AYUCA・金井優子の現地報告日記7

 現地で活動している当会・金井優子の報告です('99年8月12日〜8月27日)。


8月12日(木)

 今日はミラモンテに行った。
 すごく、気が重たかった。というのも、やっぱりこのミラモンテの人達があまりにも利己的で嘘つきだから。でも、中には協力的な人達もいるから、今日もなんとか無事ここでの活動を終える事ができた。
 今日も、いっぱい歩かされた。なんだか精神的にとても疲れたみたい。


8月13日(金)

サンタ・ロサ・デ・アグアン  今日はサンタ・ロサ・デ・アグアンに、今の状況がどうなのか、という事を見に行った。
 状況はハリケーン直後とほとんどと言っていいくらい変わっていなかった。それよりも、波によって土地が侵食され、以前よりも陸地が少なくなっていた。もうここに住むのが怖い、いやだ、という人達の気持ちが分かったような気がした。
 また、アグアンの中心まで行くには、やっぱりボートに乗って行くしかなく、そのボート代が片道5レンピーラもしていた。もうすぐ6レンピーラに上がるという情報も聞いた。川幅がとんでもなく広くなっているから、たぶん今の状況だと橋を作るのも難しいかもしれない。でも、毎回往復10レンピーラは、今の彼らにとってはきついのは明らかに分かる。
 帰り際に、APSO(アイルランドのNGO団体)のスーザンと偶然会って、話をした。彼女達も私と同じ地域で活動しているという事もあって、同じような問題を抱えていた。また、スーザンはこの地域でいろいろなプロジェクトをしたいと考えていて、そのいくつかは、私も興味を以前から持っていたので、事によれば、彼女と協力していく事ができるかもしれない。彼女も10月からは全く一人でここに住んで活動を、あと1年半続けるということだから、私と同じような状況での活動となる。
 なんだか、いい活動仲間ができたようで、少しうれしいな。


8月16日(月)

 今日はフレナカインに行った。朝、バスに乗るときに、アグアンへの分かれ道(ヒッチハイクポイント)まで行きたい、と言うと「危ない。危険だからアグアン行きのバスを待ったほうがいい」と言われた。でも、アグアン行きのバスに乗るには、最低2時間は待たないといけなかった。そんなに待ってなんていられない。そこで、アグア・アマリーヤまで行ってそこで待つ、というような事を、「危ないからだめだ」と言った叔父さんに告げてバスに乗った。でも、その叔父さんの忠告を無視して、ヒッチハイクポイントまで行くつもりだった。その叔父さんも私達と同じバスに乗っていた。叔父さんは私達よりも先にバスを降りた。そして、バスを降りる時に、再び私達に、まるで念を押すかのように、「絶対ヒッチハイクポイントで待つ事はしないように」と言った。こんなに念を押されたことは無かった為、叔父さんの言うとおり、今日はアグア・アマリーヤで降りて、そこでヒッチハイクを待つ事にした。でも、思った通り、やっぱりここではヒッチハイクがつかまらず、結局ここで2時間ほど待って、アグアン行きのバスに乗ることとなった。
 フレナカインに着いた時、なんだか雲行きが怪しくなっていた。でも、村人に聞くと、「まだ雨は降らない」と、あっさり言われたから、家のチェックを始めた。しかし、チェックを始めると同時に雨が降り始めた。ここは、本当に広い範囲に家が8件ほどしかなかった為、雨宿りしたくても、なかなか雨宿りできる家までたどり着くのに時間がかかった。すべての調査が終わった時には、もうずぶ濡れ。今日はなんだかついてない1日だったような気がする。


8月17日(火)

 今日は、アグア・アマリーヤからさらに少し遠い所にあるラ・パバナという所まで行った。ここからは、偶然いた車をヒッチハイクして行ける所まで進んでいった。前日の雨のせいで、道はドロドロ状態、川はほとんど陸地と同じくらいの高さまで増水していた。たった1日の雨でこんなに水位が上がるこの地域には人は住むべきではない、と思った。
 結局この日は車では途中しか行けず、そこから歩いていくとしても結構距離があったという事と、雨で道がドロドロの状態だったこと、そして疲れていた事が重なっていて、行くのを断念した。でも、後からやっぱりどんなに疲れていたとしても行くべきだったんじゃないか、という後悔の念が生まれた。次はどんな状態でも必ず行こう!!!


8月19日(木)

馬で移動  今日はクアクで集会を持つ日。前にヒッチハイクしたトルヒーヨの人に、この日のヒッチハイクをすでに頼んでいたので、その時に言われた時間(a.m.7:00前)にその人の家に行った。でも、私達が行った時にはすでに彼らは去った後だった。もしかしたら、約束の時間がa.m.6:00だったのかもしれない……。もしくは約束を忘れてしまったのかも……。
 結局またまたヒッチハイク。
 集会の時間から1時間ほど遅れて、やっと到着。集会の場所に向かっている時1人のクアクの人が私達を探しに向おうとしていた。このクアクには、過去に2回外国の団体がやって来て、調査をしただけで2度と戻ってこなかったという事があったので、みんな半分諦めていたように思う。でも、なんとかみんながいるうちに着く事ができたからよかった。
 みんなといろいろ話をしてから、この間チェックし残していた3件の家のチェックに向かった。 この3件のうちの2件はここからさらに奥に入った所にあった。はじめ、これらの家を見に行きたい、と言った時、「すごく遠い行けど、本当に行くのか?」って、みんなに言われた。思わず迷ってしまったけど、火曜日の事もあって後悔したくなかったから行くことにした。
 大森さんは自転車で、私は馬でそれらの家に向った。本当に遠かったけど、自然をいっぱい満喫できて、とっても気持ちがよかった。
 でも、今回始めて1時間以上も馬に乗って(いつもは長くても30分くらい)、お尻が痛くなった。お尻が筋肉痛になるっていう事はあるのかな?


8月20日(金)

 今日はブエルタグランデの幼稚園に向った。でも、村の入り口付近で、今日は幼稚園はお休みで先生はトルヒーヨに行った、という事を聞いた。せっかく朝5時に起きてやって来たのに……。
 ミラモンテに向った。一件見ないといけない家があったんだけど、その家は全く、私が言った事をしていなかった。もうここでは、そういう事があっても開き直れるくらい、彼らにいろいろ教えてもらった。
 その後フレナカインに行ったけど、子供2人が昨夜亡くなって、村中がその子達のお葬式に行っていた為、ここでの活動もできなかった。
 トルヒーヨに戻って、アパートのもっと上にある山(国立公園になっている)に行くことにした。ここは、入る時に外国人は50レンピーラ(約450円)払わないといけなかった。でも、ここで50レンピーラあればレストランでビールが何本飲めるかって考えると、ためらってしまう。ラッキーにも、私達が行った時には、入り口には誰もいなくて、ただで入れた。
 頂上までは、直線距離で約8キロあった。絶対頂上までは上れない、ていうくらい疲れていた。でも、公園(と言ってもただの熱帯の山)は自然の自然しかなく、とっても空気がきれいで、とにかくよかった。
 今度は絶対頂上まで上る!!!
 昨日の馬のせいで、今日はお尻が筋肉痛。


8月23日(月)

 今日はフレナカインの援助をすると決まった家々に、資材の引換券(物資をちゃんと売ったりしないで使うように書いた契約書みたいなもの)を渡しに行った。
 そのうちの一件の家は、夫婦喧嘩をしていて、奥さんが近くの家に避難している状態だった。また、もう一件の家では、3歳の子供が一種のデング熱にかかって、数日前に亡くなっていた。その家のお母さんと話をしたのだが、子供を失った悲しみのあまり、ほとんど話ができない状態だった。また、私もどうやって声をかければいいものか、迷ってしまった。
 今日思ったことなのだが、ハリケーンに襲われたこの地域では、ハリケーンの被害に苦しみながら、毎日の生活の中で、どんな人にも起こりうる悲しい出来事が起こっている。当然のことなのかもしれないけど、彼らはハリケーンの被害という他の人達が抱えていない問題を抱えた上で、さらに問題を抱えていることになる。世界的に見ればそんな人は数え切れないほどいるのかもしれないけど、そうじゃない人も数え切れないほどいる。やっぱり、少しでも生活に余裕がある人、他の人のことを考えれるだけの余裕のある人は、そうではない人達を助けなくてはいけないのかも、と思った。
 今日、新たに一件、また家をチェックしに行った。ここは老夫婦2人で暮らしていた。屋根は、ハリケーン後新たに大きな葉っぱをのせて、ある程度の雨風をしのげるようにしていたが、雨が降れば、当然家のなかも雨が降る、というような状態だった。若い人なら、これから一生懸命働けば少しづつでも何かを手に入れて行くことができるけれど、年を取った人達にはこれからまた新たに何かを手にいれることは難しい。これは日本でも、どこでも同じだと思う。だから、ここには援助をしようと思う。
 生活のレベルは違うかもしれないけれど、起こる出来事(夫婦喧嘩、死、誕生)は、世界共通。発展途上国にも先進国にも、いろいろな災害は起こっているし、これからも起こる。でも、その後の回復力というのは、全く違う。貧しい人はさらに貧しく、金持ちはさらに金持ちに。なんだか世界って、とっても虚しいものなのかもしれない。


8月24日(火)

 なんだか最近、さらにヒッチハイクが難しくなってきているような気がする。
 まあ、とにかくミラモンテに着いて、ひとまずトタン板を待っていたみんなに、まだトタン板が届いていないことを説明し、もう少し忍耐を持って待ってくれるように言った。その後、まだ見ていなかった家のチェックに行く。その時、一人の女性と会った。
 彼女は、アグアンに住んでいて、ハリケーンで2件あった家をすべて失い、その時両腕をコンクリートで強く打ち、不自由な状態になったといった。確かに不自由そうだった。そして、昨日まで、ラセイバのいとこの家にいたのだが、もうそこでも暮らせなくなり、今はミラモンテの知り合いの家を転々としているということだった。でも、よく話を突っ込んで聞いてみると、いろいろ怪しい点が出てきた。他の人も、彼女を援助してくれないか、と私に言ってきた。本当に彼らの言う事が真実なら、もちろん私は彼女を援助したいと思っている。でも、このミラモンテに関して言うと、本当にいろいろな事があって、みんなの言う事をもう信用できなくなっているので、その場では返事はできないと言って、去った。1度でも、裏切られる(嘘をつかれる)と、なかなか再びその人の事を信用するのは難しい。
 その後、ブエルタグランデに頼んでいた幼稚園の子供達の絵を取りに行った。しかし、届いていなかった。あんなに頼んでいたのに。でもしようがないから、また出直そう。
 帰り道、以前ヒッチハイクをした車を偶然再びヒッチハイクした。
 彼らは決して裕福な暮らしをしているのではないが、私達にジュース、お菓子を買ってくれた。なんでも、話していて、とっても気持ちがいいらしい。私も、彼らと話していると、とっても気持ちがいい。
 毎日、いやな事もあるけれど、こういう気持ちのいい人達がいるから、ここでの活動を続けていけるんだと思う。
 今日は、助っ人に来てくれていた大森さん(AYUCA)の、最後の活動日。一人でも、誰か一緒に活動してくれる人がいるといないのとでは、私にとっては精神的にぜんぜん違うという事が、今回大森さんが来てくれた事で分かった。次は、いったい誰が来てくれるんだろう。
 大森さん、どうも有り難う。気を付けて日本に帰って下さい。


8月26日(木)

 今日は、1ヶ月ぶりに一人での活動。たった1ヶ月だったけど、ずっと一緒に活動してくれる人がいたから、なんだか寂しい気が……。
 今日はフレナカインに行って、まだ引換券を渡していなかった人達に引換券を渡して話をした。
 もうこの辺りでの活動は終わりに近づいている。あとは、物資を運ぶだけ。でも、その物資が届かない。いったいいつになったらみんなに物資を渡す事ができるんだろう。
 フレナカインでスーザン(apso)に会う。以前話した時、話題に出てきたリモンという所からさらに奥に行ったballecitoという村の事について話をした。ここは、カリブ海沿岸に住むガリフナといわれる黒人たちの村の1つで、ハリケーンによって、多大な被害を被ったらしい。多くの人達がここを去って別の場所に住んでいるのだが、多くの人達がこのballecitoに戻りたがっているらしい。今は、約20家族がここに住んでいるらしいのだが、彼らが今どんな状態で住んでいるのか知りたい。明日偶然、このballecitoの幼稚園で先生をしている人が、トコアに来るらしい。会って話を聞いてみたい。


8月27日(金)

 今日はballecitoの幼稚園の先生に会いにトコアに行った。
 スーザンに教えられた場所に彼はいた。彼はとても親切に私の質問に答えてくれた。話に聞くと、援助が絶対必要に思える。でも、彼らが本当に必要としているものは、農業、漁業などの知識を与えてくれる人のように思える。私には、ただトタン板という物資だけしか与える事ができない。とにかく一度ballecitoに行ってみるつもり。絶対行きたい。


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