AYUCA・金井優子の現地報告日記8

 現地で活動している当会・金井優子の報告です('99年9月2日〜10月1日)。


9月2日(木)

 フレナカインに、トタン板を9月4日に持っていくということを告げに行った。
 その後、ブエルタ・グランデに教会再建についての話をするために行く。しかし肝心の牧師が不在だったため、細かい話し合いができなかった。でも、みんなに教会再建の話をするととても喜んでくれた。それがすごく嬉しかった。絶対早くこのプロジェクトを実現させたい。
 また、この牧師の家では、いろいろな野菜の栽培をしていた。インゲンやトウモロコシなどを今は栽培していた。私たちのあげた種を栽培したことがきっかけで野菜の栽培に興味を持って、ここまでいろいろな野菜を栽培することができた。だから、私たちのおかげだといってくれた。とっても嬉しかった。一人でも多くの人が、こんな風に、私たちのしたことによって何か新しい生き方を見出してくれたことが、本当に嬉しかった。
 今日から、女子大生二人が私の活動を見にやってきている。大森さんが去った後で、すぐまた一緒に行動してくれる人ができたということがとっても嬉しい。


9月4日(土)

 今日はクアクにトタン板を持っていった。14軒分、252枚のトタン板を運んだ。一回に運ぶトタン板の量は、これまでで一番多い。だからこの日は初めてトラックを使うことになった。最初トラックのエンジンがかからなくってどうしようかと思ったが、みんなで押して何とかエンジンがかかって、無事に運ぶことができた。
 村ではみんなが私たちの来るのを待っていた。渡したときにみんなに大体1ヶ月後にまた家をチェックしにやってくるということを伝えた。みんなが1ヶ月もあったら絶対もう家ができているよ、って言ってくれた。だからとっても楽しみ。本当にちゃんと家ができていればいいんだけど…。
 また、フレナカインで以前配ったけど2枚足りなかった家があったから、そこに2枚のトタン板を配った。やっぱり物資を配るときが一番ほっとする。まだクアクには2軒見落としている家があるらしい。今度その2軒を見に行こう。


9月6日(月)

 今日は、ブエルタ・グランデに再び教会の再建について話をしに行く。でもなかなか見積もりができなくってプロジェクトが進まない。すごく焦っている。
 帰りはバスに乗ってトルヒーヨまで戻った。以前は10レンピーラ(約90円)だったバス代が15レンピーラに値上がっていた。むちゃくちゃ高い。多くの人たちが文句を言っていた。


9月8日(水)

 今日もブエルタ・グランデに教会再建の話をしに行く。
 今日たまたま2回ヒッチハイクをした車が、両方とも、この辺りでプロジェクトをしている海外のNGOのものだった。ひとつはスペインの monja たちのものだった。もうひとつは MEDICO DEL MUNDO というNGOのもので、彼らたちはすでにフレナカインで水のタンクを作るプロジェクトを終えて、新しくドス・ボカスで女性を対象に性教育の授業をしていると話していた。彼らも偶然スペイン人だった。今この辺りで援助活動をしているのはこの2つの団体と、スーザン(APSO)と私の4つだけのようだ。彼らとは一応話をして名刺の交換をした。これからどのように彼らと交流を持つのかはわからないけど、協力していければ、と思う。
 また新たに、クアクには全部で29軒の家があるということを聞く。今度ちゃんとリストをもらう予定。もし本当にそうなら、またチェックしに行かないといけない。
 今日は亀を食べた。久しぶりの亀はとっても美味しかった。


9月11日(土)

 ブエルタ・グランデの教会再建現場を見るために、わざわざ青年海外協力隊の人がサン・ペドロ・スーラからやって来た。
 この教会再建というプロジェクトは、AYUCAの資金では実現不可能なものだったけど、なんとか実現させたいと思っていた。協力隊の人達が集めた義援金がまだ残っていると知って、協力を求める事にし、幸いにも協力をしてくれるという方向に向い、今日現地を視察に来る事となった。まだ、100%決定したというわけじゃないけれど、ここまで来て、やっぱり無理です、なんていう返事が来るとは思えないし、思いたくない。なんとか、1日でも早くいい返事が聞ければいいな。


9月14日(火)

 今日は、リカルド・メヒーヤ、ミラモンテの2ヶ所にトタン板を運ぶ日。これまでで最高の量を一度に運ぶ事となった。もちろん、今日もトラックを使った。
 いつものように、みんなで話しをしながらの移動。いつもと同じように、みんなで冗談を言い合っていた時、前方からものすごいスピードを出した車が私達の乗ったトラックに向ってやって来た。この時、日本から2人の女子大生が私の活動を見にやって来ていて、一緒に活動をしていたんだけど、その二人が叫び声を上げた。そして、次の瞬間私達に何かが強くぶつかったような衝撃が伝わり、運転手はハンドルを取られ、危うく道路から外れて少し低い位置にある道路脇に落ちそうになった。しかし、なんとか落ちる事は免れ、道路の橋ぎりぎりの所でトラックは止まった。いったい何が起こったのか分からなかった。すぐにトラックの後ろの方を見ると、そこには、車の前方右サイドがぐちゃぐちゃに潰れた車が進行方向に向って垂直の状態で止まっていた。トラックの後方左サイドと接触をしたのだ。トラックの方も、後方左サイドのタイヤ2つがパンク(というよりも、切られたような状態)し、どこの部分かは分からなかったが、車の部品の一部と思われる、鉄のパイプらしきものがいくつか辺りに散らばっていた。すぐに、双方の運転手が話し合いを始めた。しばらくすると警察もやって来て、気が付くとあたりは野次馬でいっぱいだった。私達はなんだか訳が分からない状態で、警察の現場検証やら、彼らのやる事をただずっと見ていた。女子大生達は、死ぬと思ったと言って、精神的にダメージを受けているようだった。このホンジュラスで2回ほど死にかけた私にとって、この出来事は3つ目に大きな死を感じる経験となった。
 しばらくして、代わりの車が到着した。その車にトタン板を積み直して、活動地域に向うこととなった。しかし、台車は小さく、すべてのトタン板を運ぶことができなかったため、今回はリカルド・メヒーヤだけに、トタン板を運ぶことにした。無事、トタン板を運び終えた時には、もう夕暮れ近くになっていた。
 トルヒーヨに着いた時、私達は昼ご飯を食べていないことに気づき、次の瞬間空腹が私達を襲った。もう耐えられない。すぐにみんなでレストランに入った。
 今日は、精神的に本当に疲れた。でも、誰も死ぬようなことがなかったのが救いだった。


9月16日(木)

 フレナカインに行った。2軒、援助をしようと考えている家を見に行き、話をした。1軒は老夫婦が住んでいた。若ければ、どんな大変な仕事でもできるから、いくらでもお金を稼ぐ方法があると思うが、年寄りにはそれがとっても難しい。だから、なおさら老人達には援助が必要だと思った。


9月29日(水)

 クアクの残りの家を見に行った。2軒見に行く予定だった。しかし、ここ連日の雨で、川が増水していて、馬や車で渡れるくらいの場所が、まったく渡れなくなっていた。水が引くまで、しばらくはこの2軒の家を見に行くことができないようだ。
 最近、ずっと雨が降る日が続いている。雨による大きな被害は、この辺りでは見られないが、ホンジュラスの首都では、とんでもない被害が出ていた。あちこちで、床上浸水、がけ崩れが起こっていて、首都では、今、学校が休みの状態になっている。サンペドロスーラ周辺の町でもそうなのだが、床上、もしくは一階すべてが水に埋まってしまった家などに住んでいた人達が、道路に木やビニールシートを使って、テントを作り、そこで生活をしている。その光景を見た時、ハリケーンが来たときの事を思い出した。早く、みんなが元の生活に戻る事ができればいいのだが。


9月30日(木)

 今日は、以前調査をした事のあるベインテイシンコ・デ・アブリル(25 DE ABRIL)という村に再び調査をしに行った。というのも、ここの教会の代表者達は、よく私の事を探して、私のもとまでやって来ては、「まだ、援助をしてもらえる可能性はないのか?」と聞いてきた。その度に、「まだ、あなた達以外にもっと苦しんでいる人がたくさんいるので、その人達の後に考える事ができる」と答えていた。そんな必死な彼ら達を見ていると、彼らには私達の援助が必要なんだという事が強く感じられた。
 だから、彼らを援助してあげたい、援助を必要としていると思い、今日この村に行くことにした。私の姿を見つけるや否や、すぐにいつも私のもとにやって来ていた教会の牧師達が笑顔で私を迎えてくれた。約2ヶ月前にこの村にやって来て、牧師達の案内で援助を必要としている32軒の家を見に行った。まずはその32軒の家をもう一度チェックしに行くことにした。以前見に行った時とほとんど変わらない状態で、みんなが生活をしていた。今日は、全部の家をチェックできなかったので、また明日残りの家をチェックしに行くことにする。


10月1日(金)

 今日は、ベインテイシンコ・デ・アブリルの昨日チェックしきれなかった残りの家をチェックしに行った。そして、最終的に、32軒のうち20軒を援助しようと決めた。もちろん、32軒の中でも最も援助が必要と思われる家を選んだ。本当は、すべての家を援助してあげたいとこだけど、資金の都合上、全部を援助する事ができない。どの家も援助が必要なのに、さらにそこから援助をする家を選ぶという作業は、私にとっては本当に辛い事だった。でも、しなくちゃいけない作業。
 最近、トルコや台湾、メキシコで地震が起き、世界中の目がそこに向けられている。もちろん、それらの地域では多くの人が被害にあい苦しんでいる。そして、多くの援助を必要としている。しかし、どこかで災害が起こる度に、すでに災害が起き、援助の手が入ったことのある地域の事が忘れられていっている。そして中途半端な状態でほったらかしにされ、再び新しい地域でも同じことが繰り返されている。援助する側にとっては、新しく被害にあった地域の光景というのが、やはりインパクトがあり、活動のしがいがあるのかもしれないけれど、まだまだ援助の必要な、忘れられている地があるということに気が付いて欲しい。ここでは、まだまだ多くの人達が援助を必要としているという事を分かってもらいたい。
 大森さん、土屋さんに、日本でもっと資金集めをしてもらうよう御願いしなくっちゃ。


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