生物質と、みかんと(風邪に
はビタミンCよねー)、あとはひたすら睡魔に任せて惰眠をむさぼるのみ。
      
このところ養母の一周忌と、廃屋の取り壊しと、その費用の金策で走り回っ
ていたので、風邪っぴきついでに、ちょっと一息。
(やっぱン百万単位の金策てのは「疲れ」ますわね、ふぅ〜。 こんなコト
貧乏人がやるもんじゃないよ、まったく・・・・)
    
でも、とにかく衣類も食器も本その他モロモロも自分たちの手で処分して、
大きい家具や画板は産廃業者さんに頼んで、家の中すっかり空にしてからの
取り壊しだったので、なんとかなりました。
これが一軒丸ごと・中味家具什器付きだと、分別に手間取って「もう百万円
高くなったんですよ」と聞かされて、「うあぁ〜」です。
人の生活って築くのはコツコツと時間も手間もかけてだけど、それを処分す
るとなると、タイムリミットあるし、一度に大きなお金を工面しなければな
らなくて、しみじみ、
「人間『タダ』では死ねません」とな。
     
葬儀の時もそうだったけれど(教会での式だったので戒名料もなしで、首都
圏の平均額の半分くらいで済んだとはいえ)「生きていく」にはお金が必要、
「死ぬ」にもお金が必要な世の中なのでございますなあ。
倹約と貯蓄に励もう!と今さらながら決意固めたりなんかして。
ああ、こりゃこりゃ・・・・
    
しかし、倹約を誓うとはいえ、来年十月からのNHK朝の連ドラは藤山さん主
役、田辺聖子さん原作の「芋たこなんきん」なので、録るぞー、DVDで!
絶対おもしろいはず、なんせ田辺さんの半生記とエッセイがベースだもんね。
(田辺さんは私がもンのすごく好きな小説家でエッセイストで伝記作家です)
     
我が家はマイナーな「VHS&Hi8」などというビデオデッキだったのだが、
12月についに完全にブッ壊れたのでありました。
いかんせんマイナーな機種なので、修繕する、というよりもう「メイン部品
総取っ替え」すると、安いDVDデッキ買えてしまう、というこの事実・・・
過去マイナーくじ引きまくりな機械運よ。 「βビデオ」「MD」「Hi8」と、
まるで戦国時代か三国志の武将渋好みズラ〜リのようだ。
(まるで分かんないんだけどね、うん。 はまるとスゴイと思うから手ェ出
さないの今んとこ。 小学校高学年で「水滸伝」にどっぷり頭のてっぺんま
で漬かったから。 これはもう老後のお楽しみってことで。)
    
とりあえず、藤山さんの「芋たこなんきん」録画用に「DVD-RW 十枚パック」
は買ったの。
・・・・で、肝心のデッキは?(笑)
  
     
    

十二月某日「スケブとスケベ」
    
イベントに出るようになって最初の頃は、とにかく知らないことの連続だった。
なんせ「イイ年して」個人でサークル立ち上げて参加するのであるからして、
「あの・・・大きいお金なんですが、よろしいですか(一万円札のことね)?」
「は? 大きいって、60センチ位ですか?」
「これ全部下さい。」
手元にあった新刊の束をがっしとひっ掴んで
「はい、全部です。」
(その節は失礼いたしましたF井姉さん。 まさか数年後、イベントで席を並
べる間柄になろうとは〜♪・ねぇ・笑)
天然ボケかましまくってました。
    
一番驚いたのは「スケッチブック」のことを「スケブ」と言うってこった。
「あのぅ、スケブよいですか?」
「はぁ?スケベですかぁっ!?」(たしかに私は「好色」なヤツではあるが)
スケッチブックにお気に入りのキャラクターなんぞを描かせていただく、とい
う事とはつゆ知らず、お預かりして、しばらく他のサークルさんを回っている
間に描けばよいのだという事も当然知らず。
「はいっ!すぐに描かせていただきまっすっ!」
その場で「大根抱えているカンナ」とか「おでんのマリア」とか、マジックで
ザカザカと・・・って・・・・
わたしゃ「マンガ太郎」かいっ!
(12月のはじめに小松政夫さんのひとり芝居「楽屋の王様」観たときに、幕
間に出てらして、びっくりしたのであった。)
     
バトン」というものが回ってきたのですが、最初は
「は?バンドとなっ?」
という、相変わらずもの知らずなわたくしなのでございました・・・・トホホ。
     
     

十二月某日「新記録達成とサクラな日々」
       
またまた左手の手袋だけなくしちまったのは11月14日の朝のことである。
(8月の雑記「なくした手袋の、その残り」をご覧でない方はこちらへ→
時間もはっきり覚えている、9時50分〜53分の間である。
     
なんで覚えているかというと、もう参加した方々がそちらのサイトで書いてい
らっしゃるのでご存じの方も多いと思うのだが、「どらこ姐さんロベ誕上京&
横浜に『サクラ・帝國劇場』のモデルになった『開港記念館』を見に行こう!
足かけ2日ツアー」(長いな〜・笑)の2日目だったからなんである。
    
初日、私は夜からの参加であった。(養母の追悼ミサがあったからね)
銀座和光、帝劇のテラスから見える「服部時計店」のモデルとなった時計塔の
ある建物の前でお仕事帰りの亜樹さんと合流。 ちょっと待っていたら「池
袋のサクラカフェ→カラオケ・パセラでサクラ・ソング歌いまくり組」のメン
バー(礎さん・どらこ姐さん・カヤキさん・日下部さん・中桐さん・りゅうさ
ん)到着・・・の時点で、
「あの、まさかと思うけどあなた方、すでに呑んでいるのでわっ!?」
「は〜い!」(よゐこのお返事ですね)・・・・約半数。
        
 でもって、
「帝劇のテラスで、あのキャラやこのキャラがああしてこうして・・・・」
などという楽しい妄想タイム・・・は寒いので早々に切り上げて〜(笑)、
「サクラっぽい雰囲気の、8人様OKな店」を、というわけで銀座7丁目のビヤ
ホール「ライオン」へ。 太正時代じゃないけれど昭和9年創設の老舗、柱と
壁画が思いっきり懐古調・・・・・なんて、まあ!まるで仕事帰りのおしゃれ
丸の内のOLさんたちのようね♪
・・・・なわきゃないよな〜、約半数は昼間からアルコールってます、ひとり
は法事の帰りです、話題はとことん「サクラ」です!
で、オーダーストップまでねばっとったよ。(笑)
      
でもって、翌14日朝、集合の駅前に、早くに着いたのでそばのミスドでコー
ヒー飲んで、さぁて、そろそろ行くかいなと席を立って、駅へ・・・・3分。
左手の手袋が・・・ない
またか、またやっちまったのか〜私〜っ!
駅で切符を買うために無意識にはずして、途中で落とした・・・らしい。
速攻で引き返しましたが、誰かが拾ったらしく影もカタチもなーーーーーい。
      
てなわけで、横浜ツアーは仕方がないのでやたらポケットに左手つっこんで
歩いておった、トホホ・・・
    
横浜に関しては、女子校時代の6年と、養母の介護で暮らしていた期間(介護の
ため、ほとんど「遊び」での外出ナシ)しかない私。 現役ハマッ子の中桐さん
が頼り。 「開港記念館」(帝劇)の塔、地元では「ジャック」と呼ばれている。
神奈川県庁のデーン!と四角い煉瓦造りのが「キング」、横浜税関の白いすらり
とした塔にドーム型青銅のが「クィーン」で、この3つが「ヨコハマ三塔」と呼
ばれている。
ほぼ一箇所にまとまってあるために、その後のお昼ご飯までの時間稼ぎ&「サク
ラ2・マリアと港でデート編」ロケハンのために足をのばして山下公園で港ムー
ドに浸りきり!
一部海にむかって「サクラVごっこ」?をする人あり(笑)。
          
で、お昼はお約束の中華街。
しかし・・・・数年前にイメチェンしてたんだな、ここ。 以前の赤い電信柱に
「水滸伝」の英雄たちが描かれていたり、店先のガラス越しにブタのアタマやシ
ッポや豚足や腸詰め、北京ダック用のアヒルがぶらさがっていた、ごった煮のよ
うな、色と香りが溢れかえる「おもしろ妖しい」面影は既になし。
    
約300メートル四方の狭い敷地に500軒以上の中華料理店がひしめき、年間
2000万人が訪れる観光名所であるのだが、店によってかなり味が上下するん
ですわなぁ、ここ。
というのは、店主と料理人との契約は、トップの料理長からセカンド・サード・
デザート・下ごしらえの坊やまで「チーム」を組んで行われるので、
「一週間後に行ったら味がまるで違〜う!」
ということがフツーにアリなんだな、この街って。
ぜったい美味しいけど有名店の「H楼」や「M楼」はお値段も高いっ!
んで、過去の記憶を引っぱり出して、確か「県庁御用達」の「K飯店」へ。
間口は狭いけど奥が広くて、華僑のお客さんが多いってのが安くて美味しい店を
見つけるポイント。 華僑の人は不味い中華料理は絶対食べません・笑。
しかしここでも意外な落とし穴が・・・・安いが美味いが量も多かった
しかも店を出てすぐに「桃まん」立ち食いしちゃったよ・・・・
       
新人ツアーコンダクターの気持ちが今わかった自分・を今猛反省している場合
はなくっ!
「関帝廟」へお参り、そしてタクシーで山手の丘へ。
おなかごなしに、外人墓地からスタートして、地元っ子しか知らない穴場「山手
三塔めぐり」に挑戦していただきましょう!
(クライスト・チャーチが「キング」、元サンモール修道女会・現横浜雙葉学園
が「ジャック」しかもツイン、山手カトリック教会が「クィーン」)
      
「サクラ大戦が好き!」という以外は、世代も、職業も、住んでいる土地もまっ
たく違うメンバーが、初冬の午下がりに、まったりとおしゃべりしながら山手の
丘をお散歩。
ああ、楽園は、探していた青い鳥は、こんなところにあったのだねぇ・・・・・
あきらかに1日の運動量超えてるけど。
    
でフェリス坂を下って、元町のカフェ、最後はリセンヌ小路の、以前からチェッ
クしていた石川町駅ウラの沖縄料理屋に5時の開店と同時に飛び込んで、今度は
「カンナ・呑み会モード」へと突入。
      
「ロベリア(誕生日サクラカフェ)→帝劇(カラオケ〜和光〜ビアホール〜開港
記念館)→マリア(横浜港)→紅蘭(中華街)→(カヤキさんの説によると花小
路伯爵=横浜山手なのだそうで・・・ナイスです、カヤキさん!)→沖縄料理屋
(カンナ)」ってなところでしょうか〜、ゼエ、ハァ。
    
わざわざ遠方よりのご参加どらこ姐さん&りゅうさん&礎さん、近場に住んでは
いてもイベント以外ではお会いする機会のないみなさん。
「二日がかりの濃ゆい・サクラツアー!」でござった。
一日に「六塔巡り」したのは、実は私も、地元っ子の中桐さんも初めて。

新記録達成!
    
サクラ大戦って、とってもカラダにいいゲームだ、
呑んだくれさえしなければっ!
(実はドクターストップが解除になったのがこの4日後で、今度こそはご一緒に
呑むぞ〜!と決意するワタクシである・笑)
    
    
さて、13日またぞろ左の手袋だけをなくしてしまった私は、翌日速攻で買った。
しかも、「この額ならもったいなくて、注意するからなくさないぞー!」てのを。
しかし・・・「好事魔多し」ってのかな、うんと楽しいことの後には、ちょいと
良くないことが起こるもんさね。
・・・・・なんでこの話題に戻るかって?
    
・・・・・・また「なくしてしまった」のだ、手袋の左手だけ・・・。
購入後1ヶ月と5日でなくす、というのは新記録達成である
(ヤな新記録だな〜)
    
「劇団鎌倉小劇場」の第40回公演「猫はサバダバダ」を観にいって、
「あ〜、おもしろかった〜。しあわせだ〜♪」
とホコホコ鎌倉駅前に着いて、手袋はずして切符買って改札くぐって・・・・
1分でなくしました。 改札に事情話して、もいっぺん駅出て探して、「落とし
物係」に問い合わせもして・・・・また誰かが拾っていってしまったのね
・・・・・あ〜りゃま、やれやれである。
かくして右だけ「手袋コレクション殿堂入り」。(トホホ・・・)
     
しかしっ!! んなコトにめげる私ではなーいっ!
     
「この額ならホントにもったいなくて、絶対注意するからなくさないぞーっ!!」
ってのにチャレンジである。
なくしたからといって安物に走るのは、ヘソマガリの私のポリシーに反するのだ。
これで落とそうもんなら、マドリッドにある「LOEWE・ロエベ」の本店まで行っ
て(ロマンス・グレーの渋いドアマンが扉を開けてくれる格調高い店だ)、子羊
革のビックリ価格のを買っちゃうぞっ!!
などと、新しい黒革手袋・裏カシミア張り・をはめた左手で、とりあえずはガッ
ツポーズを決めてみるワタシではある。
(これでなくしたら、もうヤケのヤンパチ、煮て喰うなり焼いて喰うなり好きに
しやがれっ!!ってな心境である。 あぁ「学習しない私の脳」。トホホ・・・・
      
      
     

十二月某日「ああ、バタバタと〜〜〜っ!」
    
養母はカトリック教徒だったので、11月の「死者の月」に、教会でも
母校(ミッションスクール)でも追悼ミサがあって、それで「済んだ」と
思っていたのですが。
忘れておりましたよ、世間様では今が「一周忌」だったということを!
なもんで、日本美術院の方に連絡したり、お弟子さんたちの応対したり。
ワタワタしております、なんか11月より忙しいぞ〜!
     
てなわけで、メールのお返事とか、もんのすごく遅れまくっております!!
ごめんなさいっ。
    
表玄関だけ、1999〜2001年、「帰ってきた」がつく前の「旧・抜刀質店」
仕様に戻してみたり、ちょいと差し上げものの虫干ししてみたり。 バタバタと。
ああ、ほんとうにバタバタと〜〜〜っ!(ふぅ。)     
     
     

十二月某日「DVDさまがやってきた!」
      
iBookG4を購入して、はや11ヶ月。
初めて知りました、脇のうすーい隙間にCDやDVDを入れると、
音楽が聴けたり、映像が観られたりすることを〜!
それまでただの「隙間」だと思っていたよ〜、ああパソコン音痴な私・・・・っ・泣。
     
で、昔々独身時代の郵便定額貯金が運良く満期におなりあそばしてたんで、思い
切って買いました、ルシール・ボールの「ルーシ・ショー全10枚BOX」と、脚本
家・市川森一の名作「淋しいのはお前だけじゃない」!! 
    
ぼちぼちと空いた時間に「ルーシー・ショー」を一話ずつ観ています。
ご存じない方のために・・・・えーと、「奥様は魔女」+「サザエさん」みたいな
とことん明るい、アメリカンTVコメディーです。
日本語吹き替えよりも、字幕で英語版観た方がおもしろいです。 というか、
そんな器用なこと出来るのね、えらいぞDVD!(これで「ルーシー・ショー」の前作
「アイラブ・ルーシーBOX」もDVDで出てくれれば言うことないっす!)
     
「淋しいのはお前だけじゃない」は、存在は知っていたけれど再放送も逃しちゃって
ずーっと観たかった作品。 82年制作のTBSドラマ全13話、主人公は西田敏行、
木の実ナナ・矢崎滋・橋爪功・泉ピン子・財津一郎・・・・豪華な顔ぶれだー!
劇中劇で梅沢富美夫が「矢切の渡し」を踊るんですよ、サラ金に追われる旅回り一座
の物語で。(あらすじだけは、あまりにも有名すぎて、ちょこっと知ってるのです)
       
十年以上昔に、毎日細かい手間仕事せっせとやって、
「いつか仕事に役に立つように」あるいは「十年後もしも作品が売れなくなって、
食えなくなっていたら・・・」と貯めていたお金は、あらら「仕事」には今はもう
結びつかず、かといって食うに困るほど貧しくもなく。
でもね、やっぱりよかったよなぁ、コツコツ貯金しといて。
お正月はこれ観て楽しめるもん。(なんか嬉しすぎてまだ未開封なのです・笑)
でもって、2月発売の「寺内貫太郎一家BOX」も予約しちゃったもん!
ああ、マニアックだぁ〜・笑。 いいの、大好きだから。
    
あとは「快獣ブースカ」の最終回が観られれば・・・っ! ああっ、年がバレるざんす!
    
      
            

2005年12月12日・夜11時30分 「Davidoff の夜」
     
ちょうど1年前、この日、この時刻、私は病院の喫煙コーナーでタバコに火をつけた。
銘柄はドイツの「Davidoff(ダヴィドフ)メンソール」緑色のパッケージを開けて。
真っ暗な病院の中、たばこの灯りに気が付いて、母がやって来た。
「何をしているの、葬儀社の人、みえたわよ。」
ひとくち吸ったタバコをもみ消して、ソファから立ちあがった、その瞬間。
私は養母の「喪主」になった。
    
養母が横浜の病院で息を引き取ったのは、2004年12月12日・夜10時30分
のことである。 その日の昼に、すでに医師から
「一度は戻りかけた容態が、また悪くなりつつある。」
と聴かされては、いた。 しかしその日は、夕方、私と実父母、それぞれの家に帰った。
容態の急変を告げる電話が入ったのは夜10時9分である。
実家に電話を入れて、10時11分には夫とふたり、自動車に飛び乗っていた。
     
私たちは彼女の臨終に立ち会えなかった。
不慣れな横浜のバイパス道路で、降りる口をひとつ間違えてしまい、大急ぎで後戻り
して、私と夫の病院着は10時50分だった。
ほぼ同距離の実父母も10時40分に着いたのだ、たぶん降り口を間違えなくても、
私たちは間に合わなかっただろう。
養母はひとりで逝った。
     
12月に入って連日の病院通い、私は学生の頃少しの期間だけ吸っていたタバコを、
またくわえるようになっていた。
2004年12月の雑記にあるように、私は森奈津子さんの出られる琉球音楽のコン
サートにも出かけたし、雑記も毎日書いたし、カクテル「レニ」のレシピも考え、
試飲し、決定してリストアップした。 病院通いの合間に。 
「レニ」のレシピをサイトにアップし終えた瞬間に、病院からの電話は鳴ったのである。
車に飛び乗るときひっつかんだカバンにも、「Davidoff メンソール」は入っていた。
      
母に呼ばれてタバコの火を消して、ロビーに戻って、連絡した葬儀社の人に会った。
「W葬儀社のAと申します。 このたびはまことにご愁傷様でございます。」
差し出された名刺を受け取って、病院の通用口まで見送ってくれた医師とナースさん達
に御礼を言って、私は養母の亡骸を後ろに積んだ黒い運搬車の助手席に乗った。
     
安置所までの1時間弱、運転席のハンドルを握る葬儀社の人に、私が養女で「喪主」で
あること、後ろをついてくる両親と夫の車の、人間関係をざっと説明した。
      
あとはAさんの携帯電話に付いているピンクパンサーのストラップを見ながらふたり、
映画「ピンクパンサー」のことや、ブレイク・エドワーズ監督のこと、その奥さんであ
る女優ジュリー・アンドリュースの「サウンド・オブ・ミュージック」のことなんか
を話していた。  不思議なくらい、涙が出なかった。
対向車もほとんどない真夜中の道を、ふぅわり浮かんでいるような不思議な気分で移動
していた。
その浮遊感覚は、今日までの1年間、時折私に訪れた。
      
数本吸ったきり、湿気てゆく残りのタバコを、私はそのままにしていた。
もうくわえる気にはなれなかったので、デスクの横に、ほこりの降り積もるままに、
緑のパッケージは、今、ここにある。
      
私は「Davidoff メンソール」を手にして、今、立ち上がる。
    
二つの部屋を横切って、今、台所に行く。
     
緑色の小箱を、燃えるゴミの袋に、今、捨てる。
      
      
「1年」という日々が、今、終ったのだ。
     
    
    

十二月某日「あぁ、パルナスの歌」
     
関西方面在住の方に、正直に告白します。
関東人は「パルナスのCMソング」を知りませんっ!
「パルピロ」(パルナス製菓のピロシキ)も食べたことありません。
なもんですから、さきほどGoogleで「パルナス」と検索かけて、生まれて始めて、
中村メイコさんとボニージャックスの歌う「パルナスの歌」の歌詞を知り、曲まで聴
いてしまった私は、あぁ、ものすごく幸せです!
これがあのアニメ「ムーミン」!のスポンサーとして、毎週関西のテレビで流れてい
たのですね。 サトウハチローの「小さい秋みつけた」に、ちょっと曲想が似てます
ね、マイナーコードなのですね、傑作というか怪作というか、いやはやなんとも。
      
「♪おとぎーの国のローシアの夢のー、♪パルナス、パルナス、モスクワの味〜♪」
    
「クワッサリー」ことマリアさんも食べたのでしょうか、パルナス、パルピロ・・・
     
ちなみに、私より一回りとちょっとばかり年上の、北海道(の奥の方)出身の殿方は
「いやー、生まれて始めてコカコーラのCM、白黒テレビで見た時はさぁ・・・・」
「はい?」
「ウチの町ではまだコーラってもん自体売ってなくて、いやぁ〜、東京モンはすげえ〜
と思ったさー。」
「何故に?」
「だって、あれ醤油のビン、一気呑みしてるかと思ったさー。」
あぁ、スカッとさーわやか、コッカコォーラー♪(確かにモノクロだと・・・・)
     
大反乱起こしていた我がパソコンめは、友人とドッコイが頑張って直してくれました。
だって、いきなりキーボードがフレンチ配列になってんだもん、びっくらこいたわさ。
メールもストップしちゃうし、あちこち大好きなサイトさま見られないしっ!(涙)
てなわけで、メールのお返事とかいろいろ滞っちゃってますが、この週末に何とかした
いとガッツポーズでおります、私。 もちょっと、待ってね(笑)
     
     
      

十二月某日「笑いじわ」
      
今年の11月は、私にとってとんでもなくハッピーな月であった。
2度目の肝炎から10ヶ月目にして、ようやっと検査数値が「正常」に戻ったのだもの。
そりゃ嬉しい。
1月に刃(やいば)をうなじに感じてから、やっとやっと辿り着いたγ-GTP61U/1。
たかが数字のアップダウンの問題だけではなく、やはり自分の身体、薬の効き目も、副作
用も、いったん正常値に戻りかけての胆石によるリバウンドも、あれもこれも、全部こん
な小さなおばちゃんの中で起こり、過ぎていったのだ。 私はこの10ヶ月を忘れない。
たとえボケボケのおばあちゃんになっても、頭ではなく、私の身体がきっと覚えている。
私は、毎日毎日一生懸命「生きよう」としていた。
たぶん最初の肝炎の時よりも切実に。
     
そして、もう一つ、とんでもなく嬉しかったこと。
人さまが聞いたら笑われるだろうが・・・・
     
笑いじわが出来たんである!
       
「んなこと、なんじゃ。」と言われそうだが、マル顔・童顔は、実は私にとって長年のコ
ンプレックスだった。(おおむね「コンプレックス」なんてこんなもんである)
     
父が肺を切って広尾の日赤病院に入院していたときは、大部屋はす向かいの川端康成そっ
くりのジイさんに
「おう、坊主、毎日ご苦労なこったな、そろそろ高校受験じゃねぇのかい?」
と言われ・・・・もう社会人で、母が仕事で忙しかったので、上司に泣きついて半月の休
みをもらっての付き添いだったのだが・・・・・さらに数年後にはローマのレオナルド・
ダヴィンチ空港で警備の兵隊さんに
Ah、バンビーノ(坊や)
などと声をかけられ、30過ぎても仕事の打ち合わせの時クライアントに
で、先生は?
と、アシスタントに間違われ、なんだかもう、身繕いが面倒でベリーショートな髪も、ア
レルギーがあるのでいつでもすっぴんの顔も、なるべく身軽に取材できるようにGパンに
バッシュ・スタイルだったのも、何もかも自分が悪いっちゃ悪いのだが、しかしなあ、な
んだかな。
     
強度の近視と乱視で、しかも鏡のある洗面台に向かうときは洗顔のためにメガネはずして
いるものだから、11月に人と会う機会があったので久々に手鏡覗いて、ニッコリ笑って、
あらビックリ!
「笑いじわ」が出来ていたのであった。
これは、天からの贈り物である。
    
このサイトをご覧の方はおそらく二十代以上だと思うから言うのだが、「老いる」という
ことに悲しみや恐れや惨めさを少しも感じない人は、たぶんいないと思う。
でも、だからこそ、それを乗り越えて、活き活きと笑い、輝くものもある。
     
顔は、その人の歴史を写し出す鏡だ。
    
「人」を描くことを職業として、また80〜90代のばーちゃん二人を介護した私は、そ
う思わずにいられない。
皆、例外なく死を迎えるのだ。 だからこそ、自分自身の人生と正面から向かいあって生
き抜き、生きとげる事は、誰にとっても尊い。
「人間」が、あらゆる生物の中で最も老いを恐れ、嘆き、怯え悲しむ存在であるとしたら、
なおのこと、楽しく、笑いながら、輝きながら、老いていきたいではないか。
しわは「顔」という名の「人生の鏡」に刻み込まれる、時のもたらす彫刻である。
        
私は、この笑いじわを大切に育てて、「笑い美人」なばーちゃんになりたい。
      
     
      

十二月某日「2939歩のマーチ」
    
いま使っている我がボロパソは「iMac」の2代目のタイプである。
最初の iMac ボンダイブルーが世に出たのが1998年8月、その次に、5つのフルーツ
・カラーネームが付いたタイプが登場して、ものすごく売れていた、その真っ最中の19
99年、GWに買った。
なんせ「ものすごく売れていた」ので、本体とキーボードはストロベリーだが本体の台は
同じ色が売り切れでキウイグリーンなんである。
ちょうどへた付き苺をひっくり返したような色合いなので
「いちごちゃん」と呼んでいる。
あんまりよくお凍りあそばすので(冷凍いちごであるな、こりゃ)本体にでかでかとマジッ
クで「凍るな!」と書いてある。
ついでにドッコイが長命寺で買ってくれた落雷よけ?のお守り・3色の土鈴をとなりにぶ
ら下げてある。 が、凍るもんは凍るんである。 トホホ・・・・
     
このパソコン、もっと正確に言うと購入してから2939日目である。
なぜ分るかって?
買ったときお店の人がオマケでいろいろ付けてくれた機能のひとつが「ポストペット」で、
そのキャラクター、ピンクのテディ・ベア「よもすけ」が生まれてから2939日目と表
示されるんである。 その間彼が運んだメール・・・・わずか59通。(ペットにメール
を運ばせると、あとから「ひみつ日記」なるペットからのメールが届くので、アタマが混
乱しちまうんである。 ナニガナンダカ・・・、で、普通にメールを送信しておりました)
メール機能はブチ壊れてしまってどうしようもないが、よもすけの「生まれてから何日目」
だけはきちんとカウントされてゆくので、自動的に「パソコンを買ってから何日目」とい
うのも分る次第である。 このまま、よもすけはメール配達もせず、子供のままで、パソ
コンが電源につないであるかぎり、その日数のみが積み重なってゆくのだろう。
なんだか不思議だ。
    
サイトの更新だけは旧型の「Page Mill3.0」で、いまもガチャコガチャコやっているが、
メールとサイト巡りは完全に「iBook G4」に移っていて、これがいきなりストップして
只今大騒ぎな我が家ではある。   
「iMac」の「netscap navigatour 4.7」ではもう見られないサイトがあまりにも多い。
動画なんてついたら、てきめんにアウトである。 メールも、最近のは本文に色が付い
ていたり文字の大きさが違ってたり、添付してあるイラストや写真をいったんデスクトッ
プに置いておいて「何じゃこれ?」ということなくダイレクトに見られたり(すけべえ
なスパムメールのときは「うぎょわぁっ!」と叫ぶことになるが)どんどこ進化してい
って、すごいなあと思う。
   
ただ、すごいはすごいんだけど、わたしのアタマの中は「2939日まったく進化なし」
なので、あーらら壊れちゃってどうしよう〜?トホホなんではあるが。
水前寺清子の「365歩のマーチ」「3歩進んで2歩下がる♪」で都合「121歩前
進・余り2歩のマーチ」なのだが・笑・私の場合「2939歩進んで2939歩下がる、
おみごとなまでに進歩無し!のマーチ」なのである。
    
友人とドッコイが頑張ってくれています。 ありがたやありがたや・・・・・
というわけで、たぶん近日中に機能は復旧するでしょう。
私は「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラのように「Tomorrow is Another Day」
などとつぶやいて、タラの大地ならぬ「我が電脳荒野」にたたずんでいるのである。
つるかめつるかめ・・・・・・。  
     
    
    

十二月某日「壊れちゃったー!」
    
いやはや、我がコンピュータが11月30日夜〜12月朝までの間に壊れちゃったので
ありました。 どうしたもんだかーっっっっっ!!!!!?????
    
とりあえずこうしてアップは出来るのですが、ほとんどのサイト、見られません。
(そんなに旧型なのか、ウチのボロパソ・・・・うん、旧型です。トホホ〜・・・・)
でもって、なんとメールチェックが出来ませんっ
ので、「メール送ったけど返事がないよー?」という方、いましばらくお待ち下さい。
・・・・スイマセン・・・・
自力での復旧はとーてい無理っなので、人のお力借りて、なるべく早くなんとか
いたしますです、はい。    
     
   

      
      
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