自己紹介をさせて頂きます。

私、花谷博幸(はなたにひろゆき)は高田馬場の早稲田医療専門学校を卒業して鍼灸師になりました。
 専門学校入学前は中国山西省の人民病院という所で約3年間留学をしていました。
この病院では外国人を受け入れたのも初めてだったため、私のやりたいように全てのスケジュールを組んでくれたのです。

 私は漢方科、鍼灸科、循環器科を中心に外科手術など日本では体験できない事を見ることができたのです。特筆する事は私についてレクチャーしてくれたのが全てそれらの科の最高スキルを持つ先生方だった事と全て中国語でのレクチャー、問診、治療だった事。(少し自慢)

 循環器科においては聴診器での問診などはまず私がその選別をして心音の悪い人だけ先生に送るという日本では考えられないような事までやっていました。(もちろん無免許)

 漢方科では有名な先生に出会えました。原(ユエン)先生、文革以前の先生の中でも抜群にすばらしい人格者だった先生です。(文革後の先生のレベルはちょっと低い)

 研修最初の頃、この先生に言われた事は「花谷このような外来にはほとんど風邪や高血圧、狭心症がほとんどだけど、100人に一人か二人自分でも気づいていない病気を隠し持ってくる患者がくる、そんな患者を見逃さないかどうか、その患者を適切に専門家に診せられるかどうかで医者の価値が決まってくる。そのために98人を診るのだ」と教えられ、それが今でも私の基礎になっている。



 わたしが開業したのは鍼灸専門学校1年生の頃、留学から帰ってきて自信満々、開業したらすぐ行列のできる治療院になるだろうと理由もなく本気で思っていたあの頃です。


 鍼灸の免許はなかったので整体治療院を開設。

 午後3時に学校を終え、午後4時から10時まで診療。最初の月が月商15万円。私一人が生きていくには十分だったが以降、行列はいっこうにできなかった。

 しかし学生の間の生活費、年間100万円の学費、全てその治療院の売り上げで叩き出したのだから自分で言うのも何だが大したもので、今学生でアルバイトしながら学校に行く位なら同じ方法を薦めます。

結局自分の責任で患者さんを診なければ本当の能力は身につかないですからね・・。


 一番大切なことを忘れていました。私が治療家になるきっかけは、陸上選手として怪我をした時、私の師匠池上六朗氏に出会った事でした。もちろん今でも師事しております。16歳からの師事です。

 「三軸修正法」を創案し絶大な存在感を持つ方で、会員の皆様の前にいつか出てもらう予定ですので、先生の特別セミナーがあった時は何があっても参加してくださいね。


 最後にこれが私の一人息子「晋志」しんじ。
晋は中国山西省が昔、「晋国」だったことと、男にとって一番大切なのは「志」と思いつけました。



趣味
草野球・読書(年間300冊)・真夜中のマラソン


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